和気あいあい
⋇レーン視点
「――この護衛任務が始まってからおよそ一月。ようやく道程の半分を少し超えた辺り、というところだね」
夜営中の聖王一行から離れた崖の上。皆で車座になって焚火を囲み、道程を確認した私はその事実を仲間たちに伝えた。
長丁場になる事は最初から分かっていたが、この分だと二ヵ月弱はかかりそうだ。はっきり言って会談の日時に間に合うかどうかは微妙な所だ。同盟を提案した側が会談に遅れるのは示しがつかないだろうし、出来ればもう少し早く進んでもらいたいね。
「えっ、もうそんなに経ったの?」
「えっ!? まだそれしか経ってないの!?」
「……これはまた、随分と対照的な反応だね」
目を丸くするミニスと、深い絶望を感じたように顔を青くするセレス。
どちらも過ぎ去った時間は同じだというのに、体感では途方も無い違いがあるらしい。実に興味深い反応だ。
「ちなみに君はどちらだい?」
「えっと、その……ミニス様と、同じです……」
他にもサンプルが欲しくてミラに尋ねると、こちらも対称的な答えが返ってくる。
できればヴィオにも聞きたいところだが、彼は夜営中の聖王一行を見守ってくれている。さすがにこんな雑談で通信するわけにもいかないし、そもそもリリアナを愛している彼は恐らくセレス側だろう。
「なるほど。つまりは屋敷で過ごすのが苦痛だと感じている者たちは、総じて時が過ぎ去るのを早いと感じているのか。確かにここにはクルスがいないから、君らにとっては野宿だろうが何だろうが幾分マシだろうね」
まあ要するにそういう事なのだろう。ミニスとミラはの異常者の坩堝の中では極めて珍しいまともな人間だ。そんな二人が屋敷を離れてまとも寄りのメンバーと過ごしているのだから、安堵と安らぎを覚えて時が飛ぶように感じるのも当然という事だろう。
「そうそう、あのクソ野郎がいないから正直過ごしやすくて最高の時間よ。クソ野郎に抱かれなくて済むし、お風呂に突然入ってきて身体を嫌らしく弄って来る事も無いし、顔も見なくて済む。あのクソ猫もクソ犬もいないし、何か物凄い久しぶりにストレスフリーな日々を過ごせてるわ」
そう口にするミニスは今までと比べ、どこか表情も態度も柔らかい。今まで精神を張り詰めていたのが緩んだ感じにヘラヘラしている気もする。ミラの方もだいぶ油断しているのか、口で肯定はしないまでもこくこくと頷いている始末。
君たち、屋敷に帰った時は順応に苦労しそうだね……。
「ええっ、何で!? あたしはクルスくんに会えないのが物凄く辛くて、毎日枕を濡らしてるのに!」
「枕が濡れてんのはよだれ零してるからじゃない?」
「ミラちゃんもどうして!? クルスくんのメイドさんとか、出来ればあたしもやりたいお仕事だよ!? いっぱいご奉仕したいよ!?」
「ひっ……! す、すみません……」
目を見開き二人に迫るセレスだが、片や軽く流し片や怯えて縮こまってしまう。
まあ彼女たちはクルスが嫌いか怖がっているので、その反応も当然と言える。故に離れて安らぎを得るのも致し方ない……ん、待てよ? 私もどちらかというと時間が過ぎ去るのを遅く感じているのだが、まさか私も存外クルスを気に入っているのか? 考えたら何だか鳥肌が立ってきた……。
「……まあ、彼女たちにも相応の理由があるのさ。確か君は大雑把にしかミニスたちの事を説明されていなかったか。ならば良い機会だから君たちが直接教えてあげたらどうだい?」
「それもそうね。つれない態度を取ってるけど、本当はあのクソ野郎を愛してる――なんて思われるのは正直吐き気がするし。本気で嫌いだし。許されるなら殺すとまでは言わないまでも、股間を蹴り上げてやりたいわ」
「わ、私はそんな、語るほどの背景は無いですけど……」
そうして、ミニスとセレスによる不幸な過去話が始まる。彼と出会ってしまった人生最大の不幸を中心とした、実に悲しい物語が。
