毒殺
「はあっ、何か凄い疲れてきたわ……」
魔王城での日々、折り返し地点の五日目。段々と疲労の色が濃くなってきたミニスは、深いため息を零してベッドに身を投げ出した。
とはいえ超絶強化されてる身体がたった五日で音を上げるなんてありえない。これはたぶん精神的な疲労だね。他にやる事無いから、今日も今日とて兵士たちの相手をしてあげてたし。
「すでに折り返し地点です。あと半分、頑張ってください」
「あと半分って言われてもねぇ。兵士たちの視線が段々むず痒くなってくるのよ……」
「好意的な視線が増える事の何がいけないのですか? 今やとても慕われているではありませんか」
「それは良いんだけど、何か行き過ぎてて怖いのよね……ああいうのを狂信者って言うのかしら?」
当初の予想通り、兵士たちの大半は心をへし折られミニスに挑む事なんて無くなった。そればかりか顔を見ただけで青ざめて腰を抜かし、命乞いを始めるレベルだ。中にはマジで田舎に帰った者もいる模様。
ただ逆にミニスに対して憧れを抱き、むしろ積極的に挑み絡みに来る奴らも増えたんだよね。そいつらの目の輝きといったら、引っ叩いてやりたくなるくらいに純粋でウザいんだわ。全てマッチポンプな上に偽物の強さを誇示するしかないミニスとしては、逆にその純粋さが敵意を向けられるよりも堪えるらしい。
「あの程度なら信奉者で済むと思います。我々の目的を考えると、ああいった者たちが増えるのは実に歓迎すべき事ですね」
「それはそうなんだけど、聖人族からの扱いの差で風邪引きそうだわ……」
ミニスちゃんはどうにも微妙な気持ちらしい。
行為を向けられるのも敵意を向けられるのも嫌とか、ワガママだなぁこのウサギ? お父さんはそんな子に育てた覚えはありませんよ?
「――ニア様、トルファトーレ様、本日の晩餐をお持ちしました」
なんてウダウダしてるミニスを眺めてると、部屋の扉がノックされた。今日の晩御飯をメイドさんが運んで来てくれたみたいだね。
本当は食堂で晩餐にするのが向こうにとってもこっちにとっても正しい対応なんだろうけど、僕が聖人族という事で部屋で二人きりの食事にする事を認めて貰ってるんだ。さすがに僕も食事くらいは人目を気にせず取りたい。
これに関しては向こうも薄汚い聖人族に食堂を使わせたくないだろうし、快く認めてくれたよ。
「――っと、食事の時間ね。正直屋敷の食事に比べるといまいちだけど、出された以上は食べないとね。あー、屋敷の食事が恋しいわ……」
「さすがはニア様、礼儀を弁えていらっしゃる。ところで今はどのような食事が恋しいので?」
「焼きおにぎり」
実に素朴で育ちの良さ(田舎育ち)を感じさせる答えを返し、ミニスはメイドを出迎えるために扉まで歩いて行く。
僕の世界の料理で一番気に入ったのが焼きおにぎりって、もうちょっと他に何か無いんですかね? 確かにシンプルイズベストって言葉はあるし、焼けたおにぎりから漂う香ばしい醤油の香りは暴力的なまでに食欲をそそるけどさぁ。
「失礼致します。それでは晩餐をご用意させて頂きます」
なんて考えてると、メイドが料理を満載したカート(サービングカートっていうらしい)を押して部屋の中に入ってくる。主にミニスちゃんがいっぱい食べるので、かなり大型のカートな上にこれでもかって数の料理が詰まってるよ。ここまで用意させといて文句言うミニスちゃんも大概じゃない? まあ味が微妙なのは確かだけど。
「――がっ!?」
それはともかく、僕はとりあえずメイドをぶん殴りました。
「はっ!? ちょ、何してんの!?」
ギョッとするミニスを尻目に、メイドを床に組み伏せ首を締め上げる。
メイドは魔獣族だけど悪魔だからかそこまで膂力も無く、聖人族(表向き)の僕でも容易く締め上げて無力化する事が出来てたよ。
えっ、遂に性欲が爆発したのかって? 違う違う、ちゃんと性欲はミニスちゃんで発散してるから平気だよ。
「随分と巧妙ですね。五日目まで油断させておき、満を持して毒物を混入させるとは」
「毒っ!?」
僕が凶行に走った理由は単純明快。運ばれて来た料理に毒を入れられてたからだ。ちゃんと毎回毒物の有無を確認してたんだけど、今回初めてその反応が見られたんだよね。油断させてから毒を盛るとか性格悪すぎだろ。
もちろんメイドは料理を運んできただけで、毒を盛った張本人じゃない可能性もあるのは分かってる。
「う、ぐ……な、何の事、でしょうか? 毒など、一切入れておりません!」
とはいえ僕に嘘なんて通用しない。首を締め上げられながら必死に無実を訴えてるメイドは、僕の魔法での真偽判定では見事に真っ黒です。もうこのまま首へし折っちゃおうかな?
