閑話:幻の花育て4
⋇ほんわかした空気でお話が終わると思った? 考 え が 甘 い よ !
⋇三人称視点
草木も眠る丑三つ時。魔獣族の国の首都セントロ・アビスに存在するとある大きな屋敷の敷地内に、三つの影が音も無く侵入を果たした。
庭に降り立ったその影たちは黒いローブに身を包み、目元を隠す仮面を被った暗殺者の如き風貌の者たち。その正体は首都の裏世界を牛耳る犯罪組織『シェード』のメンバー。報酬次第で強盗から誘拐、果ては暗殺まであらゆる犯罪を代行する、言わば闇のギルドの構成員たちであった。
「見ろ、アレが依頼の品だ」
三人の中のリーダーである悪魔の男――コードネーム『マンティス』が、屋敷の前庭にある花壇を指差しそう口にする。
そこにあったのは虹色に煌めく美しい花々。月は出ていないというのに花そのものがうっすらと光っており、とても幻想的な空気を醸し出している。そしてその誰でも目を奪われそうな美しい花が、左右に分かたれた広い花壇に所狭しと群生しているのだ。その光景は最早幻想的という評価を飛び越え、異世界に足を踏み入れたのではないかと錯覚するほどのものであった。
「これがイーリス・フロス……綺麗なのは分かるっすけど、ただの花じゃねぇすか。何でこんなのにやっこさんはとんでもねぇ報酬を出したんすかね?」
「イーリス・フロスは観賞用としての需要も確かにあるが、大多数は希少な薬品の原材料としての需要が占めている。病気の治療薬から媚薬まで、用途は様々だ」
マンティスの部下の一人である獣人の男、コードネーム『ヴァイパー』がそんな問いを投げかけてくる。
今回の依頼はヴァイパーが口にした通り、目の前に群生している虹色に光る花――イーリス・フロスを持ち帰る事。しかし依頼人がどういった理由でイーリス・フロスを求めているのかはマンティスのあずかり知らぬところだ。そもそもマンティスも上からそういう指示を受けただけであり、細かい理由自体は知らされていない。尤も興味も無いので、仕事を果たして報酬を受け取れればそれで良かった。
「へー! じゃあこれ全部持って帰っちまえば良いんすね!」
「あんた馬鹿ね。そんな事したらバレるし、足がつきすぎるじゃない。悟られない程度にちょっとだけ頂くのよ」
とんでもない事を言い出したヴァイパーを、もう一人の部下である獣人の女――『リーチ』が呆れたように諭す。
確かにマンティスたちは犯罪組織の一員であり、これから働くのは紛れもなく窃盗・強盗の類だが、出来る限り痕跡を残してはいけないのだ。バレないに越した事は無く、下手に組織に痛手を与えるような真似をすればこちらが消されてしまう。故にリーチが口にした通り、盗んだ事を悟られないように僅かに頂くのがベストである。
「そういう事だ。幸いここにはイーリス・フロスが軽く二、三百本以上は咲いているようだ。十本程度頂いても気付きはしないだろう。元より全部盗んで来いという依頼でもない」
「へへっ。花をちょっと抜いて帰るだけでたんまり金を貰えるとか、今までで一番楽な仕事っすね!」
「そうね。こんなに楽だと逆に何か裏があるんじゃないかと疑いたくなっちゃうわ」
今まで受けてきた依頼とは異なり、花壇から花を引っこ抜いて持ち帰るだけで済む仕事のせいか、ヴァイパーもリーチもかなり気を緩めている様子だ。
