邪神との邂逅
⋇ここからしばらくセレス視点
「はあっ……はあっ……!」
何とか命からがら邪神の城に入る事が出来たあたし達は、勝手に閉まった正門の巨大な扉を背にしながら乱れた呼吸を整えてた。
クルスくんのおかげで、あたしたちはエクス・マキナの群れを無事に突破する事ができた。あの赤みを帯びた巨大な竜巻が数多くの敵を引き込み、巻き上げて切り刻んでもの凄い勢いで倒す光景はしっかり目に焼き付いてる。
でも魔法無効化を無効化する魔法をずっと使ってて、更に直前まで強固で広大な結界を張ってたクルスくんは、きっと見た目以上に魔力を消耗して疲弊してたと思う。そんな状態であんな魔法を使って、本当に大丈夫なのかな……?
「……奴隷が一人、足りんな。離脱が間に合わなかったか」
誰よりも早く呼吸を整えたカレンが、人数が足りない事を指摘してきた。
見れば確かにあたしたちが連れてた奴隷が一人減ってる。クルスくんと別れる前は四人いて、一人をクルスくんの所に残したから残りは三人のはず。でも抱き合って震えてる奴隷は二人だけ。カレンの言う通り、離脱が間に合わなかったんだと思う。そういえば奴隷の一人には御者をさせたもんね。
だけどカレンを含めて、それを特に悲しく思ったりはしない。奴隷なんかよりクルスくんの事が心配だもん……クルスくん、絶対に生き残ってね……!
「ここが、邪神の城……」
「何だか、距離感がおかしくなりそうだね……」
次いで呼吸が整ったラッセルくんとあたしが、ここで初めて周囲を見回す。
城の外観も黒と白の二色で構成されてたけど、中もやっぱり同じみたい。そして黒も白も異常なまでに純度が高くて、空間に直接色を塗ってるみたいな感じに見えて距離感がおかしくなりそう。
そしてとても大きい城だったのに、人どころか生き物の気配が微塵も感じられない。その上で何の物音もしてこない静寂に満ちた場所だから、あたしたちの呼吸や衣擦れの音がやけに大きく聞こえてきて少し怖い。隣にクルスくんがいたら、きっと安心できるのに……。
「お前たち、一瞬たりとも気を抜くな。ここは敵の本拠地、何を仕掛けてくるか見当もつかん」
「ええ、そうですね。十分に警戒しつつ先に進みましょう」
「セレスも行くぞ。俺たちは進むしかない」
そっと扉に触れるあたしに、カレンが優しく声をかけてくる。
本当は今すぐこの扉を切り飛ばして、クルスくんの所に行きたい。でもあたしが戻っても足手纏いにしかならないし、ここで戻ったらクルスくんの奮闘が無駄になる。それはあたしを信じて送り出してくれた、クルスくんの信頼を踏みにじる事になる。だからあたしは好きな人の所に戻りたい気持ちを、唇を噛んで堪えた。
「……うん、行こう。あたしは、信じてるから」
そして踵を返して、城の奥を見据えながら歩き出す。不気味な城の中を歩く恐怖も、クルスくんの事を想えば無限の勇気が湧いてくるから耐えられる。
あたしはクルスくんを信じて、前に進むって決めたんだ。だから何一つ恥じる事なく再会できるよう、絶対に邪神を倒すんだ! 見ててね、クルスくん! あたし頑張るよ!
