セレス一行VS奴隷二人
⋇残酷描写あり
まさかの奴隷を自分の戦力として引き抜くための誘い。これにはあたしだけじゃなくて、カレンたちも驚愕に表情を歪めてた。
奴隷を含めて五人でかかっても邪神を絶対に倒せる確証なんて無いのに、奴隷二人が敵に回ったらますますあたしたちは苦境に置かれる。だからそれだけは何としても避けなきゃいけない。
どうしよう? それならいっそ、今この場で奴隷を斬り捨てるべきかな? クルスくんならどうするかな?
「――命令です! 僕たちと共に、邪神と戦いなさい!」
あたしが迷いつつも剣を固く握り直してると、ラッセルくんが改めて奴隷たちにそう叫んだ。それは奴隷たちが決して逆らう事の出来ない、契約に則った命令。
そうだよ、奴隷たちは契約魔術で縛られてる。だから邪神がどれだけ甘言を弄しても、奴隷たちが寝返る事は絶対にできない。だからあたしは思わず胸を撫で下ろそうとしたんだけど……奴隷たちはまるでラッセルくんの言葉が聞こえなかったみたいに、何の反応も示さず邪神を見つめてた。もしかして、何かの魔法で奴隷たちに命令が届かないようにしてる!?
「羽虫の囀りなど無視するがいい。私の力により、今のお前たちは理不尽な契約から解き放たれている。自らの意思で選択せよ。このまま奴隷として尊厳も自由も無い家畜以下の人生を送るか、私の手足となり自由と尊厳を取り戻すために戦うか」
「………………」
やっぱり邪神が何かしたみたいで、今の奴隷たちに命令は届かないみたい。それを理解したあたしたちはもう奴隷を仕留めるしかないって考えて、示し合わせた様に奴隷たちに向けて一歩踏み出そうとした。でもその時――
「……戦います! 私たち、自由になりたい!」
「俺たちをこんな目に合わせた、憎い魔獣族に復讐したい!」
奴隷の女の子と男の子は憎悪に染まった目で立ち上がり、今までの半分死んでるような無気力が嘘みたいに強い意志に満ちた声を上げた。それはあたしたちが思わず足を止めるくらいには迫力があって、そしてどこまでも切実だった。
「良く言った。では、力を授けてやろう」
「――この際奴隷を斬り捨てても構わん! 全力で止めろ!」
邪神が緩やかにその右手を奴隷たちに向けた瞬間、カレンがこの中で一番速いあたしにそう指示を出してくる。
確かにあたしなら、邪神が何かをする前にこの奴隷たちを殺す事ができるかもしれない。すでに武器は構えてるし、首を刎ねるだけで終わるから難しくなんて無い。だけど、この子たちをこんな憎しみに染まった目にして、どこまでも追い詰めたのは他ならぬ自分たち。
今までは気付かなかったけど、それはあたしたちが犯した罪。これまでずっと馬車馬以下の扱いをしてきて、目障りになったから斬り捨てる? 本当にそんな事をして良いの? そんな邪神以上に悪辣な真似をして、あたしはクルスくんと笑顔で再会できるの?
「ぐっ!?」
「うあっ!?」
「きゃっ!?」
そんな事を不意に考えていたから、結局あたしは行動を起こす事が出来なかった。次の瞬間、奴隷たちの身体から爆発的な光が生じて、あたしたちは反射的に目を覆った。
「凄い……全身に力が漲ってくるみたい……!」
「本当だ……今なら何でもできそうだ!」
光が過ぎ去った後に残っていたのは、薄汚いボロ布みたいな衣服だけはそのままに、とても小綺麗になった奴隷二人。栄養状態も悪くて血色の悪かったその肌も、今は活力を完全に取り戻したみたいな綺麗な肌になってる。
そして何より、その身体から放たれる圧力がさっきまでとは桁が違う。ぷるぷる震えてた子犬が突然巨大なオオカミに変身したような、身の危険を感じるレベルの圧が感じられる。きっと邪神はこの二人の疲労や栄養状態を一瞬で回復させて、その上で身体能力を高める魔法をかけたんだと思う。
「さあ、我が手足となった奴隷たちよ。自らの自由と尊厳を取り戻すために、邪魔者を排除せよ」
「……はいっ!」
「かしこまりました!」
完全に邪神の使徒と化した二人の奴隷は、武器として与えていた短剣を手にあたしたちに襲い掛かってきた!
