救世の剣
⋇前半三人称視点。後半クルス視点
『――これは驚いた。まさか巨人型エクス・マキナを容易く屠る者が存在するとはな』
天を突く巨大なエクス・マキナが消え去った後、代わりにそこに現れたのは半透明な邪神クレイズの姿。先の巨人に匹敵するほどの大きさで空間にその姿が投影されており、にも拘わらずその邪悪な瞳は眼下の一人の人物――身の丈を越える大剣を手に、鋭く睨みつけてくる兎獣人の少女をはっきりと見据えていた。
『……面白い。女、名を何という?』
「ミ――ニア! いずれあんたを倒す女の名前よ! よーく覚えときなさい!」
ニアは大剣を邪神の幻像に突きつけ、威勢良く言い放つ。
幼い少女がそんな事を口にしても、現実を知らぬが故の傲慢な発言としか思えないだろう。しかし彼女は途方も無く巨大なエクス・マキナを一刀の下に切り伏せた強者。その啖呵を耳にした者たちは彼女ならあるいはと、誰もが希望に満ちた期待を抱いていた。
『ニア、か。覚えておこう。だが、貴様一人で我を打倒できると思っているのか?』
「いいえ、一人じゃないわ。私はこれから仲間たちを集めるつもりよ。邪神の支配と脅威を脱するために、種族の垣根を越えて力を合わせ、平和を勝ち取るために戦う解放軍――<救世の剣>をね!」
ニアは言い放つと共に、金色に輝く大剣を天高々に掲げる。
刀身の輝きが日の光に煌めき、周囲を煌々と照らし上げる。それはまるで、暗闇の中でもがき苦しむ人々を救う希望の光。闇を斬り裂き人々を導く、激しくも暖かさを持つ太陽の光にも似た輝きであった。
『愚かな。種族の垣根を越えて力を合わせる? 私と言う脅威を前にしてもなお、手を取り合う事に躊躇う愚物共が? 世迷い事も甚だしいな。知能の足りない蒙昧共に、そのような事が出来る訳も無いだろう?』
「そうかもね。でも、私は信じてるわ! 私の考えに賛同してくれる人たちがいるって事を!」
『……フン、まあいい。精々無駄な足掻きをするが良い。貴様一人なら、私はいつでも歓迎するぞ?』
やれるものならやってみろと言わんばかりに、端正な面差しを歪めて皮肉気に笑う邪神クレイズ。そんな邪悪な笑顔を両断するようにニアは大剣を振り下ろし、切っ先を遥か遠くの幻像に突きつけた。
「首を洗って待ってなさい、邪神クレイズ。そう遠くない内に、私たちがあんたを倒しに行ってやるわ!」
『面白い。出来るものならやってみるが良い。出来るものなら、な? ククク、ハハハハ、アハハハハハハハハッ!』
ニアの宣戦布告に哄笑を放ちながら、邪神の幻像は宙に溶けるように消えていく。
完全にその姿が消え去った後も、ニアはいつまでも鋭く虚空を睨みつけていた。まるで倒すべき敵の姿が、今もそこに見えているかのように。
「――お疲れさまです、ニア様。お怪我はございませんか?」
勇者としての振る舞い百点満点のニア(ミニスちゃん)に対して、僕はとても丁寧に声をかけた。
予めさっきの一幕は台本ありで予行演習もしてたとはいえ、まさかここまで完璧なものになるとは思わなかったね。さすがはミニスちゃん。根が勇者ですね。僕こと邪神の発言に関しては録音&録画したのをそのまま流した形だけど、何の違和感も無かったから問題無し。
「あるわけないでしょ。それより、街に被害とか出てない?」
「そこまで甚大な被害はございません。強いて言えばニア様が踏み壊した地面が一番の被害ですね」
「そう。まあこれくらいなら誰だって許してくれるでしょ」
ミニスは興味無さげに言うと、僕の横を素通りして近くの進歩的な四人組の元へ向かった。
うーん、せっかくお互いに偽りの姿になってるっていうのに、反応の冷たさが全く変わらんな? 僕は勇者ニアの忠実なる従者、怪しいフルフェイス仮面の聖人族っていう設定なのに、不思議と演技してる気がしない件。
「あんたたち、怪我は無い? ちょっと衝撃で巻き込みかけてたけど」
「あ、ああ、むしろ嬢ちゃんのおかげで無傷だ。ていうか嬢ちゃんのやんちゃが無ければこの街そのものが危うかったからな。仮に死にそうになってても文句は言わねぇよ」
「常にヒイヒイ言ってて死にそうになってるもんな」
「あぁん!?」
オッサン冒険者は割と理性的な答えを返したけど、直後に隣の獣人女に突っ込まれてキレ散らかす。でも確かに右肩下がりって感じするしね。見た感じ四十代って所だろうし。
「……お前は、本気なのか? 種族の垣根を越えた組織を作り、邪神に対抗するというのは」
「ええ、本気よ。このままじゃ世界は邪神に滅ぼされるっていうのに、誰も立ち上がろうとしないんだもの。だから私が立ち上がったのよ。それにあれだけ大見得切っておきながらできませんでした、なんて許されるわけないでしょ。もう後戻りはできないのよ」
金髪サキュバスに纏わりつかれた天使の青年の問いに、ミニスちゃんは設定通りの答えを返す。誰も立ち上がろうとしないから自分が、っていう実に開拓者精神溢れる答えをね。
これだけでも旗印になるため活動する理由は十分だと思うけど、巨人型エクス・マキナを討伐したっていう実績も用意したから、否応なく勇者ニアの存在は世界に衝撃を与えるはずだ。出来れば良い方向に誘導できると嬉しいねぇ?
