その頃のレーンカルナ
⋇初の閑話
⋇時期的には次の章の半ばくらい
⋇ぶっちゃけ読まなくても支障はない
「ふぅ……ようやくここまで来たか。道中の妨害は一切無かったと言うのに、行きより帰りの方が長く辛い旅路になったような気がするよ」
魔獣族の国境の砦前でクルスと別れ、およそ十日。森の中を歩く私の目に、ついに聖人族の国境の砦が見えてきた。
クルスによる隠蔽の魔法のおかげで、魔物や魔獣族に発見されることも攻撃を受けることも無く、行きと比べれば実に快適な道中だった。ハニエルのお守りをしなければならないという点を差し引いても、別段負担になるような事は一切無かったからね。元々彼女にはある程度の事は自分でするように命令してある。さすがに私も生理現象の面倒までは見たくない。
「やはり旅というものは、気の置けない仲間たちと楽しくおしゃべりをしながら歩んでいくのが一番なのかもしれないね。君もそうは思わないかい、ハニエル?」
「……はい」
私が問いを投げかけると、一拍遅れて頷きが返ってきた。しかしその答えに感情の色は窺えず、表情も変わらず抜け落ちている。まあこれはハニエルの心が修復されつつあるわけではなく、私が何かを尋ねたら返事をするように命令しただけなのだから無理もないか。
「そうだろう? やはり君もそう思うか。気持ちが同じで私も嬉しいよ」
とはいえ反射的に返事をするだけの存在であろうと、文句も言わずに私の話を聞いてくれるのだから私としては不満は無い。あるいは私自身、こんな反応でも無ければ心細くなってしまうだけなのかもしれないが。
「……さて、気持ちが通じ合った所で真面目な話に移ろう。ここから先は勇者の仲間である私たちが撤退してきたという事実を残すために、クルスによる隠蔽の魔法を解除して行かねばならない。だがこの通り、周囲には魔獣族が潜んでいる。その上砦の門は閉じているのだから、突破は非常に厳しいだろうね」
クルスの消失によって、私たちの姿とその痕跡は他者に知覚されない。実際今も周囲に魔獣族の姿をちらほら見かけているものの、向こうはこちらに全く気が付いていない。
だがこの隠蔽の魔法が解除された瞬間、彼らは私たちを発見し全力で殺しに来るだろう。無論負けるとは思わないが、万が一ということもある。何せこっちには一切自発的な行動をしないハニエルがいるのだからね。
「何か良い案は無いかい? 私としては正面突破を視野に入れているものの、できれば確実でなおかつ楽な方法が良いんだが」
「……はい」
無駄と知りつつ尋ねてみるも、やはり一拍置いて素直な頷きが返ってくるだけ。自らの意見や考えを述べることは無く、それどころか光を失った瞳は未だに虚空を眺めているだけだ。この調子では一体いつ壊れた心が治るのか分からないね。
何にせよハニエルは相談相手にはならないのだから、私が何か良い案を考えるしかないだろう。さて、正面突破以外に何かいい方法は無い物か……。
「――もしもし、クルス。私だ、レーンカルナだ」
『おっと、どうしたのカルナちゃん?』
およそ十分後。万全の準備を整えた私はクルスへと電話をかけた。
しかしこの携帯電話というのは実に素晴らしい。魔力消費は全てクルス持ちという点はもちろんのこと、手軽に会話を楽しめるのが最高だね。説明書によるとメールという機能で手紙のようなものを送ることも可能で、写真を取ることすらできるらしい。他にも様々な機能があり、これ一つに数々の魔道具が凝縮されているようなものだ。機能を把握するために歩きながら弄っているせいか、最早数えきれないほど転んだり樹にぶつかってしまったよ。
「今さっき国境の前まで来たところだ。隠蔽の魔法を解除してくれるかい? 勇者が戦死し、仲間が敗走している姿を見せた方が君には都合が良いんだろう?」
『そうなんだけど……本当に解除しちゃって大丈夫? 魔獣族に襲われつつ、ハニエル介護しながら逃げるのはキツくない?』
