信仰の芽生え
言われてみれば、確かに悩むまでも無い事だった。
私にとって一番大切なのは、お父さんとお母さん、そして可愛い妹のレキ。この三人が一番大切で、それ以外は言ってしまえば取るに足らない存在。例えどれだけの数を揃えても、大切な人とは絶対に釣り合わない。
村の人たちの命だけで満足してくれるあのクソ野郎は、むしろまだ優しい方だと思う。普通に考えたらこんな田舎の村の人たちの命だけで、自分の大切な人の命を蘇らせてくれるなんて絶対にありえない幸福だもの。
だから、私は決めた。大切な人のために、自分の手を汚すことを。
でも、私は普通の人間。清らかな心ってほどじゃないけど、邪悪とは無縁の心を持つ一人の女の子。罪の意識も、葛藤も、全部私の胸の中にある。今にもこの小さな胸が張り裂けそうなくらいに痛くて、泣いちゃいそうなくらいに。
だけど、私は躊躇ったりはしない。またレキが死んじゃうなんて受け入れられない。あんな悲しみはもう二度と味わいたくない。だから、村の人たちには犠牲になってもらう。
ごめんなさい、村のみんな。ごめんなさい、お父さん、お母さん。親不孝な娘でごめんなさい。ごめんね、レキ。ちゃんと帰って来るって約束、やっぱり守れなくなりそう。自分の都合で村の人たちを惨殺した凶悪でイカれた人間に、人並みの幸せなんて許されないもの。
「えっと……これから、殺しに行くとこ?」
「……そうよ。何か、文句ある?」
そう覚悟を決めて、せめて村の人たちを苦しませないよう即死させられる凶器を物置で探してると、私にこんなおぞましい代償を求めてきたクソ野郎が話しかけてきた。
正直右手のナタと左手の手斧で襲い掛かりたいけど、私にはどう頑張ってもコイツを殺せるイメージが湧かない。実際に襲い掛かってもヘラヘラ笑いながら捌かれるだろうし、仮に攻撃が当たっても私には魔法の防御をどうすることもできないから。
「いや、文句は無いけどさ……ちなみに何人殺す予定?」
「……全員」
何だか微妙に歯切れの悪いクソ野郎の質問に、私は嘘偽りなく答えた。ここで嘘を吐く意味なんて何も無いから。
そう、私はこれからシャヌーロの村の人たち全員を殺すつもり。お父さんとお母さん、そしてレキ以外は、みんな殺す。結婚したばっかりの幸せな夫婦も、まだ生まれたばかりの子供も、レキと同じくらいの年頃の女の子も、分け隔てなくみんな殺す。だってそうしないといけないから。
「お、マジかぁ。その心は?」
「……私にとって、レキはかけがえのない存在。他の何物にも代えられない、大切な存在。そんなレキの命に、安い値段なんてつけられるはずないでしょ? あんたはそれを見越して、私に自分で値段を付けろって言ったんでしょ……?」
レキの命にあえて安い値段をつければ、私が殺す人数はほんの少しで済む。もしかすると、一人殺すだけで済むかもしれない。
でも、それはできなかった。ちゃんと大勢を殺してクソ野郎のご機嫌を取らないと、レキの命を奪われるかもしれないって思ったから。そして、何よりも大切なレキの命を貶めることが、私にはできなかったから。
「まあね。お前なら村人を救いたいがために、妹の命の値段をあえて安くするなんてことはしないだろうし」
予想通りだったみたいで、クソ野郎はあっさり頷いた。
ああ、本当にコイツはムカつく。人の心を持ってない癖に、理解はしてるから余計に性質が悪いわ。村の人たちじゃなくて、コイツを殺すんだったら喜んでやるのに……。
「でもさすがに全員殺すのはやりすぎじゃない? 全員ってことは、それこそレキと同じ年頃のロリとかショタも含めて殺すんでしょ? 幾ら何でもそれはどうかと思うなぁ……」
「……仮にその子たちを殺さなかったとしても、他の家族は皆殺すわ。だったら纏めて殺して、皆一緒にあの世に送ってあげた方が、どっちも寂しくないもの……」
「うわぁ、これは相当キテるなぁ……」
自分でそんな状況を作り出しておいて、クソ野郎はおどけた様に言う。