いや、待て。それじゃあ面白く無いし、何より僕が狂って殺人を働いたって魔王側に誤解されるかもしれない。だったらここはこうするのが一番かな?
「ではこちらのスープを飲んでください。毒が入っていないのなら飲めますね?」
というわけでメイドの身体を離した後、毒入りスープをその口元に突きつけた。
もちろん毒が盛られてるのは確定事項だから、普通なら絶対飲まない。解毒薬とか持ってるなら飲むかもだけど、こんな運んできた奴が毒を盛るっていう雑な仕事だ。持ってるとは思えないね。
だから僕は顔を青くして必死に拒絶するメイドの姿を想像したんだけど――
「も、もちろん、ですよ。では……」
あれ、おかしいな? メイドは顔色一つ変えずスープを飲んでいらっしゃる。確かに毒が盛られてるはずなのに。
「ねえ、本当に毒なんて入ってたわけ? 普通にごくごく飲んでるけど――」
「――ぎいっ!? あ、が、ご、ああぁあっ!!」
「ひえっ!? ほ、本当に入ってたの!?」
怪訝な表情で近付いてきたミニスは、メイドが途端に目を見開き喉を掻き毟りながら叫び始めたせいで、びっくりした猫みたいな跳躍で飛び退いてたよ。良かった、ちゃんと毒は入ってたな。てっきり何か間違ったかと思ったぜ。
「は、ハハッ、ハハハハッ! 尊き者に反逆を企む逆族共に、呪いあれ! <デウス・ティメーレ>!」
そしてメイドは痙攣しつつ泡と血を口から大量に零し、最後にそう叫んでから事切れた。
どうやら毒を盛った事実を気付かれたから、潔く自決したっぽいね。まさか何の躊躇いもなく死を選ぶとは、敵ながらあっぱれってやつかな?
「えっと……死んだの?」
邪神の尻に容赦の無い蹴りを叩き込むくらい肝が据わってるのに、こんな時だけ妙にびくびくしてるミニス。ウサミミを不安そうに折り曲げ、恐る恐るって感じで倒れ伏したメイドに近付いてきた。
「そのようですね。まあそれはどうでも良いのですが、私としては彼女が最後に残した言葉の方が気になります」
「最後って……<デウス・ティメーレ>ってやつ? 何か呪いあれとか言ってたし、魔法か何かじゃないの?」
「いえ、それは無いでしょう。魔力の反応がありませんでしたから」
「え、じゃあ何なの?」
「それが分からないから困っているのですよ」
そう、マジで何だったのか分からない。この世界に降り立ちもう三年以上になるけど、初めて聞いた言葉だ。魔法でも何でもないみたいだから警戒する必要は無いとはいえ、どうにも引っかかるものがあるな?
「……まあ、何にせよ毒を入れたのはこの女に違いありません。これが独断専行か、はたまた魔王の指示かどうかはともかく、是非とも糾弾に行きましょうか」
「さすがに魔王の指示とは思いたくないわね……」
とにもかくにも、今は襲われた事実を突き付けて揺さぶりをかけに行くのが得策。
そんなわけで僕らは死体を担ぎ毒入り料理満載のカートをガラガラ押して、監督不行き届きを攻めに行くために部屋を出ました。
「――なるほど、そんな事があったのですか。それは災難でしたね」
死体と毒入り料理を突き付け、出来事を詳らかに語った結果がメルシレスのこの返答。
その辺歩いてた兵士に事情を話し、謁見の間にメルシレスを呼び寄せたまでは良かったんだけど……何だその転んで膝擦りむいた嫌いな奴にかけるような、全く悪びれた様子も同情の欠片も無い反応はよぉ? なめてんじゃねーぞ。
「……いや、それだけ? 魔王の城で、魔王の部下に殺されかけたのよ? もっと他に言う事無くない?」
「おや、これは面白い事を仰いますね。とても敵種族の巣窟に身を投げ活動するお方の台詞とは思えません」
さすがにイラっときたらしいミニスが不機嫌さを隠さずに指摘するも、逆に今度は露骨に挑発的な台詞が飛んでくる。客人が部下に殺されそうになったってのに、良心の呵責どころか焦りも不安も微塵も無い。挙句に挑発してくるとか心底ふざけてんな?
