手遅れ
⋇残酷描写あり
⋇ミニス視点
「ここに、レキが……!」
全力で走って一分くらいで、私は村近くの山に辿り着いた。
ほとんどすぐな時間なのに、もの凄く時間がかかったみたいに感じるのは、やっぱりレキの事が心配で不安で堪らないからだと思う。今この山には繁殖期の魔物たちが蔓延ってるのに、そんな危ない場所にレキがいるなんて……もう心配で居ても立ってもいられないわ!
「うーん。ついてきたは良いが何も見えんな、これ……暗視」
ぶっちぎるくらいの速さで走ったのに、私の後ろにはあっさりついてきたクソ野郎が立ってた。さすがに夜目は利かないみたいだけど、困った顔をした次の瞬間には魔法で何やらやってた。どうせコイツの事だから夜目が利くような魔法でも使ったんだと思う。何でもかんでも魔法で叶えられるのが何か滅茶苦茶腹立つわ。
でも、今の私にはコイツの魔法が必要。こんな広い山の中からレキがどこにいるか探す方法なんて、少なくとも私には足で探す以外に思いつかない。そしてそんなに時間をかけてなんていられない。
「レキは!? レキは今どこにいるの!? さっさと探して!」
「お前、主人への態度がさぁ……まあ探すけど。探索」
クソ野郎に縋りついてお願いすると、ちょっと呆れた顔をされたけど魔法を使って貰えた。もっと丁寧にお願いして機嫌を損ねないようにした方が良いって頭では分かってるけど、心が暴走して抑えが全然利かなかった。
だってこうしてる間にも、レキはきっと怖い思いをしてる。もしかしたら魔物に追われて危ない目にあってるかも。そう考えると一分一秒が惜しくてどうしようもないから。
「うん。あっちの方だね――ってだから速いっつーの!」
だからクソ野郎が森の中を指差した瞬間、私は一気に走り出した。
道なんてどうでもいい。最短距離を一直線に。木の幹を蹴って、枝に掴まって、時には藪に正面から突っ込んで。
当然そんなことをしてれば顔とか手に擦り傷ができて、クソ野郎にかけられた呪いのせいで普段の十倍の痛みに襲われる。ほんの少し頬っぺたが切れただけなのに、ナイフで切り付けられたみたいに酷く痛い。
でもそれが何? レキは今、きっと心細くて泣いてるはず。レキが感じてる悲しみに比べたら、この程度の痛みは蚊に刺されたようなもんよ。一刻も早く、迎えに行ってあげなくちゃ!
「レキいぃぃぃぃぃぃぃっ! レキいいぃぃぃぃぃぃっ! いるなら返事してえぇぇぇぇぇぇ!」
少し開けた場所に出たから、声を張り上げてレキに呼びかける。妙に静かな山の中に、私の声がこれでもかってくらいに響いた。
普通なら絶対こんなことはしないわ。魔物たちにエサはここだって叫んでるようなものだし。でも私の後ろからは魔物より恐ろしい奴がついてきてるし、幸運って言って良いのかどうか分かんないけど、私は勝手に死ぬことなんて許されない身体にされた。だから魔物が来たって問題ない。最悪コイツに魔物を擦り付けてやればいいし。
「お前こんなところでそんな大きい声出すと――」
『グルアアァァァ!!』
「ほら来た! もっと慎重に行動しろよ!」
私の声に反応したみたいで、木々の間から狼型の魔物が三匹飛び出してきた。完全に私をターゲットにしてるみたいで、一匹は正面から飛び掛かってきて、残りの二匹は左右から挟み撃ちにするように回り込んでくる。
「うるさいっ! くたばれ!」
『ギャゴォ……!?』
でもこんな奴らに付き合ってる時間なんて無い。だから正面から突っ込んできた狼の横っ面に、渾身の回し蹴りを食らわせてやった。足に伝わってきた固い物を砕く感触からして、頭蓋骨が木っ端みじんに砕け散ったみたい。自分でもちょっとびっくりするくらいの威力ね……。
『ギャウゥゥ……!?』
「ほら、良く噛みなさいよ!」
迎え撃つのが間に合ったのは最初の一匹だけだったから、右から飛び掛かってきた狼には私の右腕を噛ませてやったわ。もちろん破壊できないコートに覆われた右腕をね。癪だけどこれは盾にも武器にもなる良い物だわ。
「――りゃあっ!」
『ギャインッ!?』
右腕を振り被って、噛みついてる狼を地面に叩きつける。
悲痛な悲鳴が上がったけど、私の膂力だとこの程度じゃ倒せない。だから私は狼が起きる前に、その首を思いっきり踏みつけて首の骨をへし折ってやった。これであと一匹!
