魔王の憤怒
⋇三人称視点
邪神による悪趣味極まる全世界拷問生配信は、時間としてはおよそ三十分程度の短さで幕を閉じた。
理由としては邪神がその時間で満足したわけではなく、単純に火炙りにされたお姫様二人が悲鳴も出せないほどに身体が炭化しボロボロに崩れてしまったからだろう。紛れもなく美少女だったはずの二人は終わり際には炭の塊と化しており、胸から下は無残に崩れ落ちて存在していなかった。
憎き敵種族のお姫様がある種滑稽な姿とも取れる状態になり下がり、苦痛の極みの中で喘いでいる。本来なら諸手を挙げて歓迎すべき事態だっただろうが、世界中見渡しても誰一人として喜びを感じている者はいなかった。その理由が自国のお姫様も隣で同じ目に合ったからか、あるいは聞くに堪えない苦痛に塗れた悲鳴を三十分も無理やり聞かされたせいか、いずれにせよ誰もが明るい感情を抱きはしなかった。
むしろ耳を塞いでも鼓膜を破っても聞こえてくる苦痛に塗れた悲鳴に耐えられず、そこから逃れるために自殺した者も少なくないほどだ。それほどまでに邪神の行いは世界中に深刻な影響を与えた。そして特にダメージが大きかったのは、一般人よりも何よりも――拷問にかけられたお姫様たちの肉親。
「あああぁああぁあぁあぁっ!! ふざけやがって邪神のクソ野郎めっ! 絶対に八つ裂きにしてぶち殺してやる!」
魔獣族のお姫様、アポカリピア――その父親である魔王ヘイナスは、憤死しかねないほどの激情に駆られて自室の全てを破壊して回っていた。赤い髪を振り乱し、破壊できる何かを血走った黒い目で見つけると、怒りのままに拳や蹴りを叩き込み絶叫しながらひたすらに粉砕する。
狂人としか思えない様子と行動だが、ヘイナスからすれば愛娘が炭の塊と化すまで生きたまま火刑に処され、聞くに堪えない悲鳴を三十分も強制的に聞かされたのだ。これで怒り狂わなかったのなら人間でも親でも無い。
「陛下、落ち着いてください」
怒りを発散し続けるヘイナスを嗜めるのは、一人の悪魔族の女性。角も翼も尻尾も全て揃った俗にいうフローレスの女性であるが、白色に近い長髪や朱色の瞳も揃って色素が薄いため、どこか儚げで今にも壊れそうな印象を持つ女性だ。
とはいえそれが外見だけの話だというのは、暴れ回る魔王を前にして何の怯えも見せず冷静でいる事が証明していた。
「これが落ち着いていられるか! 大切な娘が火炙りにされて燃やし尽くされてんだぞ! あの痛々しい悲鳴が頭から離れねぇんだよっ!」
「お気持ちは痛いほど分かります。ですが、現状私たちは救出行動をすぐには起こせません。数多くの奴隷を失い、一週間後にかつての規模を越えるであろうエクス・マキナの襲撃が差し迫っている上、魔将バール・ツァーカブが邪神の下僕を名乗る者たちに連れ去られております。はっきり申し上げて、現状は救出に割く人員がありません」
憤怒の叫びを返す魔王を前にしても、その女性は淡々と現状を述べるのみ。加えての惨たらしい拷問の光景を目にしておきながら、魔王の一人娘の救出に割く人員が無いと告げる始末。これにはヘイナスも手加減抜きに敵意をぶつけた。
「テメェ! リピアを見殺しにするってのかぁ!?」
「……邪神の言葉から察するに、恐らくあの二人は負の感情を増幅するための道具として扱われているのでしょう。そして『例え死んでも蘇生する』と口にしていました。つまり命自体は保証されているのです」
魔王の本気の敵意をぶつけられながらも、悪魔の女性は一瞬言葉に詰まっただけで冷静さを崩さない。徹頭徹尾感情論を廃し、効率や優先順位を考えて的確な言葉を口にしていた。しかしそれが余計に魔王の怒りを逆撫でする。
