夜営での一幕
パチパチと音を立てて燃え上がる炎。時折弾ける火の粉。遠くからでもほんのり伝わってくる暖かさ。これは焼き討ち――じゃなくて、焚き火だ。
今は夜営の真っ最中。乗合い馬車での旅の一日目は無事終了ってところだね。最初の魔物の襲撃から三回くらい同じようなことがあったけど、魔物が昆虫だったのは最初の一回だけだったからもの凄く楽だったよ。むしろ憂さ晴らしにキラの分の獲物まで全力で奪ったくらいだね。
だからまあ、火の番や周囲の警戒を僕らが任されたりしたのも別にいい。元々そういう決まりだったし、むしろ知らない奴らに任せるよりはこっちの方が安心できるし。ただ僕がちょっと、ていうかかなりイラっとしてるのは――
「いや、それにしても今日はなかなか良い光景を見せて貰ったよ。まさか君があれほど慌てて狼狽え、生娘のような悲鳴を上げて転げまわるとはね。できれば始まりから眺めていたかったよ」
「凄かったよ、あの時のコイツの表情。本当に情けなくてお腹抱えて笑っちゃったよ。アハハッ……!」
「お前らぁ……!」
焚き火を囲んで座り、それはもう楽しそうに笑いあうレーンとキラの姿だ。一見凄く微笑ましい光景に見えるんだけど、話題が話題だから怒りしか沸いて来ないよ。あとはまた親しみやすい少女の仮面を被ったキラに対する違和感もね。
二人が話題にしてるのは、もちろん僕がカマキリと戦った時のことだ。ちょっと油断してたせいで切り落としたカマキリの頭部とゼロ距離で見つめ合うことになった上、最後の抵抗とばかりに噛みついてきたせいでカマキリからのキスというとんでもないものを貰っちゃったんだよ。あれほど死にたいと思ったのは生まれて初めての経験だったね。
レーンや女神様とキスしてたから良かったものの、万一僕の初めてのキスがあんな悍ましい昆虫とだったら即座に首を掻き切って死んでたよ。うん。
「お二人とも、少し意地悪が過ぎますよ。確かに勇者様が慌てふためく姿は意外でしたし、ちょっぴりいい気味だとは思いましたけど、誰にでも苦手なものはあるんですからね?」
あんなに怒っていたはずなのに、僕をフォローしてくれるのは優しいハニエル。
何だコイツ、天使かよ……いや、ていうかさりげなくちょっといい気味って言ったな、お前?
「ふふっ、だが随分と意外だね。まさかあの勇者様が昆虫を大の苦手としているとはね。これは非常に役立つ素晴らしい情報だと思わないかい?」
「おい、何に役立てる気?」
「うーん……でも、確かに知っていても損は無さそうですよね。勇者様は昆虫が大嫌い……」
「お前も何考えてるの、ハニエル……?」
二人揃って心のメモ帳に大切に記録してるような感じで、正直不穏なものを感じる。
というか僕が特別苦手とかじゃなくて、虫は誰だって苦手だと思うんだ。それに苦手って言っても蟻とか蚊とかは問題なく叩き潰せるよ? 一匹ならね? 群れを成した蟻とか、夏場に川の近くをぐるぐる回ってる蚊の大群とかはもう駄目だけど。
「なあなあ、勇者様。ほら、デカいムカデ」
「ふっざけんなお前! やめろお前マジでやめろ! こっちくんな!!」
特に今正にキラが摘まんで見せびらかしてくるムカデみたいな、足の多い奴とかはもうめっちゃダメで――ああぁぁあぁぁあああぁぁぁ!! 投げんなこのクソ野郎おぉぉぉぉぉぉぉぉ!!
「……ところで勇者様、クラウンさんはどうなさったんですか? 姿が見えませんが?」
投げつけられたムカデを反射神経を一万倍に加速させて全力で回避したところで、ハニエルがのほほんと尋ねてくる。
何でそんな平穏そうなの、お前……もしかして虫が怖くないの……?
「アイツ? アイツなら、テントの中で安らかに眠ってるよ」
「えっ、殺ったの?」
「まさか。大切な仲間を殺すわけないでしょ?」
キラがとんでもないことを聞いてくるけど、僕は本当に殺してないし筋肉ダルマは普通に生きてる。ただ起きてると暑苦しくてウザいから、テントの中に入ったところで睡眠の魔法をかけて眠らせといただけだよ。別に危害を加えたわけでもないし問題ないでしょ。
というか会心の笑顔で答えてやったのに、何でキラとレーンは疑いの目を向けてくるんですかね? 本当に大切な仲間は殺さないよ? 真の仲間じゃなければいつか殺るが。
「そうなんですか。きっと疲れていたんですね。それじゃあ火の番と周囲の警戒は私たちでやりましょうか」
「別に構わないよ。二人ずつ、三時間交代でどうかな?」
「了解。じゃ、あたしは先に休ませてもらおうかな? 今日は魔物退治で結構働いたしね」
「そうですね。それじゃあ勇者様もお休みになってはどうですか?」
「魅力的な提案だけど遠慮しとく。だってそれだと次は僕とキラがコンビじゃん。またキモイ虫を投げつけられそうだからお断りだよ」
アイツが眠ってるうちに虫対策の防御魔法をかけておかなくちゃね。
というかキラの奴、さっきムカデを素手で触ってたような……いや、きっと幻覚だな。あんな気色悪い生物を素手で触れるわけがない。
「本当に昆虫が嫌いなんだね、君は……では私が先に休ませてもらうよ。ハニエルなら昆虫を投げつけてきたりはしないだろうから、少しは安心できるだろう?」
「そりゃお前らに比べたらね!? 言っとくけど次僕にそんなことした奴は生まれてきたこと後悔させてやるからね!?」
そんな脅しをかけておくけど、キラとレーンは何やら怪しい笑いを浮かべてから自分たちのテントへと向かった。キラは仮面でレーンは感情薄めだったはずなのに、今や絶対悪戯を企む悪ガキの顔してたぞ。何なんだあいつ等、感情でも取り戻したの?
