表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

第一話『回り始めた物語』



 青色の空に紛れて見えにくいが月から伸びる物流のパイプラインである青い輪によって、月から運ばれてきたゴミが超高高度から地球のゴミの大地の上に廃棄される。

 廃棄されたゴミは積み重なり10メートルほどのゴミ山を形成すると、青い輪は少し離れた別の場所にゴミを廃棄し始め、その場所で別のゴミ山が積みあがる。

 そのゴミ山の一つに十三歳になった短い黒髪に焼けた肌のイツキが背中にゴミから拾った歪んだ鉄線の骨組みにブルーシートを継ぎ接ぎして布にしたもので作った籠を背負い、籠の端には幾つかの道具をじゃらじゃらと引っ掛けて登っていた。

 ゴミ山は地面になる前で柔らかく、掘り出し物が漁りつくされる前のためにゴミ漁りを仕事にしている者からすれば狙い目の場所だった。

 ゴミ山は砕けてくすんだガラス瓶や、肉の匂いの付いたぬるぬるのプラスチックのトレー、材質も分からない歪んだ金属の棒、用途の分からないアルミの鉄線を支えにしてゴムで囲んで円形にしたもの、色とりどりの配線が詰め込まれた箱など。

 その他ありとあらゆるゴミが捨てられていた。

 月から捨てられるゴミの半分は訳の分からないものだったが、半分はイツキの住む街にもあるものだった。

 しかし、街と比べてそのゴミの生産速度だけは異常に思えた。

 月は街よりも大きいのだろうが、地球よりは小さいはずだ。だが、毎日見える範囲だけで数千のゴミの山を築く月の人々とは何者なのだろうか。

 果たして生きるためにそれほどのものが必要なのだろうかとイツキは考えた。

 しかし、ゴミ山の中腹までへばりついて登った所で、足を掛けていた足場が崩れて、ひどい音を立てながら空き缶が山肌を転がり、地面でへしゃげたため分散していた思考を目の前に集中させる。

 探しているのは、透明で割れておらず形の整っているガラス製品だ。綺麗に洗えば、インテリアとして多少は良い値段で売れるのだ。

 籠に引っ掛けているピッケルを取って、山の中腹を掘り進めていく。

 絡み合った鉄線などのゴミをピッケルで引っ掛け、かき出し、多くの一銭の金にもならないゴミは山を転げて、落ちていく。

 身体の半分が埋まるほどの穴を掘った所で、ゴミの種類が生活ごみの柔らかい地層に変わったためピッケルを籠に掛けていたシャベルと持ち替えると、身体を突っ込んでシャベルを突き立て、値打ものが混ざっていないか確認すると外に捨てる。

 奥に掘り進めると、ゴミとゴミの先に太陽の光が僅かに反射する何かを発見したため、籠からゴミばさみに持ち替えて、腕を伸ばしてその何かを挟んで引き出す。

 穴から後ろ向きに這って出て、ゴミにまみれている何かを素手で拭って確認すると、それは形の整ったガラス瓶だった。光にかざして見るとくすんでいるが、洗えばくすみは落ちて綺麗になりそうなので満担につまった籠に最後の一つとして放り込む。

 道具を全て籠に掛けて、山をゆっくりと下りると籠を下ろし、イツキは額の汗を拭う。

 ずっと中腰で作業していたため猫背に固まった背中を思い切り逸らせるとびきびきと背骨が鳴る。

 直角近くまで背中を逸らせると、丁度頂点に来ている太陽が見えた。

 背中を戻して、「ふぅ」と息を吐く。

 イツキはもう街の近場ではほとんど値打物が掘り尽くされていて、同業者との競争になるため二日前に街から遠征に出て、手付かずのゴミ山を漁り、ようやく籠一杯の掘り出し物を集めたために街に帰ろうと周囲を見回して街を探した。