『ガアアァァァ!!』
「うあっ!?」
でも対応できたのはそこまで。最後の一匹が後ろから飛び掛かってきたのには反応しきれなくて、私は押し倒されて顔を地面に打ち付けた。鼻をちょっとぶつけただけなのに、ハンマーで思いっきり殴られたみたいに痛かった。
『ガルルウゥゥッ!』
「いっ――ぎゃああぁぁああぁぁぁっ!?」
鼻の痛みに悶絶してたら、背中にのしかかってる狼が私の自慢のウサミミにガブリと噛みついてきた。痛覚が十倍になってるってことを差し引いても信じられないくらいに痛くて、思わず喉が張り裂けそうなくらいの悲鳴を上げた。
まるでサビだらけのナイフで何度も何カ所も執拗に突き刺される拷問を受けてる気分で、気を強く持たないと気絶しちゃいそうなくらいに痛い。
だけど、だけどこんなの、レキの心の痛みに比べたら……!
「ああぁぁああぁぁぁぁあぁっ!!」
根性を振り絞って痛みに耐えながら、私は自分の頭の後ろに手を回すようにして狼の頭を押さえつけた。そしてそのまま地面を思いっきり蹴って、前の方にある木の幹めがけて体当たりした。押さえつけた狼の頭が、樹の幹にぶち当たる感じに。
『ギャヴ……!』
狙い通り、狼の頭は木の幹にぶつかって色々撒き散らしながら潰れた。その頭を押さえつけてた私の両手もだいぶひしゃげて、もの凄い激痛に悶絶して白目を剥きかけたけど、レキのことを考えて何とか激痛を乗り切ったわ。
ここで私が意識を失ったら、一体誰がレキを助けるっていうのよ。正直あのクソ野郎が助けてくれるなんて期待はしてないわ。
「……やっぱ人は大切なモノを守るためなら、修羅になれるんだなって」
「はあっ、はあっ……! レキは、レキはどこにいるの!? さっさと探しなさいよ!」
「はいはい――あっちの方だね」
「……っ!」
まだ両腕が治りきってないけど、待ってなんていられない。だから私はボコボコと元の形に戻ってく両腕を振って、クソ野郎が指差した方向に駆けだした。
待っててね、レキ。すぐにお姉ちゃんが迎えに行くから……!
「――次はどの方向!?」
そうして山の中を死に物狂いで突き進むこと十分くらい。本当なら数分くらいで辿り着けるくらいの距離だったけど、途中に何度も魔物に遭遇したのが良くなかったわ。
その度に千切っては投げ千切っては投げを繰り返して、時には攻撃を受けるのも覚悟で強引に突破してきたけど、やっぱり私はそこまで強いわけじゃないから時間がかかっちゃったのよ。少し鍛えた方が良いかもしれないわね。
「……うん。たぶんあの洞窟の中――だから速いってば! 闘牛だってここまで猪突猛進じゃないわ!」
クソ野郎が指差した先に洞窟の入り口があったから、私は脇目もふらずに一直線にそこに向かった。後ろで何かクソ野郎が騒いでたけど、知ったこっちゃない。そもそもここまで涼しい顔でついてきてる奴に配慮なんか必要ないし。
ああ、でもレキには配慮が必要かも。魔物に襲われた身体の傷は治ってるけど、今の私は泥とか返り血に塗れて酷い格好をしてるから。もしかしたら『お姉ちゃん汚い!』って言われちゃうかな? それとも気にせず抱き着いてきてくれるかな?
