セレス一行VS邪神クレイズ
「お前ぇ! 俺たちに自由をくれるんじゃなかったのか!?」
遺体をその場に優しく横たえた男の聖人族奴隷――イクスは、慟哭と共に邪神を鋭く睨みつける。その瞳に込められた怒りと憎悪は、あたしたちに向けられていたものよりも数段深い。一度自分たちに親身になっておきながら、それを裏切ったんだから当然の反応だと思う。
だけど、きっと邪神は裏切ってなんかいない。最初からこうするつもりで、奴隷たちに力を貸したんだと思う。その証拠に狂い泣くエクスを前にして、邪神はぞっとするような冷たい笑みを浮かべた。
「だから与えてやったではないか。この苦しみに満ちた世界からの解放という、素晴らしい自由を」
「こ、この野郎おおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
喉も張り裂けよと言わんばかりの叫びを上げ、邪神に向けて一直線に跳躍するエクス。固く握った拳を振り被り、その冷ややかな顔面に叩きこもうと振り抜き――
「あっ……?」
その前に、彼も糸が切れたように力を失った。跳躍の最中に身体の自由を失ったせいで見当違いの方向に飛んで行って、そのまま壁に頭からぶつかって地面に落ちる。壁にぶつかった衝撃で首があらぬ方向を向いてる辺り、すでに事切れてるみたい。今までで一番の憎悪と殺意を持った一撃は、放たれる途中で命共々消え去ってた。
「ふむ。やはり長くは持たんか。まあ良い。有意義なデータは得られた」
「……お前は一体、コイツらに何をしたのだ」
そんな哀れな姿を横目で見て、邪神はどこか満足気な言葉を口にする。まるで途中で死ぬのが当然みたいな事を。
幾らあたしたちを殺そうとした奴隷たちでも、その境遇と今の惨状を目にすれば同情も疑念も湧いてくる。だからカレンがそれを尋ねた。そうしたら邪神は薄く笑って――
「力を与えてやったのだ。薄汚い家畜以下の存在であろうと、戦いを生業とするお前たちと対等に渡り合う事が出来る力を。尤も――その力は自分自身の生命力を削る事で実現する、死への片道切符だがな」
「なっ!? 自身の生命力を削る、ですって……!?」
「なんて、非人道的な真似を……!」
とても恐ろしい、身体強化魔法の実態を口にしてきた。これにはラッセルくんも驚愕を露わにして、あたしも思わず怒りを覚える。
ついさっきまで奴隷二人の身体を強化していたのは、本人たちの生命力。それはもの凄く強くもなるはずだよ。自分の命を燃やして、最後の力を振り絞っていたようなものなんだから。
ただしそれは、邪神の魔法によって強制的に命を燃やされてただけ。あまりにも非人道的で悍ましい魔法だった。
「非人道的? 面白い事を言う。いたいけな少年少女を理不尽な契約で縛り、自由意思など認めず玩具や馬車馬の如く扱い、挙句は死地へ無理やりに連れてきたお前たちが、私と違って人道的な行いをしたとでも言うのか?」
「そ、それは……!」
だけど邪神があたしを冷たく見下ろしながら口にした台詞に、反論する事は出来なかった。
あたしたち魔獣族は聖人族を奴隷として扱い、正に非人道的な行為を当然のように行ってる。実際あたしもそれを当然と思って、今まで何にも疑問に思わなかった。そんなあたしが邪神の行為を非難できるわけもない。
「むしろそのような生き地獄から解放してやった私の方が、人道的と褒められるべきだろう。それとも何だ? お前たちは他人の自由と尊厳を踏みにじる事こそ、人道的な行為だと教えられて育ったのか? なるほど、文化の違いというやつか。それはすまなかったな。さしもの神たる私も、蛮族の文化にまで造形は深くない」
「くっ……!」
次に皮肉交じりに詰られたラッセル君も、反論できずに唸るしかない。
実際にあたしたちは、聖人族を虐げる事は当然で決して悪い事ではない。むしろ正しい事。そういう風に教えられて育ってきた。蛮族の文化って罵りは何も間違ってない当然の指摘だと思う。
「――惑わされるな、お前たち! どのような美辞麗句を並べ立てようとも、コイツが世界を破滅に導く邪悪なる存在である事に変わりはない! 俺たちのやるべきことを思い出せ!」
反論も出来ずに唇を噛むしかないあたしたちに対して、惑わされるなとカレンが一喝してくる。
そうだ、考えてみればおかしな話だよね。確かに邪神の方が真っ当な事を口にしてはいるけど、邪神は世界を滅ぼすつもりの絶対的な悪。ましてついさっきは奴隷を騙して殺した外道。例え正論を口にしているとしても、そんな奴に非難されるいわれは無いよ。
「……そうだね。確かに奴隷への扱いは悪い事かもしれないけど、世界を滅ぼそうとしてるコイツの方が悪い存在だもん! そんな奴に非人道的だのなんだの言われる筋合いはないよ!」
「ええ、その通りですね。僕たちには邪神を倒し、世界を平和にするという崇高な目的があるんです。その大義の前では、奴隷への扱いなど今は些末な事。耳を貸した僕が馬鹿でした」
「大義を抱いていれば、有象無象を踏み潰して構わんと? 自己を正当化する術にかけては、人間は神をも超えているな? やれやれ、やはりこのような罪深い生き物は滅ぼさなくてはならんな……」
覚悟を決めたあたしたちに対して、邪神は大袈裟に呆れてため息を零す。
お互いに話す事なんてこれ以上は無い。だからこれから始まるのは目障りな相手を潰す命のやり取り。ついに世界の命運を賭けた決戦の始まりだ……!
