契約
「ああ、そうだ。昨日の今日で済まないが、契約についてのことは考えてくれたかな?」
実はとんでもない痴女だということが判明してしまったレーンさん(四百歳越え)が、『昨日の晩ごはん何だった?』くらいの軽い調子で尋ねてくる。うん。経験人数が果てしなく気になるんだけど、今はとりあえず置いておこう。
魔法で契約すること自体は決定事項だ。でも契約の内容を吟味する必要があるから先延ばしにしてたんだよね。その時は魔法の知識も無かったし。
魔法がイメージを具現する術だっていう知識を得た今となっては、やっぱりその判断は正しかったと思う。契約って言っても関係のない第三者に任せないと、幾らでも付け入る隙を作れそうだし。僕なら絶対に自分に有利な契約魔術を創るよ。当たり前じゃん?
「もちろんだよ。魔術ギルドだっけ? 契約はそこでやろう。間違ってもお前にはやらせないよ」
「判断としては正しいが随分と疑り深いね。私たちは同じ目的を持つ同士なのだから、少しは信用してくれてもいいんじゃないかい?」
「性分だからね。こればっかりはどうしようもないよ」
無表情だから分かりにくいけど、レーンはちょっと不満げな気がする。
昨日は味方を疑うくらいがちょうど良いって言ってたのにこんな反応を示すあたり、あのキスで若干距離が縮まったのかもしれないね。とても経験人数二百人越えの擦れ切った痴女の反応だとは思えないよ。
「やれやれ、当代の勇者様は随分と扱いづらいね。あるいは今までの勇者様が扱いやすかっただけなのか。まあ契約を交わして信用してもらえるのなら、それで妥協しておこう」
ため息をついてジト目で睨んでくるレーン。やめろよ、そんな顔されたら興奮しちゃうだろ。
そういえば女神様からも聞いてたけど、別に勇者召喚はこれが初めてじゃないんだよね。ハニエルたちにちゃんと仲間を選ぶための面接をしてると思わせたいし、せっかくだからここで色々聞いておこうかな。
「その勇者様についてなんだけど、今も僕以外の勇者様ってこの世界にいるの?」
「君以外に二名いるね。名前はよく覚えていないが異名は確か『雷光の勇者』と『不死の勇者』だったか。その力は異名から察することができるだろう?」
「まあ、そりゃね」
雷光に不死、だからね。字面から考えると電気を操る勇者と不死身の勇者ってところかな。前者はともかく後者はちょっと厄介かもしれないね。殺す方法は考えておいた方が良さそう。
「力といえば、僕にも何か力が宿ってるのかな? 一応は勇者として召喚されたんだし」
「ふむ、君の場合は特殊だから何とも言えないな。敵意の擦りこみも弾いてしまったようだし。けれど言葉が通じているということは、言語の翻訳の魔法は機能しているということだ。全ての魔法を弾いたわけではないと思うが……とりあえず、これを振ってみてくれるかい?」
「はいはい、了解」
そう口にしたレーンが差し出してきたのは、魔法で一瞬の内に創り出した一本の長剣。特徴のないシンプルな外観なのは魔力の節約のためだろうね。ここで装飾に拘る意味もないし。
とりあえず受け取り、立ち上がって軽く素振りをしてみる。剣術とかそういう類のものは一切修めてないから、酷く無様なフォームなのは自分でもはっきりと分かったよ。どっちかって言うと剣に振り回されてる感じだね。
「なるほど。どうやらあらゆる武器を扱える力は授かっていないようだね。召喚された勇者は皆、どのような武器でも熟練の戦士の如く扱えるようになるんだが」
「女神様の加護が弾いちゃったかぁ……」
女神様、やることなすこと全部上手くいってないよなぁ。全ての魔法を扱える力も無意味になってるし。
まあこの世界では決して減らない魔力だけでも十分お釣りが来る力だから良いんだけどさ。やっぱポンコツだわ、あの人。
「もしかすると対象者の寿命を削るタイプの魔法だけは弾いたのかもしれない。その場合、君が授かった勇者召喚による力は言語の翻訳だけになる。何の力も授かっていないのなら、我々の目的を達成するための道のりは厳しいものになりそうだね……」
「今はまだ話せないけどその辺は大丈夫。契約した後にびっくりするようなことを教えてあげるから、期待して待ってなよ」
「そうかい? ふむ。君がそう言うなら期待していよう。とはいえ何もかも契約の後に話すとあっては、今話すべき話題が無くなってしまうね。初対面として振舞う以上は、相応の時間をかけて話し合った振りをしなければならない。何か話題は無いのかい?」
小首を傾げつつ、話題提供を求めてくる。
感情表現が豊かじゃないし、声もかなり平坦な感じだからてっきりおしゃべりは嫌いな方かと思ってたけど、意外と好きだったりするのかな?