何にせよ、まずは無事を確かめないと。汚れを落としたりするのはその後でいい。今はとにかく、この洞窟に隠れてるレキの姿を見つけないと。
「レキっ! おねーちゃんが悪かったから! いっぱい謝るから! もう一緒に帰ろ!」
そうして私は、洞窟の奥に辿り着くと同時にそう口にした。洞窟の奥で、レキが心細さに膝を抱えて座り込んでるって思ってたから。
「――え」
だけど、そこにはレキの姿は無かった。代わりにいたのはぎょっとするくらい大きい蜘蛛の魔物。そして手の平大の大きさの小蜘蛛がうじゃうじゃと。
別に魔物がいたこと自体は驚きじゃないし、問題じゃない。邪魔をするなら死に物狂いで倒せば良いだけの話だし、今の私にはそれができる呪いがかかってる。死んでも蘇ってどんな傷でもすぐに治る今の私は、気力と根性さえあればどんな敵にだって負けたりしない。
だから私が驚いたのはもっと別の事。数えきれないくらいの小蜘蛛が、何かに群がって貪ってる光景の方。小蜘蛛に覆い尽くされてるそれが何なのかはよく見えない。でも、蠢く蜘蛛たちの隙間から子供みたいな細い指先や、見知ったウサミミが見えて――
「あ……あ、あぁぁっ……あああぁぁぁああぁあぁぁああぁっ!!」
状況を理解した私は、燃え上がるような怒りに突き動かされるまま走り出した。だって私の理解が正しければ、あの蜘蛛どもは私の大切な妹を、今まさに食らってるんだから……!
『ギチチッ!』
「ぐうっ!?」
一刻も早くあの蜘蛛どもを蹴散らそうと考えてたのに、間に割り込んできた大蜘蛛が邪魔をしてきた。何とか躱そうとしたけど避けきれなくて、口から吐かれた糸で右手が洞窟の壁に張りつけられた。
これは自力じゃ絶対取れない。それに時間をかけたら更に糸で拘束されるし、それだけレキが苦しんじゃう。ううん、もしかしたらもう……。
「――っ!!」
思わず最低なことを考えた私は、そんな自分への罰も兼ねて行動を起こした。壁に貼り付けられた私の右手、そこを起点にして壁に立って、手首と壁を思いっきり踏みつけて――渾身の力で跳んだ。
「うっ、ぐ、ガアァアアァァァアァァァアアァアァァッ!!」
自慢の脚力で右手の骨が砕けて肉が潰れて、ボロボロになった右手首が渾身の跳躍でブチブチと千切れる。たぶん普通の状態でも絶叫して転げまわる激痛だけど、私に襲い掛かる痛みはその十倍。こんな痛みは今まで味わったことが無いくらいに痛くて、私は張り裂けた喉から溢れる血反吐交じりの絶叫を響かせた。
でも、絶対に意識は手放さない――レキを助けるまでは!
「アアアアァァアァァァアァァッ!!」
『ギイィィィッ!?』
そのまま大蜘蛛に体当たりして、幾つもある真っ赤な目に無事な方の手で指を突っ込んだ。指先に嫌な感触が伝わってくるはずだけど、右手の燃やされながら刻まれてるような痛みのせいでそっちは良く分からなかったわ。
でも攻撃自体は成功したみたい。蜘蛛は変な色の液体を顔から撒き散らしながら逃げ去って行った。となると残りは、この薄汚い小蜘蛛どもだけ……!
