邪神降臨
⋇前半三人称視点
⋇後半カルナちゃん視点
聖人族の国の首都、テラディルーチェではとある儀式の準備が進められていた。それは勇者召喚と呼ばれる、異世界の人間に寿命と引き換えに様々な能力を与え、魔獣族への敵意を刷り込んだ上で召喚するという外道極まる儀式だ。
とはいえそれに対して罪悪感を覚えている者など皆無と言って差し支えない。元々この世界の存在ではないので下手をすると魔獣族よりも異質な存在であるし、何よりこれは魔獣族との争いに勝利するためもの。大勢の同胞を犠牲にするか、異世界の見知らぬ存在を犠牲にするか、天秤に欠けられれば誰もが後者を選ぶのは当然の事だった。召喚される勇者が大抵の場合、酷く無礼で教養の無い人間であるため余計に。
「陛下、用意が整いました。いつでも始められます。ご指示を」
「うむ」
故に、つつがなく儀式の準備は終了。玉座に腰掛け時を待っていた王へ、宰相が指示を求めてくる。後は王が一声かければ、即座に勇者召喚の義の始まりだ。しかしその前に、王は一つ深いため息を零して物思いに耽る。
これまで幾度となく行われてきた勇者召喚の義であるが、召喚した勇者が魔王を討伐できた事など一度も無い。それどころか国境を突破して魔獣族の国に侵入できる者すら、ほんの一握りという有様だ。挙句の果てに大概が礼儀を知らぬ無礼な人間であるため、そろそろ王の我慢も限界であった。
所詮は同胞ではない異世界の存在。一応は聖人族の姿形をしている事と、操りやすいという理由から勇者として祭り上げてきたが、やはりそれでは甘かったのだろう。これからはそれこそ奴隷以下、ただの道具として躾ける方が賢明に違いない。
「次こそは、優秀な駒が召喚される事を期待している――始めよ!」
今回召喚されるであろう勇者に対しての方針を心の中で決定した後、王は眼下の魔術師たちにそう命じた。途端に魔術師たちは床に刻まれ光を放っている魔法陣へと、杖を向けたり両手を突き出したりと各々が集中できる構えを取った。
「――我らが呼びかけに応えよ! 聖人族の剣となる従順な下僕よ!」
そして、全員がイメージを同一にした詠唱を紡ぎ上げる。
勇者召喚に必要な魔法や、勇者に様々な力と代償を与える魔法は全て魔法陣に含まれているが、それでも大勢で詠唱させるのは更に魔法の効力を強化するためだ。召喚される勇者をより強く、より従順で扱いやすい物にするために。
「汝の敵は汚らわしき魔獣族! その支配者たる魔王を討つべく、命を燃やして戦うのだ!」
詠唱が進むと共に、玉座の間に刻まれた魔法陣が呼応するように強い光と魔力を放ち始める。荘厳な青い光が玉座の間を満たす様は非常に神秘的であり、まるでこれから呼び出される存在を祝福しているかのような美しい輝きだ。
「その命を代価に、汝の渇望を満たす力を授けよう! その命を対価に、あらゆる武術を授けよう!」
尤も、実際に授けられるのは祝福ではなく呪いである。寿命を代償にその者の渇望を満たす特殊な能力を授け、なおかつあらゆる者たちから収集した武術や体術を修めた記憶を、脳の容量を無視して注ぎ込む。あまつさえ魔獣族への敵意を刷り込み、完全な兵器へと仕立て上げる。
当然召喚された勇者は長くは生きられず徐々に精神が崩壊していくものの、所詮は同胞ではない異界の存在。王はもちろん、勇者召喚の真実を知る者たちは誰も気に留める事など無い。全ては聖人族の勝利という大義のためなのだから。
「聖人族の輝かしき未来のため、遠き異界より馳せ参じよ! 我らが剣となる傀儡よ!」
そして詠唱がついに終わりへと近付く。魔法陣の輝きは眩いばかりに強まっており、王はそれを瞳を細めて眺めていた。
あとは魔法の発動と共にこの光が弾け、異界より従順な駒となるための勇者が召喚される。それが長年行われてきた勇者召喚の義の流れであった。
「――サモン・スレイブ!」
「……む?」
しかし、今回だけはその流れに歪みが生じた。
魔術師たちが発動のために声を揃えて魔法の名称を口にした瞬間、弾ける一歩手前まで膨れ上がっていた青い光が唐突に消失したのだ。同時に吹き荒れるように放たれていた魔力も完全に消え去ってしまい、これには王だけでなく臣下達も困惑していた。
