宇宙の彼方へ
⋇ベルちゃん視点
⋇決着
ミカエルとの戦いを始め、恐らく一時間ほどが経過しただろうか。この頃になると、初めの頃とは逆に私が嬲られる側になっていた。
その理由はとても単純。ミカエルがあらゆる攻撃に対して完全な耐性を身に着けていくからだ。永遠に持続するものではないようだが、それでもこの戦いの間は獲得した耐性が消滅する事は無い。故に私が攻撃を放てば放つほど、ミカエルに通用する攻撃は徐々に限られていく。
しかし私の目的は時間を稼ぐ事。勝利を目指しているわけではないのだから、ミカエルが私を殺し切る事を諦めない限りはそれで良い。そしてミカエルの辞書には『諦める』という文字は存在しない。故に私の心が折れない限り、サンドバッグにされていようが何も問題は無かった。
「フッ、どうした? 最早万策尽きたか?」
『ピィピィとやかましい奴だ。そう言う貴様も勝利勝利と喚き散らしている癖に、いつまで経っても私を殺せんな?』
「なに、死なぬというのなら死ぬまで殺すまでだ。それで俺の勝利となる」
すれ違いざまに私の身体が一閃され、真っ二つに切り裂かれる。しかしそれは瞬き以下の刹那の時間のみ。即座に肉体は再生し、斬られた事実など無かったかのように元通りとなる。
反撃として触手から魔力光線を放つも、すでに耐性を獲得しているミカエルには蚊に刺されたほどにも効き目は無い。かといって巨体を唸らせ体当たりをしようとも、すでにこれも耐性を獲得されている。故に私を遥かに上回る質量を持っているかのように微動だにしない。すでにこちらの手札はほとんど無くなっており、先ほどから一方的に切り裂かれるのみであった。
『やれるものならやってみるがいい。ご主人様のために、いつまでも貴様の無為な遊びに付き合ってやる』
しかし何も問題は無い。諦めを知らない化け物は、私が生きていれば決して攻撃の手は止めないのだ。サンドバッグにされている事実は非常に癪だが、それでもご主人様の命令通りに時間を稼げているのなら構わなかった。
とはいえ無抵抗で嬲られる趣味など欠片も無い。故に私はミカエルに斬り裂かれながらも、未だ耐性を獲得していない魔法を叩き込むため新たなイメージを練り始めた。
「――もういいよ、ベル。時間稼ぎご苦労様」
だがその時、転移によってご主人様が舞い戻ってきた。
危うく新しい魔法にご主人様を巻き込むところだった私は、慌てて魔法の発動を止める。まさか一時間程度で戻って来るとは思わなかったぞ。私としては最低でも七日間程度は時間を稼ぐつもりだったのだが。
『ご主人様、もう良いのか?』
「うん。コイツを無力化する準備は整ったからね」
自信に満ち溢れた様子で答えたご主人様は、悠々と歩を進め私の前に出る。その視線の先には天からこちらを見下ろすミカエル。どうやらご主人様がどうやって自分に抗うかを楽しみにしているようで、酷く凶悪な笑みを浮かべていた。
「面白い! 俺を無力化できるというのならば、やって見せるがいいっ!」
そして四枚の翼を羽ばたかせ急降下。一筋の白銀の矢と化してご主人様を貫かんと迫ってくる。
「そのために戻ってきたんだよ――心停止」
「ぐっ――!?」
だがご主人様が軽く手を向け魔法を放てば、そのままの速度で地面に墜落する。何をしたのかは分からないが、ミカエルはすでに事切れているようだ。首があらぬ方向を向いて倒れ伏している。うむ、ここまでなら私にも出来る事なのだが……。
「そしてここからだ。縛り上げろ、縛鎖」
続けてご主人様が言い放つと、ミカエルの周囲の空間に黒々とした穴が開き、そこから黄金に輝く鎖が猛烈な勢いで飛び出てきた。そして十数本の鎖は擦れ合う金属音を響かせながら、ミカエルの身体に絡み瞬く間に縛り上げていく。
ミカエルが蘇り意識を取り戻した時には、黄金の鎖によってその身体は完全に拘束されていた。まるで身体だけ金色の繭に包まれているような、無様に過ぎる格好となって。
『これは……金で出来た鎖か?』
「ハッ! 何かと思えば金の鎖だと? そのようなもので俺を無力化した気になるとは、片腹痛――ぬっ!? 馬鹿な、千切れんだと!?」
全身に力を込める様子を見せたミカエルだが、自身を戒める鎖の拘束に変化は無かった。これにはミカエル自身も、そして私自身も驚いた。何故ならあの化け物が拘束から逃れる事が出来ず、無様に蠢いているからだ。
まさか、金でコイツを封じられるのか? 一体何故そんな事が……?
