馬車の待ち時間
「ふわああぁぁ……眠い……」
街の正門近くで乗りあい馬車の時間を待ちながら、僕は人目もはばからず大あくびをかました。
人前では誠実な勇者として振舞うつもりとはいえ、眠いんだからこればっかりはしょうがない。勇者だって人間なんだから生理的現象を催したりもするでしょうよ。催さなかったら勇者じゃなくて化け物とか機械の類だぞ。
こんなに眠いのはやっぱり二度寝できなかったからだね。宿屋の看板娘を殺して後始末を終えて、部屋に戻ってベッドに入ったまでは良かった。でもちょっと諸事情で眠れなかったというか……まあ、うん。今さら誤魔化したり悪ふざけをしなくても、僕がどういう人間かはもう分かってるでしょ? 無垢な女の子の命を奪った昂ぶりがどうにも冷めなくてね……。
「きちんと睡眠は取ったのかい? 世界を救う勇者様が自己管理すらできないようでは、先が思いやられるね」
「夜更かし何ていけないんだー。ご主人様の悪い子ー」
呆れたような声をかけてくるのは、一晩ですっかり打ち解けた様子のレーンとリア。馬車の待ち時間も二人で教科書開いて仲良く勉強してるよ。
何なんだコイツら。勉強しなきゃ死んじゃう呪いにでもかかってるの?
「お前らに言われたくないんだよなぁ。朝食の時から気になってたけど、何? その目の下のクマ……」
「いや、つい勉強に熱が入って時間を忘れてしまってね。この子はとても教えがいがあるよ。乾いた大地が水を吸うように、教えた知識を何でも吸収してくれる。今後がとても楽しみだ」
「勉強楽しかったよ! リア、もっともっと勉強する!」
「勉強が大好きとか、こいつら頭おかしい……」
目の下にクマを作りながらも、嬉しそうに猛勉強する二人の姿はもう怖いとかそういう次元じゃない。
分かった、さては呪いじゃなくて何かに取り憑かれてるな? 仕方ないなぁ、後で祓ってやるか。
「ただ、リアが魔法の実践をしている時に少々事故があってね。空間収納の魔法を教えた時、彼女は自分の頭上に空間を開いてしまったんだ。どうやら共通の異空間に液体をそのまま放り込んだ馬鹿者がいたようで、正体不明の液体が彼女の頭に振ってきたのさ。すぐにシャワーで洗い流したし、特に健康に被害が出ているようにも見えないが、念のために何か異常が無いか後で調べてあげてほしい」
「開いたって思ったらいきなりドバーってきたの! びっくりした!」
「はいはい了解。きっと誰かがゴミ箱代わりにでも使ったんだろうなぁ……」
両腕をバッと上げて、やたら興奮した様子を見せるリア。コイツ寝不足でテンションおかしくなってない? いや、前からこんなだったかな?
というか異空間に液体捨てるって、どんな馬鹿がそんなこと……あれ、何だろう? 何か覚えがあるような、ないような……いや、気のせいだな!
「あ、そうそう。昨晩新しい真の仲間ができたよ。夜営の時にでも紹介するね」
「ほう? なかなか順調に手駒を増やしているね。理由にかなりの問題があるとはいえ、世界平和のために尽力してくれるのは私としても嬉しい限りだよ」
「新しい仲間ができたの? どんな子? サキュバス?」
「それはその時まで秘密。でもサキュバスじゃないってことは教えるから、その邪悪極まる瞳で僕を見るのをやめて。興奮しちゃう」
純粋に感心してるレーンの反応はともかく、リアの方はかなりヤバい。ピンクの瞳に淀んだ憎悪を滲ませてるよ。目の下にクマが出来てるから迫力が凄いわ。
これサキュバスの奴隷とか飼ったら目を離した隙に殺してそう。せめて僕がヤることヤってからにして!
「ああ、そうだ。一つ聞きたいことがあるんだが。何やら宿の看板娘が朝から行方不明になっているらしいじゃないか。もしや君の仕業かい?」
「ハハハ。やだなぁ、決めつけないでよ……まあ僕の仕業であってるんだけどさ」
内容が内容だから、後半部分は周囲を確認してから声を抑えて口にする。
ちなみに看板娘――ティアの死体はまだ異空間に保存してあるよ。馬車の出発前に裏路地に捨ててくる予定。
「はあっ……君がそういう人間であることは理解していたが、まさか宿泊している宿の人間を殺すとはね。随分と大胆なことをしたものだ」
「いやあ、どうしても確かめなきゃいけないことがあって、タイミングよくあの子がいたから……」
ぶっちゃけあの子である必要は特に無かったけど、野郎よりは女の子が良かったのは確かだね。野郎も殺せるんだが特に興奮はしないし。やっぱ可愛い女の子が苦痛に表情を歪めて悲鳴を上げたりするのが堪らんわけよ。
「あっ、そうだ。僕もレーンに聞きたいことがあったんだ。僕の魔力に関しての疑問なんだけど」
「ほう、何かな?」
興味を惹かれる話題だったのか、レーンは開いていた魔術書を閉じてこっちに視線を向けてくる。
そうだよ、コイツさっきまでこっち見てすらいなかったからね。ずっとリアと肩を並べて、仲良く魔術講義してるもん。活字やら図形やらを見てないで僕を見ろ!
