邪神教団、壊滅!
⋇その辺の兵士の三人称視点
魔獣族の国の首都――セントロ・アビス。
聖人族と同盟を結んだ事に関して最初こそ住民たちも反発していたものの、今ではすっかり成りを潜めている。首都には未だ聖人族の立ち入りが禁止されているため、彼らの生活にはあまり変化が無かったというのが最大の理由なのだろう。
加えて聖人族から提供された第二世代の犯罪者奴隷のおかげで、エクス・マキナへの対処も容易になり日々の安全が約束された。兵士や冒険者たちもエクス・マキナの撃退に手慣れてきたため、住民たちは比較的平和で穏やかな日々を過ごしていた。
「うわっ!? な、何だありゃ!?」
「邪神の攻撃か!?」
しかし穏やかな昼下がりを、突如として生じた凄まじい光が引き裂いた。街の一角から突如として激しい光の柱が立ち昇り、凄まじい魔力を放ちながら雲を突き破り天を貫いたのだ。
まるで世界の終わりが来たかのような、荘厳ながらも恐ろしい光景。これには誰もが度肝を抜かれ、邪神の仕業では無いかと勘繰り危機感を抱いた。
住民たちの大半は光の柱から逃げ惑うも、兵士や一部の冒険者たちはむしろ率先して現場に向かう。彼らにとっては街の治安を護る事が仕事であり、また手柄を立てるという目的があるからだ。
「い、行かなきゃ……俺は、あの人みたいになるんだ!」
そしてそれは一兵士のアハトにとっても同じだった。吹き付ける絶大な魔力に足が震えるものの、覚悟を決めて現場に急行する。アハトには憧れのヒトがいるのだ。彼女のように強くなるためにも、ここで逃げるわけにはいかなかった。
「――な、何だこれは……!?」
しかし現場に辿り着いたアハトは、己の目を疑い凍り付いた。光の柱は生じてからすぐに消え去っていたものの、現場の光景はそれ以上に衝撃的だったのだ。
雲を突き破る程の光の柱が生じた影響か、その一角には地面に巨大な穴がぽっかりと開いている。しかしこれは問題無い。街のどこにいても感知できるほどの凄まじい魔力を放っていたのだから、被害がこの程度で済んだのはむしろ幸運な方だ。問題なのは現場で繰り広げられている恐ろしい残虐行為であった。
「ひいいっ!? た、助けてくれええぇぇっ!」
「一人も逃がさないわよ。大人しく罰を受けなさい」
「ぎゃああああぁあぁぁっ!?」
「あああぁああぁああぁっ!!」
それは絶対的強者による虐殺。必死に逃げ惑う人々を、小柄な少女が一人一人蹴り殺していく光景だ。
何より異常なのは小柄な少女の速度と蹴りの威力。獣人という種族柄、身体能力や動体視力には自信があった。しかし少女の動きは残像すら捉えられず、放たれた蹴りは全てが人々の上半身を吹き飛ばし塵にする威力。それを子供としか思えない少女が行っているのだから、驚愕のあまり凍り付いてしまうのは当然だった。
しかしアハトが真に衝撃を受けているのは少女の行為ではない。少女の正体が問題だった。
「う、嘘だろ!? 何で<翠の英雄>がこんなこと……!?」
そう、虐殺行為を働いていた少女は誰もが知る絶対的強者。世界を救うべく立ち上がり、人々に希望を与える英雄。愛らしくも化物染みた強さを持つ少女――アハトが憧れている<翠の英雄>、ニアだったのだ。
彼女が人々のために身を粉にして働いているのは、この国では誰もが知る所。その慈悲は聖人族すら対象であり、無限の慈愛の化身とも称されるほどだ。
しかし今の彼女の様子はまるで狂戦士。美しい輝きを誇る翠の髪はウサミミもろとも返り血に汚れ、エメラルドの輝きを宿していた瞳は激しい嫌悪に濁っていた。魔王城で訓練をつけてくれた時とは全く異なる、冷酷な狩人の姿がそこにあった。
「おやめください! 一体何をしているのですか!?」
憧れの英雄が無辜の民を無慈悲に虐殺する光景に震え上がりながらも、アハトは必死に呼びかける。
その声に正気を取り戻したのか、あるいは何十人も殺して気が済んだのか。ニアはゆっくり顔を上げると、アハトを真っすぐに見つめ返してきた。周囲には現場に駆け付けた他の兵士や冒険者たちもいたが、誰もがその鋭い眼光に震え上がり息を呑む。
