手酷い扱い
「えっと……依頼人の家はここね」
無事に冒険者ギルドで力を見せつけ、畏怖と恐怖を振りまき人外の何かである事を見せつけたミニス。受付嬢が依頼の受諾を快く許可してくれたおかげで、ついにこちらの国でもミニスの冒険者活動が始まったよ。何か受付嬢の顔が青くてぷるぷる震えてたけど気のせいだよな!
「大丈夫ですか、ニア様? まずは私がお話を通しましょうか?」
「余計なお世話よ。この程度の事でいちいち尻込みしていられないわ」
そうして依頼者がいる民家の前に辿りついた訳なんだけど、残念ながらここは聖人族の国。どう足掻いても碌な歓迎はされなさそうなので僕が応対しようか提案したら、余計なお世話だって一蹴されちゃった。男前っすねぇ……。
なので僕は一歩引いて、ミニスが玄関の扉をノックするのを傍らで眺めてます。いやぁ、従者役は基本見てるだけで済むから楽で良いねぇ?
「はい、どなたですか――って、ま、魔獣族っ!?」
「警戒しなくても良いわ。私は冒険者ギルドで――」
数秒後に扉が開き、にこやかに笑って顔を出した若い女がミニスを見て驚愕に目を見開き、直後――バターン! 力強く扉を閉め、ガッツリと鍵をかける音が聞こえた。ミニスちゃんまだ説明の途中だったのに、それすら聞かないとか早漏過ぎん? あと反応の速さが光速レベル。
「……依頼を受けた、冒険者だから」
「残念ながら聞いていませんよ、ニア様」
「うーん……門前払いはさすがに困るわね。話を聞いてくれないと依頼もちょっと困るし」
これにはさしものミニスちゃんも虚空に説明を続けるっていうギャグをかます。まさかこんな超速対応になるとは夢にも思わなかった様子。腕を組んで難しい顔して考えてるよ。
冒険者ギルドの一般人が出す依頼って、依頼者本人から達成の印を用紙に貰わないと達成扱いにならないんだよね。つまり話すら聞いてくれない今の状況だと、例え依頼内容を完璧にこなしたとしても失敗扱い確定になる。勇者ニア、そして<救世の剣>の名を広めたい僕としては、依頼に失敗したっていう汚点が残るのはあんまりよろしくないかな。
「ねえ、ちょっと? 出て来てくれない? 私は冒険者ギルドで依頼を受けてきただけで、あんたに危害を加えに来たわけじゃないのよ。ねえ、聞いてる?」
門前払いにされたにも拘わらず、ミニスちゃんは当たり前のように再び扉をノックして語り掛ける。さすが、オリハルコンのメンタルは伊達じゃないぜ。
そこからノックしながら呼びかけること二、三分。根負けしたのか鍵の外れる音が聞こえ、再び扉が開いた。
「あ、出てきてくれた――」
そして――バシャッ! バケツいっぱいの妙に黒く濁った水が、ミニスちゃんの顔面に容赦なくぶちまけられた。直撃を浴びたミニスはウサミミから足元までビショビショになってたけど、僕は何となく察して離れてたからノーダメージです。
ただちょっと臭いがキツイな……この汚い雑巾みたいなパンチのある臭い、もしかして雑巾の絞り汁? 二、三分でこれを用意したの? いや、掃除中に訪ねたって考える方が妥当か。
「………………」
汚水を浴びせて再び引っ込む女のクソふざけた対応に、さしものミニスも固まってる感じだ。全身から汚水がポタポタ零れる光景が、まるで涙を零しているかのよう……いや、さすがにこんな汚い涙は無いか。
「これは酷い対応ですね。怒っても良いんですよ?」
「……ちょっとグサっと来たけど、別に怒ったりはしないわよ。この程度の事でいちいち腹を立ててたらキリが無いわ」
しかしそこはやはりオリハルコンの精神。自分の頭上に魔法で水を生み出し滝みたいなシャワーを浴びて汚水を流すと、浄化や乾燥の魔法を駆使して元通りの綺麗な女の子になってました。
浄化の魔法一つで済むのに先に水で流したのは、恐らく気分的なものだと思われる。僕だってそうするよ。で、その後に僕に不敬を働いた奴に地獄を見せる。
「とりあえず先に目的の物を取ってきてあげましょ。そしたら話だって聞いてくれるでしょ」
「了解しました。では行きましょうか」
とはいえそこはミニスちゃん。気にした様子も怒りも見せる事無く踵を返し、こんなクソな依頼人のために予め依頼内容を達成してから戻ってくるつもりだよ。さすがは真の勇者。
僕だったら扉蹴破って無理やり入ってたね。勇者なんて不法侵入からの窃盗強盗万引きはお家芸じゃん?
