閑話:幻の花育て3
「ふうっ……今夜で三晩目。多少時間はかかったが、何とかここまで漕ぎつけたぞ」
あれから更に二十日後。イーリス・フロスが全て枯れてしまったので再度種から育て直し、ついに開花目前にまで漕ぎつけた。蕾に必要な月光は魔道具の照明と同じ要領で与えていて、恐らく今夜中にも開花するだろう。
とはいえ終始魔道具の光で済ませるのも可哀そうなので、最後となった今晩は鉢植えを全て庭に出し、本物の月光を浴びせている。幸い今晩は良く晴れた夜空なので、月の光もバッチリと降り注いでいる。もしも曇っていたら力づくで雲を吹き飛ばす所だったぞ。
しかし、たった二十日で種から開花まで持っていけるのは恐ろしく早いな? ただ生育環境が気に食わないとすぐに枯れてしまうので、むしろこの成長の速さは育てる上で完全な鬼門となりそうだ。私のように不眠不休で世話を出来る者がいないとなかなか厳しいだろう。
「さあ、ご主人様よ! もっと近くに来るのだ! 開花はきっともうすぐだぞ!」
「テンション高いなぁ。しかもわざわざ全員呼んでるし……」
私はご主人様の腕を掴み、庭に並べた鉢植えが良く見える所に引っ張って行く。
待望の開花の瞬間なので、ご主人様を含め屋敷の者全員をこの場に立ち会わせる事にしたのだ。夜遅くという事も相まってご主人様は少々テンションが低いが、それでも嫌がらずに見に来てくれたのでなかなか付き合いが良いな?
「ちょっと光ってるー。キレー」
「本当ね。これが一斉に花開くんだとしたら、凄く綺麗な光景になりそう」
「何であたしらまで見に来なきゃなんねぇんだよ、ったく……」
「まあまあ~。いつも特訓に付き合って貰っているんだし、今回は私たちが付き合おうじゃないか~。それに愛する人と月の灯りに照らされながら、綺麗な花を眺めるのもまたおつなもの――おふぅ!」
ご主人様も見に来たせいか、その女たちも全員勢揃いだ。リアとミニスはうっすら光っているイーリス・フロスの蕾に興味津々であり、キラは多少気が乗らなそうだが一応顔を出してくれた。そしてトゥーラはさり気なくご主人様に寄り添い、その胸板に手を這わせようとして脇腹に肘打ちを喰らって悶絶している。
いや、厳密にはこの屋敷にいないご主人様の女がもう一人いるのか。まあそれくらいは仕方ないな。どうせご主人様の女なのだから、こういった光景にはそこまで興味も無いだろう。
「見てくださいです、ヴィオ。空には美しい満月が、地上には今まさに花開こうとしている美しい花々があります。とても幻想的な光景です」
「そうだね。でも僕は満月や花より、目の前の可愛い女の子に夢中だよ?」
「も、もうっ、ヴィオったらロマンチストです……」
一応私の部下であるメイドたちと執事も呼んだのだが、このカップルは完全にイーリス・フロスをダシに使ってイチャついているようだ。ぽっと頬を染めて身悶えするリリアナを、ヴィオが慈愛に満ち溢れた微笑みを浮かべて見つめている。
「………………」
そしてもう一人のメイドは玄関の柱に身を隠す形で、必死に自身の存在を消して佇んでいる。普段はここまで露骨ではないのだが、ご主人様もこの場にいるので怯えているのだろう。一言も発さず必死に気配を殺しているものの、その巨大な胸が柱の影からはみ出ているので若干目立つ。
しかし、うむ……部下たちは駄目だな。まともに花を眺めて楽しんでいるとは思えん……。
「おっ? そろそろ咲くんじゃない?」
部下たちに呆れて顔を覆っていると、不意にご主人様がそんな事を口走った。慌ててイーリス・フロスに視線を向けると、蕾が放つぼんやりとした光が僅かに強まっているように感じた。これは、まさか、ついに……!?