 平坦なゴミの大地には、小さなゴミ山と大きな街以外の何もないために街を見つけるのは容易だった。

 遠目からでも見える街は、周囲の住居ビルよりも高い工場の煙突から風に揺らぐ白い煙が登り、晴天の青空に紛れているが工場で作られた生産物が青い柱になって空に吸い込まれていた。

 工場の奥には隠れているが工場の煙でも一切汚れていない異常に白い病院があり、かつては綺麗な灰色だったのだろうが煙で黒く汚れ、老朽化し僅かに歪んでいる外壁や上部だけが覗かせる住居ビルが見えた。

 イツキはそんな街の様子を睨んでみたが、出来ないことを考えるべきではないと邪念を払うように頭を振って、帰ろうと籠を背負い直して街に足を向けた。

 しかし、イツキは二日も街から離れる方向に遠征したため、幾ら歩いても街は遠く近づいている気がしなかった。

 籠を一杯にし終えて、背筋を伸ばした時に見た太陽は仕事終わりの心地よい疲労感と僅かに吹いた風が髪を撫でた爽快感で素晴らしいものだった。だが、既に一周して、歩き続けるイツキを照り付けるだけのものになった太陽にその時の面影はなかった。

 街の方を見ても気が滅入るだけなので、照り付ける太陽が作る自分の影だけを見て、顔を垂れる汗を拭うことも面倒になりゴミの大地に染みるままに歩いていた。

 そんな時、イツキはゴミの大地の中に光を反射する何かを見つけた。

 ゴミの間に指を突っ込んで拾い上げると、それはガラスの小瓶だった。

 触れるとひんやりしている。コルクで封がされ、中に何かがあるように見えるがガラスの表面がくすんでいて見えなかった。イツキが服の裾でくすみを拭って、太陽に透かすと中には黒い小さな粒が幾つも入っているのが見えた。

 厳重に封がされ、ゴミに思えない小瓶の中身を知りたくなったイツキは、小瓶をズボンのポケットにしまうと直接街に帰る予定を変更して、ゴミを漁りやすいからという理由で街の外にテントを張って暮らしている、本の切れ端や機械の部品を集めて組み立て直すことが趣味の物知りの友人の下に足を向けた。


 目的を得たことによってイツキは調子よく足を進ませると、太陽が地平線に一度隠れて再び出てき始めたほどの時間で友人のテントにたどり着いた。

 テントはゴミの大地に紛れないように目立つ黄色で、四隅は地面に杭で固定された長方形のテントだった。テントの周辺にはイツキの足首より小さなものや身長の倍ほどあるものなどたくさんの種類がある、ゴミを集めて組み立てられたが材料が十分でないため奇怪で異形なデザインで補われた機械群が放置されていた。

 その全てはイツキが会いに来た友人が作ったもので、完成済みの作品や途中で飽きた作品、材料や技術・知識が足りずに未完成のままの作品だそうだが、イツキには完成なのか未完成なのかも用途が何か分からない代物ばかりだった。

 その乱雑に入り組んでいている様子のため、イツキは森を見たことはないがこれほど草木が絡み合い乱立していたのだろうと思い、その場所を機械の森と心の中で呼んでいた。

 その機械の森はイツキが以前来た時より一段と勢力を拡大していた。

 イツキは籠を置くと、テントの住人が出入りするために残している獣道のようなしゃがんだり、跳ねたりしなければ通り抜けられない狭い道を進んだ。森の中の機械に僅かでも触れると、例え飽きて放置した機械でもテントの住人は僅かな変化に気付いて凄い剣幕で怒るため緊張しながら機械の配線やアームを避けて、額に汗が浮かぶほど集中してテントの入り口までたどり着いた。

 布が垂れて目隠しとなっているだけのテントの入り口を手で押し上げて中に入ると、中は換気もままならないため鉄臭い匂いが充満していて、外の機械の森よりも更に作りかけの機械がぎゅうぎゅうに詰め込まれ入り組み、地面には本の切れ端や部品が足場のないほど乱雑にばらまかれていた。