「……敵が、出てきませんね」
「気配も全く感じられない。俺たちが侵入した事などとうにバレているはずだが……」
邪神の城を警戒しながら進んでいくあたしたちだけど、不思議と襲撃や罠の類は一切無かった。あたしはもちろん、ラッセルくんもカレンも不思議がってる。むしろ何も無い事があまりにも怪しくて逆に不安になってくるくらい。
城の中に響くのが自分たちの声や足音だけだから、妙に大きく聞こえて酷く不気味に思える。だけどあんな陰険な襲撃を二度も仕掛けてきた邪神が、何の罠も策も無いなんて思えない。だからこれはあたしたちを不安にさせるっていう、凄く嫌らしい罠って事もある。それかあるいは――
「――もしかしたら、あたしたちを誘ってるのかもね。直々に相手をしてやるから、早く自分の所に来いって感じに」
逆に今までの襲撃であたしたちの実力を知った気になって、もう罠を仕掛ける必要もなくなったって考えてるのかもしれない。実際城の正門はあたしたちが近付くと招くように開いてた。自動で開くんじゃないのなら、邪神がわざと開いたとしか思えないし。
あれくらいであたしたちの力を知った気になるなんて見くびるのも良い所だけど、全体的に見ると最初にいた人数から一割以下になってるんだからそれも仕方ないとは思う。それにむしろあたしたちを見くびってくれた方が、隙や油断を突けそうだから有難い所もあるし。
「どうでしょうね。そのような騎士道を重んじるような考えを持つ相手なら、ここまで二回もの悪辣な襲撃を仕掛けてくるとは思えませんが。いえ、あるいは僕たちを過小評価していて、罠の必要もなくなったと判断したのか……」
「いずれにせよ、油断はせずに警戒して進むぞ。いつでも戦える用意をしておけ」
襲撃や罠が無さそうでも、それを素直に信じる事は出来ない。だから結局あたしたちは周囲を全力で警戒しながら、あまりにも静かな城の中をゆっくりと進んで行った。
でも結局、どれだけ城の奥に進んでもエクス・マキナの一匹たりとも出てこなかった。やっぱり邪神はあたしたちと直接戦うつもりなんだと思う。それがはっきりと分かったのは罠も襲撃も無かったからじゃなくて、長い通路の向こうに大きな扉が見えた瞬間からだった。
「この魔力は……」
「いるのでしょうね、あの扉の奥に……」
あたしの隣で、カレンたちがごくりと息を呑む。
まだ扉が遠くに見えただけなのに、その時点で身を切るような冷たい魔力をはっきりと感じた。あまりにも強大で濃密で、寒気を覚えるような途方も無い魔力。それを全く隠しもせずに垂れ流して、存在を主張してる。まるでここにいるから早く来い、って言ってるみたいに。
そしてその予想は間違ってないみたいで、あたしたちが近付いていくと扉は不気味な音を立てて開いていった。
「……どうやらセレスの予想が正しいようだな。俺たちを誘っているらしい」
「随分と舐められたものですね。本来の力が出せない状態で、直々に僕らの相手をしてくださるとは」
「舐めてくれてるならむしろありがたいよ。こっちを弱いと思って油断してる内に、みんなで一気に叩きのめしちゃおう」
どういう理由で直接対決を望んでるのかは分からない。でもこっちを弱いと思ってるならあたしたちにとっては凄く有難いから、むしろ望むところってやつだね。
「……行くぞ!」
覚悟を決めたあたしたちは、カレンの号令で最後の道のりを歩き始めた。扉が開いた事で吹き付ける魔力のおぞましさが数段跳ね上がったけど、それでも決して足は止めない。クルスくんが頑張ってるんだから、あたしたちはこんな所で止まってられないもん!
