【江戸時代小説/男色編】あまねく世界の鴉を殺し
明け方のこと、鴉が何羽も家の庭で、うるさく鳴いた。あまりにもうるさく鳴くのでおかしく思って奥の間の障子を開けると、部屋の真ん中で血を流す男がひとり、もはや虫の息だった……。
あるところに、ふたりの男がいた。
顔が瓜二つで背丈もさほど変わらない。双子かと思いきや、実の所はそうでない。
兄貴分が久代で、弟分が矢代って名だった。
名前も見た目もよく似た赤の他人なわけだが、出会ってすぐに意気投合し、これも縁あってのことと、一つ屋根の下で暮らし始め、義兄弟の契りを交わした。
盃を受けた矢代は、この契りをぜひとも形見にしておきたいと考え、久代に起請文(誓いの内容とそれを違えた場合の罰を記した文書。今でいう契約書)を書き置くよう願い出た。
これが二年ほど前のこと。
ところが、今年に入ってすぐ兄貴分の久代が流行病にかかり、そのままあっさりいってしまった。闘病期間は短かったとはいえ、久代が息を引き取るまで望みを捨てず、休まず看病し続けた矢代にとっては、もはや死するも同じ気持ちであった。
精神をやった矢代は、久代の後を追おうとして首をつったり川に身を投げたりした。けれどいつもうまくいかない。
この話を風のうわさに聞いた渡嘉敷という男がいた。
渡嘉敷は久代の幼馴染みで、久代に矢代という弟分ができたことも、以前本人から聞かされて知っていた。
そのため、どうも他人事とは思えず、渡嘉敷は「まるで久代が彼岸に来るなと言っているようじゃないか」と、悲しみに暮れる矢代を慰めた。
渡嘉敷は雨が降る日も風が強い日も吹雪く日も矢代の屋敷を訪ね、矢代を支え続けた。
そして、ついには「わたしが久代に成り代わってそなたを愛そう」とまで言った。
しかし矢代は、久代のことを忘れたくないと泣きながら言うので「久代のことは忘れずともよい。わたしのことは、兄貴分がもう一人増えるとでも思ってくれれば、それでよい」と優しく返した。
押しに弱かった矢代が折れ、渡嘉敷はその晩のうちに矢代の屋敷で宴を開き、契りを交わそうとしたが、矢代は久代と契った際の起請文のことを、ふと思い出す。
はて、あれはどこにやったか。確か、久代殿に大事にしまっておいてくれと頼んだはずだ。
矢代は渡嘉敷に契りはもうしばらく待ってほしいと頼み込み、渡嘉敷が用意した宴を早々に失礼し、矢代は久代が最期までいた部屋に向かった。
部屋をくまなく探して、ようやく掛け軸の裏に文を見つけ、矢代はすぐさまその封を切った。
起請文には
“私、矢竹久代は、久坂矢代のひとりを生涯かけて、愛することをここに誓う。
尚、私が死したそのときは、久坂矢代は命を賭して幸せになること。之を罰とする。”
とあって、矢代はむせび泣いた。
それから持っていた合口(短刀の一種)で腹をかき切った。
「命を賭して、あなたのもとへ参りまする……久代殿……わたしの幸せはあなたと共に……」
渡嘉敷が、なかなか戻らない矢代を探して屋敷をうろついていると、奥の間がなにやら騒がしい。鴉の声がひっきりなしにするので障子を開けると、部屋の真ん中で矢代が腹を切り、事切れそうになっている。
慌てて「だれか医者を呼べ」と叫んだが、そのうちに矢代は息を引き取ってしまった。
渡嘉敷はその亡骸を抱きしめ救ってやれなかったことを後悔した。
そして、そばにあった起請文を読めば、胸が痛んでしかたがなかった。
「幸せを見つけて生き続けるのが久代の願いであったろうに……そなたはそこまでして久代のことを……」
矢代は涙を流しつつも、まるでこの世に未練がないとでもいうように笑んでいた。
それからふと立ち上がった渡嘉敷は、座敷の置き刀を手にすると外で忙しなく鳴く鴉共を追い払った。
「これで、彼岸の夜明けも、想い人とゆるりと朝寝ができるだろうよ」
渡嘉敷は夜明けの空に肩を落として、そう言った。
おしまい
参考:落語『三枚起請』、都都逸『三千世界の烏を殺し……』