「どけっ!! 死ねっ!! 離れろ、離れろっ! レキから離れろおぉぉぉぉっ!!」
左手と再生途中の右手も使って、小蜘蛛どもを力の限り払いのける。何匹か洞窟の壁に叩きつけられて死んだりしてるけど、知ったことじゃないわ。本当なら一匹残らず足で磨り潰してやりたいところよ。
でも今は蜘蛛を退ける事が最優先。だから私は両腕で蜘蛛を払いのけて行って――その下から現れたものを見て、酷く胸が痛んだ。さっきの腕を引き千切った痛みなんて、比べ物にならないくらいに痛く。
「あ、ああぁぁっ……! レキ、レキぃ……!」
見間違いであって欲しかったけど、そこにいたのは間違いなくレキ。たくさんの小蜘蛛に身体中を貪られて、真っ白だった肌の半分以上は赤い肉が覗いてて、中にはその下の骨すら見えてる所もある。
脈はまだあったけど、もう消え入りそうなくらいに弱くて間隔も長い。もう、誰がどう見ても先は長くないのが一目瞭然だった。私がもっと早く来れば、レキはこんな酷い目に合わなくて済んだのに……!
「……お……ねぇ……ちゃ……?」
「っ! れ、レキ、喋っちゃ駄目! 無理しないで!」
恐ろしいことに小蜘蛛に食べられてる間も意識があったみたいで、レキはか細い声で私のことを呼んだ。白く霞がかった目をふらふらと私の方に向けてくるけど、明らかに方向がずれてる。たぶん、もう目が見えないんだと思う。このままじゃもう、助からない……!
「す、すぐ助けてあげるから! ヒール! ヒール! ヒール!」
見よう見まねで治療の魔法を必死に使うけど、一向にレキの傷は塞がらない。
何で? 使おうとするたびに強烈な疲労感と睡魔がどんどん襲ってくるから、魔法が使えてないわけじゃないはずなのに……あのクソ野郎は、苦も無く腕を生やしたり生き返らせたりしてたのに……!
「良か、った……さい、ご、に……お、ねぇちゃん、に……会え、た……」
「駄目っ! 最後なんて言わないで! 絶対助けてあげるから! ヒール、ヒール――!」
こんな酷い姿になってて全身痛くて堪らないはずなのに、レキは嬉しそうに笑った。ううん、違う。きっともう痛みも感じないんだと思う……。
このままじゃ本当に間に合わなくなる。このままじゃ本当にレキが死んじゃう。だから私は必死にイメージを練り込んで魔法を使ったのに、やっぱりレキの傷は全然治らない。
何で? 元気なレキの姿なら簡単に思い浮かべられるのに、どうして傷を治してあげられないの……?
「おねぇ、ちゃん……だいきらい、なんて……言って……ごめん、ね……? だい、好き、だよ……」
「……れ……レキ……?」
ニッコリと微笑んで、レキはそれっきり何も喋らなくなった。最後の力を振り絞ってるみたいに身体を震わせてたのに、今はもうその震えも無い。最悪の想像に震えながら痛々しい首筋に指を当ててみると――指にはもう、何も伝わってこなかった。
「やだ、駄目……やめて……起きてよ、レキ……! 起きて……!」
必死にレキの身体を揺するけど、もう何も答えてはくれなかった。痛いからやめてって怒ることも無くて、ただ力の抜けた身体ががくがくと揺れるだけ。
お願い、起きて……私の事、大嫌いでも良いから……どんなに酷いことを言われたって良いから……!
「あ、ああぁぁあぁっ……うあああぁぁあぁぁああぁぁあぁっ!!」
でも私の願いは通じなくて、レキはもう二度と目を覚まさなかった。
レキの痛々しい亡骸を抱きしめながら、私はただひたすらに泣き叫んだ。今まで経験したどんな痛みよりも激しい胸の痛みを、堪えることができなくて。
⋇治療ができなかったのは「もう手遅れ」と強く印象に残ってしまったせい。
⋇本当は血液が酸性の某宇宙生物みたいに「身体を突き破って幼体が出てくる」感じにしようかと思いましたが、蜘蛛の生態とミニスのメンタルを考えてやめました。