「命が保証されてるから何だってんだ!? 死にたくても死ねないまま、死んだ方がマシな苦痛を延々と刻み込まれるだけじゃねぇか!」
「その通りです。なので救出に成功した暁には、時間をかけて記憶の改竄を行いましょう。味わった苦痛の数々の記憶を消し去ってしまえば、何も知らず幸せにいられます」
「じゃあ今は放っておけってのかよ!? リピアはあんなに泣き叫んで苦しんでたんだぞ!? この血も涙も無い外道女が!」
「……っ!」
ヘイナスがその女性の胸倉を掴み上げ、壁に背中を押し付ける形で叩きつける。壁に僅かにヒビが入るほどの力だったにも拘わらず、女性は呻き声も上げずに堪えた。そして気丈な態度は一切崩さず、胸倉を掴み上げられて壁に押し付けられたままヘイナスを睨み返した。
「……私だって、できればすぐにでもあの子を助けたいです。お腹を痛めて産んだ我が子なんですよ? 愛していないはずないじゃないですか」
そして、冷たい仮面の下から僅かに怒りと悔しさが漏れ出る。
そう、彼女は魔王の部下ではない。正真正銘アポカリピアの実の母親であり、魔王の伴侶でもある言わばこの国の女王――名をメルシレス。だからこそ怒り狂い誰の目にも晒せない状態と化したヘイナスと共にいる事を許されているのだ。
「ですが、同時に私たちは国と種族を守る立場にある存在です。時として残酷な判断を下す必要があります。例えそれが、愛しい娘に対してのものであろうと。納得できないというのなら、どうぞ気が済むまで私に乱暴なさってください。私は甘んじてそれを受け入れます」
怒り狂うヘイナスに対し、メルシレスはあくまでも国を治める者としての立場と対応を崩さない。胸倉を掴み上げられたまま、ヘイナスの怒りを逆撫でする発言を続けながらも、抵抗の意志は欠片も見せない。伴侶たるヘイナスが感情的であまり賢くは無い分、彼女は自分の立場や役目を良く理解している。
実際この場で怒りをぶつけられようと、彼女は抵抗など欠片もしないだろう。それはヘイナス自身にも深く理解できた。
「……クソォ!!」
だがヘイナスがそれ以上暴行を働く事は無く、毒づきながらも手を離しメルシレスを解放した。
ヘイナスも本当は分かっているのだ。彼女の言い分が何一つ間違っておらず、自分があまりにも感情的になってしまっているだけなのだと。そして見当違いの怒りを他ならぬ自分の女にぶつけている自分の惨めさを理解し、ヘイナスは一つ深いため息を零して頭を冷やした。
「……悪かった。お前も辛くないわけないからな」
「いえ、冷酷だという事は自分でも理解していますから……」
八つ当たりされたも同然だというのに、メルシレスは一切怒りを見せず乱れた衣服を整える。それどころかむしろ申し訳なさそうにしている辺り、間違っても娘への愛情が無いわけでは無いのだろう。
「……ひとまず、冒険者ギルドにリピアの救出依頼を出しましょう。報酬に糸目はつけない、という事でよろしいですね?」
「ああ。その辺の事は全部任せる」
ヘイナスは鷹揚に頷いた。
救出に人員が割けない以上は他に選択肢も無く、あってもどうせ自分では感情的になってしまい的確な指示は出せないのだ。ならば冷静に物事を考えられ、そして信頼している自分の女に全て任せるのが賢明であった。
「それから……例の勇者。アレを使いましょう」
「ああ? おいおい、アレは契約魔術で無理やり従属させてた奴隷と同じ奴だぞ。氷漬けで仮死状態だったおかげで特に何も変化はねぇが、それでもこっちの命令の強制力が無くなってる可能性が高い。今の所使えねぇだろ」
しかしメルシレスのこの提案には疑問を抱かざるを得ない。
奴隷たちを契約魔術から解き放った邪神の魔法は、非常に厄介な効果を併せ持っていた。それは言わば契約魔術の封印。新たな奴隷を作らせないためか、内容に関わらず世界中で魔術契約を行う事が不可能になってしまったのだ。
