芝居の始まり
⋇バール視点
⋇残酷描写あり
クルスが発動した魔法。それは奴隷共を理不尽な契約から解き放ち、戦う力を与える魔法。その効果は聖人族の国、魔獣族の国を問わず影響を及ぼし、奴隷が存在するあらゆる場所に波及していた。
無論それは我が治めるアロガンザの街も例外ではない。すでに奴隷共は街中の至る所で暴れ回り、我が部下たちはその対処に追われている。必然的に人手が不足し、城内では本来日没後に活動する吸血鬼たちを駆り出さなければならなくなる始末。
故に我自身も吸血鬼の護衛たちを引き連れ、今後の方針や対応に追われ駆けずり回っていたのだが――
「よぉ? テメェが魔将バールだな」
城内の薄暗い廊下を進む中、突如としてそれが現れた。歪に混ざった黒白色の衣装を身に纏い、同じ色合いの凶悪な仮面を装着した、一目で怪しいと分かる人物だ。頭頂部で存在を主張する猫耳と、尻の辺りから伸びた細長い尻尾で猫人だという事は分かる。声色からして女だという事も。
しかし我を含め、周囲の護衛たちの目を引いていたのはもっと別のもの。それはこの猫人が左手に血の滴る生首を掴んでいた事だ。百歩譲っても友好的な雰囲気は欠片も感じられない。
とはいえそれも当然だ。彼女の正体は猟奇殺人鬼たるキラ。クルスの命により、自然な形で我が表舞台から退場するために必要な場を演出する相手なのだから。しかし生首を手にして登場するという展開は台本には無かったはずだが……。
「……何者だ?」
「質問に質問で返すんじゃねぇよ。まあいい、特別に名乗ってやる。あたしの名はタナトス。テメェらが恐れる邪神の右腕さ。なかなか良い名前だよな、タナトスってよぉ?」
我の誰何に対し、どこか上機嫌に答えるキラことタナトス。
このタナトスという呼び名は、表舞台で活動する役割を持つ者にクルスが付けた暗号名のようなものだ。そしてキラ自身はそんな暗号名にかなり喜んでいた。連続殺人鬼として勝手に付けられた名前が気に喰わなかったそうなので、趣味に合致しているらしいこの名前が大層気に入っているのだろう。
「邪神の……! バール様、お下がりください」
「ここは私達にお任せを」
護衛の吸血鬼たちが我を庇うが如く前に出る。我の背後に二人を残し、前に出たのは四人。いかに身体能力に優れた猫人だろうと、より優れた身体能力を持つ吸血鬼四人が相手では敵う道理は無い。我の護衛たちはそう考えているのだろう。特に焦った様子もなく、極めて落ち着いた雰囲気を醸し出している。
しかし我としては四人でも足りないと確信していた。クルスから諸々の強化や道具を与えられている事を差し引いても、真祖の吸血鬼たる我の居城に足を踏み入れた者が吸血鬼対策の一つもしていないなどあり得ない。
「チッ、話の途中で雑魚共がしゃしゃり出て来んじゃねぇよ。まあいい。ウチのボスがそこの魔将に用があるから連れてこいとさ。一緒に来て貰うぜ?」
「断る、と言ったらどうする?」
「そりゃあお前――」
我の問いに対し、肩を竦めるような反応をするタナトス。
これで予め定められた、戦いの前に交わすべき言葉は全て交わした。故にこれから始まる展開は一つのみ。
「――実力行使に決まってんだろ!」
そう言い放つと同時、タナトスが動く。地を這うように駆け出しながら、その左手に掴んでいた生首を投げつけてくる。
これには護衛の吸血鬼たちも意表を突かれ、決定的な隙を晒した。
「ぐあっ!?」
「ぎゃあああぁぁっ!?」
そこを見逃すタナトスではなく、両手に装着した鋭い鉤爪で投げつけた生首ごと吸血鬼たちを切り裂く。二人は何とか躱せたが残りの二人はまともに首を裂かれ、悲鳴を上げてその場に崩れ落ち悶え苦しむ。
本来この程度の負傷、高い自然治癒能力を持つ吸血鬼にとっては致命傷にはなり得ない。しかしタナトスの鉤爪を彩るのは吸血鬼の弱点たる銀。そんなもので首を裂かれれば、死は免れないほどの致命傷になるのも必然だ。
「くっ、怯むな! バール様をお護りするのだ!」
「食らえ! 邪神の下僕が!」
初撃を何とか躱した二人がそれぞれの獲物を振り被り、攻撃へと転じる。槍とレイピアによる全てを貫かんばかりの鋭い一撃が、タナトスの身を串刺しにせんと襲いかかる。
「ハッ。避けるまでもねぇな?」
しかしタナトスは回避行動を取らない。そればかりか迫る切っ先に自ら無防備に身体を晒し――
「なっ!? こ、これは……!?」
二つの刺突がその身体にあっさりと弾かれる。鉤爪で迎え撃ち弾き返した、というわけではない。純粋に弾き返されたのだ。刺突がタナトスの身体に叩き込まれる、その直前に生じた青色のオーラ染みたものに。