目の前に立つ少女は恐らく世界最強の存在。自分たちでは逆立ちしようが抗う事など出来ない、絶対的強者。そんな少女が気でも狂ったように殺戮の限りを尽くすなど、性質の悪い悪夢でしかない。故に誰もが願っていた。彼女は正気であり、この虐殺に正当な理由が存在する事を。
「何って、ゴミ掃除よ。コイツらが何者か知ってる? 邪神を崇め崇拝する邪悪な集団のゴミ屑たちよ」
「なっ!? 邪神を崇拝、だと……!?」
そして口を開いたニアの言葉に、誰もが喜びとそれを上回る驚愕を覚える。喜びは彼女が正気であり、狂気に支配されていたわけでは無かった事。驚愕は世界を滅ぼす邪神を崇拝するという、とんでもない裏切り者の異常者が存在するという現実に対して。
良く観察して見ると、ニアが殺した者たちの格好には共通点があった。全員頭や上半身が消滅しているので個人は判別できないものの、服装が皆同じ黒白のローブなのだ。恐らく邪神を崇拝する者として共通の衣装を身に纏っていたのだろう。
「信じられないのも無理ないわね。でも事実よ。私はある冒険者たちに邪神教団へ潜入して貰って、その情報を手に入れたんだから」
「い、いえ、信じられないというわけではありませんが……出来れば、その、生け捕りにして頂いた方が、情報を集めやすかったのではないかと……」
「必要無いわ。今さっき殺し尽くしたのは下っ端の信者たち。上役は全員生け捕りにしてあるもの」
そう答えたニアは軽やかに飛び上がると、地面にぽっかりと開いた穴の中に身を投げる。誰もがその身軽ながら力強い動きに目を丸くして待っていると――
「うわああぁあぁっ!?」
「ひいいぃぃぃっ!!」
怪しげなローブと仮面を身に着けた一目で不審人物と分かる者たちが、穴の中から縛り上げられた姿で放り出されて来た。彼らは受け身も取れずに地面に身体を打ち付け、そのままごろごろ転がり情けない悲鳴を零す。
しかし誰も彼らに同情を抱く事は無かった。他ならぬ英雄ニアの言葉を耳にして、一目で怪しいと分かる恰好をした彼らの姿を目の当たりにすれば、至極当然の事だった。むしろ同族を裏切り邪神を崇め奉る見下げ果てた者たちへ、誰もが怒りと侮蔑の感情を抱いていた。
「周りの奴らが司祭とかその辺りの奴ら。そしてコイツが邪神教団のトップ、教皇よ」
最後に一人担いで戻って来たニアは、その人物の仮面を剥いでアハトの前に突き飛ばす。無様にも顔から地面に激突していたが、その人物の衣装は一際豪華で禍々しい。邪神を信奉する怪しげな集団のトップと言われても納得の格好であった。
「た、助けてください! 私は、私は死にたくない……!」
「こ、コイツは!? 冒険者ギルド第二支部の副ギルド長!?」
鼻血をだらだらと流した教皇が顔を上げた瞬間、隣に立っていた冒険者がその正体を口にした。
彼の発言が正しければ、教皇の正体はこの街の冒険者ギルドの副ギルド長。一大組織の重鎮に名を連ねながら、よりにもよって邪神を崇拝するおぞましい組織を作り上げていた事実。誰もが戦慄を禁じ得ず、また人類の裏切り者への怒りを隠せなかった。
「おい、こっちは悪徳商法で有名なアヴァール商会の奴だぞ!?」
「コイツ知ってるぜ! 素行が悪くて万年Bランク冒険者のデジィルだ!」
周囲に散らばっている司祭たちの仮面も剥がれ、次々とその正体が白日の下に晒されていく。商会の重鎮や高ランク冒険者といった、それなりに高い地位を持つ者たちばかり。加えて人間性などに問題があり、悪い噂が絶えない者たちだった。この連中ならば人類を裏切り、邪神に与するのも納得だった。
やはり英雄ニアは狂ってなどいない。それを確信できたアハトは、疑ってしまった自分に深く恥じ入るのであった。
「お前ら、本当に邪神なんか崇めてやがったのか!?」
「ほ、本当です! 私たちは邪神の名を騙り、信徒たちを集めていました! そして生贄と称して何人もの婦女子を攫い、陵辱や拷問を繰り返した末に生贄として殺しました! 何でも喋ります! ですから、命だけは……!」
一人の冒険者が教皇の胸倉を掴み、恫喝する。すると彼は不思議なほど素直に自白し、無様な命乞いを始めた。