「……そっかぁ。二人は別にクルスくんの事が好きな訳じゃないし、好んでメイドの仕事をしてるわけでも無かったんだね」
二人の大いに壮絶な身の上話を聞いたセレスは、多少申し訳なさそうな顔をして俯き気味にそう口にした。
正直多少でも罪悪感を覚える辺り、異常者の坩堝の中では相当な上澄みだろう。やはりこのチームには比較的まともな人材が集まっているな。向こうのグループで同じような話を始めたら、最後まで話を聞いてくれる者がそもそも少ないはずだ。むしろクルスを馬鹿にしたと途中で殴りかかってくる者がいそうまである。
「そうよ、仕方なく今の立場に甘んじてるわけ。それで、どう? あのクソ野郎に幻滅した? 嫌いになった? とんだゲス野郎で愛が冷めた?」
「妙に嬉しそうに聞くね、君は……」
クルスの悪逆非道な行いや性格を理解して貰えて嬉しいのか、はたまたクルスが幻滅されるであろう事に期待しているのか、ミニスはいっそだらしないくらいの笑顔でセレスに尋ねる。
一方のミラは自らそのような問いを投げる事はしなかったが、それでもセレスの返答が気になるらしくチラチラと控えめに視線を向けていた。
「……さすがにちょっと酷いなぁとは思うけど、でもそれだけかな。あたしは変わらずクルスくんの事が好きだよ? 確かにゲスで極悪で人の心の大半を母親のお腹の中に置き忘れてきた感じだけど、世界平和のために頑張ってる凄い人だもん。それもたった一人の女の子――女神様を手に入れるためにやってるんでしょ? 愛が深くてあたしは良いと思うなぁ……」
しかしセレスの想いは筋金入り。何せクルス本人に手酷く騙され始末されそうになっても、クルスへの気持ちを捨てられなかった生粋の恋する乙女だ。
故にミニスたちの身の上話を聞いても特に幻滅した様子は見せず、むしろ酷く執着されている女神に対しての羨望を滲ませるあたり、手の施しようがない。本当にクルスはこういう破綻した人間を見つけて来るのが得意と言うか、何と言うか……。
「まあ、たった一人の女性のために世界平和を実現しようとしている、と言うと確かに聞こえは良いね……」
「女なら神様も抱こうとする女好きの変態のド屑でしょ。女神様を抱こうとか不敬が過ぎるわよ」
「あ、あの……私は、そういう事……されてません……」
「えっ、そうなの!? そのおっぱいで!?」
控えめな自己主張をするミラに対し、セレスが驚愕の面持ちで視線を向ける。顔……ではなくて胸を見ているね、これは。いや、確かに女性の一般的なサイズと比べてもかなり大きいが。
しかし本当にクルスはミラを抱いた事が一度も無いようなのだ。そんな事があれば匂いに鋭いキラやトゥーラが騒がないはずが無いし、私が屋敷で暮らし始める前に手を出した事があったとしても、堪え性の無いクルスが以後二度と手を出さないのはありえないだろう。つまり一度も彼女を抱いた事が無いのだ。
基本的に男は胸が大きくて控えめな女性が好きなので、クルスも恐らく彼女の事は嫌いではないと思う。少なくとも性的に興奮する事は間違いなく可能なはずだ。にも拘らず手を出してないのは、恐らく……。
「……君は抱いたら死にそうだと思われているんじゃないかい?」
「確かに。何か前にそんな事言ってた気がするわ」
「つまり、あたしの勝ちだねっ!」
全員納得の結論に辿り着き、何故かセレスは勝ち誇ったドヤ顔をする。
まあただでさえ普段からクルスに怯えて震え上がり、蚤の心臓と評されるミラだ。メイドとしての仕事だけでもその有様だというのに、この上夜の相手まで務める事になればまず間違いなく耐えきれずにショック死しそうだ。クルスもそれが分かっているから手を出していないのだろう。彼はどちらかと言えば派手に反応してくれるのを好む性質だからね。
「えぇ……い、痛くて、苦しい目に合わされるよりは、マシなんですけど……」