「ねえねえ、カッコいいお兄さん。お名前教えて?」
なんて仮面の下でほくそ笑んでると、金髪サキュバスが僕の名前を尋ねてくる。
何だ、ナンパか? いや、そういえば自己紹介してなかったか。丁寧な物腰の従者としては許されざる失態だな?
「私はトルファトーレと申します。彼女――ニア様の従者のようなものです。以後お見知りおきを」
「従者、ね……」
ぺこりと頭を下げた慇懃な僕に対し、ミニスちゃんが苦々しい顔で呟く。
一応その辺の設定も用意してあるけど、今はまだ良いかな。突っ込まれない限りはここで言う事でも無いしね。
「私はノイジィっていうの。よろしくね♡」
金髪サキュバスことノイジィはそう名乗ると、紫紺の瞳を片方閉じてウインク。魅力的だとは思うんだけど、残念ながらうちにはやべーサキュバスがいるからサキュバスとの浮気はご法度なんだわ。ごめんな?
「クソッ、このアバズレがいの一番に自己紹介などという常識的な事を……僕の名はハーディだ」
次いで名乗ったのはノイジィに蛇みたいに絡みつかれてる細身の青年。空色の髪と若干濁った銀色の瞳が目を引く少し不健康そうな天使だね。その割に身長は僕より高めな辺り、もしかするとノイジィに絡みつかれてるせいで精神的に参ってるのかもしれない。精気吸われてない? 大丈夫?
「あたしはエレフセリア。そしてこっちの加齢臭はフェイブルだ」
「何だその自己紹介!? 俺は臭気じゃねぇ、人間だっ!」
最後に二人分名乗ったのは、エレフセリアって名前の魔獣族の女冒険者。燃えるような赤い長髪と漆黒の瞳が特徴の女獣人だけど、最大の特徴はやっぱり獣人としての特殊な部位かな。あまり見かけない鳥の獣人みたいで、背中から天使にも似た翼が生えてるんだよ。一瞬種族を勘違いしそうになるけど、耳も小さな翼っぽくなってるから良く見ればちゃんと種族が分かる。本人も勘違いされたくないから染めてるのか、はたまた元々の色なのか、翼も耳もカラスみたいに真っ黒だね。
えっ、聖人族のオッサンことフェイブルの説明はどうしたって? 良いじゃん別にしなくても。でもオッサンの事が好きな人もいるかもだから、最低限の説明はしとこうか。何か角刈りっぽい茶髪に茶色目! ムサい無精ひげ! 以上!
「皆さん、異なる種族ながら仲がよろしいご様子。実に素晴らしいですね。どうです? ニア様がお作りになる解放軍――<救世の剣>にご興味はありませんか?」
この四人は敵種族とも手を取り合える極めて進歩的な連中だから、早速組織に勧誘してみた。いずれはこの世界でも最大の組織になる予定だけど、現状の構成メンバーはトルファトーレ(僕)とニア(ミニスちゃん)だけっていう寂しい状態だからね。地道な勧誘もしないといかんよ。
「そりゃあ、興味はあるがよぉ……」
「……組織の形態も、拠点も、最終的な活動内容以外一切の事が分からなくては判断できん。その辺りの事はどうなっているんだ?」
フェイブルは苦い顔で唸り、ハーディが突っ込んだ事を聞いてくる。
うん。聞かれたら困るんだよね、それ。だって拠点なんてまだ無いもん。ついさっきミニスが邪神に啖呵を切って組織を作る事を宣言したばっかりだし、逆に拠点なんてあるわけないでしょ。どっかその辺の路地裏とか橋の下じゃ駄目?