「おおっ!? みんな、見ろ! 蕾が、蕾がっ!」
そうして、ついに開花が始まった。蕾がゆっくりと開いて行き、その中から七色の輝きが零れ出る。それも一つや二つではなく、この場に用意したおよそ三百を越える鉢植えのイーリス・フロス全てがだ。
地上に虹が生まれるようなその美しい光景に感動して、私は目が離せなかった。
「わー! キレー!」
「これは凄いわね……こんなの初めて見たわ。レキ達にも見せてあげたかったなぁ……」
唯一まともに花を見ている幼女二人は、この素晴らしい光景に感嘆の声を零している。うむ、やはりこの二人は別格だな? ミラもメイド長として命令すれば大人しく園芸に付き合ってはくれたが、別段楽しそうでは無かったからな。やはり素直に喜び楽しんでくれる子たちの方が良い。
そしてイーリス・フロスが花開き始めて、およそ数分。元々異常な域の成長の速さを持っているためか、開花自体もそれくらいの早さで終わった。後に残ったのは月の光を一身に浴び、七色に煌めく美しい花びらを揺らす花々。光を反射して七色に見えるというわけではなく、花びらそのものにグラデーションが生まれているという感じの色合いだ。しかしうっすらと花そのものが光っているため、七色の輝きに見えるというわけだ。何と美しいのだ……。
「花咲いたんならもう戻って良いか?」
「ん~、君は情緒というものが無いな~? そんなんではいつまで経っても子猫ちゃんのままだよ~?」
「あ?」
「綺麗ですね、ヴィオ……」
「うん。でも君の方が綺麗だよ、リリィ……」
「ヴィオ……」
「………………」
「まともに見てんの数人で草生える」
こんな美しく幻想的な光景が広がっているというのに、キラとトゥーラは今にも殴り合いを始めそうな空気を醸し出し、ヴィオとリリアナは人目もはばからずイチャイチャし、ミラは空気そのものになり替わるかのように気配を殺している。ご主人様がおかしそうに口にした通り、まともに見ているのはほんの数人だけだ。最早期待した私が馬鹿だったな?
「でも、確かにこれは綺麗なもんだねぇ。僕も驚いたよ。幻の花なんて評価は過大じゃなかったか」
「うむ……私も開花した実物を目の当たりにしたのは、生まれて始めてだ……こんなにも綺麗で、美しいものだとは……!」
「ガチ泣きしてるぅ……」
困惑気味のご主人様の指摘で、私はとめどなく涙を零している事にようやく気が付いた。どうやらあまりにも美しい光景を見れた感動、それからイーリス・フロスを育てるという長年の夢が叶った嬉しさが、目から零れてしまっているようだ。歓喜の涙を流すなど一体何千年ぶりの事だろうか。もしかすると初めての事かもしれないな……。
「う、ううっ、すまない……! イーリス・フロスをこの手で咲かせる事ができた感動で、つい……!」
「これはしばらく使い物にならなそう。というわけで皆、代わりに花壇に植え替えてやってよ。そこの空気になろうとしてる奴もやるんだぞ?」
「ひっ!? は、はいぃ……!」
「かしこまりました。ほら、リリィも一緒にやろう?」
「はいです。愛の共同作業ですね、ヴィオ?」
「よ~し! 主の命とあらば私も頑張ろうじゃないか~!」
「ケッ、何が悲しくて花の植え替えなんてしなきゃなんねぇんだよ。アホらし」
「まあこんな繊細な作業は君には無理だろうね~? 私にだって出来る事が君には出来ないのか~。ふ~ん?」
「ざけんな、あたしにだってこれくらいできるわ。舐めんじゃねぇぞ」
「わー! 虫がいそうでちょっと怖いけど、リアもやりたーい!」
ご主人様の命令は絶対だからこそ、一声かけられた者たちは素直に従い動き始めた。それぞれが鉢植えからイーリス・フロスを取り出すと、昼間の内に裸にしておいた花壇の土に丁寧に埋め直して行く。さすがに三百本の花を手作業で花壇に植え替えるのは時間がかかるので、これは正直なところ有難いな?