「お察しの通り、テメェらの大嫌いなエクス・マキナと同じやつさ。これ自体はそこまで脅威じゃねぇが、奴隷共が反乱を起こしてる今の状況じゃどうかな?」
フルフェイスの仮面で表情は分からないが、明らかに面白がっているような声音で言い放つタナトス。
実際コイツはこの状況を楽しんでいるに違いない。人を見下しふざけて楽しむ、それはクルスに極めて近い精神性だ。本来キラは他人に従うような輩では無いが、クルスが自身と同種の存在であるからこそ従っている節がある。キラしかり、トゥーラしかり、よくもこのような存在ばかりを集められるものだ。
「舐めるな! 俺達にはまだこれがある!」
「お、イカれた武器が出たな?」
部下たちが空間収納より取り出し持ち替えたのは、聖人族の肉体を素材として創り上げた武器――<隷器>。片や刀身に血液を混ぜた赤黒いレイピア、片や切っ先に加工した骨を用いた槍。どちらもエクス・マキナ相手になら聖人族の攻撃として判定される有用な武器だ。
「これなら攻撃は通る! 死ねっ!」
「うおおおぉぉぉぉぉっ!」
二人はそれらの悍ましい武器を構え、果敢にもタナトスへ肉薄する。今度こそ自分たちの攻撃は通用する。そう信じてやまずに。
「――あめぇんだよなぁ?」
「がっ……!?」
「なん、で……!?」
しかし<隷器>を用いても結果は変わらず。二人の攻撃は弾かれ、その隙を突いてタナトスの銀の鉤爪が閃き喉を裂く。彼らは血の溢れる喉を抑えながら、何故攻撃が通用しなかったのかも分からず倒れ伏した。
「あたしらはエクス・マキナよりも大元に近い力を与えられてんだ。血の通ってねぇ肉や骨を使った玩具なんか効かねぇよ。生きてる聖人族連れてきな。ま、命令を聞いてくれる奴隷がいるなら、だけどな?」
嘲るように言い放ちながら、鉤爪を振るって付着した血液を飛ばすタナトス。
無論、我は<隷器>が通用しない事は事前に知っている。とはいえそれはあくまでもクルスの仲間であるからこそ知らされた情報。故に未だ魔将の身である我は、努めて驚愕や感心の表情を作り出した。
「なるほど。奴隷共に反乱を起こさせたこの状況下で、より強力で隙の無い防御魔法を授けた部下を放ってくるか。挙句このように日の高い時分から我を狙うとは、邪神はそれなりに頭が回るようだ。どうやら我も相応の覚悟を以て応戦しなければならぬようだな?」
「良いぜぇ? 精一杯抵抗しな。別に生きたまま連れて来いとは言われてねぇからよぉ」
こちらも戦う覚悟を決めた雰囲気を醸し出すと、途端にタナトスは興奮したように戦意を昂らせる。
ここで戦うのは予め定められた通りなのだが、明らかに戦意が演技のそれではない。これはまず間違いなく本気かつ殺す気で襲い掛かって来るだろう。相手はただでさえ戦闘狂の節があり、野生の戦闘勘を持つキラだ。その上で邪神ことクルスによる強化魔法を受けた身なのだから、こちらも全力で応戦せねば一方的な戦いとなりかねない。
故に台本通りの結末に至る事が難しいと分かっていても、こちらも全力で応戦せざるを得ない。
「この女の相手は我が務める。お前たちは反逆を起こした奴隷たちへの対処に専念しろ」
「し、しかし、幾らバール様でも……!」
「そんな事は理解している。だからこそ我が殺される前に奴隷たちを鎮圧し、連れてくるのだ。そうしなければコイツには勝てん。さりとてお前たちにコイツの足止めが出来るとも思えん。やるべき事は理解したな?」
「くっ……了解です! 一刻も早く奴隷たちを鎮圧し、戦力として引き摺ってきます!」
護衛として未だ残っていた二人の部下を、奴隷の鎮圧へと向かわせる。
これでこの場には我とタナトスことキラの二人のみ。しかし我らの戦いを見守る者がいないというのは少々都合が悪い故、観客を探す事も忘れてはならんな。
「……覚悟は決まったか? いい加減待ちくたびれたぜ」
「無論だ、かかって来るがいい。攻撃が通用せずとも、雑兵程度に負ける我ではない」
「雑兵、ね。言ってくれるじゃねぇか。さて、それじゃあ――始めようぜ!」
上機嫌な叫びを上げながら、タナトスが恐ろしい瞬発力で走り出し迫ってくる。その両手に輝くのは我に有効打を浴びせる事が可能な銀の鉤爪。対して我は邪神の加護を与えられたタナトスに対し、有効打を浴びせる方法が存在しないという圧倒的なハンデ。
戦闘狂の気があるわけではないが、困難に挑むというのはなかなか心が弾むものがあるな。さて、我も精々本気で足掻いてみるとするか――!
