理想と現実
「早く武器を捨てろ! コイツが死んでもいいのか!?」
「う、あぁっ……!」
ハニエルの白い首筋に短剣の切っ先を突き付けながら、獣人の男は冒険者たちに脅迫する。少し皮膚を裂いたのか、赤い血がつーっと一筋流れ出してるみたいだ。白い肌を伝う真っ赤な血……ちょっとゾクゾクしちゃうね!
ていうかアイツ、本当に人質になってるぞ。何があったんだこれ……。
「うっ、くそっ……!」
「夜襲の上に人質を取るなんて、下劣な卑怯者め……!」
屑なイメージしかない聖人族も、やっぱり同族は大切みたい。怒りやら屈辱やらに顔を真っ赤に染めながら、大人しく武器を手放してたよ。自分の種族に対する仲間意識だけは、聖人族も魔獣族も同じなのかな?
「お、おねーちゃぁぁぁぁん!」
わりと緊迫した空気だったのに、突然ガキの鼻垂れ声が聞こえてきてそれを台無しにする。見ればおかんっぽい女性に腕を引かれる幼女が、冒険者たちの間から必死にハニエルに向けて手を伸ばしてた。
まさか妹が!? なんてボケはしないよ。どうせ馬車に乗ってた時に仲良くなった幼女でしょ。昨日ハニエルが馬車の中で幼女と楽しそうに遊んでるの見たしね。僕も混ぜて欲しかったです。
「だ、大丈夫ですよ、リシアちゃん。私は大丈夫ですから、早くお母さんたちと安全なところへ逃げてください」
「で、でもぉ……リシアのせいで、おねーちゃんが……!」
「大丈夫、私は天使ですよ? 嘘をついたりなんてしません。それとも、私が嘘つきに見えますか?」
「……ううん……見えない……」
「それなら、私の言葉を信じてくれますよね? 私は大丈夫ですから、リシアちゃんはお母さんたちと安全なところへ逃げてくださいね?」
「……うんっ、分かった!」
ハニエルににっこりと笑いかけられて多少は安心したのか、幼女は大人しくなって母親に手を引かれて走り去っていく。
なるほど。たぶん最初に人質に取られたのはあのリシアとかいう幼女だったんだろうね。それでたぶんハニエルが『私が代わりに人質になります! だからその子を解放してください!』的なことを言ったんだと思う。向こうからしても一般人のガキより大天使の方が、人質としての価値はめっちゃ高いでしょうよ。
ところで嘘をついたりしない大天使様は、僕に三千歳サバ読んだことを忘れていらっしゃる?
「……さて。クソガキ共がいなくなった所で、大人の時間だ。しかしまさかお偉い大天使様を捕まえられるとは思ってもなかったぜ?」
「こいつを連れ帰って魔王様に献上すれば、とんでもない褒美が貰えるだろうな。その後コイツがどうなるかは知ったこっちゃねぇが」
「そりゃ拷問しまくってから処刑に決まってんだろ。いや、その前に国中の男総出で犯されることになるかもな? 何なら俺たちが先にヤっちまうか?」
「やだもう、サイテー! でもそいつが犯されて泣き喚く姿は見たいかも?」
それは僕も見てみたい……じゃなくて、価値のある人質を手に入れた獣人たちは凄い調子に乗り始めたよ。女の子もいるのに拷問だの凌辱だの輪姦だの、物騒な話をしていらっしゃる。
別にそれ自体は悪い事ではないし、責める気も無いよ? 美少女を人質に取ったならお約束みたいなものだし、僕だってやるしね。ただそれはそれとして――
「ぐふっ!?」
「――悪いけど、これは僕のモノだから。お前たちには渡さないよ?」
僕のモノに手を出すのは頂けない。だから僕は消失で姿を消したまま、ハニエルを人質にとる獣人を背中からグサリと刺し殺した。
本当は首を刎ねたかったんだけど、そうするとハニエルにめっちゃ血がかかりそうだからやめといたよ。僕以外の男の体液が僕の女の子にかかるのは、ちょっと許せない感じがするからね。
「なっ!? お、お前、どっから現れやがった!」
こっそり獣人の野郎を抹殺した後、僕はその場に崩れ落ちかけたハニエルを抱いて冒険者たちの方に飛び退る。もちろん消失は解除した状態でね。じゃないとハニエルが空気椅子の亜種みたいな格好で謎のホバー移動をしてるように見えちゃうし。バグゲーか何かかな?