「それに関しては追々説明の場を設ける予定です。しかしその前に客人がお見えになったようですね」
ちょうど良いタイミングで来訪者が現れたから、適当に濁して全員の注意をその人物に向ける。
見れば僕らの元へ一人の女獣人がお上品に歩いてくる所だった。フサフサのおっきな尻尾と長い耳を揺らし、まるで男を誘うような色気を放ちながら。
「そなたが邪神に啖呵を切った女子、ニアか。想像よりも随分小さいのう?」
「余計なお世話よ。ていうかあんたは誰?」
「わしはこのピグロの街――いや、今はサントゥアリオじゃったか。このサントゥアリオの、魔獣族の国側の冒険者ギルドのギルドマスター――んん、『の』が多いのう? ともかく、冒険者ギルドのマスター、ノックスじゃ」
現れたのは僕も知ってる女。僕を騙し半ば強制的に依頼を受けさせた女狐ギルマスだ。
渾身のドロップキックで顔面を陥没させたのに、今はすっかり艶やかな美貌が戻ってきてるよ。クソッ、治癒魔法が無けりゃあな……!
「ふぅん? それでギルドマスターが何の用?」
「無論、そなたの力になるためじゃよ。邪神に対抗するための組織を作るのじゃろう? ならば我ら冒険者ギルドの力を借りるのが賢い選択とは思わんかえ?」
女狐ギルマスことノックスは、実にエッチ――じゃなくて嫌らしい笑みを浮かべながらそんな事をのたまう。
ちなみに邪神とニアのやりとりに関しては世界には放送してません。ここかなり迷ったけど、邪神がわざわざニアの姿を映したりその言葉を世界に届けるなんて事さすがにしないかなって思って。
なのでこの街の人々以外が目にしたのは、巨人型エクス・マキナが米粒みたいな小さな人影に倒された所まで。邪神の声自体を最後まで聞いたのは、この街の人々のみ。完璧に事情を把握してるのは、ニアの声が聞こえる範囲にいた者だけだ。つまりこの女狐ギルマス、隠れて聞いてやがったな?
「――あらあら、それならこちらの冒険者ギルドの方がよろしいのではなくて?」
なんて女狐に対する不信感を募らせてると、唐突にもう一人の人間がこの場に現れる。
こっちは僕も知らない女だ。ただ姿形は普通の人だから聖人族だし、発言で向こうの国の冒険者ギルドの人間だって事は分かるね。まさか両国の冒険者ギルドのマスターが同時に出て来るとは思わなかったよ。
「よろしく、ニアさん。私はあちらの国の冒険者ギルドの長、ラクーンよ?」
ラクーンと名乗ったその女は深い藍色の髪をかき上げ、藤色の瞳を細め蠱惑的に笑って挨拶を口にする。お、色仕掛けか?
正直僕はちょっとだけドキッときたけど、フルフェイスの仮面のおかげで悟られたりはしないぜ。あとミニスちゃんはそもそも女の子なので別段効いてません。
「チッ、出おったな狸ババアめ。大人しく穴倉に引っ込んでおれば良いものを」
「あらあら。女狐が人族の私にそんな事を言うなんておかしな話ね? 自分の種族を忘れてしまうくらい耄碌してしまったのかしら?」
しかし違う方向で効いてる人がいたみたいで、ノックスがラクーンを侮蔑の瞳で睨みつけ、それに対して嘲笑うような答えと視線が返る。そして二人は無言でバチバチと睨み合う。
うん、何かめっちゃ仲悪いな? 敵種族同士って事もあるだろうけど、微妙にキャラが被ってるからか同族嫌悪の節があるのかもしれん。どっちも大人の魅力とか色気とかそっち系だもんね。
「……どこも大体こんな風なのね」
そんな風に目の前で繰り広げられる醜い争いに対して、ミニスは達観したような口調で呟いてた。これでも手が出ないだけマシな方なのが本当に悲しいなぁ……。