誘惑
女神様曰く、この世界には自分を信仰する者はもう存在しない。女神という存在そのものを忘れている可能性も高い、とのこと。
実際レーンは女神様のことを初めて知ったような反応をしていたし、記憶を引き継いで何度も転生を繰り返してるアイツが知らない以上、まず間違いなく人族の中に知る者はいないと思う。
だけど寿命がとんでもなく長い天使、それも恐らく女神様に生み出された最初の天使の一人と思しきハニエルならどうだろうか。信仰はしてないまでも、その存在は覚えてる可能性が高いんじゃないだろうか。
「ゆ、勇者様!? どこでその邪神の名前を!?」
やっぱり知ってたみたいで、ハニエルは血相変えて僕に詰め寄ってくる。
邪神扱いとは女神様も浮かばれないな。僕の信仰する女神様が邪神なわけないだろ。その大層な翼毟り取るぞこの野郎。
「とりあえず先に誤解を解いておきましょう。女神様は邪神ではありませんよ。この世界の平和を心から願う、優しく愛に満ち溢れた素晴らしいお方です」
「いいえ、違います。この世界の者たちを殺し合わせて楽しむ、ねじ曲がった心を持つ邪悪の化身です」
オーケー、落ち着こう。キレちゃいけない。ハニエルは勘違いしてるだけだ。その綺麗な面に一万倍に加速させた拳を叩き込みたいけど、我慢だ、我慢。
とりあえず我慢できなくなった時のために防音の結界だけ張っておこう。悲鳴とか諸々が外に漏れないようにね。
「僕はこの世界に召喚される直前、女神様と対話をしました。彼女はこの世界の現状に深く心を痛めていましたよ。全ての種族が手を取りあい平和に暮らして欲しいのに、争いを止めてくれない、と」
「う、嘘です! もしも邪神でないというのなら、どうしてそのお力で私たちをお救いになってくれないのですか!? 私たちは何千年間も無為な争いを続け、お互いを傷つけ合っているんですよ!?」
「高次の存在である女神様がこの世界に干渉できる方法は限られているんです。それ以外の方法を強引に用いた場合、下手をするとこの世界は次元の狭間に呑み込まれて消えてしまう恐れがあります」
適当に考えた真っ赤な嘘だけどな! 本当は女神様たちの取り決めで禁じられてるだけっていうことは、別に言う必要は無いし。
「それに女神様は戦いを止めるよう必死に声をかけたと言っていました。にも拘わらず、あなたたちは戦いを止めなかったとも」
「それは……はい。確かに、お声を聞きました……」
どうやらちゃんとそのことも覚えてるらしい。どこか遠い目をして頷くハニエルはかなり悲痛な表情をしてた。
まあたぶんその頃は血で血を洗うような戦いが繰り広げられてただろうからね。しょうがないね。
「もちろん戦いを止められなかった理由も女神様から聞きました。数多くの理不尽を自分たちに課す存在を信じられなかったから、でしたよね? 確かに女神様は聖人族に様々な理不尽を課したように見えますが、それは全て種の存続のために必要なことだったんですよ? 聖人族が人口増加による食糧難に喘いでいた時、もしも女神様が魔獣族を創り出し口減らしを行わなかったらどうなっていたと思います?」
「それは……確かに、滅亡の一途を辿っていたかもしれません。でも、仮にも神様ならもっと他に方法があったはずです! 口減らし何てしなくても、誰もが幸せになれる方法が!」
あー、なるほどね。要するにこいつは理想論者か。みんな手を取り合って助け合うことができる。世界平和も夢じゃない。そんな絵空事を並べるだけで、どうにもならない現実から目を逸らす。あるいは見ていても自分の都合のいいように解釈する。
なかなか可愛い子だと思ったけど、僕の一番嫌いなタイプだったね。あー、何だか急に優しい勇者の振りをするのが面倒臭くなってきた。もういいや。
「なるほど、確かにあったかもしれないね。で? そんな理想を並べ立てるお優しい君なら、この世界を平和にするためにさぞかし身を粉にして努力してるんだよね?」
「っ……!」
典型的な理想論者らしく理想を語るだけで何もしてこなかったみたいで、ハニエルはあっさり言葉に詰まる。唇を噛み、酷く無力感に苛まれた表情で。
どうせ反論するにしたって自分一人にできることはたかが知れてるとか、やっぱり女神様が悪いとか逆ギレするんでしょ? 誤魔化しや言い訳は聞きたくないし、これ以上僕の女神様を貶めるような発言はもう聞きたくないからさっさと追い詰めちゃおう。
「言っておくけど女神様は完璧な人じゃないし、むしろかなりのドジっ子だよ。だけどこの世界の人々を心から愛してる。理不尽を課してるように見えるのも、多数を生かすために少数を切り捨ててるだけに過ぎないよ。この世界に生きる愛する子供たちを救うために、断腸の思いで決断してるんだ」
争い傷つけあい、倒れていく人々を見て女神様がどれほど心を痛めてたかは僕にはさっぱり分からない。
だけど女神様がこの世界の人々を我が子のように慈しみ、愛してることだけは分かる。そうでもなければ僕みたいなちょっとヤバい奴に自分の総てを差し出してまで、世界の平和を願うことはないはずだからね。
「それに比べて君は何をしてたの? 三千年間もお綺麗な理想にうつつを抜かして、文句言うばっかりで自分は何も行動しないとか、喧嘩売ってる? それともお綺麗な理想の世界しか見えないくらいに、目ん玉も頭の中も曇ってるの? ねぇ、どうなの? 教えてよ?」
畳みかけるように言い放って、最後にそう問いかける。
でも残念ながら答えは返ってこなさそう。だってハニエルは膝から崩れ落ちて、今にも失神しそうな血の気の失せた顔で涙を流してるし。こんな姿を見れば誰でも一発で分かるでしょ。
うーん、そこまでショックなこと言った覚えはないのになぁ。どうもマジに何もしてこなかったっぽい。
「じゃ、じゃあ……私は……どうすれば、良かったんですか……?」
そんなちょっと気の毒になってくる姿で、救いを求めるような目を向けて尋ねてくる。
どうもショックなことがあると思考停止して他者に判断を委ねるタイプみたいだね。仲間に引き込むのは難しそうだからいっそ消そうかと思ってたけど、この様子ならもしかしていけるんじゃない?