しかし実際、マンティスも拍子抜けの気分である。門の前に護衛を置くだとか、侵入者の存在を周囲に知らせたり撃退するような魔法陣が仕掛けられている様子も無い。挙句にこんな貴重な花を何百本も花壇に植えているあたり、この屋敷の持ち主は相当な馬鹿か相当気が狂っているかの二択だろう。
「お前たち、気持ちは分かるがあまり気を抜きすぎるのは――」
とはいえ、油断して何らかのミスを犯すのは最悪だ。だからこそマンティスは自分も気を引き締めつつ、部下たちにも油断はするなと伝えようとしたのだが――
「――貴様ら、ここで何をしている?」
「っ!?」
その瞬間、自分たちのものではない声が背後から聞こえてきた。反射的に振り向くと、一体いつからそこにいたのか、メイド服に身を包んだ黒髪の兎獣人の少女が立っていた。恐らくはこの屋敷に仕えるメイドの一人なのだろう。年の頃は十代前半といった未だ幼さの抜けない少女で、別段脅威には見えない。
しかし何故かマンティスは一瞬、その少女が途轍もなく恐ろしい存在に見えて恐怖を覚えた。尤もそれは瞬き以下の刹那の時間であったため、不意を突かれて少々驚いてしまっただけだと自分で解釈した。
「一体誰の許可を得て、ご主人様の土地に侵入しているのだ? 一体誰の許可を得て、私のイーリス・フロスを盗もうとしているのだ?」
メイドの少女は敵意のこもった目をマンティスたちに向け、厳しく詰問してくる。
だが構えも取らずに自然体で立っており、一目で隙だらけだと分かる。そしてマンティスたちがイーリス・フロスを盗もうとしている事はすでに理解しているようで、言い訳など並び立てても無駄なのは明白だった。
故にマンティスは一瞬ヴァイパーに目配せし、対応を即座に決定。可哀そうだとは思うが目撃者を残すわけにはいかなかった。
「……ああ、いや、すまない。盗もうとしたわけではないんだ。ただあまりにも綺麗な光景に惹かれ、もっと近くで見たいと思ってつい入ってしまっただけなんだよ。すまないね」
「――シッ!!」
そうしてマンティスはイーリス・フロスに近付く形でメイド少女の前を横切り、視界が遮られた隙にヴァイパーが暗器を取り出しメイド少女に向けて投擲した。
投げられたのは毒を塗った黒い針。月の隠れたこの夜の下では認識は困難であり、掠りでもすれば即座に動けなくなる即効性の麻痺毒という保険付き。完全に隙を突いた不意打ちという事もあって、メイド少女は迫る毒針を前にしても何ら反応を示さなかった。故にそのか細い首や愛らしい頬に毒針が吸い込まれるように突き刺さる――
「――はあっ!? 生身の肌に弾かれたっすよ!?」
しかし恐ろしい事に、毒針は少女を貫かなかった。まるで金属に衝突したような『キンッ!』という鋭い音を立てて、投げられた毒針は全て少女の肌に弾かれる。
百歩譲ってメイド服に弾かれたならまだ分かるが、ヴァイパーもその下に装甲などを着込んでいる事を考慮したからこそ露出した肌を狙っていたのだ。にも拘わらず柔肌に弾かれたのだから、目を丸くして驚愕の叫びを上げるのも仕方なかった。
「馬鹿っ! 何加減してんのよ、役立たず!」
幼い少女という事でヴァイパーが手加減したと考えたのか、リーチが罵倒しながら素早く前に出る。その手に握られているのは黒い刀身を持つ短剣。リーチは獣人特有の身体能力で以て力強く地を蹴ると、その短剣の切っ先をメイド少女の喉元に深々と突き立てようと鋭い刺突を繰り出し――パキィン!
