人助け2
⋇三人称視点
「クソッ、こんな化物に遭遇するとかついてないぜ……!」
相棒を背後に庇いつつ、コルウスは自分たちの運の悪さに毒づく。
コルウスは相棒と二人一組で活動している冒険者パーティだ。元々はソロだったのだが、お互い妙に波長が合い気が付けばコンビとなっていた。そうして今日も今日とて二人で依頼をこなそうと近くの森へ向かった所、運悪く遭遇してしまったのだ。自分たちではどうにもならない化け物に。
『グルルルルッ……!』
目の前で唸り声を上げるのは、美しい白銀と藍色の毛並みを持つ狼。
しかしその大きさは尋常ではない。体当たり一発で巨木をへし折りそうなほどの巨体を誇り、更にはしなやかでありながら筋肉質な肉体を持ち合わせている。手足の先から覗く鉤爪は異常に鋭く、金属など紙のように引き裂きそうなほど。
誰が見ても一目で化物と分かる恐ろしき威容。相対しているコルウスは今にも腰が抜けそうなほどの恐怖を感じており、睨まれ威嚇されているだけですでに生きた心地がしなかった。
それもそのはず、この狼はただの魔物ではない。危険度Sランクに指定されている凶悪な魔物、氷狼フェンリルなのだから。
「は、早く逃げるわよ、コルウス! フェンリルなんて私達じゃ絶対敵わないわ!」
「そうは言っても、走ってコイツから逃げられるとは思えないしな……」
背後に庇う相棒――天使の少女ヴィオラが焦りの滲む声音でそう促してくる。しかしフェンリルは完全にコルウスたちを獲物と認識し視界に収めている。元々俊足の魔物という事もあり、逃げられる可能性はほとんどゼロであった。
しかしそれは、二人で逃げる場合の話。
「……ヴィオラ、ちょっとツラ貸せ」
「こんな時に何よ!? って、ちょっ――んむうっ!?」
覚悟を決めたコルウスはフェンリルを警戒しながらも、背後に庇っていたヴィオラの身体を引き寄せその唇を奪った。腕の中で驚愕の声が上がるも、それは無視して舌まで入れる。これにはヴィオラの顔は髪と同じ真っ赤に染まり、困惑と羞恥に緑の瞳を揺らしていた。
「あ、あんた……何を……!」
「好きだ、ヴィオラ。お前の事が、ずっと好きだった」
「え……ええっ!?」
ずっと胸に秘めていた想いを告白すると、ヴィオラは状況も忘れたように頬の赤みを深める。
元々パーティを組んだのも、ヴィオラの事が好きだったからだ。しかし拒絶された時の事を考えるとその気持ちを伝える事は出来ず、今まで想いを封じ込めるしかなかった。
だが事ここに至って、女々しく怯えている余裕などあるわけも無い。これでお別れになるのだから、せめて気持ちだけは伝えておきたかった。
「死んでも俺がコイツを食い止める。だからお前は逃げろ。生きて、俺の分まで幸せになってくれ」
フェンリルを倒す事など不可能。二人で生き残る事は出来ない。
しかし倒すのではなく足止めなら、一人が犠牲になりもう一人を生き残らせる事なら、まだ現実的な確率として存在する。だからこそコルウスは命を犠牲に、愛する女を生かす事を決めたのだ。
「な、何言ってんの……? そんな、そんなの嫌よ! 私だって、あんたの事が好きなんだからっ!」
「ははっ。何だ、両想いだったのか。あークソッ、もっと早く告白しとけば良かったな……」
怒りや恥じらいがないまぜになった涙を零しながら、驚きの告白をしてくるヴィオラ。
これにはコルウスも苦笑いする他に無かった。もっと早く想いを伝えあう事が出来ていれば、幸せな未来があったはずなのだから。
「……俺の最後の願いだ。俺の事が好きなら、俺の分まで生きて、幸せになってくれ。頼む、ヴィオラ」
