メンタルセラピスト、ミニス
メンツが二人ほど足らない朝食を終えた僕は、ふとその二人の様子を見に行こうと思い立った。というわけで善は急げっていうし、ミニスに気付かれないように即座に行動に移す。目的地は二階にある昨日までは無人だったお部屋。
仮にも女の子のお部屋になったから本来ならノックしないといけないんだろうけど、どうせ部屋の主は何かやってるわけでもなし。なのでノックも何もせずに遠慮なく扉を開けました。
扉の向こうに広がってたのは、ベッドと机と椅子っていう最低限の家具のみが存在する殺風景な光景。何にも置いてないのはさすがに可哀そうだから用意してあげたんだけど、どうやらこんな気遣いすらお気に召さなかったみたい。昨日入居したばかりの部屋の主は、隅っこの方で膝を抱えて蹲ってたよ。
「やっほー、ハニちゃん。ご機嫌いかが?」
そんな部屋の一角だけ薄暗くてジメジメしてそうな雰囲気を払拭するように、努めて明るく声をかけてあげる。部屋の隅で体育座りしつつ、全ての悪意を拒絶するように自らの巨大な白翼で身を包むハニちゃんこと大天使ハニエルに。
そう、ここはハニエルに与えた一室。昨日攫ってきたし、真の仲間じゃないとはいえお部屋が無いのはアレだからこのお部屋を与えたんだけど……ベッドも椅子も無視して部屋の隅っこで膝を抱えてるこの現状よ。相変わらず目が死んでるし、回復は望むべくもない。一体誰がこんな事を……。
「……近寄らないでください」
「おっ、辛辣ぅ。前はあんなに人当たり良かったのにねぇ? やっぱり随分嫌われちゃったなぁ」
僕の方に視線は向けず、辛辣な言葉を返してくるハニエル。
あんなに明るくて可愛くて純真な子だったのに、今はびっくりするくらい冷めた感情の無い声音なのが痛々しくて可愛いね? まあ一時期に比べればちゃんと言葉を返して会話をしてくれるだけまだマシか。一番ヤバい時期は本当に中身空っぽになってたもんなぁ。とはいえ今のハニエルもあんまり喋ってはくれないんだが?
「……どうして、私を殺してくれないんですか。私は、あなたの目的に賛同する事は出来ません。両種族の平和は望みますが、そのために大量の犠牲が必要だなんて納得できません。あなたとは根本的に相容れないんですよ……?」
「あれ、意外と喋る……」
と思ってたら、物凄く珍しい事にハニエルがわりといっぱい喋り始めた。しかも意味のない言葉じゃなくて、理路整然とした質問だ。
何より驚いたのは、向こうから対話を求めてきた事。でもそっか、考えてみればこの状態のハニエルとまともに対話をしたことはほとんど無かった気がする。レーンの家にいた頃は僕がちょっかい出して心を抉って発狂する、って流れで大体会話にならなかったしね。
「そんな事は知ってるよ。お前は頭お花畑過ぎて、さすがに仲間に引き込むのはもう諦めたしね」
「……だとしたら、どうして私を殺してくれないんですか。あなたは自分の邪魔をする人や、目障りな人は容赦なく始末する、そういう人間ですよね……?」
「そうだよ? さすがにそれは理解できてたか。多少は前に進んでて何よりだよ。これで『こんな酷い事をするのはきっと何か理由があるんですよね? 本当はこんな事したくないんですよね?』とか言われたら引っ叩こうかと思ってたよ」
さしものハニエルも、僕がドス黒い邪悪だって事はしっかり理解できてるっぽい。うん、多少は頭の中のお花畑にも変化があったみたいだね? これでもまだ僕の善性とかを信じてたらいよいよ救いようが無かった。
「じゃあ、どうして……」
「どうしてって言われても……こんな未だに精神病んでてうじうじしてるようなクソ雑魚大天使、障害物にすらならないし。それとも自分が僕の歩みをほんの僅かでも阻める大層な存在だとでも思ってるの? 前とは別の意味で頭おめでたくなった?」
まあだからといって、ガラス細工を扱うように優しく接してあげる理由はどこにも無い。だから躊躇なく本音をぶちまけた。
僕の目の前にいるのはたった一回(二回)人を殺しただけで壊れちゃった、豆腐メンタル精神よわよわクソ雑魚大天使。おまけに戦う事が嫌で碌に戦闘能力も無い正真正銘の無能だ。どっかのバグキャラ大天使を一億分の一でも見習ってほしいね。
え? 平和になった世界を任せるために生かしてるんじゃなかったかって? いや、それはそうなんだけどここで言っても面白くないって言うか……こう、ね? やっぱりハニエルを前にすると心を抉りたくなってね?
「確かに僕は邪魔者や煩わしい者は容赦なく始末していくスタイルだけど、さすがに路傍の石ころまで片付けるほど几帳面じゃないんだよ。お前にそこまでするほどの脅威や必要性は一切感じ無いね」
「わ、私だって……あなたの事を、誰かに知らせる事、くらいなら……」
「契約で縛られてるのにどうやって? しかもここは魔獣族の首都だよ? そんな場所で大天使が姿を現したら、今の世界情勢でも凄惨な末路は避けられないと思うけど? 第一、敵国の誰がお前の話を信じるよ?」
「それ、は……」
真っ当な反論に対する言葉が見つからないのか、言い淀むしかないハニエル。
実際ハニエルは何をする事も出来ない。仮に僕との一方的な契約の縛りからどうにかして逃れたとしても、ここは敵国の真っ只中。『この人が邪神なんです! 諸悪の根源なんです!』とか言ってても誰も聞かずに殺しに来るだろうし、下手すると捕まって新たな奴隷を生み出すための孕み袋コースだ。ハニエルの戦闘能力の低さを考えるとたぶん後者になりそうな予感。エロ同人みたいに!