その身体能力はまるで吸血鬼に迫る勢いで、あたしは危うく首を切り裂かれそうになった。危険を感じて身構えてたから何とか下がってギリギリ躱せたけど、もしそれが無かったら終わってたかも……。
「ぐっ!? 何という力だ……!」
あたしに襲い掛かってきた男の聖人族奴隷から距離を取る傍ら、カレンの苦渋に満ちた声が耳に届く。視界の端に目を向ければ、恐ろしい事に女の聖人族奴隷がカレンと鍔迫り合いをしてた。貧弱でボロボロな短剣で、カレンの巨大な戦斧をはじき返さんばかりに押し込んでる。
やっぱりこの奴隷たち、とんでもないくらいに身体能力が強化されてる……!
「身体能力に加え、動体視力や反射神経も大幅に強化されているようです! お二人とも、油断しないでください!」
ラッセル君はそう口にして、あたしとカレンに襲い掛かる奴隷たちに暗器を投げて牽制してくれる。でも本人が口にした通り、強化されてるのは身体能力だけじゃない。奴隷たちは攻撃の手を全く緩めないまま、最小限の動きで暗器をあっさりと躱した。
「死ねっ! お前たちをぶっ殺して、俺たちは自由になるんだ!」
「愛だの恋だのふざけた事、よくも散々聞かせてくれたわねあんたたち! 私は毎晩のようにゲスな奴らに犯されてたってのに! もう二度と綺麗な身体には戻れないってのに! 許せないっ!」
「ぐっ、う……!」
そして二人の奴隷は殺意や憎悪や憤怒といった感情を激しく噴出させながら、容赦の無い斬撃を叩き込んでくる。あたしも躱しきれずに一回だけ剣で受け止めようとしたけど、鍔迫り合いに持ち込む事すら出来ず身体ごと弾き飛ばされた。こんなのまともに受けたらただじゃ済まない。
この奴隷二人がここまで激昂してるのは、今までの境遇を考えれば当然の事。正直今は同情の気持ちもある。特に女の奴隷の方は、恋する乙女になった今のあたしには胸が痛くなくなるくらいに共感できる。
「――雷光っ!」
「ゲイル・スラッシュ!」
だけど、抵抗を止めて大人しく殺されるなんてありえない。共感も同情もできるけど、今重要なのはあたしたちが生き残り邪神を倒す事。だからあたしとカレンは、容赦なく返しの刃を奴隷たちに放った。
カレンの戦斧が稲妻を撒き散らしながら奴隷の短剣を迎え撃ち感電させ、あたしが振るった剣が放つ風の刃が奴隷の脇腹を深く抉る。
悪いとは思うけど、ここで怯んで動きを鈍らせたら一気に仕留めるつもりだった。だってあたしたちが戦うべき相手は邪神だから、ここで無駄に消耗するわけにはいかないもの。
「――こんな攻撃、効くもんか!」
「絶対に許せない! 殺してやるわっ!」
「何だと!?」
「嘘っ、何で……!?」
だけど、奴隷たちは怯むどころか止まる事すら無かった。カレンの電撃を受けた女の奴隷は全身から火花を上げつつ獲物を振るい続けるし、私の風の刃を受けた男の奴隷は脇腹から腸を零れさせながら襲い掛かってくる。
これは執念とか狂気とかそういうレベルじゃない。もしかして身体能力の強化だけじゃなくて、痛覚とかも麻痺させられてる……!?