「話題、話題かぁ……あっ、じゃあ一つ気になることがあるんだけど」
「ん、何かな?」
「こう、魔法で『争いはやめろ』って感じに人を洗脳することはできないのかな? それができれば世界平和もわりと簡単そうじゃない?」
そして尋ねたことは、魔法による洗脳ができなかった謎について。
本当は契約をしてから尋ねた方がよかったことかもしれない。でもあくまでも方法の提案として聞いてるからセーフのはず。他に今話せるような話題も思い浮かばないしね。
「残念ながら不可能だね。理由は分からないが、魔法で他者の記憶やイメージといった精神的なものを改竄することはできないんだ。魔法とイメージはお互いに必要不可欠の存在だから、魔法という現象の構造的な問題だと推測しているよ」
やっぱり洗脳とかは無理みたいだ。
ちっ、忠実な手駒も性奴隷も作れないとかやってらんねー。
「とはいえそれは一方的に魔法をかけた場合であって、被術者の合意を得た上であれば洗脳や記憶の改竄も可能だ。というより、言ってしまえばお互い合意の上で洗脳をするのが契約魔術というものなんだよ」
「あっ、そうなの?」
「ああ。ちなみに合意を得る方法は別に脅迫でも拷問でも何でも構わない。合意さえ得られて、被術者がその魔法を受けいれれば問題なく魔法は効果を発揮する。実際魔獣族の奴隷は服従か拷問の末の死かを突き付けられ、奴隷となる契約を選んだ存在だ。尤もこれは魔獣族側でも同じようにやっていることだがね」
マジか。つまり一回心をへし折ることができれば余裕で洗脳できるってことだね。それに性奴隷もちゃんと作れるし、この国にもちゃんと奴隷いるじゃんかよ。やっぱ好きなんすねぇ?
「……念のために言っておくと、この街には奴隷の市場は存在しないよ? 他の街ならまだしも、この街は聖人族の中核である首都だからね。さすがにこの街では奴隷と言えど敵対種族が足を踏み入れることは許せないんだろう」
「は? キレそう」
奴隷買うのとか男の夢の一つなのに、この街にはいないとか心底ふざけてるでしょ。さてはこの街の奴ら、ケモミミ奴隷の魅力を分かってないな? だとすれば生きてる価値は無い。ここが種族の中心の街じゃなかったら街ごと滅ぼしてるところだよ?
「嫌うよりは良いとはいえ、君たち勇者は何故そんなに奴隷が好きなのかつくづく理解に苦しむよ……」
呆れた感じにため息をつくレーンだけど、健康な男児としては奴隷を、特にケモミミ奴隷を好むのはある種本能みたいなものだ。だから何も恥ずかしいことは無いし、僕の世界では一般性癖だ。
というわけでそのうち奴隷買お! 奴隷!
「昨日は大変失礼致しました! あっ!? わ、わわっ!?」
レーンとしばらく他愛のないことを駄弁って時間を潰した後、次に部屋に呼び出したのはハニエル。部屋の中に二人きりになった途端、かなり深い角度で頭を下げてきた。そして前のめりに倒れかけて、慌てて体勢を持ち直す。
まあデカい翼とデカい胸を持ってるのに深くお辞儀なんてしたら、重心が狂うのも無理は無さそう。倒れてきたらそのデカい胸を両手でがっしり受け止めてあげたのになぁ、残念……。
「……女神様のことは、正直な所まだ疑っています。でも、あなたが口にしたことは全て真実です。私は平和を望みながらも、望むだけで何一つ行動を起こしませんでした。現実を見ていない理想論者というお言葉はもっともですし、口ばかり達者な偽善者と罵られても仕方ありません」
そうしてハニエルは神妙な面持ちで、自分に非があったことを認めていく。
いや、僕は偽善者とまでは言ってなかった気がするような……言ったかな?
