記憶の実験
⋇暴力描写あり
⋇残酷描写あり
⋇拷問描写あり
「嫌、やめてっ! お願い、これ以上は……!」
目の前には泣きじゃくりながら懇願してくるサキュバスの姿。
その端正で綺麗だった顔は鼻や口から出た血や諸々で汚れてて、サキュバス特有の美しさは見る影も無い。はっきり言って心底汚いね?
「――あぐっ!?」
だからというわけでも無いけど、僕は金属バットでサキュバスの頭をフルスイングした。『ガァン!』って物凄い音が鳴り響き、吹っ飛んだサキュバスは近くの鉄格子にぶつかってびくびくと震える。
同時にその牢の中に入ってるサキュバスたちが悲鳴を上げ、寄り集まってぶるぶると震え出す。あー、うるさいなぁ。実験の最中なんだから大人しくしてて欲しいなぁ?
「……特に変化は無いようだ。もう一度やりたまえ」
「よし、任せろー」
レーンの言葉に頷き、バットの素振りをしながらサキュバスへと近付く。
僕らが一体何をやっているのかというと、一目見て分かる通り実験だ。えっ、分かんない? 僕の魔法で生み出した記憶の書をレーンが開いて確かめてるのを見れば分かるでしょ。アレはこのサキュバスの記憶の書で、今は物理的衝撃によって記憶が消えた場合はどうなるかを実験してるんだ。決して好きでいたぶってるわけじゃないぞー?
「う、ぐ……お、ええぇぇ……!」
何とか身体を起こして逃げ出そうとするサキュバスだけど、身体は動かない上にとめどなく胃の中のものを吐き出しその中に沈んでいく。
すでに三回ほど頭をぶん殴られてるから、かなり重度の脳震盪を起こしてるだろうし、死にそうなくらい気持ち悪くなってるんじゃないかな。頭蓋骨骨折もしてそう。
そうして耐えられなくなったサキュバスはその内動かなくなり、自分の嘔吐物に溺れるようにして気絶する。
「はい、起きろー。結果が出るまでは眠る事は許さんぞ?」
「ひ、あぁっ!? お、おねがい、です……もう、やめ――っ!?」
しかしそこを強引に魔法で叩き起こし、必死に懇願してるのをガン無視で金属バットを頭目掛けて振り下ろす。喋ってる最中だったから舌を噛み千切ったみたいで、今度は口から血を吐いて悲鳴も上げずに動かなくなった。まあ鉄格子の向こうで他のサキュバスが悲鳴上げてるけどね。
「……今更だが、一発殴る事に起こす意味はあるのかい?」
「趣味」
レーンの素朴な疑問に答えつつ、気絶してるサキュバスにおまけの一撃を見舞う。床に突っ伏した状態の後頭部をぶっ叩いたから諸々グシャッといったみたいで、顔の下からえらい量の血が流れて広がったよ。まるで殺人現場みたいだぁ……。
「む、本から記載が消えた。なるほど、君の言う通り物理的な衝撃で脳細胞が死滅して記憶が消えた場合は、本から存在そのものが消えるのか」
「これは思い出せないとかじゃなくて、記憶そのものが壊れちゃったみたいな感じだからね。消えるのも納得でしょ」
ここでようやく成果が出たみたいで、レーンが部分的に文章の消えた記憶の書を見せてくる。
今さっきサキュバスをいたぶってた理由は、物理的衝撃によって記憶が消えた場合は記憶の書にどう反映されるかっていう確認だ。そういう風に設定したからこうなるのは当然だけど、とりあえず実際に確認するのは大切だもんね。
え、サキュバスは殴られ損? 大丈夫大丈夫、コイツらの役目なんてそれくらいだもん。
「じゃあ次の実験だ。えーと……あ、次はお前でいいや。ほら、こっち来て?」
「ひっ……!?」
とはいえさすがの僕も同じサキュバスを使い続けると飽きる――じゃなくて使い続けるほど鬼じゃないから、牢屋の中で固まってるサキュバスたちの一人を指さす。
指名されたサキュバスは途端にこの世の終わりみたいな絶望の表情を浮かべるから、もうこれだけでご飯三杯はいけそう。
「ほら、早く来なよ。嫌だって言うならもっと酷いお仕置きするけど?」
「い、行きます! だから、だからどうか、それだけは……!」
「よしよし、良い子だ」
今にもぶっ倒れそうな青い顔で、ガタガタ震えながらこっちに歩み寄ってくるサキュバス。鉄格子前まで来るのに時間がかかったから、その間に頭ぶん殴ったサキュバスを治療して牢の中に放り込んでおきました。
「それで次は何を実験するんだい?」