「実は僕の無限の魔力は、女神様が持つ正真正銘の無限の魔力を横流しして実現してるらしいんだ。でも魔力って個人個人で違いがあるから、受け渡しできないし、できたとしても使えないんでしょ? それなのに僕が使えてる理由ってなに?」
「ふむ……」
そして更に懐から眼鏡を取り出して装着する。
というかあの眼鏡、僕があげたやつじゃんか。何だかんだ結構気に入ったのか。だったらセクシー女教師の服も着りゃいいのに……。
「まず最初に聞きたいんだが、そもそも女神の魔力は私たち被造物の魔力と本質的には同じものなのかい?」
「たぶん同じだと思うよ。魔法も女神様が使うものと丸っきり同じみたいだし」
「なるほど。魔力も魔法も私たちのものと本質的に同じなら、君が彼女の魔力を扱える理由は君か女神にあるはずだ。君に関しては私たちとほぼ変わりがない以上、高次元の存在である女神とやらに原因がありそうだね。彼女には私たちと根本的に異なる何かがあるのではないかな?」
「あー、そういや肉体を持たない精神生命体だって言ってたな。肉体を持つ時は自分を信仰する人たちの願いやら妄想やらで出来上がるらしいけど。ちなみに今は十割僕の妄想が具現した姿をしてるよ。信者いないボッチだし」
ん、待てよ? 僕以外に女神様を信仰する人が現れたりしたらどうなるんだろ? まさかそいつの妄想に引っ張られて、僕の女神様の姿形が変わっちゃうの? ちょっとそれは許せないなぁ。信者が出たらぶち殺さなきゃ……。
「ふむ。となると君の妄想で肉体を形作られた女神の魔力の色が、君と同じ魔力の色に変化したのかもしれないね。本当に信仰する者たちの想像や願いから肉体が形作られ、なおかつ今は君以外の信者がいないのならありえないことではないだろう」
「なるほどぉ。つまり女神様を僕の色に染めちまったってわけかぁ。グヘヘ……」
実際は僕に流し込まれた女神様の魔力を染めてる感じだから、女神様本人はまだ染められてないのが悔しいところ。いつか心も身体も僕の色に染め上げてやるぜ。そのためにも世界平和を目指して頑張らないとね!
「あるいは精神生命体である女神は、元々魔力に色を持っていないのかもしれない。それなら君が彼女の魔力を扱える理由も説明がつくし、君の色に染まったという説にも説得力が出る。しかし面白い。本来肉体を持たない女神が無色の魔力を持っているなら、魔力に色を与えるのは肉体ということになるのかな? では人間の身体から魂だけを取り出した場合、生み出される魔力は無色ということになるのだろうか? 何らかの方法で取り出した魂を複数保存することができるなら、魔力が有限の魔石以上に、有用で素晴らしい無限のエネルギー供給が可能となるのでは……?」
「うわー、すっげぇマッドなこと考えてるぞコイツ……」
人の魂を取り出して容器にぶち込んで、魔力を生み出す機械にする。やられた方からすればいっそ殺してくれてって感じなのでは? 効率的には凄く良さそうだけど、人の心ってものが微塵も感じられないよね。
ん? 僕が言えた義理じゃない? まあ否定はしないよ。でもこんな惨い事自分じゃ考えつかなかったから、その点ではレーンに比べれば僕はまだマシだよ。
「見たか、リア。これがコイツの本性だぞ?」
何かブツブツ言ってマッドな思考を巡らせてるレーンを指差して、リアにその本性を教えてあげようとした。したんだけど――
「サキュバスの魂を取り出す……保存する……無限のエネルギー……無限の責め苦……フフフ……」
当のリアも邪悪極まる笑みを浮かべて、レーンの呟きの数々をアレンジしてノートに書き殴ってた。
あー、何でこんなに勉強熱心なのかと思ったら、魔法を復讐の手段に考えてるのね。無限の責め苦を与えるとか怖すぎるわ。憎悪が深すぎる。
「もうやだコイツら。早くみんな来て、お願い……」
もうクラウンでもいいからさっさと来て欲しい。こんなヤバい奴らのいる場所に僕を一人にしないで……。
でも、確かにちょっと興味が惹かれる話題ではあるんだよなぁ。こう、幾つもの魂を武器に無理やり封じ込めて『呪いの武器』とか作れそうだし。そこから魔力を引き出して利用できるなら、レーンたち真の仲間に作ってあげるのもいいかもね。防御面は僕の魔法で完璧に仕上げてあるけど、攻撃面は据え置きだし。大量の魔力があれば少しは力になるでしょ。
よーし、それじゃあこれからは従順なゾンビ兵を作る方法を模索しつつ、人の魂を使った道具を作る方法も色々試して行こう! 幸い身体も魂もその辺いっぱい歩いてるもんな!