その代わり、僕が瞬間移動でもしてきたんじゃないかってくらいに唐突に現れたことになるんだが……まあそれくらいは別にいっか。
「大丈夫ですか、ハニエル? 怪我はありませんか?」
近くに冒険者たちがいるから、勇者の仮面を被って腕の中のハニエルににっこりと笑いかける。
誰も彼もが騙される、僕の渾身の優しい作り笑いだ。まさかこんな笑顔の裏でドロドロネチョネチョしたこと考えてるとは夢にも思うまい。
「……えっ? ど、どなたですか?」
ただこれが通じるのは、僕という人間を知らないか、知っていても浅いところしか知らない人だけ。浅くは無いけど深くも無い程度に知ってるハニエルは、僕の穢れのない眩い笑顔を見て目を丸くしてたよ。マジで誰だか分かってないな、この反応。
異世界の人間にまでこんな反応をされるなんて、僕の内面と外面の乖離ってそんなに酷いのかなぁ?
「僕ですよ、僕。クルスです。まさか忘れてしまったんですか?」
「……あっ!」
この野郎、マジで誰だか気付いてなかったな? そんなに僕が心優しい勇者様らしく振舞うのが似合わないか。よーし、それならもっと心優しい勇者様らしく振舞ってやるぜ!
「ああ、僕のことをすぐには思い出せなくなるくらいに怖い思いをしたのですか。それにどうやら腰が抜けてしまっている様子。けれど心配無用です、僕が運んであげましょう」
「えっ、あ、ひゃっ……!?」
心優しい勇者様である僕は、腰が抜けて立てなくなってしまったハニエルをお姫様抱っこで抱え上げた。
お姫様抱っこって実は結構力が必要なんだよね。魔法による身体能力強化がなかったら、ハニエルみたいな成人女性をお姫様抱っこなんてできなかったと思う。リアみたいなロリっ子ならともかく。
「さあ、皆さん! 武器を取ってください! 我らが大天使を害そうとした汚らわしい咎人共に、正義の鉄槌を下すのです!」
「おおっ!!」
そして聖人族を煽って、戦意を奮い立たせるのも忘れない。
でもあんまり必要は無かったかもしれないね。仮にも大天使を人質にされたことで、皆さん目が殺意に血走っちゃってるし。これは殺すなって言っても無理そうだな。まあ捕虜なら僕のテントに一人転がってるから間に合ってるし、別にコイツらは皆殺しでも良いか。
「うおおおおぉぉぉぉぉっ!! くたばれこの虫ケラ共がああぁぁぁぁぁっ!!」
「う、くそっ! 怯むな、迎え撃てっ!」
そんなこんなで、ブチ切れて手が付けられそうにない聖人族たちと、人質を奪われた上に一人殺されてまだ衝撃から立ち直ってない魔獣族たちの戦いが始まった。
結果は見えた戦いだから別に見なくても良いや。それよりも僕には腕の中の大天使様を安全な場所に運ぶっていう、重要な使命があるからね。背を向けて颯爽と歩き去りましたよ。ええ。
「あ、あの、勇者様……私、一人で歩けます……」
「いやいや、あの人たちから見えなくなるまでは抱えたままじゃないと不自然でしょ。というわけでこのままね」
「は、はい……」
お姫様抱っこされてるのが恥ずかしいのか、ハニエルは頬を赤くして縮こまってる。
三千歳のババアの癖に純情だなぁ。とはいえ石油レベルの年季入った処女だから仕方ないか。たぶん男と手を繋いだことも無いだろうし、さっきも拷問だの凌辱だの言われて泣きそうになってたくらいだしね。
あっ、泣き顔めっちゃ興奮しました。当たり前じゃないか。
「勇者様……あの方々は、その……命を奪うつもりなんでしょうか?」
「冒険者たちのことを言ってるならそうだろうねぇ。我らが大天使様を人質にとって、あまつさえ穢すような事を口走ったんだし。間違いなく皆殺しでしょうよ」
「そう、ですか……」
僕の言葉に、ハニエルは悲痛な面持ちで目を伏せる。
でも反応はそれだけだ。『命を奪うなんていけません!』とか『みんな仲良くできるはずです!』とか綺麗事をほざいたりもしないし、僕の手を振り切って戦いの場に戻ったりもしない。抱き上げられたまま運ばれてて大人しいもんだよ。ちょっと意外だね、これは。