「次はコイツの記憶を消すんじゃなくて、思い出せないようにしてみようと思う。その場合は本の文字が灰色に変化するようにしてみようかな?」
「記憶と思考の連結を断ち切るのか。女勇者の症状はそれが一番近そうだが、どうなるかな……」
レーンが睨んだ通り、トオルは記憶喪失じゃなくて記憶が繋がってないだけっていうのが一番可能性高い。記憶喪失なら記憶の書からその部分の文字が消えるように設定してあるからね。
けどトオルの記憶の書には記載自体はちゃんとされてる。だから物理的衝撃で記憶が消えたわけじゃなくて、何らかの理由で記憶が繋がってないだけのはずなんだわ。ショックで無意識的に記憶を封じたっていうなら、記憶そのものが壊れたわけじゃないから変わらず記載されてるのもおかしくないしね。
「それじゃあ今さっきの一幕を見ていた記憶を思い出せないようにするよ――記憶封印」
「っ……!?」
というわけで、魔法で意図的にその状況を再現する。
今回は検証のためだから記憶の書に手を加える方式じゃなくて、直接記憶を弄る方向でね。さっき僕が別のサキュバスをぶん殴ってたのを見てた記憶を、金属の箱に包み込んで遮断し封印するイメージだ。
「え……?」
サキュバスは一瞬くらっとしたものの、何をされたかは分からないっぽい。というか何もされてないように感じてるのかな。まあ忘れたい記憶を封印したようなもんだし、特に変化に気付かないのも無理は無いか。
なのでそんなサキュバスの記憶の書を具現し、該当する部分の記憶を確かめる。
「おっ。ちゃんと文字が灰色になってるな」
「では再度女勇者の方の日記を出してくれ。同様の変化が観測できれば、彼女もショックで記憶を封印しているだけという話になるだろう」
「日記って……いやまあ似たようなもんだけどさ」
検証と魔法の設定変更を終えたから、今度はトオルの日記――じゃなくて記憶の書を呼び出し、二人で肩を寄せて覗き込みながらぺらぺら捲る。
これで奴がショックのあまり記憶を封じてるだけなら、サキュバスと同じように文字が灰色に変化するって寸法よ。逆にこれで変化が無い場合、他に思い浮かぶ原因が無くて困った事になる。いや、思い浮かぶ事はあるけど可能性は滅茶苦茶低そうだしなぁ。
「あったあった、この辺だ――って、おやぁ?」
「変わらず通常時の記載のままだね。つまり彼女は記憶を喪失しているわけでも無く、また記憶を封じているわけでも無いようだ」
「マジかぁ……」
困った事に、記載には全く変化が無かった。レーンの言う通り、記憶喪失でも無ければ記憶が封じられてるわけでも無い。トオルは間違いなく凄惨な記憶を覚えてるし、それを思い出す事が出来る状態にあるってわけだ。
でもどう見ても覚えてるようには見えないんだよなぁ。うーん、これは一体どういうことだ?
「……何らかの目的で君を担いでいる可能性は無いのかい?」
「無いかなぁ。アレはそういう腹芸が出来そうな奴には見えないし」
「ふむ……」
記憶の書をぺらぺらと捲り、何事か考え込むレーン。
億に一つくらいの可能性でトオルが腹芸をしてるって線もあるか? でもあんな中二の痛々しい奴がそんな事出来る訳も無いだろうし、そもそも隠す意味も分からんしなぁ。いや、あの中二が演技って線もあるか……?
「記憶……心……いや、もしかすると……」
「お? 何か分かった?」
どうやら何か思いついたらしくて、レーンの脳裏に電流が走ったような感じがする。というかそんな感じに表情がキリっとした。やっぱ難しい事は頭いい奴に丸投げするのが一番よ。
「ああ。確証はないが、彼女は恐らく――」
そうしてレーンが語った、トオルに関するとある予想。
それは実に突飛な内容だけど非常に面白くて論理的であり、奴がこの狂人の巣窟でも類を見ないほどレアな存在だっていう仮説だった。レアリティで言えばURくらいか? やったぜ。
「――というわけで、地下闘技場でーす」
「えっ、どういうわけ!? ていうか今一瞬で……瞬間移動!?」
レーンの仮説を検証するため、僕はトオルを連れて皆大好き地下闘技場へとやってきた。
ほぼ説明も無く連れて来たからか、トオルはギョッとした感じに周囲を見渡して大混乱してるよ。いや、この感じはどっちかというと瞬間移動した事に驚いてるな?