本当は、小さい子供たちくらいは見逃そうと思ってた。でも残された子供たちだけで生きて行けるかを考えると、やっぱり纏めて殺してあげた方が優しさになると思ったから、結局は全員殺すことにした。仮に生きていけたとしても、もの凄く辛い思いをするのは確実だし――ううん、違う。そういうことじゃない。見逃した子がお父さんとお母さん、そしてレキを詰ったり、復讐したりするのが怖いから、不安の芽を纏めて刈り取ろうとしてるだけ。
結局私は、自分の都合でしかものを考えてない。これじゃあ目の前のクソ野郎と何も変わらないわね。アハハ。
「……もう、いい? 私、忙しいから、行くわ……」
自分の心の汚さを思い知った私は、今度は手を汚すために歩き出した。物置にはナタと手斧くらいしかなかったから、血糊でダメになってきたら他の家の物置を漁った方が良さそうね。せめて苦しまないように殺すことだけが、私にできる唯一の優しさだから。
ああ、でもそれは自分の罪から逃げてるだけかもしれないわ。ちゃんと殺す相手の恨み言とか罵詈雑言を耳に刻んで、殺意のこもった目で睨まれながら殺すのが一種の贖罪なのかも。だけどそうしたら苦しみを与えずに殺すことができなくなっちゃう。私、どうすれば良いんだろ……?
「あー、ちょっと待った。取り消し。誰も殺さなくて良いよ」
「……は?」
そんな風に頭を悩ませながらクソ野郎の横を通り抜けようとすると、他ならぬクソ野郎に殺人を止められた。でも、一瞬何を言われたのか分からなかった。
「……何、言ってんの? 私は、レキのために、殺さないといけないのよ……?」
「いや、もう良いんだって。お前の代わりに、代価を支払ってくれる人がいるからさ」
「……そう」
殴りたくなるくらい嬉しそうな顔をしたクソ野郎の言葉で、私は全てを理解した。だから両手に刃物を持ったまま、クソ野郎の横を通り抜けて行った。
「いや、もう良いって言ってるよね!? 何でまだ殺す気満々なの!?」
「……どうせ、私をぬか喜びさせて突き落とための嘘でしょ。その手には乗らないわよ」
「うわー。何か疑心暗鬼になっちゃってるぞ、これ……」
わざとらしくドン引きした顔をするクソ野郎。
誰も殺さなくて良いって言葉に一瞬安堵の気持ちを覚えかけたけど、そんな都合のいい事があるはずなんて無い。そもそも私の代わりに代価を支払ってくれる人もいない。だから私は騙されない。これは間違いなく、私を喜ばせてから更に深い絶望に叩き落すための、悪趣味な遊びなんだから。
「それはそれで楽しそうなんだけど、これは本当の事だよ。僕の敬愛する女神様が、お前の代わりに代価を払ってくれることになったんだよ。仮にも神様に特別待遇されてるんだぞ、お前。ちょっと羨ましい」
「……どういう、こと?」
見抜かれたことを面白がるかと思えば、クソ野郎の態度はさっきまでと変わらない。むしろ自分の考えた遊びができなくて凄く残念そうな感じになってる。でもそれよりも気になったのは、女神様が私の代わりに代価を払ってくれるっていう言葉。
クソ野郎曰く、女神様っていうのはこの世界を創ったとんでもなく偉い人。正直実在してるのか半信半疑でクソ野郎の妄想の産物じゃないかって疑ってるけど、女神様から魔力を供給されてるらしいクソ野郎が普通ありえないレベルの魔法をバンバン使ってるのは事実。
だから女神って存在がいてもおかしくはないんだけど、どうしてそれが私が支払う代価を肩代わりしてくれるのかが不思議だった。
「僕の奴隷になったお前のことを、女神様はずっと不憫に思ってたみたいでさ。前から優しく接しろとか色々言ってて、今回はお前の代わりに代償を支払ってくれることになったんだよ。僕としてもそっちの方が嬉しいから、お前は誰も殺さなくて良いってわけ。まあ趣味で殺したいって言うなら止めはしないけどね」
クソ野郎の言葉を信じるなら、女神は私の事をずっと気にかけていてくれたみたい。あんまり意味は無かったみたいだけど、前から私の扱いにも口を出してたみたい。
でも、ここまで言われてもやっぱりいまいち信じられない。だって私は何の取り柄も力もない、ただの田舎の村娘。どうしてそんな私が、世界を創り上げたっていうもの凄い存在に目をかけて貰えるっていうの?