「あれから色々なことを考えてみましたが、やっぱり私の結論はあの時と同じです。私も平和のために、勇者様の旅に同行します。どうか私を導いてください、勇者様」
その場に跪き、降臨した神か救世主でも崇め奉るような目で見てくるハニエル。
あまりにも綺麗に輝いてて眩しさに目を逸らしたくなる目だけど、コイツは僕を真の平和のために邁進する素敵な勇者様としか思ってないからなぁ。実はとんでもない方法で平和を実現しようとしてる、なんて欠片も思ってないんじゃなかろうか。
うん、訂正するのは簡単だけどあえてこのまま勘違いさせておこう。真実を知った時、この信頼と期待に満ち溢れた目がどんな風に曇るのかを間近で見たいし。
でもこのまま放っておくと不安要素になるのは看過できないな。僕は出る杭は出る前に打つタイプだし。むしろレーンよりもハニエルにこそ契約が必要なんだよなぁ――って、ああ、そうか。その手があったか。
「分かったよ、ハニエル。ただ、真の平和への道は長く辛いものだよ? 自分のやりたくないことでもやらなきゃいけない時もある。例えば自分の手を汚さないといけない時も、もしかしたらあるかもしれない。君にその覚悟はあるかい?」
「それ、は……」
僕の問いに、ハニエルは迷いを返してくる。良かった、即答されたら困るところだった。
「その覚悟が無いのなら、君を導いてあげることはできないよ。信頼できない人に背中は預けられないからね。それでも平和のために何かをしたい、僕についていきたいって言うのなら、僕と契約を結ぼう」
「契約、ですか……?」
「そう、『僕の命令には絶対服従。従わない場合、勝手に身体が動く』。この契約を受け入れてくれれば、僕は君を導くよ。全ての種族が手を取り合い、平和に暮らせる素敵な世界に」
ニッコリと笑って、僕は手を差し伸べる。
契約魔術は言ってしまえばお互いに合意の上の洗脳。合意さえクリアすれば、尽きない魔力を持つ僕にできない魔法は無い。それならこの場で自ら契約だって可能なはず。
というか自分でできるならさっきレーンと契約してれば良かったじゃん!? 解析を覚える前に会ったことといい、何かアイツとはタイミングが微妙に噛み合わないな……。
「命令には、絶対服従……」
緊張を滲ませた様子で内容を繰り返すハニエル。
まあそんな反応も仕方ないよね。この契約を呑んだら僕が誰々を殺せって命令した時、どんなに嫌でも拒否すれば身体が勝手に動くんだから。まだ自分の手を一回も汚したことのないハニエルにとってはこれが一番辛いことだと思う。場合によってはもっとつらいことも考えてるけどね?
「嫌ならそれでも構わないよ。だけど、その場合は君一人で頑張って貰うことになる。僕の旅には連れていけない。伸るか反るかは君の自由だ。さあ――どうする?」
「わ、私は……」
酷く狼狽えながら、僕の顔と差し伸べた手を何度も交互に見続けるハニエル。
さすがに事実上自らの人権を差し出すような行為は躊躇いがあるみたいだね。だけど世界の平和を願うその気持ちは本当だったらしい。
「……はい。私は、貴方に絶対服従を誓います。勇者様」
ハニエルは僕が差し伸べた手を取った。同時に僕は、誓わせた内容を絶対遵守させる魔法契約を発動させる。今回は魔法が弾かれることも無く、問題なく効力を発揮したのが感覚で分かったよ。
これでハニエルはめでたく僕の操り人形。僕の奴隷、第一号だね! これからよろしく!