故に何事かを魔術師に問おうとしたのだろう。王の隣に控えていた宰相が一歩踏み出し声をかけようとした、その瞬間――
「――うわあっ!?」
「な、何だこれは!?」
仄かに青く輝いていた魔法陣が、その色を突如として裏返る様に不気味な赤色へと変貌させた。その上で再び眩いばかりに光り輝きながら、途轍もなく強い魔力を放ち始める。先ほどまでは荘厳な光に神秘的な光景であったが、その色が赤く変化しただけであまりにも悍ましく根源的な恐怖を煽る光景となっていた。
しかも驚いた魔術師たちが皆後退り離れて行ったにも関わらず、魔法陣の不気味な光は衰えるどころか刻一刻と強さを増していく。
「何だ、この不気味な光は!? 儀式の失敗か!? 誰でも良い、答えよ!」
「わ、分かりません! こんな事は初めてです!」
王は眩い光を手で遮りながら問いかけたものの、望む答えは返って来ない。端的に言って異常事態であるが、誰もが恐ろしい光から逃れるように後退り成り行きを見守るしか無かった。
王が魔法陣の破壊を命じれば行動を起こすかもしれないが、奇跡的に発見できた大量の魔石を用いて行った勇者召喚の義である事実により、その惜しさに破壊を即断する事ができなかった。
「うわっ!? 今度は何だ!?」
「ひ、光が、城の外に……!」
そして王が逡巡している間に、事態は不可逆の物と化した。魔法陣の赤い光が撃ち出されるようにして城の外へと飛んで行ったのだ。破壊は起こさず、何もかもを透過するように。
被害が出なかった事自体は喜ばしい事だったが、代わりに魔法陣は効力を失い完全に沈黙していた。もちろん勇者の姿はどこにもない。大量の魔石を惜しげも無く使ったというのに、勇者召喚は完全なる失敗である。
「――た、大変です、陛下! 空に、空にっ!」
加えて、失敗だけでは済まないらしい。突如として玉座の間に駆けこんできた真っ青な顔をした兵士が、空を指差し喚いていた。釣られて天窓越しに外へと視線を向けた王は――
「何だ、アレは……!?」
そこに想像を遥かに上回る恐ろしい光景を見て、恐怖に凍りつくのだった。
「――チッ。ここは相変わらず死ぬほど寒いな」
ほんの僅かに時を遡り、勇者召喚の直前。
魔獣族の国の首都、セントロ・アビス――その一角に存在するとある施設の地下深くへと、一人の男が降りていく。鎧の如き筋肉が全身を覆い、気性の荒さを体現するような真っ赤な長い髪を持つ男だ。そして瞳は闇そのものとでも言うように黒く、どこまでも鋭い。
彼こそが魔獣族の国の支配者、魔王ヘイナス。彼がこの施設を訪れたのは視察のためだ。しかしこの場は彼としてもあまり長居はしたくない場所だった。何故なら文字通りに死ぬほど寒いのだ。
地下室の広さ自体はさほどではない。問題は壁も床も天井も凍り付き、常に真っ白な冷気が漂う白銀の世界である事だ。何せ強靭な肉体を持つ魔王たるヘイナスでさえこの場は死ぬほど寒いと感じるほどなのだから、一般人にとってはどう考えてもまともな環境ではない。
とはいえ、何の意味も無くこの部屋が極寒の地獄と化しているわけではない。これはとある兵器を補完するための、やむを得ない処置だった。
「申し訳ありません。ですがアレを保管するためにはやむを得ない処置でして……」
「分かっている。さっきの発言は聞き流せ」
魔王の呟きを耳にしたのか、申し訳なさそうに研究員が頭を下げてくる。魔王としてもあまりの寒さにぼやいただけで、別に責めているわけではなかった。
そもそも研究員が口にした通り、これはとある兵器を保管するために必要な環境だ。そしてその兵器を保管するように命じたのは他ならぬ魔王自身。さすがにそんな背景がありながらケチをつける気にはなれなかった。
「それよりも保管状況はどうなっている? 何も問題は無いか?」
「凍結封印は継続中です。ほぼ仮死状態に置かれているため、この調子なら保管方法を違えない限り永続的に封印できるでしょう。そして解放した暁には手順通りに蘇生を施せば、問題無く兵器として運用できるはずです」
「それは良い知らせだ。何せあの化け物が消えてしまったからな。アレに比べれば遥かに劣るが、強力な武器があるというのは心強い」
研究員の報告を聞いて、魔王は僅かに胸を撫で下ろした。