「問題ない。むしろ今は私が介護されているようなものだからね。それに彼女は命令すれば何でもその通りに実行してくれるから、存外助かっているよ。何より私の話を黙って聞き、適度に相槌を打ってくれるところが素晴らしい。その反応も命令で強制しているという多少の虚しさはあるが、それでも途中で話を遮られるよりは幾分――」
『はいはい、電話代かかるからそこまでにしようね』
「………………」
容赦なく言葉を遮られ、募る不満に思わず携帯電話を握る右手に力がこもる。
別に彼に対して憎しみや恨みといった感情は無いのだが、こう話を何度も遮られると少々イラっとくるものがあるね。できることならば彼を縛り上げ、一昼夜ほどひたすらに耳元で嫌いな長話をしてやりたいところだ。それができないのが何とももどかしい。
『じゃあ電話切って十秒くらいしたら解除するから、頑張ってね。最悪ハニエルを囮にしても良いから、お前だけはちゃんと逃げ切ってよ? いよいよダメそうなら呼んでくれれば僕が向かうし』
「……珍しいね。君がそこまで優しい言葉をかけてくれるとは」
かつてないほど親身な台詞が聞こえてきて、私は一瞬耳を疑った。確かに変に気に入られている自覚はあったが、まさかハニエルを切り捨てても構わないほど、そして必要とあらば助けに来てくれるほどだとは思わなかったね。
『優しいっていうか、優先順位の問題だしね。真の仲間になれるかどうかも分からないクソザコメンタル天然大天使より、初めての真の仲間を優先するのは当然でしょ?』
「フッ。君に気に入られているのは嬉しいような悲しいような、なかなか複雑な気分だよ」
『そこは素直に喜んで欲しいなぁ……』
電話の向こうからどこか残念そうな声が耳に届く。少なくとも彼のような人間に強い好意を持たれ、素直に喜ぶ者は誰もいないだろう。いたとすればよほど趣味の悪い変人か、すでに洗脳されてしまった者に違いない。
ただ私はそこまで彼の事が嫌いでない辺り、洗脳されていないにしても多少頭がおかしくなっているに違いない。転生ありきとはいえ、ただの人間が自らに許された生の限界を乗り越え生きていることがそもそもおかしいのだ。代償として多少人間性に影響が出ても仕方のないことだろう。
それに彼の人間性はゴミ以下だが、世界に真の平和をもたらすために動いているという点は大いに評価できる。加えて女神から無限の魔力を供給されているという点も素晴らしい。ああ、早く私もウロボロスが使えるようになりたいものだ……。
『まあいいや。じゃあ切るよ。グッドラック』
「ああ。無事に国境を抜けたらまた連絡をする」
『え。いや、いいよ。さすがにそこまで頻繁に連絡しなくても――』
クルスがまだ何か言っていたが、構わず電話を切る。長話が嫌いな彼のためには、すぐに電話を切ってあげるのが優しさだからね。
「――ハニエル。この高さに滞空しつつ、少し前進してくれ」
「……はい」
そんなわけで携帯電話を空間収納に放った私は、次いでハニエルにそう命令した。電話に意識を傾けていたせいで指示が遅れ、気が付けば眼下に真っ白な雲が広がるほどの高空に来てしまっていたからね。どうりで何か息苦しいと思ったよ。
そう、私がハニエルの姿を見て思いついた方法とは、空から直接聖人族の砦に降りる事。この方法ならば森の中に潜んでいる魔獣族たちには気付かれず、安全に突破することができる。私とハニエルの二人しかいないからこそ取れる方法だ。
難点を言えば翼を羽ばたかせるハニエルの体力がそれほど持ちそうにない事と、私の身体を抱えているが故に上昇速度が遅すぎて格好の的になるところだね。尤も前者は私が軽い上昇気流を吹かせて補助しているし、後者は隠蔽の魔法がかかっている状態で上昇してきたから問題は無い。
仮にも大天使に運搬役を頼むなど不敬も良い所だが、せっかく大層な翼が四枚もあるのだから、使わなければ勿体ないだろう?