「う……嘘、でしょ……?」
少女の喉元を刺した短剣は、負荷に耐えられなくなったかのように半ばからへし折れた。そして少女の首元には刺し傷どころか擦り傷すら見当たらない。
何より恐ろしいのは少女が二度も攻撃を受けておきながら、その表情を一切変化させていない事だ。声をかけてきた時から変わらず、ただただゴミを見るような冷めた目をしている。まるでマンティスたちなど何の脅威でもないと思っているかのように。
ここにきてようやくマンティスは理解した。このメイド少女は見た目通りの童女ではない、何か途轍もない化け物に近い存在なのだと。
「下がれ、お前たち!」
故にマンティスは一瞬で対抗策を決めると、部下二人を下がらせた。そうして空間収納から取り出した小さな球体をメイド少女の足元に投げつける。
それが地面に触れた瞬間――ボワッ! 黒い煙が弾けるように生じて、メイド少女の身体を覆い隠した。これは煙幕や目隠し、といった類のものではない。吸い込めば獰猛な人食い熊も数秒で昏倒する強力な麻痺毒だ。
メイド少女の柔肌には刃物が一切通用しなかったが、生物である以上は呼吸をしている。故に幾ら防御力が常軌を逸していようとも、呼吸によって毒を体内に取り込んでしまえばどうしようもないはず。そういった予想からマンティスはこの毒霧玉を使ったのだ。もしも風が吹いていれば自分たちもこの毒霧に巻き込まれる可能性もあったが、幸い今は風の無い静かな夜。そこまで一瞬で判断したからこそ、こんな至近距離にも拘らずこれを使う事が出来たのである。
「ふうっ……ちょっとビビったっすけど、これで一安心っすね。それで? 攫って口封じのために諸々するんすか? 意外と好みの見た目してるんで、できれば俺がヤりたいっす」
「この変態。でもやっぱり口封じはしないといけないし、そうするしかないわね」
二人も毒霧玉の凶悪性を知っているからこそ、謎のメイド少女もこれで終わりと思って緊張を緩めていた。実際マンティスも胸を撫で下ろしたのは否めない。何せ普通の生物なら、ほんの少しでもこの毒霧を吸い込めば平気でいられるわけがないのだ。そう、普通の生物なら。
「――なるほど、やはり賊の類か。イーリス・フロスの美しさに魅せられただけの一般人ならいざ知らず、私に攻撃を仕掛けた以上は看過できんな」
「なっ……!?」
しかし恐ろしい事に、毒霧の中からメイド少女が悠々と現れた。意識が朦朧としているならまだしも、何ら痛痒を感じていない冷めた表情で。かといって呼吸を止めるなどの対抗策を取っていたとも思えない、流暢な台詞を口にしながら。この結果にはマンティスも空いた口が塞がらなかった。
「この場で潰しても構わんが、イーリス・フロスが血で汚れてしまうのは嫌だな。それに屋敷の景観を損ねてしまうと、ご主人様に迷惑がかかってしまう。ふむ、どうするべきかな?」
「――撤退だ! コイツは、とにかくヤバい!」
「言われなくても逃げるっす!」
「こんな化物の相手とか無理っ!」
何やらマンティスたちの処遇をどうすべきか、小首を傾げて悩み始めたメイド少女。その隙を見逃さず、即座に撤退を指示した。刃物でも掠り傷一つ負わせられず、猛毒も一切効かない化け物を倒す手段など、少なくとも現状では思い浮かばない。
故にマンティスたちは大地を蹴り、三方向に別れて逃走。少なくとも相手が一人である以上は、分かれて逃げれば個々の生存確率は上がる――はずだった。
「一人も逃がさんぞ、賊共。ご主人様の土地への不法侵入、並びに我が子供たるイーリス・フロスを盗もうとしたその罪、万死に値する」
「うわっ!?」
「きゃあっ!?」
「何だ、これは……!?」
しかしマンティスたちが駆け出した瞬間、爆発的な魔力の奔流が総身を貫いた。その濃密に過ぎる魔力に恐怖を覚える暇もなく、足を踏み出した先にある地面が獰猛な獣のあぎとが如く口を開く。足を下ろす地面が突然消えた形になったため、マンティスたちはそのまま大地のあぎとに飲み込まれてしまった。
囚われた、あるいは死んだ――そう思ったのも束の間、マンティスの視界は一瞬で闇に閉ざされた。
地雷を踏みまくった三人の行く末は……