「……ていうか、あんたはやらないわけ? 何腕組んで偉そうに見てんの?」
「だって虫とかいそうだから嫌だし」
「コイツ……」
そしてご主人様は全体の監督役、というか見守る役に徹しているらしい。そんなご主人様にゴミを見るような目を一つ向けると、ミニスも皆と同様に植え替えを始めていた。大多数が駄目そうだと思っていたが、いつの間にか働いていないのは私とご主人様だけになってしまったぞ。
「ううっ、いつまでも泣いてはいられないな……このままでは私が植え替える分が無くなってしまう……」
「お、復活した? 大丈夫?」
「うむ、もう大丈夫だ。感極まって少々取り乱してしまったがな」
ハンカチで涙を拭った私は、軽く頭を振って気持ちを切り替える。まだ目頭が熱いが、気合を入れていれば何とか涙は零れなさそうだ。全く、この私が涙を流すなど本当に驚きだな。しかし存外清々しい気分で、悪くない。
「さて、それでは私も植え替えをするか。終わった時には、ご主人様の屋敷の花壇はどこの花壇よりも素晴らしく綺麗で美しいものになっているだろう」
「良いねぇ。外面を取り繕うのは大切だからとっても有難いよ」
「外面、か……確かに取り繕うのは大切だな」
私は思わず自らの右腕、その手首に装着している腕輪に視線を注ぐ。
これはご主人様から貰った、自由に他人の姿に変身する事が出来る魔道具だ。これのおかげで私は人型になる事が出来るばかりか、幾らでも可愛い者の姿や声を真似る事が出来る。無限とも思える再生力や常軌を逸した耐久力を持つ代償か、自力では変身できない私にとってこの魔道具は救いそのもの。そしてこれを目の前で創り出し、私にくれたご主人様は正に救世主。
それだけでも多大なる恩があるというのに、こうしてイーリス・フロスを育てるという長年の夢まで叶えさせて貰えるとは……ああ、これは駄目だ。この喜びを感謝として口にしなければ、また目から零れ出てしまう……。
「ご主人様のおかげで、私はあんな醜い姿と声を晒す事無く、自由に生きる事が出来ている。本当に、感謝してもしきれない。改めて、ありがとうだ。ご主人様」
なので私はご主人様に向き直り、偽りの姿とはいえ渾身の笑顔で感謝を口にした。さすがのご主人様も、本当の姿と声でお礼と笑顔を伝えられても気持ち悪いだけだろうからな。個人的には本物の私で感謝を伝えたかったのだが、こればかりは仕方ない。
そんな私の感謝に対し、何故かご主人様は可哀そうなものを見る目で見つめ返してきた。一体何故そんな目で見るのか……。
「言うほど自由に生きてる? 僕のメイドとして良いように使われてる日々に不満は無いの?」
「ははっ。あるわけがないだろう? どのような可愛いらしい姿にでも自由に変身できる魔道具を貰えたのだぞ? 加えて仕事中以外は自由に過ごす事を許されているし、あまつさえイーリス・フロスを育てるための助力までしてもらった。幸運に思いこそすれ、不満に思う事など一つも無いぞ?」
どうやらご主人様からすると、私が過ごす日々は自由を謳歌しているとは到底思えなかったらしい。
しかし私からすると不満を探す事があまりにも難しい。狭苦しい魔王城の地下で半ば閉じ込められる形で眠りに着く事を強制されていた頃に比べれば、今の生活は最早夢ではないかと疑いたくなってしまうほどだ。
「それに、今の生活はとても楽しい。賑やかで手のかかる子供たちを育てているような、そんな充実した時間に感じているよ」
正直な所、聖人族も魔獣族も等しく妬ましく滅ぼしたいが、この屋敷の者たちは別だ。私の真の姿や声を知っていてなお、普通に接してくれるのだからな。まあ一部異常に怯えていたりする奴がいるのだが、アレは私に怯えているというよりはそういう性格なので仕方がない所はあるだろう。
いずれにせよ、この屋敷での日々は私にとってかけがえのないもの。もしもこの日々が夢に過ぎず、ふと気が付いた時にまたあの頃に戻っていたら――きっと私は耐えられず、全てを破壊し尽くさんと暴虐の限りを尽くすだろう。私の中では最早それは確定事項に至るほど、この日々を深く気に入っているのだ。
「ご主人様よ、私は今――とても幸せだぞ!」
その幸せを表現するように、私は心のままに笑いながらそう口にした。
余談ですが、ベルの忠誠心はトゥーラに引けを取らないレベル。普通に死ねと命じられれば微笑んで死にます(ただし本人の意思通りに肉体が死んでくれるかは別とする)