「……で、何笑ってんの?」
「ふふっ。いえ、すいません。やっぱり勇者様もちゃんと人の子なんですね?」
そして笑ってるのはこっちも同じ。さっきからハニエルは僕の醜態を見てクスクス笑ってた。苛められてる可哀そうな男の子を見て笑うとかとんだ堕天使ですね、コイツは……。
「逆にそれ以外の何に見えるの? 悪魔か何か?」
「悪魔には見えないですよ。翼も尻尾も角もないじゃないですか」
「ああ、そういえばこの世界には悪魔もいたっけ。紛らわしいな……」
例え話に悪魔とか魔王とか使おうにも、この世界には実際にそれらが存在するからいまいち思った風に伝わらない。もしかしてこの世界の悪魔とか魔王ってそこまで外道じゃないのかな? 何やってんだお前ら、名前負けも良いとこだぞ。
魔王って呼称はもう使われてるし、僕がいよいよ本格的にこの世界の敵に回る時は、僕自身の呼び名も考えておかないといけないなぁ。でもそれは結構先の話だし、今はそれよりも目先の話だ。
「そういや今向かってる街ってどんなとこなの? 何だっけ、ほら、ドゥーチェ?」
「ドゥーベ、ですよ。ドゥーベはテラディルーチェほどではありませんが、流通や商業の中心になっている街です。とても賑やかで楽しい街なんですよ」
「なるほど。それは楽しみだ。で、一番重要なことを聞きたいんだけど……その街、奴隷の市場とかあるの?」
流通や商業云々なんてどうでもいい。一番重要なのは奴隷が買えるかどうかだ。
首都の方は奴隷禁止っていうか、奴隷でも敵種族が足を踏み入れるのは許さんっていう頭の固い場所みたいだし。おかげで僕、異世界に来たって言うのにまだ奴隷を見てないよ。早く見たいし、自分のものにしたい……。
「あ、ありますけど……勇者様、奴隷を買うつもりなんですか……?」
「もちろん。異世界に来て奴隷を買わないとかありえないよ。ハニエルは反対?」
「う、うーん……反対、というわけではないです。奴隷という選択肢が無ければ、後は殺されてしまうだけですから。それに奴隷はとても劣悪な環境に置かれていて、主人からも酷い扱いを受けますから、勇者様が主人の方が幸せ……幸せ? うーん……」
「何故そこで迷う」
魔獣族死すべし慈悲はないとか考えてる聖人族と違って、僕は慈悲と愛に溢れてる存在だ。だから例え奴隷でも優しく接するよ? 少なくともその辺の有象無象よりは優しいって断言できる。なのに何でハニエルは頭を悩ませてるんですかね?
「と、とにかく、私は反対というわけではないです。ただ奴隷を買ったとしても、乱暴したり、その……無理やりにエッチな行為を迫ったりするのは、止めてあげてくださいね?」
「まあ努力はするよ。お前にだってエッチなこと命令できるけど、別に何も命令してないでしょ?」
「そういえばそうですね……実は、色々と口に出せない真似をされるのかも、ってビクビクしていました……」
どこかホッとした様子で本音をぶちまけるハニエル。
僕も本音を言えばやりたかったけど、コイツは真の仲間になれるかどうか未知数だからなぁ。現状は何もせず観察するしかないよ。真の仲間になれるならもちろん誠実な関係を築いて、真の仲間になれないならボロクソに犯す。
「ははっ。僕がそんな人間なわけないでしょ? ほら、こんなに親しみやすい顔してるし」
「そうですね。ちょっと――いえ、だいぶエッチなところがありますし、凄く意地悪で結構悪いことも平気でする人ですけど、勇者様はいい人だと思います」
「うんうん。本当にそれ良い人?」
そうしてにっこり微笑んでくるハニエル。何か僕の評価がだいぶボロクソな気がするぞ。
話題にしてるのはたぶん僕が女の子のスリーサイズとか経験人数とか調べてたことかな。そのことで旅立ちの時から怒ってたけど、さすがにもう水に流してくれたみたいだ。よーし、それじゃあ今後も色々と女の子の個人情報調べて行こっと。
あ、そういえばその前にやっておかなきゃいけないことあったっけ。ちょうど今二人きりだし、さっさと済ませちゃおう。
「あ、そうだ。安心してくれたところ悪いんだけど、ちょっと契約魔術のやり直しをしようよ。今のままだと人づてに僕からの命令だって言われると、それが嘘でも勝手に身体が動いちゃうみたいだからね。それは危ないでしょ?」
そんな風にさもハニエルを気遣うようなセリフを口にしながら、異空間からレーンが書いてくれた契約条項の記された用紙を取り出す。
僕が自分で考えた防御魔法もはっきり言って不完全だったし、こういうのは正せる内に正しておくべきだからね。
「そ、そうなんですか!? それは危ないですね……分かりました。私は契約を受け入れますよ?」
僕を良い人だと思い込んでる頭お花畑なハニエルは、特に疑問も持たずに同意してくれた。
まあ同意しなかったら命令して無理やりに同意を得るだけだから、どちらにせよ結果は変わんないけどね。あー、ハニエルが理不尽な契約に縛られて、僕がとっても悪い人だってことを思い知る時が楽しみだなぁ!