ニアの強さを間近で体験したのが原因なのだろう。歯の根が合わなくなるほど震え、しきりにニアへ恐怖に染まった眼差しを向けていた。恐らく天を貫いた光はニアによる怒りの一撃だったに違いない。
とはいえどれほど彼が怯えていようと、自白した内容があまりにも凄惨で度し難いものである事実は変わらない。そのため誰一人として同情を示す者はおらず、むしろ軽蔑の眼差しを向けていた。殺意を漲らせる者もいるほどだ。
殺したい気持ちは皆同じだが、余罪を確かめるためにも生け捕りにして話を聞かなければならない。故にアハトは他の兵士たちと共に彼らを確保しようとしたのだが――
『――そうか、ではお前たちを見逃す理由は無いな』
「……っ!!」
突如として脳裏に寒々しい声が響き渡り、誰もが心臓を鷲掴みにされた如き恐怖に凍り付く。恐る恐る天を仰ぎ見れば、ニアの一撃により快晴と化した空に幻が浮かび上がっていた。
それは悍ましい黒白の翼を持ち、流れる黒髪と白髪があまりにも異様な化物の姿。邪神クレイズの巨大な幻がそこにあった。
「じゃ、邪神、クレイズ!?」
「ひいいっ!?」
誰もが動揺し恐怖する中、最も激しい反応を示したのは教皇と司祭たち。とはいえ邪神の名を騙って悪事を働いていたのだから、その反応も当然と言えば当然だった。
むしろ皆とは逆に全く恐怖も怯えも見せず、悠々と佇んでいるニアの方が異常に映るほどだ。
『我が名を騙り私腹を肥やしていた愚か者共、確かにお前たちが私に捧げた悪感情は届いていたぞ。だからこそ今までは見逃してやっていたが……捕縛されたのなら、もうお前らに存在価値はあるまい?』
己の名を騙られれば、邪神であろうと誰であろうと不快に思うのは当然の事。故に誰もが邪神が姿を現した理由を察するのであった。この愚か者共に、制裁を下すために現れたのだと。
「ふぅん? その言い草だと、コイツらはあんたの下僕じゃなさそうね」
『当然だ。この私が貴様らのような下等生物を配下にするわけがあるまい。戯言としても無礼が過ぎるぞ』
「なるほどね。それで? お高く留まった邪神様が今日はどういうご用件なわけ?」
『なに、簡単な事だ。私の祝福と寵愛を受けたと豪語するクズ共に、望み通りの末路を用意してやるのだ』
「うっ、ぎいぃっ!?」
「な、何だぁ!?」
空に映り込む邪神の虚像が僅かに指を掲げた瞬間、教皇たちがおかしな声を上げて身を捩る。そうしてローブの下の身体が不気味に蠢き、徐々に膨れ上がっていく。
あまりにもおぞましい光景に誰もが距離を取る中、教皇たちの顔までもが盛り上がるように膨れ上がっていき、彼らの悲鳴は膨張した肉の中に沈み途切れた。
『お前たちは私の下僕なのだろう? 私のために他人を拷問し、悪感情を捧げるのが使命なのだろう? ならば今度はお前たちに悪感情を捧げる役目を与えてやろうではないか。本望だろう?』
「あ……ぎ……ぐ、ぎゅ……!」
最終的に教皇たちは、見るも無残な姿と成り果てた。それはまるで極限まで肥満体と化した人型の怪物。ローブは引き千切れ、背丈は倍以上に伸び、腹や手足がぶくぶくに膨れた歪な巨漢染みた姿。膨れ上がった肉のせいで顔のパーツが全く見えず、それでいて苦し気なうめき声だけが聞こえてくる有様。
端的に言って正視に絶えない醜い姿であり、誰もが嫌悪を露わにしていた。尤も同族を裏切り罪も無い少女を弄んだ外道たちの末路としては、実に相応しい最期だと全員が思っていたが。
「ぎがぁっ!! が、ぎぃ!!」
「うおっ!? 何てパワーだ!」
肉の怪物と化した教皇たちが、巨大化した腕を振り回し暴れ始める。その動きはかなり闇雲であり、視覚や聴覚以前に自我が残っているかすらも怪しい。
しかし邪神によって人外の存在へと変貌させられたせいか、パワーは凄まじい域に達していた。巨大な腕が地面に叩きつけられた瞬間、轟音と地響きが周囲に広がり地面が砕けクレーターが生成される。
その威力に誰もがたじろぐも、やはりニアだけは意に介さず涼しい顔をしていた。そしてアハトに向けてどこか困惑の表情を向けてくる。
「これ、もう殺しちゃっていいかしら? どうせ人間には戻りそうに無いし良いわよね?」