「金なわけないでしょ。柔らかい金で鎖を創る馬鹿がどこにいるよ。ベルはともかく、お前は自分で使ってる癖に見抜けないの?」
「何っ!? まさか、これは……オリハルコンの鎖だと!?」
「その通り。この世界で最強最硬の金属、黄金の輝きを放つオリハルコンで創った贅沢極まる鎖だ。この量を集めるのマジで大変だったよ。希少金属だからね」
この答えにはさすがのミカエルも絶句し、そして私も驚愕を覚えた。
黄金色の輝きで金と判断したのだが、どうやらこの鎖は金ではなく世界で最も強度のある金属――オリハルコンを使った特別製の鎖らしい。オリハルコンはダイヤモンドのように硬さのみを持つわけではなく、ある程度の柔軟性も併せ持つ故に凄まじい強度と耐久性を誇る相当な希少金属だ。それを用いて果てしなく長い十数本もの鎖を創り出すとは、とても正気の沙汰とは思えない贅沢極まる使い方だ。まだダイヤモンドで鎖を創った方が節約になるレベルだろう。
『まさか、わざわざこの量を集めたのか? ご主人様なら創り出すなり複製するなりできるだろう?』
「できるけど、今回はそれじゃあ駄目だ。魔法で創ったものならコイツは簡単に消し飛ばせるからね」
驚愕に多少の混乱を覚えつつも素朴な疑問を口にすると、納得の答えが返ってくる。
考えてみればその通りだ。ミカエルの攻撃には魔法を無効化する力が付与されている。ご主人様ならダイヤモンドだろうとオリハルコンだろうと創り出す事は容易いが、魔法によって創り出された物質はミカエルの攻撃に触れただけで消滅してしまう。拘束に用いる以上奴の身体に触れてしまうのだから、今回ばかりはズルをするわけにはいかなかったのだろう。
『なるほど。だからこそ、それを集めるために私に時間稼ぎを命じたのか。しかし何故オリハルコンでコイツの動きを完全に封じられるのだ? 容易く破壊し抜け出そうなものだが』
「いいや、無理だね。コイツはもう動けない」
疑問に思ってそれを尋ねると、確信に満ちた答えが返ってくる。
確かにミカエルは今も拘束から抜け出る事が出来ていない。全身に力を込めるかの如く唸り声と気合の叫びを上げているが、黄金に煌めく鎖はビクともしない。希少金属で最強最高の強度を持つオリハルコンとはいえ、何故この化物を戒め続ける事が出来るのか果てしなく疑問だ。
「確かにコイツは化物だ。何度死のうと蘇り、あらゆる攻撃に対する完全な耐性を身に着け、諦めを知らない心のまま勝利を掴むまで進み続ける。正直僕だって殺せない」
げんなりした様子で答えるご主人様に、私もコイツの理不尽さを思い出して嫌な気分になってしまう。
私とは別の方向で不死身の化物。挙句にメンタル面はミニスを遥かに上回る、それこそオリハルコン以上の強度。これだけでも度し難いというのに、その攻撃には魔法を無効化する力まで付与されるのだ。これを相手にするのは面倒以外の何物でもない。
「でも――膂力は別に優れてるわけじゃない」
『はっ!?』
だがご主人様の言葉で、私は初めてコイツの弱点を理解した。
「もちろん素の身体能力はかなり飛び抜けてる。でもそれだけなら常識の範疇に収まるレベルだ。それにコイツはアホな戒律のせいで魔法使えないし、身体能力の強化とかも出来ない。魔法的な拘束なら破られる可能性が高いけど、物理的な拘束なら有効だ。とはいえ相当強度のある物質じゃないと無理かな」
ミカエルは確かに化物だ。しかしその膂力や耐久力自体は私に遠く及ばない。あくまでも人の形と大きさから逸脱はしていないのだ。私の突進を受けて吹き飛びもしない事はあったが、それは耐性を付けた二回目以降のみ。初回は成す術なく食らい吹き飛んでいた。