「……とはいえ、貴様らをこの場で殺す気は無い。羽虫とはいえこの城を初めて訪れた記念すべき客人だからな。そして今の私の魔力は、力の回復を図るために使うもの。羽虫を踏み潰すために使うものではない。理解できたならば私の優しさに咽び泣きながら疾く去れ」
そんな風に思ってたのに、当の邪神には戦う気が一切感じられなかった。だるそうに玉座に腰掛けたまま動く様子を一切見せず、挙句の果てにあたしたちに早く帰れって言ってくる。しかも凄い上から目線で。
もしかしたら直接戦闘は苦手なのかな? だとしたら余計にこのチャンスは逃せない!
「そうか、それはありがたい。だが生憎とその言葉には従えない。俺たちはお前を殺しに来たのだからな」
「あんたを倒せば、今も足止めをしてくれてるクルスくんもきっと生き残れる! だからあんたはここで殺す!」
「これから徐々に力を取り戻して行くというのなら、あなたを倒す最大のチャンスは今を置いて他にありません。申し訳ありませんが、仕掛けさせて頂きますよ」
「ふぅ……無駄な事を……」
あたしたちは邪神を殺すため、それぞれの攻撃を繰り出すための体勢や構えを取る。だけど邪神はそれを見ても気だるそうに首を振るだけで、構えを取るどころか玉座から立ち上がる事すらしない。
何にせよ向こうが無防備なら攻撃を叩き込むのは今がチャンス! この一撃で首を刈り取ってやる!
「ブラスト・スラッシュ!」
あたしは長剣を横なぎに一閃して、全力全開の剣圧を放った。
魔法で空気の抵抗を極限まで殺し、風で動きを加速させてるあたしの動きは、速度だけなら誰よりも上だと自負してる。その証拠にあたしの放った剣圧は、カレンたちが明確な攻撃行動を放つ前に邪神の首元に吸い込まれるように命中――
「っ!? これって、エクス・マキナと同じ……!」
――しなかった。玉座ごと包み込むような球状の結界が邪神を中心に一瞬で展開されて、あたしの渾身の一撃はあっさりと防がれた。
おまけにその結界の色は赤。その時の色によって魔獣族か聖人族の攻撃を無効化する、エクス・マキナと同じ類の防御魔法だって一目で分かった。そして赤色の今は、魔獣族の攻撃を完全に無効化する状態。
「ならばこれでどうだ! 百雷一閃!」
それを見て咄嗟に獲物の戦斧を<隷器>の物に持ち替えたカレンが、電気を集束させた強烈な一撃を上空から振り下ろす。そのあまりの激しさに、目の前に落雷が生じたみたいに耳をつんざく轟音と全てを塗りつぶす閃光が走った。
<隷器>での攻撃だから、これは聖人族からの攻撃として判定される。だから邪神もただでは済まないし、あるいは自分で防いでるはず。あたしたちはそう思ってた。
「な、何だと……!?」
でも、現実はどちらでも無かった。邪神は負傷も無ければ防ぐこともしてなくて、玉座ごと身を包む球状の結界は赤色のまま健在だった。間違いなくカレンの攻撃は直撃したはずなのに、結界の色が変わっていないなんて……。
「では、これならどうです!」
動揺するあたしとカレンの間を縫うように、ラッセル君が投げ放った二本の短剣が宙を駆ける。片方は普通の短剣で、もう片方は<隷器>の短剣。高い技量によって放たれたそれは、ほとんど同時に邪神を護る結界に触れて――瞬く間に弾かれた。
そして、結界の色は変わらない。間違いなく耐性を突破する条件を満たしてるはずなのに、さっきのカレンの一撃と同じく何の変化も無かった。
「そんな馬鹿な!? 確かに同時に命中したはずです!」
「ど、どうして? エクス・マキナと同じなら、<隷器>を使えば私達だけでも戦えるはずなのに……!」
焦燥と困惑を隠せないあたしたちは、それでも邪神に獲物を向けたまま頭を巡らせる。
邪神は人間より次元が上の存在。それは分かっていたけど、今は大幅に弱体化してるからあたしたちでも倒せる可能性があるかもしれない。そう考えてたのに、傷一つ付ける事が出来ない有様。こんなの絶対おかしい! 理不尽だよ!
「神たるこの私が、自らの手で創り出した雑兵と同じ能力しか持っていないと、貴様らは本気で思っているのか? おめでたい奴らだ」
何もできずに固まるあたしたちを、邪神は冷たく笑って見下ろしてくる。
だけどあたしたちはその嘲笑に反抗するよりも、邪神の口にした言葉があまりにも衝撃で反応を返す事が出来なかった。だってそれはさっきの理不尽な一幕から考えるに、邪神はエクス・マキナよりも遥かに優れた耐性を持ってるって事で……!
「その奴隷の肉体を加工して作った武器……<隷器>と言ったか。私の能力を与えたとはいえ大幅に劣化した能力しか持たぬエクス・マキナはともかく、私にそのような誤魔化しは通用しない。有効打を浴びせたいのなら、生きた聖人族による攻撃を行えば良い。簡単な話だろう?」
そのあまりにも無情な現実を、邪神は何の変哲も無い事のように口にした。聖人族の奴隷を失った今のあたしたちに、聖人族を奴隷にしているあたしたちに、奴隷をあっさりと契約から解き放つ事の出来る邪神が、生きた聖人族と共に戦え、と……。
実は<隷器>でエクス・マキナの耐性を突破できるのは、ここで絶望を与えるための布石だったのだ!(大嘘)