聖人族の最終兵器
⋇三人称視点
⋇三人称視点
魔王とその伴侶が話し合いを行っていた頃、聖人族の国でも同様の話し合いが行われていた。
ただしこちらはどちらかと言えば会議の様相を成しており、人数も多い。王は勿論の事、大臣や何人かの貴族、そしてそれぞれの軍の長たちが一つの円卓を囲んでいた。
「――一刻も早く、ジェニシィを救い出すのだっ!」
聖人族の王たるレイが円卓を殴りつけるように叩きながら言い放ったのは、あまりにも感情的過ぎる宣言。
しかしそれも当然の事。溺愛している愛娘が生まれたままの姿に剥かれ宙吊りにされている姿を世界中に見せつけられた挙句、炭の塊となるまで火炙りにに処されたのだ。まともな神経を持つ親ならば怒りのあまり取り乱すのは自然な事だった。
「魔王の娘だけならばいざ知らず、何故あの子があのような惨たらしい拷問を受けなければならないっ! あのような非人道的な行為、絶対に許される事ではない! 何を置いてもジェニシィを救い出すのだ! 今すぐに軍を編成せよ! 邪神の城へ出陣だ!」
だが何よりも娘の救出を優先するというのは、一国の支配者としては行き過ぎた発言。当人もそれは分かっていたが、愛娘の惨たらしい姿と聞くに堪えない悲鳴に堪える事が出来なかったのだ。
時間の猶予を与えてしまえば、邪神は何度でもジェニシィを拷問し想像を絶する苦痛を与えるに違いない。一刻も早く助け出すのは当然の成り行きであった。
「……お言葉ですが陛下、それは不可能です。七日後にエクス・マキナ共による襲撃が計画されています。反乱を起こした奴隷共がほぼ全て死に絶え、こちらの人員にも深刻な被害がもたらされた以上、今すぐ邪神討伐に割ける戦力はどこにもありません」
「その通りです。特に我が団の兵士たちは三割ほどが奴隷たちとの戦いで命を落とし、残りの兵士たちも精神的に相当疲弊しております。部隊を編成しようにも団そのものがほとんど機能していない現状ではどうにもなりません」
「我が団も同様です。人員の損耗自体はさほどではありませんが、耳を閉ざしても聞こえてくる悲痛な叫びに耐えられなかったのでしょうね。半数以上は精神的に危険な状態に陥っております」
「治癒魔術師軍隊も同様です。今も我が部下たちは総出で怪我人の治療に走り回っていて、他の職務に携わる余裕が一切ありません。それに彼らも精神的に相当参っております。ハニエル様が邪神の下僕を名乗る輩に連れ去られてしまったショックも大きく、正直なところ私としても彼らにこれ以上の仕事を回すことはできません」
大臣の発言に対し、三つの軍団の長が肯定を示す。
契約から解き放たれた奴隷たちによる暴虐、それによって生じた多数の怪我人。そして火刑に処されていたお姫様たちが上げ続けた、聞くに堪えない悍ましい悲鳴。それらによって首都はどの部隊も深刻な打撃を受けており、とても今から軍事行動を取れるような状態では無かった。
中でも特に被害が大きいのは、治癒魔法の得意な者たちが集う治癒魔術師の軍団だ。争いを好まない大天使ハニエルは基本的に厄介者扱いされていたが、この団に限ってはその人柄もあって大変好感を得ていた。
しかしそんなハニエルが、奴隷たちが暴れ出した混乱に乗じて邪神の下僕を名乗る存在に連れ去られてしまった。これだけでも相当な痛手だというのに、邪神はお姫様に対しても全く容赦の欠片も無い凄惨な拷問を行う冷酷さを見せたのだ。ならばハニエルが辿るであろう末路も容易に想像できるというもの。治癒魔術師軍団の構成員の大半は絶望と悲哀に塗れ、全く使い物にならなくなってしまったのだ。
「き、貴様らっ! 私が誰か分かっているのか!? この国を治める絶対なる王の命令なのだぞ!」
しかしそんな答えではレイは納得できなかった。百歩譲って精神的ショックで使い物にならないのは良いとしても、その理由が役立たずの大天使を攫われたというものでは到底受け入れられない。どうなろうと構わない大天使ハニエルよりも、愛娘たるジェニシィの身の安全の方がよほど大切な事であった。
