サージュVSザドキエル2
天高くへと舞い上がったサージュが、その右手を高く掲げる。すると途方もない魔力が迸り、同時に周囲に影が落ちて行く。
その正体は空を覆う分厚い黒雲。晴天だった空を突如として発生した黒雲が覆い、日の光を遮っているのだ。渦巻く黒雲は街の上空を完全に覆い、夜のような暗闇を作り出していた。
『見たまえ。私は邪神から祝福を賜り、天候すら自在に支配する力を得た。今や自然の脅威は私の手の中にある。その力の片鱗をとくと見せてあげよう』
天候を支配するという、人には許されない神をも恐れぬ所業。
だが彼女は邪神の下僕。それが許される力を持っている事は、誰もが一目で理解していた。そして大自然の脅威の前には、自分たちは無力でしかないという事も。
『降り注げ雷、裁きを与えよ――プルウィア・トニトルス』
サージュの右手が振り下ろされると同時、上空を覆い尽くす黒雲から閃光と轟音が迸った。幾筋もの雷が街に降り注ぎ、あらゆるものを貫き焼き焦がす。稲妻に打たれた建物は木っ端微塵に粉砕されるが、この街に存在するのは建物だけではない。
「うぎゃああぁぁぁっ!?」
「ぐあああぁぁぁぁっ!!」
人々の身が稲妻で貫かれ、街の至る所で絶叫が上がる。魔法で再現した劣化した雷などではなく、正真正銘本物の雷に打たれた人々は即座に絶命し、黒焦げになって身体から力を失う。
しかしサージュの魔法で足をその場に縫い留められているため、人々は屋内に避難する事も出来ず、死してもその場に立ち続ける事を強要される。有り体に言って無慈悲な虐殺でしかなく、死者の尊厳すらも認めない鬼畜の所業であった。
「や、やめて! 大人しく従うから、子供たちに手は出さないで!」
正視に耐えず、ザドキエルは雷鳴に負けじと必死に叫ぶ。
彼女の狙いは元々ザドキエルだ。大人しくこの身を差し出せば、街への攻撃をやめてくれるかもしれない。そう考えての行動だった。
『大天使ザドキエル、君は最初に抵抗する事を選んだのだろう? 劣勢に陥り、民衆が危険に晒されたからといって、今更攻撃を止めてくれなどと言う資格は君には無い』
しかし返って来たのは無情な指摘と、街へ降り注ぐ落雷の数々。雷が建物を穿ち、人々を焼き、アリオトはまるで戦場のような悲惨な光景へと変化していく。
『それに君が従おうが従うまいが、どのみちこの街は滅ぼすつもりだったからね。ニア――彼女が街を出た後に滅びるのだから、君たち愚かな聖人族は再び彼女の仕業だと考えてくれるだろう。そうなれば全ての種族を纏めて我らを打倒するという彼女の目論見は潰える。我らが唯一警戒している戦力が、凝り固まった偏見と差別意識のせいで潰れてくれるんだ。ここまで嬉しい事は早々無いね』
そして、元々アリオトを滅ぼす気だったという事実が明るみに出る。
やはり反抗して正解だったと気付くものの、その結果が無様な敗北では何の意味も無かった。
『本当にありがとう。君たちのおかげで、我が主の野望を阻む者を無力化する事が出来る。感謝してもしきれないね。お礼として、最後はあまり苦しまないように殺してあげよう』
その言葉と共に、降り注いでいた稲妻の雨が止む。だがその後に巻き起こった事象は、先よりも恐ろしく不気味なものであった。
「な、何だ、ありゃ……」
「雲が、一ヵ所に集まってく……!」
天を覆い尽くす雷雲が渦巻きうねりながら、サージュの手の上へと凝縮していく。その風圧で瓦礫も同様に吹き飛び、宙を走る稲妻によって塵となって行く。
何千、何万倍にも圧縮された雷雲はやがて小さな黒球となり、不気味に放電しながらその手の上に浮かんでいた。まるで解放の時を待つかのように脈動するそれは、どう控えめに見ても破滅的な力を秘めた爆弾であった。
『それにしても、聖人族の私が君たちを滅ぼし、唯一私を止められる存在であった魔獣族を君たちが自ら排斥したと考えると、この結末は笑えるくらいの皮肉だね』
その爆弾を手で弄びながら、嘲るように呟くサージュ。
しかしその声は魔法によってアリオトの住人たちに届いているため、聞き逃す者は誰もいなかった。同時にこれが笑えるほどの皮肉だという指摘を否定できる者も、誰もいなかった。
『どうかな? 君たちの中に、彼女に対して罪の意識を覚えている者たちはいるかい? 石を投げて罵声を浴びせて迫害した少女に、恥知らずにも助けを求める者たちはいるのかい?』
アリオトの人々にそう問いかけるサージュの声音は、酷く冷たく侮蔑的なもの。邪神の下僕にすら嫌悪感を抱かせるほどの事を、ザドキエルたちは行ったのだ。
その上で冤罪と迫害を受けた張本人であるニアに助けを求めるなど、恥知らずにもほどがあるというものだろう。
「す……すまねぇ! 俺が、悪かった……!」
「ごめんなさい! 酷い事をして、ごめんなさいっ!」
「幾らでも謝るし、誠意だって見せる……だから、助けてくれ……!」
だが差し迫った命の危機に、誰もが恥を忍んで助けを求める。唯一この状況を好転させる事が出来る可能性を持つ敵種族に、心からの謝罪を送りながら。
