お勉強のための一時帰還
「ただいまー。今帰ったぞー」
夜もとっぷりと暮れた頃、僕は転移で一旦屋敷へと戻った。
従者として常に冒険者ニアに付き従ってるからそんな暇は早々無いけど、今は聖人族の国に向けて徒歩とダッシュで移動中だし、夜営の最中だから今回はその限りじゃない。さすがにそろそろ一旦顔を出さないとヤバそうな奴らがいるしね。そんなわけで非常に不本意ですが戻ってきました。
「うわああぁぁぁぁ~っ! 主のお帰りだああぁぁぁぁ~っ!!」
そうして僕がエントランスで声を上げた瞬間、屋敷の奥の方から大気を震わせるほど大きくじっとりとした感情のこもった声が響いた。
やっぱもう戻ろうかなと思ったのも束の間、壁や床や天井を蹴り三次元的な軌道を描きながら、二階から変態クソ犬トゥーラが襲い掛かってきたっ! その顔は可愛い女の子を捕まえた野盗よりもヤベー感じだ!
「来やがったな、変態め! 食らえっ!」
控えめに見ても発情してるとしか思えないけど、この状態でもコイツの技は研ぎ澄まされてる。だから僕は一切油断せず、旅立つ前にトゥーラ自身からアップデートさせて貰った武術で迎撃を試みた。
タイミングも完璧、角度も完璧な回し蹴り。掠りでもすれば増幅した衝撃を全身に走らせ炸裂させる、スタンガンみたいな一撃だ。これならさしもの変態も打つ手はない。そう思ったんだけど――
「ふぁっ!? 残像!? いや、影分身!?」
直撃したと思った回し蹴りはそのままトゥーラの身体を素通り。まるで立体映像だったかのように何の手応えも無く通過し、蹴りをスカされた僕は無様に大きく体勢を崩した。
そしてトゥーラはいつの間にか足元に四足で這い蹲っていて、今正に飛び掛かろうとしているっ! うわっ、来たぁ!?
「取ったああぁぁぁ~っ! クンクンクンクンスーハースーハーッ!」
カエルみたいに跳ねて飛びついてきたトゥーラは、そのまま僕に両手両足でしがみ付き、首やら髪やら脇やらに顔を埋めて匂いを嗅ぎまくってくる。
どうせさっきのも魔法じゃなくて武術の方での何がしかの幻惑なんだろうなぁ。何でここまでイカれてるのに技術はどんどん研ぎ澄まされていくの? ミニスと旅に出る前より明らかにレベルが段違いなんですが?
「おごぉ!? お前はいつの間にぃ……!」
「………………」
ついでに気付けば神出鬼没の殺人猫に背後を取られていて、抉り込むような頭突きを頬にかましてくる。前後から女の子二人に抱き着かれて甘えられてる――っていうと聞こえは良いよね? 現実はすっごい醜いというか、生きた心地がしない感じの状況だけど。
「クルスくん、おかえり! あたしにする? あたしにする? それともあ・た・し?」
そんな風に犬と猫にサンドイッチされてると、普通に走ってきたっぽいセレスがまるで新婚みたいな事言いながらウインクかましてくる。ていうか選択肢一つじゃん。せめて選ばせろ。
「シャーッ!!」
「グルルルルッ……!」
「ううっ、あたしだってくっつきたいのに近付けないっ!」
「君ら仲良いのか悪いのか分からんね……」
とはいえ犬猫がガチの威嚇をしたので、セレスは近付けず悔しそうに唇を噛んでたよ。
以前は僕を協力して三匹で襲ってきた癖に、今はバリバリに警戒してるのか。敵対する時と協力する時の基準が良く分からんな?
「――もう帰ってきたのかい? ミニスとの善行の旅は順調かな?」
じりじり近付こうとするセレスと、威嚇する犬猫の様子を間近で眺めてると、エントランスにクール系狐獣人と化してるレーンがやってきた。どうやら僕がもっと長い間屋敷を開けると思ってたみたいで、少し意外そうな顔をしてる。
まあ帰ってきた途端にこんな状況に陥るし、出来るだけ帰りたくなかったのは本当だけどね。ミニスちゃんにさっさと帰れって言われたから渋々戻ってきた感じ。
「そりゃあもう。正直僕がいなくても何とかなりそうってくらいにはね。ただそろそろ聖人族の国の方で活動するから、まだ僕がいないと駄目かな」
「確かに。魔獣族である彼女にとって、聖人族の国は針の筵でしかないからね。露骨な差別や陰湿な嫌がらせを受ける事もあるだろう。彼女の場合は暴行などの直接的なものよりそちらの方が心配だ」
「大丈夫大丈夫。うちのミニスちゃんは強い子だから、周囲の全てから敵意を向けられても折れないよ。家族からそんな目で見られたら死ぬかもしれんけど」
「君はあの子を過大評価しているのか、はたまた過小評価しているのか、良く分からないね……」
レーンは何やら困惑顔。
でも僕は正当に評価してると思うけどなぁ? オリハルコンメンタルのミニスちゃんなら、どんな逆境でも傷つき苦しみながらも耐えてくれるだろうし。そして自分の愛する家族たちに拒絶されたら、ショックのあまり死ぬかもしれないのもまた事実だ。硬いのか柔らかいのか時々分からなくなるよね? でも硬すぎるとダイヤみたいに脆くなるし、ある意味この方が理にかなっているのでは……?