「……さて、これで十秒。もういいだろう。では降ろしてくれ、ハニエル」
「……はい」
心の中で十秒を数えた私は、降りるためにハニエルにそう命じた。しかし――
「……む?」
一拍置いて、私の身体は重力に引かれるまま落下を開始していた。ローブの裾がバサバサと風でめくれ上がりそうになり、高空からの落下中だというのに思わず手で押さえてしまう。いや、誰の目も無い場所だから無意味だという事は分かっているんだがね……。
「……ふむ。失敗したな。ゆっくり降下しろ、と命じるべきだったか」
今のハニエルは思考などせず、ただ命令に従う人形のような状態だ。だからこそ私が命じた『降ろしてくれ』という言葉を、安全など考慮せずそのまま実行したのだろう。これは私の落ち度だね。
だがこの程度は危機でも何でもない。元々ハニエルに命じていた『私の後をついてくること』という命令が生きているから、ハニエルは落下中の私に追走してきているからね。『私を抱きかかえ、助けろ』と命令すれば助けてくれるだろう。
だが私の目標落下地点が聖人族の砦で、ハニエルが大天使だという事実を考えると、助けにはならない方が賢明に違いない。心の壊れた大天使を運搬役にして国境の砦に降り立つなど、どう考えても醜聞がよろしくない。高空に運んでもらっただけでもかなりの不敬なのだから、着地くらいは自分で何とかするべきだろう。
そう決めた私は、雲海を突き抜けた所で空間収納に手を差し込む。取り出すのは質も悪く、指先で摘まめる程度しかない小さな魔石。クルスから大量に最高純度の魔石を貰えるので、最早この程度の魔石に価値を見出すことなどできないからね。こういった場面で遠慮なく消費させてもらおう。尤も消費すると言っても、使用方法は投げ捨てるのとほぼ遜色ないが。
「――トランスファー・スピード」
そうして私は自らの魔力を用いて、自身と魔石に対して魔法を行使した。瞬間、私の手の中の魔石は弾かれたように上空へと飛び上がり、私の落下速度は緩やかに減速していく。
これは私の落下速度を方向だけを反転させて魔石に移し替えている、原理としては極めて単純な魔法だ。速度を力技で打ち消すのではなく、他の物体に移しているだけなので魔力の消費も少ない。
難点としては落下する私の身体は終端速度までは加速し続けるため、魔法の維持と速度の移譲更新が常に必要だという事。そしてあまり速度を移してしまうと地上に着くまでに時間がかかることだね。
かといって着地直前まで高速で落下すれば、場合によっては敵の襲撃か何かと勘違いされて聖人族に攻撃される可能性もある。ついてきているハニエルの姿をしっかり視認してもらえるよう、ある程度緩やかな落下に抑えるのが賢明だろう。
そのため私は風切り音がうるさく無い程度に落下速度を抑え、眼下の国境の砦と森を同時に視界に収められるように向きを調整して落ちて行った。
「――おい、何だアレ!? 何か落ちてきてるぞ!?」
「敵の襲撃か!?」
「いや待て! アレは……大天使様だ!」
聴力と視力を強化して眼下を観察していると、予想通り砦の方で動きが見えた。中庭とも言うべき場所で兵士たちが右往左往しているのが目に入る。やはり落下速度を抑えなければ攻撃を加えられていたかもしれないね。
森の方には特に動きが無いようだ。魔獣族たちは上を警戒していないのだろうか? 何にせよ気付かないのなら都合がいい。
「……っと」
特に邪魔も入らなかったので、遠慮なく砦の中庭へと着地する。数秒遅れてハニエルも私の後ろに降り立ち、無事に砦へと帰還することができた。
遠巻きに私たちを見ている兵士たちの顔色があまりよろしくないのは、やはり勇者一行が何故かすぐに戻ってきた上、たった二人しかいないことに起因するものだろう。
「――さあ、かかってきなさい! いきなり砦に突撃してくる悪い子は、メッタメタのギッタギタにしばいてあげ――あら?」
ひとまず誰に状況説明をすべきか悩んでいると、中庭に物騒な大剣を携えた青い髪の大天使――ザドキエルが姿を現した。どうやら何者かが空から砦目掛けて落下しているという報せしか聞いていなかったようだ。私とハニエルの姿を見て目を丸くしていたよ。
ともかく状況説明をするなら彼女が適役だろう。ただハニエルの身柄を譲り渡す展開にならないように気を付けなければいけない。クルスはもしもの場合は囮にしても良いとは言ったが、手放して良いとは言っていないからね。なるべくハニエルも首都まで連れ帰った方が良いはずだ。
「……このような方法での帰還。誠に申し訳ございません。ですがこれ以外に無事に帰還できる方法が見当たらなかったのです」
「えーっと……確かあなたはレーンちゃんだったわね? それにハニちゃんも。そんな風に畏まらなくて良いから、一体何があったのか教えてくれるかしら?」