「何驚いてるんだ。この世界でなら瞬間移動くらい出来る奴は大勢いるだろ」
「いや、いないよ!? この世界でもいないよ!?」
あれ、いないの? レーンとかベルは結構当たり前のようにやってなかったっけ。いや、あの二人でも短距離が限界っぽいけどさ。何だ、この世界の奴らだらしねぇな?
「ゴホン……して、何故我をこの血沸き肉躍る殺戮のコロシアムへと連れてきた?」
「実は君の精神的問題がかなり厄介なものっぽいからね。その確認と対処のために、このどれだけ暴れても大丈夫な場所に来たんだ」
「暴れても大丈夫って……な、何するつもり!? エロ同人的な事!?」
余裕が戻って中二病の症状が出て来たのに、連れてきた理由を説明するとまたしても素の驚きと恥じらいを見せるトオル。耳まで顔を真っ赤にして威嚇するように歯を剥き、自分を抱き締めるような防御態勢を取る始末。
ちなみに今のトオルは色気の無いパジャマを着てます。さすがに全裸のまま生活させる趣味は無かったから、メイドたちに適当に用意させました。
「エロ同人というよりはエロゲーかな、バトル物の。日々のカウンセリングとかは面倒だし荒療治でいくよ」
「荒療治って言われても、私は別にどこもおかしくないよ? むしろあなたの方がおかしいと思ってるんだけど?」
「うん。それは治療不可能だから置いとこう」
逆に酷く心配そうな目で見られるも、それはもう根本的にどうしようもないので脇に置く。
生まれついての異常者を今更どうこう出来る訳も無いし、出来たとしてもその時点で僕はもう僕じゃないんだわ。というか僕が真人間になっちゃったらこの世界を誰が平和にするんだっていう話よ。真人間でも世界平和実現に動く事は出来るだろうけど、倫理とか法律とか常識とかいうクソ邪魔なものに縛られてえらく時間かかるだろうしね。
「君自身が気付いてないだけで、君は相当ヤバい状態だからね? この狂人の坩堝と呼ばれる屋敷にもいない超高レアリティな人種だよ?」
「相当ヤバいって言われてもさっぱり分からないよ。ていうか狂人の坩堝って何? ここどんな魔境なの?」
「それも今は置いておこう。さて、最終確認だけど……君は魔王と戦ってた途中から、この屋敷で目覚めるまでの記憶が一切無いんだね? 実は覚えてるけど覚えてない振りしてるとかない?」
「ないよ、ないない。もしもあなたの言ってる事が事実なら、私ってもう乙女じゃいられないくらい色々されたんでしょ? そんなの覚えてたらこんな風に笑ってられないよ」
僕の問いをケラケラ笑いながら否定するトオル。どう考えても散々肉便器にされた挙句地獄の改造実験を受けたような奴には見えないね。本人も一切覚えて無いし記憶がフラッシュバックする事も無いから、僕の妄言だって思ってる節もあるっぽいな?
でも記憶の書を読む限り、間違いなくコイツにはその記憶がある。かといって思い出せない状態になってるわけでも無い。だとするとやっぱりレーンの言う通りかな。
「……それじゃあ、満を持して僕の本当の姿を見せてあげよう」
確信を深めた僕はトオルから距離を取りつつそう告げた。
僕の予想が正しければ即戦闘突入になりかねないしね。まして相手はテスラコイルみたいに四方八方に雷ぶっ放す危険物。ある程度距離は取っておきたい。
「あ、ようやく? そういえばその身体って借り物なんだっけ」
「いや、今回は幻覚でそういう風に見せてるだけだよ。声もそういう風に聞こえるようにしてるだけ。これを解除すると――」
「――あ」
そうして僕は幻影を解除。いつもの自己犠牲系主人公フェイスを湛える、みんな大好きクルスくん(魔獣族モード)の姿に戻る。魔獣族モードなのはあえてトオルの暴走を引き起こしたいからだ。魔獣族の印である角があれば、より明確にトラウマを抉ってくれるだろうしね。
「これが本当の僕さ。はじめましてだね?」
「………………」
ニッコリ笑いかけ挨拶をするけど、トオルは驚きに固まった状態で何も口にしない。一切の反応を見せない。
でもその瞳の奥で急激に何かが切り替わっていくのが、今の僕にははっきりと感じられる。同時に周囲の大気が妙にひりつき乾いていくのが比喩抜きに感じられた。
「それじゃあ、君も本当の自分を見せてくれると嬉しいな? いや、あるいは――もう一人の自分、かな?」
「――男は皆、くたばっちまえええぇぇぇぇぇぇっ!!」
僕がそう口にした途端、トオルは殺意と憎しみに険しく顔を歪め、情け容赦なく稲妻を放ってきた。まるで人が変わったように、ね。