だからあたしたちは、まるで巨大な獣の口の中に自ら飛び込むような恐怖を覚えながらも、その扉を潜り抜けた。中は真っ暗で足元すら碌に見えなかったけど、それは最初の内だけ。すぐに周囲に灯りが灯って、部屋の全貌が明らかになった。
邪魔なものが見当たらない広いホールのような場所だけど、ここはそんな場所じゃない。だって奥には禍々しい白と黒の二色で構成された、悍ましい玉座が鎮座してるから。つまりここは、玉座の間。そして玉座に腰掛け、こっちを見下ろしてるのは――
「――ようこそ、我が居城へ。鼠とはいえ初の客人だ。特別に歓迎してやろう」
この城の主――邪神クレイズ。巨大な黒白の翼を広げ、下々を見下ろす本物の王みたいにあたしたちを傲慢に見下ろしてる。
以前空に映し出された姿を見た事があるけど、実際に目にするとこの世のものとは思えないほどおかしな存在に見える。身に纏ったローブはとても豪奢で素材が何かも分からないくらいに綺麗に見えるのに、白と黒の返り血を浴びたみたいな悍ましいデザインをしてる。本人の顔もあり得ないほどに整ってて、まるでマネキンみたいな作り物の不気味さを感じる。怪物が無理やりに人の姿を真似てるような、そんな本能的な悍ましさすら感じた。
「お前が、邪神クレイズか……」
「いかにも。私こそがこの世界の創造主たる女神カントナータの伴侶、クレイズだ。本来ならば貴様らのような羽虫如きが面と向かって言葉を交わせるような存在では無いのだぞ? 私に拝謁出来た喜びに咽び泣くがいい」
カレンの誰何に素直に答えたかと思えば、あたしたちを羽虫呼ばわりした挙句、自分と会えた喜びに咽び泣けとか言ってくる傲慢さ。今のあたしが会えて咽び泣くのはクルスくんだけだよ。
あたしはもうこの時点で、邪神とは根本的に分かり合えないって理解できた。向こうはあたしたちの事を、文字通りそこら辺にいる昆虫程度にしか思ってないから。踏みつぶしたって心は痛くもかゆくもない、そんな存在にしか。
「拝謁? 喜び? 邪神様は冗談がお上手でいらっしゃる。ご自分がそのような感情を抱かれる高尚な存在だとお考えとは、どうやら頭の作りも我々とは一線を画しているようですね? 僕たちがあなたのお姿を目に焼き付けるためだけにこの場に集ったと、本気でお思いですか?」
ラッセル君も同じように感じたみたいで、一見丁寧に見える皮肉全開の言葉で答える。さりげなく懐に手を入れてて、もういつでも攻撃に移れる感じ。最初に声をかけたカレンといい、二人とも頼もしいな。これでクルスくんもいてくれたら良かったのに……。
「無論だとも。何せ貴様らに可能なのは、私の前にひれ伏す事だけなのだからな。神たるこの私に、貴様ら羽虫風情が触れられるとでも本気で思っているのか?」
「そうね、普通ならまず無理そう。でも今のあんたはもの凄く弱体化してる。それならあたしたちの刃だって届くかもしれない。あたしたちには負けられない理由がある。だから、ここで退くわけになんかいかない!」
実際に相対して感じる強烈な魔力と怖気に堪えながら、自分を鼓舞するように言い放って剣を構える。
弱体化していてなお、垂れ流される魔力だけでも恐ろしいほどの圧を感じる。正直あたしたちはみんなここで死んじゃうかもしれない。でもだからって、戦いも抵抗もせずに大人しく殺される気なんて無い。だってクルスくんと約束したもん。必ず戻るんだって……!
「その通り。そしてお前を倒す絶好の機会は、今を置いて他に無い。お前をこの場で確実に滅し、平和を世界にもたらしてやろう」
「世界のため、大切な人のため、そして――友のために。僕たちは絶対に負けません!」
二人も改めて武器を構え、自分を鼓舞する。あたしと同じように僅かに恐怖で身体が震えてるけど、逃げ出す様子なんて欠片も無い。信頼のおける仲間たちが隣にいるから、そして自分たちをここに送り出してくれた仲間がいるから、絶対に退くつもりがない。
良かった。この二人と一緒になら、きっと最後まで戦える……!