「そこで人に聞く時点で終わってるよ。だけど、どうしても知りたいなら――」
そこで僕はニッコリと笑い、手を差し伸べた。そう、迷える子羊を導く、慈愛に満ちた聖職者のようにね。
「――僕についてくると良いよ。一緒に世界を、平和にしよう?」
尤もその方法はまだ教えないけどね。もう二度と引き返せなくなるところまで引き込んでから、満を持して教えてあげるよ。
そんな風に僕が内心ほくそ笑んでることなんて分からない迷える子羊は、目に見える優しさと導きに騙されて、狙い通り僕の手を取ってくれた。
そんなこんなで、仲間を二人ほど見繕うことができた召喚初日。
幸いと言っていいのかどうかはともかく、ハニエルの後は特別な訪問客が訪れることは無かったよ。来てくれたのはメイドさんくらいだね。まあ僕に興味があるとかじゃなくて、夕食を運んできてくれたりしただけなのが寂しいところ。
というわけでパンやらスープやらの米が恋しくなる洋風な食事を食べて、部屋備え付けのかなり広い豪華なお風呂を頂いて、後は寝るだけとなった夜。
でもだからって普通ここですぐに寝るわけないよね? 修学旅行で消灯時間過ぎたって、布団に入って皆と怪談したり肝試しに行ったりするよね? ましてやこれは修学旅行じゃなくて初めての異世界だよ? というわけで夜の冒険、行くぞオラァ!
「――消失!」
そして部屋を出る前に魔法を使う。
この魔法でイメージしたのは、誰にも自分の存在を悟られないこと。視覚や聴覚、嗅覚によって僕が発見されなくなり、また足跡などの痕跡も一切残らなくなること。
要するに城の使用人のための大浴場にある女湯に入って何をしても、決して気付かれないであろう最高の魔法だ。
えっ、何で具体例がそんな場所なのかって? 聞くなよ、そんな分かりきったこと……。
「ということで、やってきました大浴場!」
目的地に辿り着いたところで、堪えきれず声高らかに叫んでしまう。でも魔法の効果で僕の声は誰にも聞こえない。実際脱衣所の中で僕の声に反応した人は誰もいなかった。
可愛い女の子のメイドさんたちは、楽しそうに談笑しながら僕の目の前でストリップを繰り広げてるし、洗面台の前で髪と翼をタオルで乾かすバスタオル姿の天使っ娘は、鏡に映った僕の姿をまるで認識してない。さすがに触ったらその感触は向こうも感じるかもしれないけど、それならそれで魔法を改良すればいいだけだ。
さてさて、それじゃあじっくり君たちの全てを見せてもらおうか。まずはそこのツンデレ間違いなしの桃髪ツインテメイドさんから――解析!
魔獣族への敵意:中
身長:152cm
スリーサイズ:71/55/78
なるほど。やっぱり普通のメイドさんでも敵種族への敵意は持ってるし、その大きさも相当なものらしいね。胸は小さい方だけど。
レーンもハニエルも敵種族に対して敵意を持ってなかったから、もしかしたら案外敵意を持ってる人の方が少ないんじゃないかと思ってた。でもあの二人が特殊だっただけみたいだ。念のため脱衣所にいる全員を解析で調べてみたら、一人残らず魔獣族への敵意は【中】判定だったし。
あ、もちろんこの判定基準も僕がイメージして設定したものだから、どれくらいの敵意なのかもしっかり分かるよ。あんまり細かくするとイメージが難しくなるから簡略化したけど、判定は全部で五種類。【無し】、【小】、【中】、【大】、【極大】の五種類。
【無し】は説明不要、【小】は嫌悪、【中】は敵意、【大】は憎悪、【極大】は殺意ってとこ。この場の女の子たちが【中】判定止まりなのは、実際に魔獣族と戦った経験が無いからなのかもしれないね。解析してみたら魔獣族を殺した事がある子は一人もいなかったし。
【中】の敵意止まりなら何とかなるかもと思ったけど、たぶん兵士とかは【大】の憎悪まで行ってる奴もいるだろうし、平和を実現するのはだいぶ難しそうだ。でも女神様のためにも諦めるわけにはいかないし、ハニエルに説教した手前僕が尻込みするわけにもいかない。絶対にこの世界を平和にして、女神様を僕のモノにしてやる! そのためにも明日から色々頑張るぞ!
そんな風に、僕の異世界召喚初日の夜は、固い決意と燃え上がる闘志を抱いて終わるのだった。
あ、ちなみに部屋に戻る前にさっきの桃髪ツインテメイドさんが身体洗ってる光景で致しました。触れなかっただけ十分自制したんだから、女神様もきっと褒めてくれるよね。うん。