そして奴が行う攻撃は、獲物たる長剣とその身を用いた近接攻撃のみ。その渋とさと意志力を除けば、やはり人間の範疇からは逸脱しない。そのため拘束が有効という事なのだろう。もしかすると聖人族がミカエルを最終防衛線として取り扱い、戦場に出す事が無くなったのはそういう理由があったのかもしれないな。単騎で軍団を滅ぼすことは可能だが、大群に押さえつけられては実質無力化されてしまうだろう。
『なるほど……だからご主人様は確実に拘束するために、最も強度の高い金属であるオリハルコンを選んだのだな』
「そういう事。もっとグレードの低い金属でも良かったかもだけど、万全を期したかったからね。そのせいでなかなか量が集まらなくて時間かかったよ。さすがは世界最硬の希少金属ってところか」
ご主人様はそんな決定的な弱点を見抜いでも慢心せず、万全を期して常軌を逸した量のオリハルコンを集めるという徹底ぶり。そしてコイツと唯一渡り合える私に時間稼ぎを任せるという完璧な采配。真面目に戦うという言葉に偽りはなく、一切の油断も妥協も無い素晴らしい結果だ。
『おお……おおっ! 凄いぞ、ご主人様! 詰めが甘いとか油断しすぎという評価を下されていたというのに、この怪物を完璧に無力化するとは! さすがは私のご主人様だ!』
「そうだろそうだろ、アッハッハ。後でその評価をしたのが誰か教えてね?」
私の誉め言葉に気を良くしたご主人様だが、そんな評価を教え込んだ者が誰か気になるらしい。一瞬眉をひくつかせながら、笑顔でそれを尋ねてきた。うむ、後でレーンは何らかのお仕置きを受けそうだな!
「……フッ、なるほどな。確かに俺は手も足も出ん状態のようだ」
ここでついに逃れようがない事態だという事を理解したのか、ミカエルが小さくため息を零した。まさか諦観を知らぬ化物がついに諦めを知ったのか? そんな風に考えて思わずミカエルの顔を覗き込んだ私だが、次の瞬間それは思い違いだという事を理解させられた。
何故ならその瞳に諦めなど欠片も浮かんでおらず、むしろ障害を前にして燃え上がる無限の意志力だけが浮かんでいたのだから。
「しかし! 俺は絶対に諦めない! どれほどの時間がかかろうとこの鎖を引き千切り、必ずや勝利を掴んで見せる! おおおぉぉぉぉぉっ!」
そして再び、気合の叫びを上げて拘束を振り解かんとする。十重二十重にも重ねられたオリハルコンの鎖は軋みを上げる事すら無いが、迸る気迫と埒外の意志力が拘束を引き千切る光景を幻視させてくる。
考えてみれば、幾ら最強最硬の金属と言えど破壊不能というわけではないのだ。そしてミカエルは決して諦めない。それがいつかは分からないが、間違いなくいつかは拘束を引き千切るだろう。そうなれば無力化から解き放たれたミカエルは、再び私たちを打倒せんと走り出すはずだ。
「えっ、誰がこの状態のまま放っておくなんて言ったの?」
「……何だと?」
だが、今のご主人様がそれを考慮していないはずもない。何故拘束しただけで終わりにすると思われたのかが不思議らしく、可愛らしくも小首を傾げていた。これにはミカエルも抵抗を一旦止めて驚いていたぞ。
「お前は魔法を使えない。だから転移も出来ない。僕と闘っていた時に転移したように見えたのは、僕の魔法が影響を及ぼした空間を切り裂いて無理やり開けただけ。ちょっと意味分かんない理屈だけど、お前が転移を行うには必ず近くに転移の痕跡が無いといけない。逆に言えば、近くに僕が転移してなければお前は戻ってこれないって事だ」
「……その通り。だが、それがどうしたというのだ? 海上に転移し、俺を海の底にでも沈めるつもりか? 確かにその方法ならば、俺も容易には戻ってこれぬだろうな」
「アッハッハ。海の底ねぇ……その程度で済むわけないよなぁ? 転移」
一つさも愉快と言いた気に笑ったご主人様は、次の瞬間私でもぞっとして反射的に後退りたくなるような酷薄な笑みを浮かべ、転移の魔法を行使した。
「なっ!? ここは……!?」