「フフッ、ハハハッ、ハハハハハハハ!」
そんな不退転の決意を固めたあたしたちの前で、邪神が翼を震わせて笑う。一体何がおかしいのか、さも愉快とでも言いた気な煩わしい哄笑を垂れ流してる。
でも笑っていたのはほんの少しの間の事。すぐにさっきまでの冷淡な態度に戻ると、あたしたちに対して哀れみと侮蔑のこもった目を向けてきた。
「貴様らは大昔から何も変わっていないな? 愛情だ信念だ友情だ、お綺麗な言葉で歪な正義を振りかざし、その名のもとに欲望の限り非道を尽くす。我が伴侶は何故貴様らのような害虫を愛していたのか、全く不思議でならん」
「歪な正義、だと……?」
「妄信し目が曇った者たちは歪さに気づけぬのか? 疑うのなら、後ろを見るがいい」
邪神は顎をしゃくって、あたしたちに後ろを見ろと言い放ってくる。
こんなとんでもない魔力を放つ化け物から目を逸らすのは、正直あまりにも恐ろしい。目を離した瞬間に致命的な魔法が飛んできて、一瞬であたしたちの命が刈り取られるかもしれない。かといってこの絶対的な自信と態度からして、隙を突くために虚言を弄してるとも思えない。
だからあたしたちは邪神を警戒しながら、少しずつ背後に目を向けて――
「っ……!」
「ひっ……!」
固く抱き合い恐怖に怯える、二人の聖人族奴隷の姿を目にした。
そういえば連れて来てはいたけど、奴隷たちに注意を払う余裕は無かったっけ。あたしたちでさえ邪神を前にして明確な恐怖を覚えてるから、この奴隷たちはもう腰が抜けて動く事もままならないように見える。歯の根が合わなくなったみたいにガチガチ震えながら、青い顔であたしたちと邪神に交互に視線を向けてる。
そしてあたしはこの光景を見て、邪神の言う歪な正義とは何かをはっきりと理解できた。あたし自身は今まで特に疑問に思わなかったけど、聖人族への敵意が薄いクルスくんと接していたから、それに気付く事が出来たんだと思う。
「世界や平和のためなどと大層な事をのたまいながら、貴様らは自分と異なる種族の自由と尊厳を踏みにじり奴隷にしているだろう? なあ、教えてくれぬか? そこに一体どのような正義があるのだ? 何故そいつらには平和を与えてやらんのだ? 自分たちと違う者には愛も優しさも情けも要らぬというのが、貴様らの掲げる正義なのか?」
「それ、は……」
「っ……」
カレンとラッセルも反論できないみたいで、言葉に詰まって明らかに戸惑ってた。
そう、邪神は正論しか言ってない。考えてみればとてもおかしな話。正義だ何だと言いながら、自分と違う存在を排斥するのは間違いなく悪のやる事。何よりおかしいのは、今まであたしたちがそれに対して特に罪悪感を抱いてなかった事。
聖人族は敵だから、そういう扱いをするのが当然。あたしたちはそういう風に教えられて、周囲の様子から学んできた。そんなあたしたちが世界の平和を謳うんだから、歪な正義とそしられても仕方の無い事だと思う。
何だろう。ちょっと場違いだけど、ここに来て少し目が覚めたような気がする……。
「……哀れだな。意思など完全に無視され、馬車馬の如く扱われ、性処理の道具として用いられ、挙句に死地へ送り込まれる。自分たちの人生は何だったのか、何のために生まれて来たのか、悔しさで涙した事など最早数えきれず、すでに涙も枯れ果てているのだろう」
邪神は文字通り憐れむような目で奴隷二人を見下ろす。
あたしたちを羽虫呼ばわりした邪神が、あたしたちがゴミの様に扱ってる奴隷たちに本気の哀れみを見せてる。その上で、口にしてるのはまるで奴隷たちの身になったみたいな慰めの言葉。人を人と見ないような振る舞いをしてる癖に、奴隷たちにはこの対応。それが何だかとてもあやふやで気持ち悪く思えて、あたしは思わず一歩下がっちゃったくらい。
ただ、奴隷たちの方は違ったみたい。邪神が自分たちに親身な台詞を口にしてくれたからか、不思議とその表情から恐怖が消えてた。いつの間にか身体も震えてない。
「だが、私はそこの偽善者共とは違う。そんな哀れなお前たちに、選択肢をやろう」
「……選択、肢?」
「………………」
邪神に直接声をかけられて、奴隷の一人が問いを繰り返す。
何だろう、凄く嫌な予感がする。この奴隷たちを斬り捨てでも話を止めなきゃいけないような、そんな途轍もなく悪い予感が。
「そいつらと共に私と戦い、囮か捨て駒にされて死にたいというのならそれで構わん。だがそれが嫌だというのなら――私のモノとなれ。お前たちに理不尽を打ち壊す力を授け、自由を与えてやろう」
あたしの予感は間違ってなかったみたいで、邪神はそんな恐ろしい台詞を口にした。まるで悪の道に誘うように、とても悪辣な笑みを浮かべて。
⋇クルスはノリノリでやってます