などと皆が頷く中、ミラが青い顔で踏み込んだ事をぽつりと呟く。
どうやら万が一クルスに手を出されても、拷問や処刑よりはマシと考えて大人しく受け入れるつもりらしい。わりと衝撃の事実に、私を含め全員が驚愕の面差しで彼女を見る。
それほどの覚悟なら恐らく最中にショック死する事も無いだろう。この情報を知られれば本当にクルスから手を出されかねないが、彼女にとって幸いな事に、この場にいるのは比較的まともな人物たち。私もミニスもクルスにこれを暴露する理由も義理もないし、妙に焦った顔をしているセレスが自分の勝ちを敗北に変えてまでクルスに伝えるとは思えない。ヴィオがこの場にいれば分からなかったが、少なくともミラは今まで通り手を出されずに済みそうだ。
「……しかし、何だろうな。今生では初めて女性的なお喋りをしているような気がしなくも無い。俗に言う女子会的な感じかな?」
不意に訪れた沈黙に、私は思わずそんな事を口にする。
正直クルスの仲間たちとここまで平和で穏やかな女性らしい会話をしたのは初めてだったからだ。まさかメンバーをたった二つのグループに分けただけにも拘わらず、こんな話が出来るとは……。
「それはあるわね。あのクソ野郎の周りには碌な奴がいないから。こっちはその中でもかなりまともな方の奴らが奇跡的に集まったグループだし、そりゃ女の子らしい話の一つや二つ出て来るでしょ。内容があのクソ野郎なのは気に喰わないけど」
「あたしの初仕事がミニスちゃんたちと一緒で本当に良かったよー。もしあっちのグループだったら絶対碌な事無かったからね!」
どうやらミニスとセレスも同意見のようで、胸を撫で下ろしホッとした表情で賛同する。
実際向こうのグループにはこの二人のどちらかと犬猿の仲だったり、あるいはライバル視していたりする者がいるので、今ほど和気あいあいとした時間は過ごせなかっただろう。そう考えると本当に私たちは幸運だった。
「わ、私も、あちらは、ちょっと……」
「ほう? ミラも徐々に自分を出してきたね。良い傾向だ」
控えめながらも自己主張をする、しかも向こうのメンバーに聞かれればわりと問題のありそうな発言をするミラ。これには皆が面白がるように笑っていた。かといってもちろん邪悪な感情から来るものではなかったため、ミラ自身も少し楽しそうに笑みを返した。
「本当よね。ここにはクソ野郎いないんだし、もっとリラックスして良いのよ? 誰も怒らないから」
「うんうん。ミラちゃんは本気を出せばあたしを倒せるくらい強いんだし、もっと自信持って良いよ!」
「あれは闘技大会のルールがあったから、なんですけど……でも、そうですね……もうちょっとだけ、自信を持ってみます……」
にへらとだらしなくも、しかし安心したように笑うミラに、私たちも似たような笑みを零す。
ああ、全く実に平和な時間だ。何なら数年単位でこのメンバーで活動していても良いかもしれないね。そうなるといざ元の生活に戻る時に拒絶反応が凄そうだが。
「その意気だよ! だから近い内にあたしと再戦しようね! 地下闘技場での戦いなら、あたしも遠慮なく全力出せるしね!」
「ひえっ……!」
「ちょっと、あんまりミラを苛めるんじゃないわよ。怯えて気絶しちゃうでしょ?」
そうしてそこからも穏やかなやり取りが続く。
何だか心が癒されるような不思議な感覚だ。実に居心地が良いな。これでかなり面倒な護衛任務さえなければ良いのだが。
「……およそ一月、か。あちらは今頃どうなっているだろうな」
しかし一種の休暇旅行をしているような気分とは裏腹に、絶対に割を食っているであろう可哀そうな彼の事を思い出し、私は天を仰いだ。今日は天気が良くないのでそこには天を覆い尽くす曇り空が広がっており、そのどんよりとした空模様は彼の行く末を案じているように感じられた。
とても平和な方のお話でした。次回、極まった地獄の方のお話。