一瞬の暗転を経て、私たちの周囲に広がる光景と環境が一変する。
そこは暗黒と浮力に満ちた、果て無く続く広大極まる空間。幾億もの輝きが遥か彼方で煌めき、宝石のように光り輝いてる。そして私たちの眼下には何よりも巨大で荘厳な青い球体が浮かんでいる。これは、そう――星だ。私たちが暮らしている星が、真下に存在する。
つまりここは宇宙空間。数多の星々が輝く暗黒の世界。確かにここは海の底程度では比較にすらならなかった。
「ほら、下をよーく見てみな。君の生まれ故郷だよ。これで見納めになるから、じっくりと網膜に焼き付けておこうね?」
「貴様、まさか……!?」
「気付いた? そう、君にはこのまま宇宙の彼方に吹っ飛んで貰おうかなって。大丈夫、君はどうせ蘇るから死にはしないよ。帰ってくる事はまず無理だけどね」
楽しそうに笑いながら、あまりにも恐ろしい事を平然と口にするご主人様。
不死身の化物を戻る事など出来ない虚無の彼方に放逐する。これほど効果的で情け容赦のない真似は常人には到底不可能だ。普通ならすぐに死という救済が訪れるが、ミカエルは不死身の化物。死ぬ事も出来ずに孤独な漆黒の宇宙でただ一人在る事しかできない。
もしも私が同じ目にあったなら、きっと耐えられずに発狂する事だろう。ご主人様たちと触れ合い手放し難い幸せな日々を過ごした私にとって、そのような末路は何よりも耐え難い恐怖の極みだ。
「フ、ハハ、ハハハハハハハ! 邪神クレイズ! 貴様、まさかこれほどの外道とは! フハハハハハハ!」
「お褒めに預かり光栄の極みー」
だがそんな永遠の悪夢を前に、ミカエルはさも愉快な出来事を目の当たりにしたように笑う。自分にとっては永遠の孤独など大した脅威ではないとでも言うように。諦めを知らない意志力の化物は、永遠の孤独さえ打ち破るべき障害でしかないという事なのか……。
「……最後に一つ聞くけどさ、僕の仲間にならない?」
『っ!?』
ミカエルのあまりの怪物ぶりに恐ろしさを抱いていると、唐突にご主人様がそんな事を口走る。これには私も今の状況や場所も忘れるほどの驚愕を覚えた。
ご主人様が特級の異常者たちを受け入れる懐の広い人物だという事は知っていたが、まさかこんな化物すら許容範囲だとは思わなかった。しかも相当な女好きでもあるご主人様が、性的対象でない男であるミカエルを勧誘している事にも驚く。つまりはそれだけ何か気に入る部分があったのだろう。ミニスという前例を考えるに、恐らくはその常軌を逸した意志力か。やはりご主人様はとことんイカれた奴を気に入る傾向にあるな?
もしも私がミカエルの立場であったなら、一も二も無く頷き従っただろう。宇宙の果てに放逐される永遠の拷問を前にして、首を横に振る者などいない。
「――ならん。俺は聖人族を守護する大天使にして、勝利を掴むまで進み続ける者。例え虚無と暗黒に満ちた世界が広がっていようと、俺は決して迷いはしない!」
「だよね。言うと思った」
だがミカエルは決してブレない。ご主人様が差し伸べた救いの手を払いのけるかのように誘いを一蹴。そして永遠の孤独という無限の拷問を前に、むしろその意志力を更に燃え上がらせていた。
ご主人様も答えが分かっていたのか、あるいはだからこそ面白いと思ったのか、特に残念がる様子も見せずに笑った。
「それじゃあさよならだ、大天使ミカエル。君みたいな奴、意外と嫌いじゃなかったよ?」
「フッ、首を洗って待っているがいい。俺は例え何百億年かかろうと、必ず戻ってくるぞ! フフフ、ハハハハハ、ハハハハハハハハ――」
そして、ご主人様は魔法を放つ。狂ったように哄笑するミカエルは、光を遥かに上回る速度で暗黒の彼方に放逐された――
結局殺せなかったので宇宙の彼方に物理的に不法投棄しました。もちろんこの程度で心が折れる奴では無いので、考えるのをやめたりはしない模様。