それは途轍もなく大きな蛇。人間なんて一飲みに出来そうなほどの巨体と、黒々とした鱗を持つ化物。長い胴体はしなやかでありながらも強靭で、纏めて巻きつかれた何十本もの大木があっさりとへし折れ粉微塵になるほど。
でも真に恐ろしいのはその鋭い牙が持つ猛毒。毒性がアホほど強いのは勿論の事、最早強酸に近い代物のそれは滴り落ちる雫だけで岩塊を溶かし崩す程の域。もしこんなものを人体に注入されれば、人間なんて即座に赤黒いスープになるだろうね。
そんな化物が天を覆い尽くすように鎌首をもたげ、牙を剥き出し威嚇する。頭部に太陽が覆い隠され周囲に闇が満ちていくのは、人間の根源的な恐怖を煽る恐ろしい光景だ。これぞ正にSランクの魔物に相応しい威容。猛毒の大黒蛇ヨルムンガンド――それがこの魔物の名前だった。
『シャアアアァアァァッ!!』
「あーもうっ、うるさいわね。ていっ!」
『――――』
とはいえそんな魔物も、今のミニスちゃんの手にかかれば一捻り。ピョンと飛んでスパッと首を斬るだけで戦いは終わり。哀れヨルムンガンドは首を刎ねられ、長い胴体は数秒くらいして頭部を失った事に気が付き、地響きを立てて倒れ伏した。
たぶん当人……いや、当蛇? ともかくヨルムンガドは何が起きたかも分からないまま死んだんじゃないかな。むしろその方が幸せだと思う。ミニスちゃんの斬首の勢いが凄すぎて、刎ねられた頭部が面白いくらいに回転しながら物凄い勢いで吹っ飛んでったからね。まだ意識があったら三半規管がぶっ壊れそうな地獄染みた光景と感覚だと思う。
「お見事です、ニア様。たった一撃でヨルムンガンドの首を刎ねましたね。噂では鱗はオリハルコン並みの硬度を持っているらしいですよ」
「むしろ周囲に被害が行かないように力を抑える方が大変よ。山だって真っ二つに出来そうなくらいだし……」
パチパチと拍手しながらその強さを称えると、疲れ切った感じのため息が返ってくる。まあ実際今のミニスなら山の一つや二つ、素手でいけるんじゃないかな?
そんなヨルムンガンドを越える化物のミニスがやってるのは、もちろん冒険者ギルドの討伐依頼だ。一撃で終わったから仕事したって感じがしないね?
今回の戦場は山の頂上付近という事もあって周囲にマッチポンプできるような冒険者たちもいなかったから、普通に倒すだけだったよ。人里にまで誘導するのは、むしろミニスから逃げてきたって感じに取られそうだからやめときました。
でもせっかく山の頂上まで来たんだから、風景でも楽しんで帰ろうかな――なんて思ってると、ズシーンッ! 飛んでったヨルムンガンドの頭部が地面に落ちたらしく、山の中腹辺りから地響きが聞こえてきた。どこまで飛ばしてんだ、このウサギ娘は……。
「あー、あんな遠くに飛んでったのね。しょうがない、私は討伐証明部位を回収してくるから、あんたは薬草の方をお願い」
「了解しました。いってらっしゃいませ、ニア様」
吹っ飛んでった頭部を追いかけ足早に山を下りるミニスを、僕は深々と頭を下げて見送る。
薬草っていうのは、街で門前払いしてきた挙句汚水ぶっかけてきたあの女の依頼の事ね。何でも旦那が強烈な毒で苦しんでるそうで、その解毒のためにこの山の頂上にしか存在しない薬草が必要なんだってさ。
依頼としては単純な薬草採取なんだけど、薬草の自生してる場所がSランクの魔物の生息域って事が問題なんだよね。だから誰も受けたがらずに燻ってた依頼で、それが幸運にもミニスの目に留まったってわけ。あんな扱いされておきながらしっかり仕事をしようとするミニスちゃんの健気な事……。
「さて――いるのでしょう? 良ければ出てきてくださいませんか?」
ミニスの足音も気配も遠ざかった頃、振り向かずに背後の木々の中へと声をかける。
何か物凄い痛々しい事してる気がしないでも無いけど、何者かがそこに隠れてる事は確かだからね。僕の魔法を舐めて貰っちゃ困る。
とはいえ向こうはカマをかけられてるとでも思ってるのか、なかなか出て来なかった。ちょっと攻撃でも仕掛けて炙り出そうかな? なんて考え始めた頃に、ようやく姿を現してくれたよ。
「あらあら、気付かれてたのね。まさかあの子じゃなくてあなたに気付かれるとは思わなかったわ」
木々の間から現れたのは、何と街の正門前でも会った大天使ザドキエル。服や翼にくっついた葉っぱや枝をぺしぺしと叩き落としつつ、ちょっと意外そうな顔で僕の目の前まで歩み寄ってきたよ。
「気付いていたわけではありません。しかしあれほどの力を持つお方、監視の一つも無く自国での活動を許すわけがありませんからね。近くに何者かが潜んでいるのは簡単に予測できます。まさか大天使自らが監視していたとは思いませんでしたが」
「さすがにSランクの魔物がいる所は他の子には危ないもの。だから私が監視の役目を買って出たってわけよ。それにしても、カマをかけるなんて悪い子ね? めっ!」
つんと僕の鼻先(仮面越しだけど)をつついてくるザドキエル。僕ことトルファトーレは聖人族だからか、ミニスへの対応とは明らかに違うな? 何か悪ガキを諭そうとする包容力のあるお姉ちゃんみたいだ。
えっ、存在に気付いてたんじゃないかって? 気付いてたよ? でもここはあえてカマをかけた風に言っておいた方が、強キャラ感というか頭の良さを演出できるかなって。パワーなら今はミニスで事足りるしね。従者としては主の不足を補える何かが必要でしょ?