「……うん。ファーストコンタクトは満点って感じだね。ちょっと心配だったけどこれで多少は安心したよ」
二つの国でぶつかり合う仲間たちを遠隔から眺めつつ、僕はそんな感想を口にした。
現在僕はリビングのソファーにどっかりと腰を下ろし、周囲に様々な街の光景を魔法でモニターしながら脅威の調節っていう大事なお仕事をしてる。もちろんバールとタナトスことキラ、レーンとシュメルツことトゥーラの邂逅も最初から見てたよ。
しかし何でコイツら揃って僕の右腕宣言してるんですかね? 僕に右腕は二つも無いよ? このままじゃ邪神が両手とも右手のスタ●ド使いになっちゃう……。
「そりゃあここはある程度決められてるんだから当然でしょ。それすらまともに出来ないなら論外じゃない。ていうか良くアイツらにこの役目振ったわね、あんた……」
そんな僕の隣で呆れた声を出すのは、皆大好きミニスちゃん。さすがに一人で全ての街のモニターとかするのは辛いから、優先度の低い場所のモニターを任せてるんだ。この子何だかんだで真面目にやってくれるからマジ助かる。
「だって他に適役いないし。それともお前がバールかレーンと本気でやり合ってくれる?」
「死んでも嫌。っていうか何度も死にそうだから嫌」
「でしょうね。だから消去法であの二人しかいなかったんだよ。リアも論外だし」
「何でー!? リアだって頑張って戦うよー!?」
「君サキュバスしか相手に出来ないじゃんよ……」
そしてミニスとは反対側の隣でショックを受けたような声を上げるのは、みんなご存じリア。右がミニスで左にいるのがリアね。この二人にモニターを手伝って貰っての三人体制だ。
というかミニスはともかくとして、イカれた戒律で対サキュバス拷問能力以外の全てを捨ててるリアは裏方しか出来ないし……。
「ともかくお前らもお前らでわりと重要な仕事を任せてるんだから、ちゃんと真面目にやってよね。僕の脳みそは一つしか無いから一度に出来る事には限界があるんだ。お前らの力も必要なんだぞ」
「あんたなら脳みそくらい増やせそうだけど……」
「確かにやればやれそうな気がするけど、人間性とか思考に悪影響出そうだからやらない」
「人間性は今も最底辺だし、これ以上おかしくなる事は無いだろうから気にする必要なくない?」
などと真面目な顔でそんな事をのたまうミニスちゃん。コイツなかなかドギツイ事を言いよる。僕の人間性ってそんなにダメな感じ? さすがにそこまで言われたら僕だって傷つくんだぞ?
「……とにかくそういうわけだから、二人とも真面目に監視をお願いね」
「はいはい、分かってるわよ。その代わり、やり過ぎないように気をつけなさいよ?」
「リアも頑張るね!」
ちょっと少なくないショックを受けたけど、今はへこたれてる暇はない。何せ全世界でほぼ全ての奴隷たちが反乱を起こし、命の続く限り暴れ回ってるんだ。やり過ぎないように調整するのははっきり言ってかなり厳しい。
「さーて、ここからはアイツらのガチバトルの始まりだ。酷く不安だなぁ!?」
そして問題児たちがついに戦いを始めたから、軌道修正不可能な流れにならないように細心の注意を払わないといけない。二人の相手はわりとまともな方のレーンとバールだから大丈夫そうだけど、万が一って事もあるからねぇ……。
邪神の右腕を自称している奴が二人もいる件。当然ながら邪神の右腕は一本しかありません。
なお、どちらの国でも『問題児VS比較的まともな方』という絵面になりました。ミニスちゃん行かせてもリョナられるだけだもんね。しょうがないね。