どうやら私の事を覚えていたらしい。ザドキエルは瞳から光を失っているハニエルの方に酷く不安げな視線をチラチラ向けながらも、私にそれを尋ねてくる。
畏まらなくて良いと言われたので跪くのを止めて立ち上がり、できるだけ悔しさと無力感に打ちひしがれているような表情を作りながら答えた。
「……端的に申せば、勇者一行の内、私とハニエル様以外は全員死亡しました」
「ああ……やっぱり、そうなのね……」
予想はしていたようだが衝撃はかなり大きかったようで、悲し気に瞳に涙を溜めるザドキエル。
ふむ。ここまでアレの死を悲しむとは予想外だね。大体の聖人族は、勇者などちょっと便利な替えが効く道具だと思っているはずなんだが……。
「はい。私たちは道中で魔獣族の集団に奇襲を受けて捕らえられ、その場で仲間の一人が壮絶な拷問の末に惨たらしく殺されてしまいました。怒り狂った勇者様の奮闘により何とかその場を脱することはできましたが、ハニエル様は心を病んでしまわれて……」
「ああ、そんな……せっかく勇気を出して魔王討伐に向かったのに、こんなことになるなんて……ハニちゃん……!」
堪えきれなくなったように嗚咽を零しながら、無言で佇むハニエルへ抱き着くザドキエル。
当然心の壊れたハニエルは何の反応も示さない。仮に心が壊れていなかったとしても、すでに命令で言動と行動を縛っているので、ろくな感情表現もできなかっただろう。
「連れていた奴隷も失い、勇者様は残った私たちだけでは魔王討伐は不可能と判断し、せめて一矢報いるために魔将へと果敢に挑んでいきました。その後彼がどうなったのかは、私よりもザドキエル様の方が詳しいかと存じます」
「ええ、知ってるわ……彼は見事一矢報いたようよ。自分の命と引き換えに、ね……」
「そうですか……」
どうやら完全にクルスは死んだものと思っているらしい。確か彼女は爆死の現場を見ていなかったはずだが、恐らく魔将との斬り合いの最中にクルスの最後を聞き出したのだろう。大天使を騙せたのだから、彼の偽装工作は完璧に効力を発揮したと考えて差し支えないね。
「……それで、あなたはこれからどうするの?」
「……首都へと戻ります。旅の結末を王へ報告する義務がありますから。ハニエル様も私が連れて帰ります。私の仲間は、もう彼女一人しか残っていませんから」
未だ涙ぐむザドキエルに問われ、私はそう言葉を返す。
大天使を連れ帰る理由としては少し弱いかもしれないが、正直なところこれより上手い理由は出て来なかった。私はクルスと違って、ハニエルの事は至極どうでもいい存在だと思っているからね。
むしろ私たちの目的に賛同する可能性が非常に低く不確定要素になりかねない以上、始末しておく方が良いかもしれないとさえ思っているよ。とはいえさすがに勝手にそんなことをすれば、クルスもただでは済ませてくれないだろう。別に怒りはしないと思うが、罰と称して私に嬉々として嫌らしい行為を働くに違いない。その光景が容易に目に浮かぶね。
「そう……それじゃあせめて、しばらくここに泊まっていって? 平気そうに見えるけれど、きっとあなたもだいぶ疲れているわ。ここで休養していった方が良いわよ?」
納得はさせられたようだが、代わりに砦で休息を取って行くように言われてしまう。特に含みも無く純粋に心配しているからこその台詞なのは、その気遣うような表情を見れば分かる。
だが正直な所、私は一刻も早く首都に戻りたい。何故なら首都に戻れば行きつけの鍛冶屋でウロボロスの作成を依頼できるからだ。道中の街の鍛冶屋でも依頼はできるだろうが、お得意様でもない私の依頼が優先されるとは考えにくいし、何より作成する鍛冶師の腕を知らない。恐らくこれからとても長い間使うモノになるのだから、信頼できる鍛冶師に依頼するのが一番だろう。妥協はできないし、したくない。
「……そうですね。ではお言葉に甘えて、少しの間お世話になります」
だがザドキエルの提案を論理的に断る理由が浮かばず、私はやむなく頷くしかなかった。
ああ、また私のウロボロスが遠のいてしまう……早く使ってみたいというのに……。
と言う感じで閑話終了。まだまだ帰還できないレーンと、未だ壊れているハニエル。ハニエルは唯一の常識人だから早く元に戻って欲しい……。
そして前回のあとがきで書いた通り、6章はまだ完成していないのでここからまたしばらく更新停止して地道に書いて行きます。とりあえず今回も2ヵ月くらいで、次の投稿は7月1日にしようと思います。たぶんそれくらいあれば7章半ばくらいまでは行けるはず……。
ここまでご愛読下さった方々、本当にありがとうございます。それではまた、2か月後に。