数ヵ月前、魔王城の地下最深部に眠っていた魔将ベルフェゴールが忽然と姿を消してしまったのだ。アレは魔獣族の最終兵器として念のために眠らせていたのだが、いなくなってしまった今は大いに戦力を削がれたようなもの。代わりとまではいかないが、強力な兵器があれば安心感が違う。
「確かに強力な武器ではありますが、コレを継続して扱う事は不可能でしょうね。すでに脳機能に甚大なダメージを負っています。良くて数回の全力戦闘で使い物にならなくなってしまうでしょう」
「それでも無いよりはマシだ。僅かとはいえ手こずらされた甲斐もあるというものだ」
「魔王様を僅かとはいえ手こずらせる……本当に厄介ですね、勇者というものは……」
軽蔑交じりに答えた研究員と共に、魔王は部屋の中央へと視線を向けた。
そこにあったのは透き通るような透明な氷の塊。そして一糸纏わぬ姿でその中に閉じ込められ、恐怖と絶望に歪んだ表情のまま固まっている黒髪黒目の少女――聖人族が魔王を討つために召喚した、勇者の一人がそこに封印されていた。
「……ん?」
勇者との戦いを思い出そうとしていると、唐突に魔王の懐で何かが震えた。取り出してみると、振動していたのは遠隔通信用の小さな立方体型の魔道具であった。音声のやりとりしか出来ず、また使用している最中は常に魔力を消費する魔道具であるが、それでも遠隔でやりとりが可能な非常に有用な魔道具だ。
視察のために城を離れるので一応持ってきたとはいえ、よほどの事が無い限り連絡はするなと側近たちには指示している。にも拘らず連絡を取ろうとしている辺り、何らかの緊急事態が発生しているのだろう。故に魔王はすぐさま魔道具に魔力を注ぎ、通信を始めた。
『――ま、魔王様! 大変です!』
すると通信が繋がった瞬間、挨拶も無しに切羽詰まった声を叩きつけてくる。少々不快に思ったが叱責は後からでもできるので、今は緊急事態に対処する方が賢い選択だ。
「どうした。何があった?」
『魔王城の地下から、尋常でなく強大な魔力の奔流が噴き上がっています!』
「何っ!? 地下からだと!?」
その知らせを聞いて、魔王は即座に地上を目指した。
魔力の奔流が噴き上がっている事はかなりの異常事態だが、問題はそこではない。魔王城の地下から、というのが問題だ。何故なら魔王城の地下には魔将ベルフェゴールに千年以上かけて魔力を注がせた、聖人族を抹殺するための魔法陣が存在するのだ。
ベルフェゴールの消えた地下から強大な魔力が噴き上がっているとすれば、まず間違いなくその魔法陣の魔力に違いない。千年以上も注がせた魔力が無駄になってしまう事態など絶対に避けなければならない。故に魔王は全力で地下を出ると、研究施設の天井をぶち抜き一直線に外へと飛び出た。
「な……何だ、アレは……!?」
そして大空に広がる光景に驚愕と戦慄を覚え、凍り付くのだった。さながら地下に封印している勇者と同じように。
怯えて逃げ惑う兵士や魔術師たちに紛れて城の外へと出た私は、周囲の者たちと同じく空を見上げていた。誰も彼もその面差しには恐怖や緊張を浮かべているが、この私――邪神の眷属と化したレーンカルナは違う。
「ああ……何と美しく、荘厳な光景だ……」
私は大空を覆い尽くす素晴らしい光景に目を奪われ、頬の緩みが抑えられなかった。何故なら今、空には地平線の向こうまで続く巨大で複雑極まる魔法陣が浮かんでいるのだ。私が目にしているのもあくまで魔法陣の一部であり、全体の一欠片に過ぎないのだろう。この魔法陣が見かけだけの紋様に過ぎず中身が無いのは知っているが、それでもあまりの素晴らしさにため息が零れてしまう。
そう、世界を覆わんばかりに広がるこの魔法陣には何の魔法も込められていない。この魔法陣は形成された過程と、大空に展開されている事実にこそ意味がある。何故ならこの魔法陣は聖人族と魔獣族の悪辣な行動の末に生まれたものだと、両種族に錯覚させるためのものなのだから。
悪知恵だけは無駄に働くクルスが考え出した、聖人族の勇者召喚と魔獣族の殲滅魔法への対処、そして邪神の降臨を同時に行う無駄に壮大な作戦。それは勇者召喚の魔法に干渉し、殲滅の魔法陣に込められた魔力を全て奪い用いる事で、邪神は自らを封印されている空間から現世へと召喚する――という筋書きだ。