「やむを得ん。全力でかかるぞ」
「……そうだね。これは確実に息の根を止めないと終わりそうも無いし」
痛覚が麻痺させられてるなら、どれだけの痛みや重傷を与えたって絶対に止まらない。実際この奴隷たちは本来なら真っ先に治癒するような怪我を負ってるのに、その分を攻撃に割り振って苛烈に叩きつけてくる。きっと本当にギリギリになるまでは治癒の魔法も使わないと思う。だとしたらやっぱり確実に殺して止めるしかない。
「やってみろぉ! 腰抜けのサキュバスがぁ!」
「惨めに死んだあの気持ち悪い男の後を追わせてやるっ!」
覚悟を決めたあたしたちに対して、奴隷たちは挑発染みた言葉を叫びながら襲い掛かってくる。
あたしたちの精神を揺さぶって隙を作ろうとしたのかもしれないけど、それはむしろ逆効果。すでに臆病な自分に別れを告げたカレンに、クルスくんに恋するあたしに、その言葉は火に油を注ぐようなものでしかない。
「俺はもう腰抜けなどではない! その言葉を取り消さぬのなら、楽には殺さんぞ!」
「クルスくんは死んでなんかない! 見てきたような事をほざくなぁ!」
だからあたしたちは遠慮も容赦も全て捨てて、目の前の存在を魔物と同じただの倒すべき存在として断じた。
少なくとも今この場では、同情や憐憫なんてもう考えない。邪神を倒す事、そして生きてクルスくんに再会する事だけを考える。その邪魔になるものは、どんなものでも斬り捨ててやる!
そうして、あたしたち三人と奴隷二人との激しい戦いが繰り広げられた。
数的にはこっちが有利に見えるけど、ラッセルくんにはこっちを見下ろす邪神の警戒に集中して貰ってるから、あんまり助力は期待できなかった。邪神は玉座に腰掛けたままで動く気配は無いけど、ずっとそのままとは限らないし。
だからあたしとカレンが協力して、奴隷二人を追い詰めていく。単純な技量ならあたしたちの方が遥かに上とはいえ、奴隷二人は気迫と執念が違った。どんどんボロボロになっていくのも構わず、むしろ自分の身体で攻撃を受け止めてその隙に攻撃を行って、物理的に動けなくなるほどの負傷に達しそうになったらようやく治癒の魔法で回復する。そんな文字通り自分の命を賭けた、狂気の域にも達する死に物狂いの戦い方。それは奴隷たちが味わった理不尽への怒りや憎しみの強さを表してて、背筋が凍るような恐怖を覚える程だった。
「ここだ! ストーム・ジェイル!」
だけどそれでも、あたしたちには負けられない理由がある。だからあたしは奴隷二人を纏めて風の檻の中に閉じ込めると、身を翻してその場から飛び退いた。
「今だよ、カレン!」
「任せろ! 轟雷戦斧っ!」
入れ替わりにその場に飛び込むのは、戦斧に膨大な電気を纏わせたカレン。一ヵ所に纏めた奴隷二人を纏めて打ち倒すため、その巨大な戦斧は風の檻を引き裂く様に振り下ろされた。
途端に凄まじい閃光と爆音が世界を塗りつぶす様は、まるで目の前に雷が落ちたような光景。実際に奴隷二人は雷に身を焼かれたように全身が黒焦げになってた。
だけどそれは一瞬の事。すぐに二人は治癒魔法を行使して、徐々に元通りの綺麗な肉や肌を取り戻して行く。今までで最大の規模の一撃だったのに、あれでも即死しないの……!?