ていうか発言からしてこれはアレだ。たぶん僕に責任があるって事にしたいんだろうね。
「つまりこれは、私を狙った暗殺であると?」
「ええ、その通りです。我らの希望の星であるニア様を殺す理由など、魔獣族には存在しませんから」
その予測を口にすると、メルシレスはいけしゃあしゃあと胸を張って語る。
どうやらコイツらは今回の一件、部下個人の完全な独断専行にしたいらしい。トルファトーレという聖人族が憎くて殺意が抑えられず、凶行に走ったっていう感じのシナリオかな? 確かにその流れに持っていかれると何も言えないわ。敵国で活動してるトルファトーレ的には覚悟の上での対応だろうし、それでも何か言うと途端に覚悟が安っぽくなる。暗殺されそうになった事はどうでも良いけど、コイツに丸め込まれたみたいで無性に腹立つわ。
「じゃあこれには魔王もあんたも拘わって無いって事?」
「もちろんです。まず間違いなくその女性の独断でしょう。全く、迷惑な事を仕出かしてくれたものです……」
大袈裟に額に手を当て、嘆く動作を取るメルシレス。
すっげぇわざとらしいけど、一応今回の一件はコイツらが仕組んだ事でも命令した事でも無いっぽいな。魔法で嘘が見抜ける僕だからこそ真実が分かるってわけ。ただコイツは嘘が多すぎるせいで逆に見抜くのが難しくなってるんだが……。
「食事は全て作り直させます。それから死体も預かりましょう。その辺りに適当に置いて行ってください」
「……了解しました。部屋に戻りましょう、ニア様」
「え? あ、うん……」
これ以上話しても意味は無いだろうし、素直に死体遺棄して部屋に戻る事を提案した。何かちょっと不満そうだったけど、ミニスもカートをその場に残して歩き出した。
ちょっと後ろ髪惹かれてる感じなのは、これのせいで夕食食べられなかったからですかね? 毒入りだって分かってるよね、君ぃ? 作り直してくれるんだからもうちょっと待ちなよ。
「……随分あっさり引き下がったわね? あんたならもっとねちねち責めるもんだと思ったのに」
そんなこんなで部屋に戻る途中、ミニスちゃんがちょっと意外そうな目を向けてきた。どうやら僕はあの場で真実を白日の下に晒す名探偵か何かだと思われてた様子。あるいはただのドSかな。
「そうしたいのはやまやまでしたが、私の種族が原因とあっては返す言葉がありませんので。ここで文句を言うと私たちの覚悟がその程度のものだと貶められかねません。相手が相手なのであまり弱みを見せたくなかったのです」
「あー……確かに種族のせいで暗殺されそうになったとか文句言ったら、その程度の覚悟も無いのに国境跨いで活動してるのかって馬鹿にされそうね」
「そういう事です」
ミニスはちょっと苦い顔をしつつも納得する。
殺される覚悟してる癖に殺されそうになったら文句言うとか、あまりにも矛盾の塊で安っぽい覚悟だからね。英雄たるニアには相応しくない反応だし、その忠実な従者であるトルファトーレにも相応しくない。悔しいがここは怒りを呑み込むしか無さそうだ。
「やっぱ認めるのは癪だけど、あんたがいてちょっと安心してる私がいるわ……」
とはいえその怒りも、ミニスちゃんが貴重なデレを見せてくれた事で緩和された。
腹の探り合いとか難しい事が苦手なミニスちゃんとしては、その辺を僕が考えて対処してくれるのは凄く助かる事なんだろうね。別にお馬鹿ってわけじゃないけど、絶対策謀とかに弱いタイプだもんなぁ。
「おや、夜のお誘いですか? では今夜もたっぷり可愛がってあげますね」
「あー、はいはい。もう好きにしなさいよ……」
というわけで、今夜もハッスルする事に決めました。
よーし、あのクソ女にやり込められたせいで抱えてる鬱屈した気持ち、全部ミニスちゃんにぶち込んでやるぜ!
Q.ニア状態のミニスに毒は通用する?
A.たぶん効かない。