憧れの人
⋇引き続き三人称視点
「あ……あんた、は……?」
「私? 私は――おっと、何? ご自慢の拳を防がれて怒ってるわけ?」
彼女が名乗ろうとした直後、頭の上にあったゴーレムの手がゆっくりと引かれていく。
若干バランスが歪なので分かりにくかったが、どうもゴーレムは腕を引いて腰だめに構えているようだ。つまりはただ上から押し潰すのではなく、勢いを付けた渾身の拳で全てを粉砕するつもりに違いない。
「ひっ……!?」
セーラが再び恐怖を覚えた瞬間、オリハルコンゴーレムの拳が放たれた。洞窟全体を揺るがし地面を削り飛ばしながら、膨大な質量と異常な重量、そして究極の硬さを持つ致命的な攻撃が迫ってくる。腰を抜かしてへたり込んでいるセーラと、その前に立つ兎獣人の少女を纏めて消し飛ばすかのように。
どう考えてもこんな一撃、人間が受け止められるようなものではない。事実セーラもそう考え、せめて彼女だけでも助けられないかと手を伸ばしたが――
「――随分軽い攻撃ね? あの馬鹿でかいエクス・マキナの攻撃の方が重かったわ」
「え、えぇ……嘘、でしょ……?」
先ほどと変わらず、少女は左手一本でその致命的な拳を受け止めた。猛烈な風圧だけは止められなかったようでセーラは危うく吹き飛びかけるが、少女の方は揺るぎもしない。髪やウサミミ、マントや短いスカートをはためかせながらも、一歩も後退する事無く完璧に受け止めていた。まるで少女の身体はオリハルコンゴーレムよりも重量があるかのように。
「あっ!?」
「こ、こっちを見ました……!」
再び拳を引いたゴーレムは、その頭部と思しき部分を回しディアとノーチェの方へ向ける。どうやら一撃で力の差というものを理解し、この少女には敵わないと判断したのだろう。まずはその周囲の容易に倒せる者を片付けようとしているに違いない。
「私に敵わないからって、他のか弱い女の子を狙おうっての? それはさすがに許さないわよ?」
少女はそう言い放つと宙に飛び出し、右手に握っていた大剣を両手で握り振り被った。
あんな巨大に過ぎる大剣を持って跳べる事にはセーラも驚いたが、これはどう考えても悪手だ。何故なら相手はオリハルコンの身体を持つ最硬のゴーレム。少女が幾ら力自慢であろうと、獲物が耐えかねて壊れるか弾かれるのは目に見えていた。
「待って! そいつの身体はオリハルコンで出来てるから――」
「――はあっ!」
警告も間に合わず、少女は鋭い一閃を放った。セーラにはほとんど見えず、気付いた時にはすでに振り終えて大地に降り立ち、残心している姿となっていた。
セーラはその大剣が無残に砕け散る光景を幻視したのだが――
「……はえ?」
次の瞬間、ゴーレムの身体が真っ二つに分かたれた。頭のてっぺんから股まで垂直に切れ目が走り、それぞれの身体が左右に広がる形で。それはオリハルコンの身体を持つゴーレムが、少女の大剣一本で両断されたという証明。
幻覚か何かかと思ったセーラだが、ゴーレムの身体が倒れるなり洞窟が崩落するのではないかという地響きと震動に襲われたため、嫌でもそれが現実の光景だという事を理解させられた。
「ごめん、さっき何か言った?」
「あ……何でもないです、はい……」
汚れを払うように大剣を一振りした少女がこちらを振り向き、小首を傾げる。その何気ない一振りでさえ真空波を生じさせ洞窟の壁を深く抉っているのだから、まぐれでも奇跡でも無さそうなのは明らかだった。
「お、オリハルコンゴーレム……だよね?」
「綺麗に真っ二つになっちゃってるけど……えっ? オリハルコンってこんな簡単に斬れるの……?」
これにはディアとノーチェも恐怖や絶望を忘れて目を丸くしていた。
百歩譲ってオリハルコンゴーレムが斬れるものだとしても、ここまで綺麗に斬るのはまず不可能だろう。目の前の残骸はまるで計ったように完璧に綺麗な断面を晒しており、力と技量の両方が途方も無い高水準にある事を示していた。
「三人とも、怪我は無い?」
「あ、はい……大丈夫です……」
度重なる恐怖や驚きで腰が抜けていたセーラは、少女が差し出してきた手を握り返し立たせて貰った。恐ろしい事に少女の小さな手は普通の女の子のそれであり、あんな怪物を一刀で両断したとは思えないほど柔らかく暖かかった。
「せ、セーラぁ……! 良かった、良かったよぉ……!」
「ううっ、無事で良かったぁ……!」
無事に立ち上がったセーラの姿に恐怖を思い出したのか、ディアとノーチェは涙を零しながら抱き着いてくる。
セーラも恐怖はあったし命を拾った喜びもあるが、色々と度肝を抜かれる展開が連続したせいでいまいち実感が湧かなかった。
「あの、助けてくれてありがとう。本当にもう、駄目かと思ったわ」