「そ、そう、ですね。もうただの化物になっているようですし、問題は無いと思います」
「分かったわ。それじゃあ街に被害が出る前に潰すわね」
ちょっと散歩に行ってくる、と言う程度の気安さでそう口にすると、ニアは軽く身を沈め跳躍した。ミニスカートを履いているにも拘わらず、真上へと。
思わず天を仰ぎ見るが、ニアの身体はとんでもない高さまで達しており、ミニスカートの中どころか本人が豆粒程度にしか見えないレベルであった。
「食らいなさい――ガンディーヴァ!」
かろうじてニアの声が耳に届くと共に、その姿が空に煌めく。そして次の瞬間、光線染みた何かが雨のように降り注いできた。
「――っ!!」
光はその全てが肉の怪物たちを貫き、跡形もなく消し飛ばす。それでも威力は衰えず、紙でも貫くように地面を穿つほどだ。
恐ろしい肉の怪物たちが暴れ回っていた街の一角は、英雄ニアの一撃であっという間に静まり返るのであった。
「おお、さすがは<翠の英雄>様……!」
「本当強すぎだろ、何なんだよあの人……」
人々の反応は二種類。英雄ニアの強さを称えるか、その強さに恐れを成すか。
この力の持ち主が悪人だったなら恐れるのも当然だが、彼女は世界の平和のために身を粉にして戦う英雄だ。加えて優しさと正しさを持った慈愛の化身。故に大多数が彼女を称え、恐れているのはほんの少数だった。
「す、すごい……さすがは、ニアさん……!」
もちろんアハトは強さを称える方であり、間近で彼女の活躍を見る事が出来て大いに感激していた。元々彼女に憧れを抱いていたが、その気持ちはますます強くなるのであった。
『ふむ、使えんな。所詮は他人の威を借る詐欺師か。多少は悪感情の補給に使えるかと思い見逃してやっていたが、やはり期待するだけ無駄だったようだな』
天高くに舞い上がっていたニアが軽やかに着地すると、邪神の虚像は酷く失望したように額に手を当て嘆く。とはいえそれがポーズで嘆きも失望も抱いていないのは、その場の皆が理解していた。
『この世界に蔓延る蛆虫共に忠告しておこう。私を崇め奉り、救いを得ようと考えるなど無意味だ。お前たちは一匹残らず駆逐してやる。我が女神を絶望の底に追い込んだ害虫共など、存在の痕跡すら残さん』
そして邪神は何者も許さず、全てを滅ぼすという事実を改めて口にする。
邪神としては己の名を騙られるのを嫌った故の言葉かもしれないが、その宣言は人々にとってむしろプラスの内容であった。何故ならこれで邪神を崇める異常者の集団が再び現れる確率は大いに低下したのだ。死を恐れるあまり邪神に縋る者が出たとしても、他ならぬ邪神当人がそれを認めないのだから。
「ふん……その前に、私たちがあんたを倒してやるわ。首を洗って待ってなさい」
『フッ。意志の統一も出来ず未だに争い合うお前たちが、か? 奴らの不敬も帳消しに出来る程度には愉快なジョークだな? 出来るものならやってみるがいい。所詮貴様らは己と異なる者を排斥するしか能の無い、愚かな道化でしかないのだ。ククク、ハハハハ、ハーッハッハッハッ!!』
戦意を漲らせるニアに対し、哄笑を放ち消えていく邪神の虚像。どうやら己の名を騙る者たちに制裁を下すためだけに現れたようだ。
その事実に胸を撫で下ろすアハトだったが、同時に明確な恐怖を覚えていた。邪神は絶対に自分たちを許す事は無い。邪神を倒さねば自分たちに未来は無い。それを深く思い知らされたのだから。
「……ねえ、そこのあんた。良ければちょっと協力してくれない? これから事情聴取とか色々されるだろうし、目撃者として力になってくれるとありがたいんだけど」
しかし、自分たちには暗黒の未来を照らす眩い光がある。しかもその光こと英雄ニアが、直々にアハトに声をかけてくれた。普段の勇ましい様子とは打って変わった、どこか不安げな庇護欲を煽る表情で。
「はい、もちろんです! 任せてください、ニアさん!」
その愛らしさに、アハトの胸の中にあった恐怖は一瞬で塗り潰されるのであった。この少女が自分たちを率いてくれる限り、きっとどんなに暗い未来も切り開く事が出来るから。