「ふぅん? てっきり殺すのは駄目だって良い子ちゃんな事言うかと思ったけど、意外と物分かりがいいね?」
「もちろん人の命を奪うなんていけないことです。その思いは変わりませんよ。でも、私が何を言っても誰も耳を貸してくれないことは、三千年の間に嫌というほど思い知らされましたから……」
そして今度はどこか痛々しい笑顔を浮かべる。
うーん、頭お花畑の理想論者って思ってたけど、これはちょっと評価を改めるべきかもなぁ。幾ら頭がアレでも三千年間もこのクソ世界の荒波に揉まれてきたんだし、多少は現実ってものを理解してるのかもしれないね。考えてみれば僕の奴隷になる契約を結んだ時点で、ある程度覚悟は決まってたはずだし。
これはその内、レーンが僕にやったのと同じテストをするべきかな? それまではハニエルはまだ真の仲間候補止まりだ。
「……勇者様。私たちは、本当に世界を平和にすることができるんでしょうか?」
「難しいだろうねぇ。でも絶対にできないってわけでもないと思うよ? ハニエルみたいにどの種族にも敵意を抱いてない人だって、きっと探せば他にもいるだろうし。そういう人を集めて気長に頑張っていけば、きっと何とかなるんじゃない?」
候補止まりにはあまり本音を言えないから、適当なことを言っておく。
敵種族に敵意を抱いてない奴は、確かに探せばいると思うよ? キラとかリアとかはその典型だし。
でも圧倒的に数が少ないんだよねぇ。今まで出会った人とか冒険者とかにはこっそり解析して調べてたけど、どいつもこいつも敵意が【中】以上なんだもん。一般人でさえそんなもんだし、もう世界を回って探すくらいなら自分で育てたり作ったりした方が早そう。
「……例えば、リアちゃんですか?」
「おっと、さすがに気づいてたか」
「気づきますよ。だってあの子、恨みも敵意も何もない、とっても愛らしい瞳で見てくるんですから。勇者様があの子を買ったのは、誰にも敵意を抱いていない無垢な子供だったからなんでしょう?」
「……お、そうだな」
知らないって幸せだなぁ。見た目は無垢な幼女に見えても、中身は同族への殺意と憎しみでドロドロに淀んだ化け物みたいな状態なのにねぇ。まあ僕としてはその極まった憎悪や、内面と外面のギャップが堪らないんですがね?
「……私、勇者様に会えてよかったです。私自身はまだ何もできていませんし、変わらず無力さを噛み締めていますけど、少しずつ世界平和に向けて歩みを進めているように感じられますから」
「まだ仲間を探してるだけなんだよなぁ。でもまあ少なくとも城で食っちゃ寝してる時よりはマシかな?」
「食っちゃ寝してないです! ちゃんとお仕事してましたから! あれ!? もしかして私、そんなに太って見えるんですか!? 実は重たいんですか!?」
「うん、まあ重いっちゃ重いよね。でも重さの大半はこのクソデカい翼だと思うんだ」
ガーンって感じにショックな顔をするハニエルだけど、重いのは事実だから仕方ない。デカい翼が四枚もあればむしろ重くない方がおかしいんじゃないかな? 鳥みたいな軽い翼かと思ったら意外と重量あるし。
あと翼のせいで地味にお姫様抱っこしにくいんだよね。羽の先っぽに身体をくすぐられてるみたいですっごいこそばゆいです。
「ううぅぅ……ダイエット、します……!」
何かよく分からん決意を漲らせるハニエルを抱えながら、僕はリアがグースカ寝てるはずの女子用テントに向けて足を進めていった。
ちなみにその間、ハニエルは赤くなった頬を隠す振りをして耳を塞いで震えてたよ。たぶん後ろから悲鳴とか肉を切る音とか色々聞こえてくるからだろうね。もしかして、いつもこうやって見て見ぬ振りを続けてきたのかな? クソザコメンタルだなぁ。
しかしそれはともかく、ダイエットしたら翼も痩せるんだろうか? それよりかは四枚あるんだから二枚引き千切った方が体重落ちそう……落ちそうじゃない?