「誰がそんな願い聞くもんか! 『一緒に死んでくれ』以外の願いは聞いてやらないわよ!」
「チクショウ、こいつ本当に言う事聞きやがらねぇ……」
覚悟を決めた願いを口にするものの、ヴィオラは躊躇いも無くそれを一蹴してきた。
男の覚悟を容易く踏みにじり、あまつさえそれを遥かに上回る覚悟を口にしてくる。男の面目丸潰れでちょっと泣きそうになるものの、彼女の確固たる意志を持つ芯の強い部分に魅力を感じているので、ますます惚れ直してしまうのだった。それに一緒に死んでも良いというほどに想われているのだから、嬉しく思わないわけが無い。
「……仕方ねぇ! じゃあ何とかコイツを倒して、一緒に生きて帰るぞ!」
「そのお願いなら聞いてあげるわ! 覚悟決めなさい、コルウス。絶対に生き残るわよ!」
「おうっ!!」
半ばヤケクソになったコルウスは、二人でフェンリルを打倒し生き残る事を誓った。生きて帰ったら必ず彼女を幸せにするのだと、何よりも強い意思を抱きながら。
二人の愛の力で恐ろしき魔物を倒し、生き残った二人は結ばれる。子宝に恵まれ、いつまでも幸せに暮らしました――それは良くある絵物語の展開。
「あ、あ……そんな……!」
「ふざけやがって……こんなの、理不尽だろ……!」
だがこれは現実。そんな都合の良い事は起こらず、ただただ理不尽で残酷な展開が待ち受けていた。
覚悟を決めて勇猛果敢にフェンリルへ挑んだコルウスたちだったが、その結果は惨憺たるもの。コルウスが放った渾身の一刀はあっさりと躱され、反撃に繰り出された鋭い爪の一撃に脇腹を深く抉られる。ヴィオラが放つ魔法はフェンリルの咆哮によって掻き消され、そもそも本体まで届かない。魔力が尽きるまで抗ったものの、戦いらしい戦いにすらならない。
結局ほんの数分程度でコルウスとヴィオラは魔力も体力も尽き果て、満身創痍で蹲るという惨めな結果に辿り着くのであった。
『グルルルルッ……』
獲物の抵抗を楽しむように嬲っていたフェンリルだが、最早打つ手が無いという事を悟ったのだろう。今まで反撃するだけだった行動を切り上げ、一歩ずつコルウスたちに近付いてくる。恐怖を与えるかのように、一歩一歩大地を踏みしめゆっくりと。
「やだ……せっかく想いが通じ合ったのに、死んじゃうなんて……やだぁ!」
「クソッ、これまで、か……!」
すでにお互い碌に動けないほど負傷しているため、逃げる事もままならない。魔力が尽きているため治癒の魔法すらも使えない。
完全に詰みの状況であり、挽回の余地は欠片も無い。そのためヴィオラは泣きじゃくりながらコルウスに抱き着いてきており、コルウスもそんな彼女を庇うように抱き返す他に無かった。
『――グルアアアァァァァッ!』
やがて辛抱堪らなくなったかのように、フェンリルが大地を蹴り跳びかかってくる。
その強靭な前足で鋭く光る鉤爪は、鉄の鎧など紙のように引き裂く恐ろしい切れ味。人体など当然ひとたまりも無い。せめてヴィオラだけでも助けたいというコルウスの願いは虚しく、どれだけ身を挺して庇おうとコルウスの身体ごと斬り裂く事だろう。
「誰か、助けて……!」
絶望的な状況に、腕の中でそんな声が上がる。
コルウスも同じ気持ちだったが、そんな都合良く助けが来るはずも無い。第一相手はSランクの魔物。例え誰かが近くにいたとしても、巻き込まれないように静かに逃げ去る事だろう。故にコルウスは救いの手に希望など持たず、迫る凶爪を前に固くヴィオラの身体を抱き締め瞼を深く閉じ、命の終わりを待つしか無かった。
「――誰でも良いなら、助けてあげるわ」
しかしどこかからそんな声が聞こえてくると共に――ガキィン!