「陛下、申し訳ありませんがその命令に従う訳にはいきません。姫様を想う陛下の気持ちは分かりますが、たった一人の命のために国そのものを滅ぼすわけにはいかないのです」
「その通りです。また邪神の言葉から察するに、ジェニシィ様の命だけは保証されています。それならばまずは国を立て直し、防備を進める事から始めましょう」
しかし大臣を始めとして貴族たちすらも国を優先して、ジェニシィを後回しにする始末。その判断が極めて正しい事は理解できなくもないレイだが、頭に昇った血と脳裏に焼き付いた愛娘の悲鳴と痛々しい姿が、それを飲み込む事を許してはくれなかった。
「ふざけるなっ! ならばジェニシィにはこのまま非道な拷問を受け続けろというのか!? 貴様らは自分の子供が同じ目にあってなお、同じ結論を出せるのか!?」
「………………」
理路整然と答えていた者たちも、レイのこの発言には黙り込むしかなかった。
愛する息子や娘が拷問されているというだけでも親としては耐え難いというのに、死ぬ事も意識を失う事も許されず、身体を少しずつ再生しながらそれを上回る速度で壊されていく苦痛が、愛する子供の身体と精神を蝕んでいく。まともな親なら発狂しかねない仕打ちである。
だからこそ、レイの発言に対し誰一人として反論は口に出来なかった。しかしだからといって賛同は出来ない。この沈黙はそういう事だろう。
しばしの間、怒りによって乱れたレイの荒い呼気のみがこの場を支配していたが――
「では……魔獣族と一時的に同盟を結ぶ、というのはどうでしょう?」
長い沈黙を経て、大臣がそんな恐ろしい提案を口にした。
これにはレイも怒りどころか呼吸を忘れ、同時に途方もない騒めきがこの場を支配する。しかしそれも当然の事。今まで散々争い合い殺しあってきた魔獣族と同盟を結ぶなど、常人なら考え付きもしない埒外の事だからだ。
「魔王の娘も姫君と同様の立場に置かれているのですから、あちらとしても救出したい気持ちはあるはずです。蛮族にも親子の情はありましょう。それならば一時的にでも手を結ぶ事はできるのではないでしょうか?」
「むぅ……業腹ですが、それが一番良いのかもしれませんね。少なくとも現状では邪神の方が魔獣族よりも脅威としては上です。加えて同盟を結んで上手く出し抜く事が出来れば、姫君の救出と魔王の娘の拉致を同時に行う事が出来ます」
「問題は向こうもまず間違いなく、腹の中では裏切りと出し抜きを考えるという事か……」
状況としては魔王側も同じという事もあり、上手く利用すれば良いのではないかという賛成意見が数多く上がる。まともな同盟を結ぶ機など更々無い時点で途中で決裂が目に見えているが、その程度は間違いなく魔王側も考える事。
会議の論点はいかに魔獣族を出し抜き、利用し、裏切るか。その三点に収束し始めた。
「――ならぬっ!」
だがそれを、他ならぬレイ自身が拒絶した。
愛娘を救い出せるのなら何でもする気概ではあったが、魔獣族と同盟を結ぶ事だけはあり得なかった。それが最初から裏切り前提の虚構の関係であったとしても。
「手を組むだと!? 同盟だと!? 貴様らは例え表向きと言えど、畜生と同じ立場に降り対等に振舞うというのか!? そんな悍ましい事は許されぬ! 我らは誇り高き聖人族だ!」
自分たちは誇り高き聖人族。尊い血の流れる唯一の種族。故にケダモノの血を引いている獣人や、恐ろしき風貌の悪魔などとは一線を画す素晴らしき存在。
そんな自分たちが薄汚い畜生共と手を結ぶなど、レイは想像するだけで吐き気を抑えられなかった。魔獣族とは唾棄すべき存在、滅ぼされて然るべき邪な存在。幼い頃からそう教え込まれて育ったレイにとって、同盟など天地が引っ繰り返っても認められなかった。