「ほ、本当、に? 嘘じゃない、わよね……?」
「いい加減しつこいぞ。本当だよ、本当。女神様に感謝しろよ? 今この世界で女神様に特別気にかけられてるのはお前くらいだぞ。僕を除けば」
何度聞いても、否定の言葉は返ってこなかった。それどころか、しつこいって言われた。
もしかして、本当に女神が私の代価を肩代わりしてくれたの? 私は、本当に誰も殺さなくて良いの?
「あ……あ、ああぁぁ、あああぁぁぁぁあぁっ……!」
ようやく素直に受け止めることができた私は、安堵の気持ちで胸がいっぱいになって、その場に立っていられなくなった。痛いくらいに強く両手に握ってた刃物も自然と手放して、ボロボロと涙が零れるままに喘ぐ。だって私は、悪魔との恐ろしい取引から解放されたから。
「よ、良かった……良かったぁ……!」
ついさっきまで私は、躊躇いも慈悲も無く村の人たちを皆殺しにしようとしてた。でもそれは努めてそう振舞ってただけで、できれば誰も殺したくなんて無かった。だって村の人たちは顔も知らない他人なんかじゃないから。
でも、レキのためなら皆殺すしかない。よく私とレキにお菓子をくれた雑貨屋のおばあちゃんも、手作りの玩具をくれた三軒隣のアルフさんも、昔お父さんとお母さんに怒られて衝動的に家出をした時、何も聞かず家に泊めてくれたジェリアさんも。皆纏めて殺すしかない。一番大切なモノを守るために、他を切り捨てなきゃいけないから。
そんな風に決意と覚悟を決めたけど、胸が張り裂けそうな罪悪感はどうにもならなかった。当然よね。私はどっかの異常者共と違って、ちゃんと罪の意識を感じるまともな心の持ち主なんだもの。
だからきっと、村の人たちを一人殺す度に、私の心は少しずつ死んでいったと思う。それこそあの心の壊れた大天使みたいに。
「女神、様……あり、がとう……ありがとう、ございます……!」
そんな結末も覚悟はしてたけど、全てが必要なくなった。女神――ううん、違う。女神様のおかげで。
女神様が私の代価を肩代わりしてくれたから、この手と村を血に沈める必要が無くなった。地獄の底から救い上げられて、日の当たる場所に帰ってこれた。正直感謝してもしきれないけど、それでも最大限の感謝を示すために、私は虚空に向かって跪いて頭を下げた。
「頭下げられたら女神様も困るんじゃない? 神様に祈る時はこういう風に膝を突いて、両手を合わせて祈るんだぞ?」
「ありがとう、ございます……ありがとうございます……!」
土下座してお礼を口にしていたけど、クソ野郎が見せたポーズが何だかとってもそれっぽかったから、一も二も無く真似をしてまた女神様に感謝を捧げた。
本当にありがとうございます、女神様。このご恩は、一生忘れません……。
⋇女神様に信者ができました!