故に凍結封印中の勇者は暴れ出す事こそ無かったものの、すでに契約から解き放たれている事は想像に難くない。加えて再度契約を強制する事も不可能。役立たずどころか解放した途端に暴れ出しそうな時限爆弾でしかなく、有効活用できるとは到底思えなかった。
「はい、恐らくこちらの命令は通じないでしょう。ですが命令を聞かせる方法も抵抗を封じる方法も、契約魔術だけではありません。多少手間と時間はかかりますが、幾つか思い当たる方法があります」
しかしそこは魔王が直々に選んだ女。酷く澄ました顔でとても頼りになる言葉を口にする。ヘイナスはその頼もしさに思わずニヤリと口角を上げた。
「へぇ……具体的には?」
「凍結封印中の勇者を部分的に解凍し、頭を切り開いて頭蓋を削って魔法陣を刻みます。刻む魔法陣の内容はもう少し詰めた方が良いでしょうが、私達魔獣族に攻撃を加えようとした場合に激痛をもたらす類の魔法が良いでしょうね。抵抗の方法を封じた後、薬物と拷問によって精神性を私たちの望む方向へ誘導します。完全に自我を無くしてしまっては魔法のイメージに著しい悪影響が出ますので、あくまでも誘導するだけです。自分の苦しみは全て邪神のせい、と誘導できれば完璧ですね」
そしてメルシレスが理路整然と流暢に語るのは、あまりにも非人道的で悍ましい行いの数々。頭蓋に直接魔法陣を刻み込み、薬物投与と拷問によって精神を疲弊させ洗脳するという狂気にも近い責め苦である。
とはいえ一度あの勇者を奴隷に落している時点で、ある程度それに近い事はすでに実行済みであった。敗北したわけではないとはいえ、勇者との戦いでヘイナスは紛れもなく煩わされたのだ。その怒りもあって無理やりに奴隷に落して抵抗や逃走、自殺を封じた後は、部下たちの手でたっぷりと人間としての尊厳、及び女としての尊厳は徹底的に踏みにじらせたのだから。
「そして全身にあらゆる強化の魔法陣を刻み、力を底上げします。表皮だけではなく、内臓や全身の骨格にも刻みましょう。邪神への敵意を増大させるため、これらは生きたまま麻酔を与えずに行います。ここまでしてしまうと脳機能に甚大な障害が出てしまい、早々に使い物にならなくなりそうですが……リピアを助け出せれば、何も問題はありません」
果てはヘイナスでさえ引きそうになってしまう所業を平然と口にするメルシレス。
とはいえ実に良いアイデアだった。あの勇者への行いなら別段心は痛まないし、失敗しても元々壊れかけている勇者が完全に壊れてしまうだけだ。それで愛娘を救い出せるのなら惜しくなどなかった。
「やっぱ最高だな、お前……俺の惚れた冷酷さ、今も昔もそのままだ」
「んっ……」
現状では最高の作戦を考え出してくれた愛しい女を抱き寄せ、ヘイナスはその唇を奪う。
魔王の座に就いた今となっては女など選び放題だが、それをしていないのはこの腕の中の女よりも魅力的な女が見つからないからだ。一見儚くか弱く見えるにも拘わらず、その中身はヘイナスが舌を巻くほどに苛烈で冷酷。実の娘すら斬り捨て国を優先する化物だ。こんな面白い女がいては他の女が霞んで見えるのも当然だった。
「お前に全部任せる。アレを好きに弄って、リピアを助け出す力にしろ」
「……かしこまりました、あなた」
ヘイナスの腕の中で一瞬嬉しそうに微笑み、すぐに表情を引き締めるメルシレス。
魔王とその伴侶の話し合いによって、魔獣族全体でのこれからの方向性は決定されたものの、聖人族と協力するという選択肢は最後まで出てこなかった。
主人公の与り知らぬところで地獄を見ている同郷の勇者ちゃん。まあ仮に知っていたとしても面白いから別に助けはしない模様。人でなしめ!