「何度やったって無駄だ! 邪神様に貰ったこの力があれば、お前たちに負けたりしない!」
「この程度で止まるほど、私たちの怒りは小さくない! あんたたちを絶対に殺して――ぁ」
「アニ!? どうした!?」
異常なまでの執念に慄くあたしたちの前で、唐突に奴隷の女の方が言葉を切ってその場に崩れ落ちた。これには奴隷の男の方も驚きを露わにしてて、何よりあたしたちの方が驚きを隠せない。すでに身体の負傷はほぼ完治してるから、倒れる理由なんてどこにもないはずなのに。
「あ、れ……? 分かん、ない……何か、力が……入らない、の……」
「……カレンさん、今の内に仕掛けましょう」
「そうだよ、これは今がチャンスだよ。どうせもう殺すしかないんだから、今の内にやっちゃおう」
「待て、二人とも。何か様子がおかしい」
ラッセルくんと一緒に隙だらけの奴隷たちを仕留めようと動きかけたけど、それを酷く鋭い目つきをしたカレンに止められる。
確かにあの女の奴隷の様子はおかしい。でも結局殺すんだから躊躇う理由はどこにもない。だからあたしはカレンの制止を無視して動こうとした。でも――
「な、何だこれ!? 身体、何でこんなに冷え切ってるんだ……!?」
「分かんない、けど……私、もう、死んじゃうみたい……」
男の奴隷に抱き起こされた女の奴隷の顔を見て、あたしは動きを止めた。だってあたしが手を下すまでも無く死んでるような、血の気の失せた真っ白な顔をしてたから。
これは一体どういうこと? 邪神から力を授かった奴隷が、どうして死人同然の状態になり下がってるの?
「そんな!? 邪神様の力を授かったのに、どうして――そうだ、邪神様! アニを治してください! お願いします!」
男の奴隷は女の奴隷を固く抱きしめ、涙ながらに邪神にそう願う。
だけど邪神は何の反応も示さなかった。ただただ奴隷たちを冷たく見下ろしてるだけで答えを返さず、何ら心に響いた様子がない。さっきは奴隷たちに哀れみを見せた癖に、何で今は全く反応を示さないの……?
「イクス……最後の、お願い……聞いて……?」
何も反応を示さない邪神に男の奴隷が言葉を続ける前に、アニって呼ばれた女の奴隷が消え入りそうな声で呟いた。その震える手をイクスって男の奴隷の頬に伸ばすけど、その手も完全に真っ白で死人としか思えない状態になってる。最後のお願いって事は、自分でももう駄目だと分かってるみたい。でも、どうしてこんないきなり生命力を使い果たしたみたいな状態に……?
「アニ!? や、やめろよ、最後のお願いなんて……!」
「最後に、キス……して、欲しいの……愛情のある、幸せな、キスを……」
「アニぃ……!」
アニが口にしたのは、とても女の子らしいお願い。恋する乙女のあたしだからこそ、最後にそれを叶えたい気持ちが良く分かった。アニの場合は奴隷として男たちの慰み者にされていたから、余計にその憧れが強いんだと思う。きっと今まで、無理やり唇を奪われたことしか無いはずだから。
「おね、がい……せめて、一度くらい……まともな、キスを……したい、の……」
「……ああ……分かったよ、アニ……」
イクスの方も同じ奴隷って立場だから、その気持ちを良く分かってるみたい。悲しみに涙ぐみながらも頷き、ゆっくりとアニの唇に顔を寄せて――
「んっ……」
望み通り、まともな口付けをしてあげた。
その悲しくも美しい光景を前に、聖人族も紛れもなく人なんだと、あたしははっきりと理解できた。どうして今まで、奴隷たちが馬車馬のように扱われる光景を見ても何とも思わなかったんだろう。そもそもどうして、聖人族たちをこんな目に合わせてるんだろう。
邪神との戦いを前にしてこんなとりとめの無い事を考えるなんてとんでもない事だけど、それでも疑問と後悔が頭を離れなかった。
「う、ううっ……! アニぃ……!」
そして最後の口付けを終えたイクスは、アニの身体を抱きしめながら咽び泣き始めた。
もうすでに事切れたみたいで、彼女の身体はピクリとも動かない。それでも最後の最後にほんの僅かな幸せに浸る事が出来たからか、彼女はとても安らかな顔をしていた。
「――ふむ。やはりこの程度か。薄汚い奴隷だけあって、実験体としても粗悪品だな」
だけどそんな彼女の幸せを踏みにじるかの如く、今まで沈黙していた邪神が口を開いた。奴隷たちに哀れみを向けた時とはまるで違う、地を這い回る蛆虫にでも向けるような冷酷に過ぎる瞳を向けながら。
イクス=エクスペリメント
+
アニ=アニマル
ll
エクスペリメント・アニマル(実験動物)