「こう見えて僕は魔獣族の国でもよろしくやってるんだよ。闘技大会で優勝した高ランク冒険者で、国にも冒険者ギルドにも貢献してる愛国心溢れる一市民。それでいて女たちとの仲も良好に見えて、愛妻家――に見えなくもない完璧超人だからね」
自分を親指で指し示しつつ、誇るように言い放つ。最後ちょっと言い淀んだけど気にしない。一応イカれた女たちとの関係は極めて良好だし……えっ、ミニスちゃん? アレはその、特例って事で。はい。
「それに比べてお前は何? ちょっと人を殺させただけで心が壊れるクソザコメンタル。多少治って来ててもいつまでもジメジメうじうじしてて、出来もしない事を口にするホラ吹き。人間としてどっちがより優れてるかなんて一目で分かるよね?」
「あ……ぅ……!」
正論で引っ叩くと、ハニエルは神話生物を目の当たりにしたように恐怖と絶望の面持ちを浮かべる。綺麗な緑の瞳は動揺で揺れ動き、うっすらと涙が浮かび始める。
良いねぇ? 美しく繊細な宝石細工を壊そうとしてるかのような背徳感が堪んない。どうせすでにヒビの入ったエメラルドだし、亀裂に工具突っ込んで押し広げたって大丈夫でしょ(性的な意味ではない)。
「いやぁ、相変わらず頭の中お花畑だねぇ? あまりにも愚かで可愛く思えてきたよ。これじゃあお前の手で殺された筋肉ダルマも浮かばれないよねぇ? きっと心底恨みを抱いたまま死んだんだろうなぁ。ほら、耳を澄ましたら怨嗟の叫びが聞こえない? よくも俺を殺したなぁ――」
「――嫌あああぁあぁぁぁあぁぁぁっ!!」
ちゃらけた恨み節を口にした瞬間、ハニエルはガチの悲鳴を上げた。四枚の翼を狂ったようにバタつかせて、自分の耳をそぎ落とすみたいに掻き毟り始める始末。血肉が飛び散って綺麗な緑の髪や純白の翼が汚れるのもお構いなしだ。
いやぁ、ハニエルの心を抉るのマジで楽しいなぁ! どうせならもうちょっと抉ってみようか! どうせ壊れてるんだし良いよな!
「――だから近寄るなって言ったでしょうがっ! この腐れ外道がぁ!!」
「ほぱぁっ!?」
なんてやってたら、突如白い稲妻が部屋の扉を穿ち僕の身体に突き刺さる! 余りの衝撃に吹っ飛び、壁に叩きつけられてしまう。まあ防御魔法のおかげで痛くも痒くもないんだけどね。
だから何のダメージもなく立ち上がると、僕の身体を吹き飛ばした白い稲妻――もとい、稲妻と見紛うほどの速度で飛び蹴りを食らわせてきた白兎に視線を向けた。相変わらずツッコミが苛烈だなぁ?
「ほら、大丈夫よ。大丈夫。だからもう自分を傷つけるのはやめなさい?」
「ああぁああぁぁっ……!」
ミニスは僕には見せない慈愛の表情で以てハニエルの顔を胸に抱き、耳を削ぎ鼓膜を破ろうとする自傷行為を止めさせてた。ハニエルはまだ意味の分からない声を上げて翼もバタつかせてたけど、真っ当な優しさと温もりのおかげか徐々にその動きが大人しくなってく。凄いねぇ、メンタルセラピストの素質があるんじゃない?
「ほう。なかなかの包容力ですねぇ」
「失せろ」
「えぇ……」
なんて褒めたら、某海賊みたいな罵声を返される始末。これにはあまりの扱いの悪さにさすがの僕も引くしかない。魔獣族の癖に大天使を抱きしめてヨシヨシしてあげてるのに、どうして元勇者の僕に対してはこんなに雑で冷たい扱いなんです?
「ていうかマジで近寄るなって言ったわよね? 何なの? この子の心壊したってあんたの得にはならないでしょ?」
「まあどちらかと言えばその通りなんだよね。ハニエルには平和になった世界を任せるから、それまでにはしっかり立ち直ってて貰わないと困るし」
「じゃあ何で古傷抉るような真似してんのよ。いい加減にしないとはっ倒すわよ」
などと勇ましく脅してくるミニスちゃん。君、はっ倒すどころかさっき僕に跳び蹴りかましたよね……?
「いやぁ、得にはならないけど楽しいからつい出来心で」
「死ね」
「おぉう……今日はいつになく辛辣ですねぇ、ミニスちゃん……」
飾らない本音で答えると、短くも気持ちのこもった罵倒が返ってきた。ゴミを見るような侮蔑と軽蔑に満ちた、信じられないくらい冷たい目を向けながらね。
ただしその間も、ミニスはハニエルを抱きしめて優しく背中を撫でて慰めてる。本当に何なの、この差は……?
ミニスちゃんは基本的には優しい子です。異常者には対応がアレなだけで。