「べ、別にそこまで感謝される事はしてないわよ。私はコイツを討伐に来ただけだしね」
ぺこりと頭を下げてお礼を述べるも、少女は少しバツが悪そうな表情で視線を逸らしゴーレムの残骸を漁り始めた。どうやら感謝を向けられる事が恥ずかしいらしく、その頬は若干赤く染まっていた。
あれほどの強さを持ちながら妙に初心なのが可愛らしく、セーラは思わず彼女の表情を良く見ようと近寄ってみた。
「コアって真っ二つになってても良いのよね……?」
すると彼女はゴーレムから取り出したらしいコアを眺め、少し不安そうな表情で佇んでいた。
コアは心臓と脳を兼ねているゴーレム特有の器官であり、また討伐の証明部位でもある。それは体内の中心に埋まっているものなのだが、どうやら正中線を真っ二つにしたためコアも真っ二つになっていたらしい。
しかし一体どうやってオリハルコンの塊からコアを引きずり出したのか。疑問に思ってゴーレムの残骸の方に目をやると――
「よっと」
「はいぃ!?」
少女は残骸に手を叩き込み、コアのもう半分を抉り出した。超金属オリハルコンの塊から素手で、指でバターでも掬うような気安さで。
小さくて柔らかい少女の手が凄まじい強度の金属を容易く抉る光景に、セーラは最早我が目を疑う他に無かった。信じ難い事だが、案外素手でもオリハルコンゴーレムを倒せたのではなかろうか。
「あの、えっと……もしかして、高名な冒険者の方だったり……?」
「あ、そういえばまだ名乗って無かったわね。私の名前は――ニア。Sランクの冒険者で、邪神に対抗するために作り上げたパーティ、<救世の剣>のリーダーよ」
「に、ニア!?」
「それに<救世の剣>って、あの!?」
「実在、したの……?」
少女の名乗りにディアとノーチェは目を丸くして、セーラも驚愕に目を見開く。
冒険者ニアの活躍は、万年低ランクのセーラたちですら知っているほどに有名だった。しかしその内容はあまりにも荒唐無稽で現実感に乏しく、盛大に尾ひれの付いた与太話ではないかと巷では疑われている。天を突くほど巨大なエクス・マキナを一撃で倒しただの、Sランクの魔物を拳一発で倒しただの、その一刀で大地を割り天を裂いただの、ぶっ飛んだ話題には事欠かない。
正直な所、セーラも眉唾ものの噂だと思っていた。しかしオリハルコンゴーレムを一刀で真っ二つに裂き、素手で抉るその尋常でない強さを目の当たりにすると、噂は真実なのではないかと思えてくるのだった。
「――ようやく追いつきました。ニア様のおみ足はとても魅力的なのですが、あまりにも速すぎて置いてけぼりにされるのは困ってしまいますね」
三人で驚きに固まっていると、この場に新たな人物が現れる。それはフルフェイスの仮面を被り、黒の装束で身を包んだ怪しさが爆発した男。角や尻尾、翼や獣耳が無い事から聖人族だと分かり一瞬警戒するが、ニアは全く警戒など見せず呆れたような目を向けていた。
「あんたが遅いだけよ、トルファ。どこで道草食ってたわけ?」
「申し訳ありませんでした、ニア様。あなたに追いつけるよう、これからも精進し続けます」
トルファと呼ばれた聖人族は深く頭を下げ、まるで主従の関係であるかの如く振舞う。
とはいえ実際に主従である事はセーラたちにも分かっていた。何故なら冒険者ニアの噂の中には、仮面を被った怪しい聖人族の従者を従えているというものがあるのだ。
「やっぱり、この人が……」
Sランクの魔物を容易く屠る、常軌を逸した別次元の強さ。大質量のオリハルコンの塊を片手で受け止め、素手で抉る化物染みた膂力。怪しい聖人族の従者を従えている姿。そのどれもが。彼女こそが嘘偽りの無い正真正銘の本物、冒険者ニアだという事を証明していた。
それをはっきりと理解した時、セーラは胸の中に熱い感情が沸き上がるのを抑えられなかった。
「さ、それじゃあ街まで送ってってあげるわ。もう安心して良いからね?」
自分たちより小さい女の子だというのに、ニアは慈愛に満ちた笑みを浮かべ優しく声をかけてくる。
埒外の強さに加え、他者への優しさと慈しみの心を持った完璧な存在。数々の信憑性の薄い噂とは全く異なる、本当の姿。普通なら嫉妬や屈辱を抱いてもおかしくない自分との差。
しかし悪感情を抱くのも馬鹿らしくなるほどの差があるせいか、セーラは特にその手の感情を覚える事は無かった。むしろそのどうしようもなく眩しい姿に焦がれる気持ちを抱いたほどだ。
「……はい! ありがとうございますっ!」
自分も彼女のようになりたい。遠い背中に少しでも近付きたい。
胸の中に根付いたその憧れの感情のまま、セーラは背を向けて歩き出すニアを追いかけ始めた。
こうやって地道に信奉者を増やしていくのが狙いです。なお、ミニスはほとんど素でやってる模様。