これなら勇者召喚を失敗させ、殲滅の魔法陣に込められた魔力を空にして、邪神の降臨さえも演出できる。その上で両種族から強力な兵器を奪い、なおかつ邪神降臨の引き金を引いたのはお互いだと思い知らせる事ができるというわけだ。全く、悪事に関しては実に頭が回るものだ。
「第一段階はクリア、という所だね。だがここからが難関だ」
私が見つめる中、魔法陣は徐々に回転しながらゆっくりと中心へ集束していく。最終的に目にも止まらぬ速さで回転する小さな球体のようになった魔法陣は、閃光と共に一気に弾け飛んだ。
「なかなか美しい演出だ。クルスにしては上出来だね?」
弾け飛んだ魔法陣の残骸は黒と白の羽毛へと形を変え、世界全体に降り注いでいた。青空から雪が降るような不思議な光景に、私は思わず感嘆の吐息を零してしまったほどだ。
だが、現れたのは美しい羽毛だけではない。これは本命の出現を彩る演出に過ぎななかった。
『ククク……ハハハ! ハーッハッハッハ!!』
脳裏に哄笑が響くと同時、まるで水面に映し出された光景のように、青空を覆い尽くさんばかりに半透明な姿が現れた。
それは背に巨大な翼を持ち、狂ったように笑う男性の姿だ。一見聖人族と見紛う美しい純白の翼を持っているが、それはあくまでも半分のみ。もう半分は禍々しさの極致を示すかの如く、深い漆黒に染まった翼だ。そして短い黒髪も半ば程から白く変化しており、この世界の二極性を体現する姿となっていた。どちらの種族から見ても、アレは自分たちの味方ではないと一目で理解できる事だろう。
あれこそが邪神。クルスが日々チマチマとスケッチブックに描いては修正を繰り返し、完成した破滅の権化の姿だ。
『ああ……感謝するぞ、愚かなる聖人族。貴様らが異界の存在を呼び寄せる魔術を行使してくれたおかげだ。感謝するぞ、愚かなる魔獣族。貴様らが敵を滅ぼすために、膨大な魔力を蓄積させていたおかげだ』
長い哄笑を終えた邪神ことクルスは、実に説明的な台詞を吐く。
とはいえこれは必要な事だ。邪神が降臨した責は等しく両種族にあるのだと知らしめるためのものなのだ。奇跡的に両種族が手を結ぶ展開になった場合、邪神を降臨させた責が片側にだけあるのと無いのとでは、和平の条約でかなりの差が出る事だろう。
『異界の存在を召喚する魔術、そして膨大極まる魔力。この二つに干渉し操る事で、私はついに自由を得た! 自らをこの世界に召喚する事で、封印から解き放たれたのだ! ハーッハッハッハ!!』
「うむ。実に良く出来たプランだ。世界平和にかける情熱――いや、絶対に女神を手に入れるという彼の情欲がこれでもかと感じられる」
丁寧に自分が封印から解き放たれた事実を口にするクルスに、私は人知れず呆れと感心を口にする。周囲では恐怖や混乱が巻き起こっているが、生憎と全てを知っている私はそんな反応などできるわけもなかった。
むしろ今まで争い続けたツケが回ってきたその滑稽な姿に、思わず笑いが込み上げてきたほどだ。全ては自業自得、思考停止して争い殺しあい続けた君たちの責任だ。
『さて……私を封印から解き放つ役に立った事は評価してやるが、所詮貴様らは争う事しか出来ぬ愚かな猿だ。そして貴様らはその救いようのない愚鈍さによって、我が伴侶たる女神カントナータを傷つけ、悲しませた。故に貴様らの末路は一つ』
青空に写り込んだ邪神が右手を掲げると、その手の平の中に濃密な黒い球体が生まれた。半透明な姿だというのにも拘わらず、その黒い球体は闇を通り越し、最早空間に穴が開いてるかのような底知れぬ漆黒だ。
しかし重要なのは球体の色ではない。その球体が放つ魔力だ。邪神自体は国境付近の海上にいるというのに、ここからでも全身が総毛立つほどの凶悪極まる濃密な魔力を感じる。
これが演出だという事を知っている私でさえ、本能的に身構えてしまうレベルなのだ。何も知らずにその辺りを混乱と驚愕で右往左往していた者たちはその尋常でない魔力に当てられ、凍り付いたように動きを止めていた。
『――皆殺しだ。この星ごと、塵も残さず消滅させてやる』
そして邪神は放つ魔力を三倍近く引き上げ、酷薄な笑みを浮かべた。
まさかとは思うが……本当に皆殺しにはしないだろね、クルス……?
何か途中に囚われてる勇者がいたような気がしますがきっと気のせいです。