それは厚顔無恥にもほどがある光景。しかし凝り固まった偏見と差別意識を持ちながら、ほんの数日前まで蛇蝎の如く嫌っていた魔獣族に救いを求めるのは、ある意味では成長と呼べるのかもしれなかった。
『……まあ、彼女に助けを求めても無駄だがね。私が行動を起こしたのは、彼女が次の街――ドゥーベへと移動した事を確認したからだ。百歩譲ってアリオトの異常を察知出来たとしても、この街が滅びる前に駆けつける事など不可能だよ』
「あ、ああ……そんな……」
「じゃあもう、俺達は……」
サージュの無慈悲な言葉に、誰もが絶望の声を零す。
そう、彼女が行動を起こしたのは不安要素を排除する事に成功したからだ。ドゥーベとアリオトの距離は、馬車でも五日はかかるほど離れている。にも拘わらず地平線の向こうからアリオトの異常を察知し、あの凝縮された雷雲が解放されるまでにアリオトに辿り着き、人々を救う事が果たして可能か。誰もがそれに思いを巡らし、そして絶望に沈むのだった。
『そもそもの話、彼女が君たちを助けると思うかい? 無実の彼女をあそこまで詰った君たちを、彼女が助けたいと思うはずが無いだろう? 些か都合の良い事を考え過ぎではないかな?』
「っ……!」
それを言われては、誰もが口を閉ざすしか無かった。ザドキエルでさえ、反論どころか希望的観測すらも口に出来なかった。
だが冷静に考えてみれば当然の事だった。この街を訪れた時から散々な扱いを受け、最後には街の住人達総出で迫害され追放された哀れな少女が、その加害者たちを助けたいなどと考えるだろうか。
もしも自分が同じ目に合ったなら、絶対に助ける事などありえない。むしろ自分の手で滅ぼすか、皮肉な末路を辿る者たちを嘲笑い見殺しにした事だろう。
『さあ、罪を抱いて永久に眠れ。絶望の中で骸と化せ。それが君たちにはお似合いの末路だ』
人々に絶望を与えた後、サージュは手にしていた凝縮された雷雲を軽く放る。ふわりと軽く宙を舞った黒球は、鳥の羽根のように静かに、しかしゆっくりと地上に落ちてくる。一見無害に見えつつも、不気味な放電と脈動を繰り返しながら。
恐らくアレが地上に落ちた時、その力の全てが解放されるのだろう。天を覆い尽くしていた雷雲を拳大に圧縮した爆弾が巻き起こす破壊とは、一体どれほどのものか。少なくともこの街は跡形も残らないだろう。誰もがそれを理解していた。
「そう、だよな……逆の立場なら、助けるわけねぇもんな……」
「俺ならきっと、死ぬのを眺めて楽しんでるだろうな……」
「ごめん、なさい……」
静かに迫る最後の時を前に、誰もが自らの行いを悔やんだ。己の醜さを恥じ、心からの謝罪をあの少女へ送った。
それはきっと、せめて少しでも穏やかな気持ちで死にたいと願うが故の行動なのだろう。恐らく誰も、あの少女が助けに来てくれる事を願っているのではない。迫る破滅はあとほんの僅か。この状況でニアが助けに来てくれる事など、ザドキエルは欠片も期待していなかった。
『吹きすさべ――テンペスト・ディザスター』
地上スレスレまで黒球が落ちた所で、サージュがその破滅的な魔法の名を口にする。
同時に一際大きく脈動した黒球が、拳大から指の先程度の大きさまで超圧縮される。ただでさえ破滅的な破壊をもたらす爆弾が、更にその破壊力を増したのだ。最早ザドキエルたちに生き残る目など存在しなかった。
次の瞬間には全てが解放され、常軌を逸した域の稲妻と暴風がアリオトの全てを蹂躙し消し飛ばすだろう。
「ああ……これまで、かしらね……」
そんな絶望の未来を幻視して、ザドキエルは諦めの呟きを零した。これが最後になるのならあの少女に謝罪の一つくらいはしたくなったが、本人がいないのに謝罪の言葉を口にしてもそれは完全な自己満足でしかない。
故にザドキエルは何も言わず、ただ迫る破滅を前に瞼を閉じた――
「――貫けっ! グングニル・シュトラール!」
だがその瞬間、聞こえるはずの無い声が聞こえた。驚いて瞼を開いたザドキエルの目に映ったのは、雷を遥かに上回る規模の光線染みた何かが天から飛来し、解放寸前だった雷雲の塊を超絶的な威力で消し飛ばす光景だった。
その何かはあまりの威力に地面を紙のように貫くが、次の瞬間自身が辿った軌道をなぞる様に高速で戻って行く。
ザドキエルはその時、確かに見た。自分が振るうものと同じ、異常な大きさの大剣が持ち主の手に戻って行くのを。そして戻ってきた大剣を手にした人物が、ザドキエルを護る様に目の前に降り立つのを。
「……嘘、でしょ? あなた、どうしてここに……?」
それは絶対にこの場にいるはずの無い少女。仮にいたとしても、ザドキエルや人々を護る筋合いなど存在しない少女。散々手酷く扱われ、街から追い出されたのだから当然だ。
しかしその少女は間違いなく滅ぶ寸前だった街と人々を護り、今も上空で佇むサージュに対して戦闘の意志を漲らせていた。
「そんなの決まってるじゃない。困ってる人たちを、助けに来たのよ」
あまりの驚愕に思わず零した声に、彼女――ニアは赤いマントを翻し、ウサミミをなびかせながら当然のように答えた。
まるで狙ったような登場のタイミングだけどきっと気のせいです。