「前置きはこれくらいにしましょう。私に気付かれたという確証も無いのに姿を現した辺り、あなたは私に何かご用件がおありなのでは?」
「そこまで理解して貰ってるなら話は早いわぁ。実はうちの王様があなたにお願いして欲しいって言ってきたのよ。あの子を上手く利用してこちらの役に立ててくれないか、ってね?」
結構サバサバしてるザドキエルは、あっけらかんと用件を口にしてきた。
まあ考えてみれば当然か。幾ら冒険者ニアが敵である魔獣族とはいえ、その従者は同族である聖人族。自分たちの味方をしてくれるかもしれない、って考えるのは楽観論が過ぎるとは言えないか。
「なるほど、お断りします」
だが! 僕はニアの忠実なる下僕であるトルファトーレ! その設定から考えると当然裏切るわけねぇよなぁ!? 一応どういった経緯でニアの従者になったかとかも考えてあるしな!
だから一瞬の躊躇いも無く断りを入れました。僕ったら従者の鏡ぃ……!
「あぁん、そんな事言わないでぇ? 同じ聖人族でしょう? ねえ、お願い。もしも言う事を聞いてくれたら、私、何でもしちゃうわよ? そう、何でも……」
妙に甘ったるい声音でお願いしながら、ザドキエルは僕にしなだれかかってくる。僕の胸板にデカい巨乳の形がむにゅっと変わる程強く押し付け、感触をこれでもかと感じられるほどに強く。細めたエッチな目で僕を見上げ、甘えるようにおねだりする形で。
あかん。女には不自由しない暮らしをしてるけど、巨乳自体には不自由してるからこれはなかなか効くぅ!
「私はニア様のために生き、ニア様のために死ぬ従者。彼女を裏切る事など出来ません。そんな事をするくらいならば死を選びます」
「あら、残念。一途なのね」
とはいえコロッと巨乳で懐柔されるのも悔しいので、鋼の意志で以て誘惑を跳ねのけました。とりあえず屋敷に帰ったらハニエルの乳でも揉もう。自我が崩壊してるからたぶん気にしないし、反応もしないから問題無いよね。
しかし今は目の前の面倒な事態に対処するのが先決だ。だって僕を一途って褒めてくれたザドキエルが、さっきとは違う意味で瞳を細めて剣呑な雰囲気を漂わせ始めたから。
「……じゃあ、ここで死んでみる?」
びっくりするくらい冷たい言葉と共に、僕の首の後ろに硬質で冷ややかな何かがピタリと当てられる。
十中八九、ザドキエルが使う大剣の刃じゃないかな。僕に抱き着いて巨乳の魔力で魅了して油断させ、背中に回した腕で急所を狙ってたんでしょ。この状態で後ろに退いたら首が飛んじゃうし、かといって前に行くと余計に巨乳の魔力に呑まれそう。引くも地獄、進むも地獄……全く、難儀な状態だなぁ?
「お言葉ですが、ニア様には届かないまでも私も腕には自信があります。あの時拝見したあなたのお力が全力ならば、ニア様がお戻りになるまで時間を稼ぐ事くらいは可能かと」
ここで慌てて行動を起こすのは小物っぽいし、あえてこの状態のまま自信たっぷりの言葉を吐いてみる。
実際の所はザドキエルがどう頑張っても僕の首を刎ねる事は出来ないし、仮に出来たとしてもそれで僕が死ぬわけじゃないんだけどね? ちゃんと万一の事を考えてスペアボディは用意してあるし。
「あらあら、アレが私の本気だなんて言ったかしら? 女は本当の自分をそう簡単には見せないものよ? それを見せるのは心の底から愛している人か、あるいは――これから死ぬ事が決まってる人、かしらね?」
ザドキエルは冷たく笑い、そんなおっそろしい言葉を吐き捨てる。
えっ、マジでやる気? 聖人族の守護者が護るべき聖人族を自らの手にかけるとかマジ? 職務怠慢だぞ!