「そんな事よりさ、今の内に色々聖人族の国の事教えてくれない? さすがに聖人族のふりをしてる以上は、今まで以上に知識を持ってないと怪しいからさ」
「ほう? 君が自ら勉強を提案してくるとは殊勝な事だ。良いだろう、まずは一般的な歴史から教えてあげようじゃないか」
僕がそんな提案をすると、レーンは若干目の色を変えて頷く。どうやら教えたがりなスイッチが入ってしまった模様。
ぶっちゃけ勉強は嫌いだ。でもこれから聖人族の国に聖人族として行く以上は、並み以上の知識が無いと話にならない。前は召喚されたばっかりの勇者だったから無知でも許されてたけど、さすがに今回はそうもいかないよね。実は帰って来た理由の大半がレーンから教わるためだったりする。
「あ、出来れば女教師セットを身に着けてマンツーマンでやってくれると嬉しいかな。エッチなお勉強付きで」
「仮に私がそれを了承したとして、君の周りに引っ付いている彼女らがそれを許すかな?」
「許さない~っ! そんな淫らな勉強は決して許さないぞ~っ!」
「く、クルスくんのためなら、あたしだってそういう恰好するもんっ!」
「………………」
「うーん……」
僕に引っ付きながら押しあいへし合う三匹は、どう見てもそれを許すとは思えない。キラだけは無言だけど、何やら軽い威圧を感じる……。
「というわけだ。いかがわしい格好での勉強は諦めてくれ」
「はい……」
悔しいが頷く他に無く、僕は苦渋を滲ませながらも受け入れる他に無かった。絶対その内エロいクール系女教師にしてやるからな……!
「――まあひとまずはこんな所かな。これ以上は君の集中が続きそうにない」
「あー、終わったー……」
それからおよそ二時間後。レーンの部屋で聖人族の国に関してのお勉強を終えた僕は、椅子に座ったまま大きく伸びをして身体を解した。
レーンの言う通り、これ以上は勉強に集中できなかったからタイミングはバッチリだったよ。勉強中もレーンのお尻を撫でたり鷲掴みにしたりして、何とか自分を癒し鼓舞しつつ頑張ってたんだ。その度に本で手や頭を叩かれたけどね。暴力反対っ!
「それにしても、君はわりと基礎的な知識にも抜けがあったね。まさか主要な街の名前すら把握し切っていないとは……」
「そりゃあ傀儡の勇者として召喚されてすぐ魔王討伐に向かわされたし、国の事情だの一般常識だのに疎くても仕方ないよ。特に一般市民レベルの事はねぇ」
今回お勉強するまでは、聖人族の国にある特に大きな街の名前は幾つか覚えて無かった。いや、数自体は覚えてたよ? でもさすがに行った事無いとこか、戦略的にも邪神的にも重要度の薄いとことかはどうでも良くてね。
「ふむ、言われてみれば当然か。君は必要に迫られないと自主的に学ぶこともなさそうだしね。少しはリアを見習ったらどうだい?」
「いっぱいお勉強しないと賢くなれないよ、ご主人様?」
なんて困った子を嗜めるように言うのは、僕の隣に座るリア。何でかコイツも一緒にお勉強しに来たんだよね。特に必要もないのに自主的に勉強するとか変態か?
「良いんだよ、別に。元々賢さには自信あるから。頭に『ずる』が付く方の賢さだけど」
「確かにキラたちを撒いた手法はずる賢さのお手本だったね……」
僕の発言に呆れたような目をしながらも、一応は褒めてくれるレーン。
ちなみに引っ付いてた三匹のケダモノたちがこの場にいないのは、僕が『今晩はとっても強い女と寝たいなぁ』って零したせい。三匹は内に抱えた欲望に違いはあれど、目の色を変えて闘技場へと走って行ったよ。今頃血みどろの殺し合いでもしてるんじゃない?
「ともかく、今日の授業はこれでお終いだ。明日はミニスと共に聖人族の国に入るのだろう? 万全な状態で明日を迎え、しっかりとフォローしてあげたまえ」
「君ってミニスちゃんには妙に優しいよね……」
「次以降に訪れる街の知識についてはまた後日にしよう。だから数日に一回は帰ってきたまえ。君がいないとトゥーラの夜鳴きが酷い」
「まるで赤ん坊みたいな言い方に草生えますよ」
「でも本当にトゥーちゃん悲しそうに鳴いてるよー? たまにご近所さんからうるさいって苦情来るんだー」
ちょっと笑ってるとリアが補足説明してくれた。
あ、マジで鳴いてるのね。ていうか敷地もだだっ広く、豪華でドデカい豪邸が立ち並ぶこの近隣でご近所さんから苦情が来るって相当だな……まさか屋根の上に登って遠吠えとかしてるんじゃあるまいな?
「というわけで、なるべく頻繁に帰ってきて彼女たちの相手をしてあげたまえ。それが出来たら、君の言ういかがわしい女教師スタイルの授業も考えてやらない事もないよ」
「うぐっ、コイツなかなか僕の扱い方を心得てきてるな……」
クイッと何故かそれだけ身に着けてる伊達メガネの位置を直し、冷めた目でそんな美味しい提案をしてくるレーン。
クール系狐獣人銀髪青目女教師、か。うーん、アレらの相手をしなきゃいけないのはちょっと気が引けるけど、逃すにはあまりにも惜しいシチュエーションだ……。
「何か楽しそう! じゃあその時はリアも女教師やってあげるね!」
「いや、お前には似合わないから良いよ」
「な、何でー!?」
ノリノリでそう言い放つリアだったけど、僕が否定すると途端にショックを受けた顔になる。
求めてるのはクール系女教師であって、こんなちっこいのじゃ代わりにはならないんだわ。かといって教師じゃなくて生徒の格好をさせようにも、女子高生の制服よりは幼稚園児の服装の方が似合うもんなぁ……。