甲高い金属音が鳴り響き、思わずコルウスは瞼を開く。そうして瞳に映ったのは、まるでコルウスたちを護るように立ちはだかり、巨大な大剣でフェンリルの鉤爪を防いでいる少女の姿。身体の大きさは控えめに見ても五倍以上はありそうだというのに、一歩も引かずに鉤爪を受け止め鍔迫り合う姿はある種異様な光景であった。
だがコルウスにとって一番目を引いたのは少女の勇姿でも強さでもない。頭のてっぺんで存在を主張しているウサギの耳、魔獣族である事を言外に語る獣耳だ。
まさか魔獣族が助けに現れるとは思わず、自分と同じように状況を認識したヴィオラも目を丸くしていた。
「ま、魔獣族……」
「そう、魔獣族よ。それで? 私みたいな魔獣族に助けられるのが嫌だって言うなら、このまま見なかった事にしても良いけど。どうする?」
思わず口から零れた警戒の声に対し、フェンリルの鉤爪を容易く防ぎながら声をかけてくる少女。
正直な所、こんな状況にも拘わらずコルウスは強い敵意が沸き上がるのを感じていた。この少女が自分たちの命を繋ぎ止めてくれたのだと頭では理解しているものの、心の中では無防備な背中に一太刀浴びせたいという欲求が鎌首をもたげるほどだった。
「た、助けてっ! お礼なら何でもするから、お願い! コルウスだけは、助けてくださいっ!」
ヴィオラも同じ気分のはずだが、他ならぬコルウスのために助けを求めた。魔獣族に救いを求めるという恥辱と屈辱を捻じ伏せてまで、コルウスの身を案じているのだ。そこまで想われている事が喜ばしい反面、自分の方が先に敵意を抑えられなかった事が酷く恥ずかしかった。
「魔獣族の私にお願いなんて出来るなら、気持ちは本物ね。分かったわ、助けてあげる。あんたたたち二人ともね」
『ゴアアァアァッ!?』
コルウスが敵意に満ちた声を零したのをその立派な兎耳で聞いたはずだというのに、少女は躊躇いなく了承してくれた。
そして軽くといった感じで鉤爪を弾くと、フェンリルは破城槌でも食らったかの如く吹き飛ぶ。獣人が身体能力に優れているのはコルウスも知っているが、これは明らかに規格外。自身の体重の数十倍は下らない生物を容易く吹き飛ばせるなど、どう考えても異常であった。
『コオオオォォォォッ……!』
フェンリルもこの少女の危険性を理解したのだろう。体勢を立て直すと空気を貪るように大口を開き、四肢でしっかりと大地を掴む。
あの動作はフェンリルが放つ最大の技の布石。全てを氷結させる極寒のブレスが放たれる前兆であった。
「ま、マズい! 氷のブレスが来るぞ!」
『――ゴアアアアアァァァァァッ!!』
コルウスは少女への敵意を抑え込み警戒を促す言葉を絞り出したものの、残念ながら少し遅かった。フェンリルの口腔からまるで高圧の水流にも似た白銀のブレスが放たれ、一直線に少女とその後ろで蹲るコルウスたちに向かう。
余波ですら周囲の地面や木々が凍り付くほどの極低温の一撃。直撃すれば瞬く間に氷像と化すのは明白だった。
「――あ、本当ね。何かひんやりするわ」
『グルオォッ!?』
「え、ええっ……?」
しかし、少女は白銀の冷凍光線を左手で当たり前のように受け止める。足元や周囲の地面こそ凍り付いているものの、少女の身体は直撃を受けている左手も含めて氷結している様子が無かった。
これにはフェンリルも驚愕の声を零し、腕の中のヴィオラはあまりにも異常な光景に困惑の声を零している。尤も声に出さなかっただけで、コルウスも似たような気持ちを抱いていたが。
「気は済んだ? じゃあ今度はこっちの番ね。そりゃっ」
『――――』
そしてブレスが途切れた所で、少女は軽い掛け声で以て大剣を一振りする。下から掬い上げるようなそれは掛け声に反して認識できない速度の一撃であり、当然の如く剣閃が飛びフェンリルの身体を真っ二つに切断した。
後に残されたのは凍り付いた地面と、全てを綺麗に斬り裂いた斬撃の跡。そして身体が左右に別たれ物言わぬ骸と化した、哀れなフェンリルの姿だけだった。
「はい、おしまい。Sランクにしては弱かったわね、コイツ」
「とんだ化物だな、コイツは……」
スライムを踏みつけて倒した程度の反応をする少女に、コルウスは思わずそう毒づいた。フェンリルよりも厄介で危険な化物に遭遇してしまったのではないかという、明確な危機感を胸に抱きながら。
相も変わらずのマッチポンプである。