「ですが陛下、それではジェニシィ様の救出は当分先の話になってしまいます。陛下もそれはお望みでは無いでしょう。なのでここは一つ、家畜を飼いならすと考えて……」
「その通りです、陛下。どうせ互いに裏切る機会を窺いながらの形だけの同盟になるのです。深く気に病まずとも、道具として利用する程度の考えで行きましょう。そもそもそれ以外に選択肢はございません」
レイほどではないが、他の者たちも魔獣族に対する嫌悪や忌避感は抑えられていなかった。最初から裏切り上等利用確定という、いっそ同盟という言葉に失礼なほどの有様であった。
しかしレイとしては同盟の名を借りた利用し合う関係と言えども、絶対に我慢ならなかった。家畜は家畜らしく人間に飼われ従っていれば良い。利用するのはこちらだけでなくてはならない。病的なまでに染み付いた魔獣族への敵意と憎しみが、どうしても最善の方法を取らせなかった。
かといってこのままでは、ジェニシィを救い出すことは出来ない。時間をかければかけるほど、ジェニシィはあらゆる苦痛をその無垢な身体に刻み込まれる事だろう。魔獣族との同盟など絶対に許容できないが、愛娘がそのような日々を過ごす事になるのもまた絶対に許容できなかった。
「……いや、まだ手はある。彼に頼もう」
「なっ……!?」
「陛下、それは……!」
故に悩みに悩んだ末、レイはその言葉を口にした。その瞬間、円卓に集った全ての者たちが息を呑む。
この状況を打破できる人物はいないわけではない。聖人族の中にたった一人だけ存在する。名称を伴わない表現であったにも拘わらず全員が同様の反応を示した辺り、間違いなく思い浮かべた人物は皆同一なのだろう。
しかしこれはレイとしても苦肉の策。そもそも彼の役割は首都の最終防衛線。彼が出陣すれば事実上首都は無防備な状態を晒すことになる。一部の者たちが賛同しかねる雰囲気なのはそのせいだろう。そもそも当人が引き受けてくれるか、という重大な問題が残っているのだが――
「――ようやく俺の出番、というわけだな?」
どうやらその心配は必要なかったらしい。狙いすましたようなタイミングで部屋の扉が開かれ、件の男が現れた。その全身から迸る圧倒的な戦意、そして常軌を逸した域の激烈な自負が、円卓に着く者たちを震え上がらせる。
無論レイも似たような反応を示していたが、愛娘のためにも凍り付いているわけにはいかなかった。気力を振り絞り、彼へと声をかけた。
「……うむ。一刻も早く我が娘を救い出して欲しい。頼めるか?」
「貴様の娘など、どうなろうと知らんよ。俺の使命は聖人族の安寧を護る事。たかが小娘一人を救うため、数多くの同胞を危険に晒す事など出来る訳も無い」
だが彼は聖人族の王たるレイの言葉を躊躇いなく切り捨てた。瞬間的に怒りが湧いてくるレイだったが、現状彼にしかこの状況は打破できないのだ。故に怒りを抑え込み、必死に彼を説き伏せる材料を探す。
「――だが、今回の一件ではっきりと理解した。邪神クレイズ、あれは我ら聖人族の安寧を乱す邪知暴虐の輩。魔獣族を片付けてくれるかと期待し静観していたが、どうやら考えが甘かったようだ。アレは放置しておけば、我ら聖人族に深刻な被害をもたらす害悪。最早これ以上生かしておくことはできん」
しかしどうやら、説得の必要は無かったらしい。彼も今回の一件で邪神の危険性を深く理解してくれたようだ。身を翻し二対四枚の純白の翼を広げ、長い金髪を揺らし、レイに背を向け言い放った。その手に黄金に輝く剣を手にして。
「貴様の娘は知らん。が、邪神クレイズは俺が直々に討ち滅ぼしてやろう。この大天使ミカエルがな!」
そして暴風を撒き散らしながら飛翔。城の壁を容易く切り刻み突き破りながら、邪神の潜む城へ向けて一直線に進軍を開始する。聖人族の最終兵器たる大天使、ミカエル・ティファレトの出陣であった。
いよいよ登場。ベルと双璧を成すバグキャラの片割れ。見た目の詳細な描写は邂逅の時になります。