 機械の穴やアーム、支柱の僅かな隙間から覗けるテントの奥で、拾ったテーブルを前にして金色の巻き毛に眼鏡を掛けて、油で黒く汚れた手袋で手の平サイズの丸い機械を弄っているのがイツキの友人であるツトムだ。

 ツトムはテントの中にイツキが入って来たのに集中しているのか、わざと無視しているのかイツキの方を向かず、目の前の機械に小さな歯車をはめ込んでいた。

「おーい!!ツトム!!来たぞ!!」

 イツキはかなりの大声で呼んでもツトムが反応しないために、傍にあった機械に素手で触ろうとすると、「触るな!!」と振り返らずに歯車をつまんだまま、目の前に集中しているツトムが鋭い声で制する。

 持っていた歯車を一つ嵌め終わると、ツトムは「少し待っていろ」と言って作業を続けた。

 しばらくの間、イツキは未完成の作品をどのような意図や目的で作られたのか分からないが分からないなりに眺めて楽しんだり、地面にちらばっている本の切れ端を半分ほどしか文字が読めないため挿絵だけを楽しんだりして待っていた。

 作業が一段落したのかツトムは椅子から立ち上がり、汗や油で汚れた眼鏡を飛び跳ねた油で汚れた服で拭いながらやって来た。外の機械の森よりも一層入り組んでいるテントの中だが、流石住んでいるだけのことはありひょいひょいと慣れた様子で機械の間を通っていた。

 しかし、服も油で汚れているため眼鏡の汚れは落ちず、逆に更に汚れていた。

「別に目が悪いわけでもないんだから、眼鏡を掛けなくても良いだろう?」

 イツキが言うと、ツトムは汚れたままの自作の眼鏡を掛けながら、勢いよく反論する。

「いいか!金髪の巻き毛で眼鏡は機械いじりをする理想の姿なんだぞ!!」

 ツトムが機械いじりをするきっかけになったゴミから見つけた第三章から第四章の半分までしかない小説。その小説の挿絵が自分と同じ金色の巻き毛の人間で内容を知りたくなったツトムは文字を覚え、その人間が眼鏡を掛けて機械いじりをしていたためにツトムは憧れて同じことを始めたため昔からそう言っているのだ。

 今もその小説はテーブルの引き出しに大切に保管されている。

 毎回眼鏡の話題になると胸を張ってそう言うツトムに毎度それは勘違いが入っているのではないかと首をかしげるイツキだが、文字が読めず違うと言う明確な理由もないためそんなものかと聞き流している。

「で、今日はどうして僕の下に来たんだ?」

 ツトムは座っても大丈夫な機械の土台に座ると嫌そうな顔でイツキに尋ねた。

 嫌そうな顔を向けられたイツキは心外そうに「何だよ?」と言うと、「いや、ツトムが僕の下に来るときは大抵無理難題か、何か仕出かして街から逃げ出して来た時のどちらかだから‥‥」とため息まじりに答えられた。

「今日はそんなんじゃないんだ。

 これを見てくれ。これが何か分かるか?」

 幾つも思い当たる節があるイツキは話を変えるように、ズボンのポケットから拾った小瓶を取り出すとイツキに手渡す。

 ツトムはやはり汚れて見えにくいのか眼鏡を額まで上げると、興味深そうに目を細めて小瓶の中を見る。

「なんだ。これは植物の種じゃないか」

 機械以外に余り興味のないツトムは小瓶の中身が分かると、興味を失ってイツキに小瓶を放り投げて返した。

 イツキは投げ返された小瓶を慌てて落とさないように空中で受け取る。

「おっと!?これが植物の種か!!初めて見た!」

 再び小瓶の中の小さな黒い粒をしげしげと見ながら、イツキは興奮気味に言った。

 興味を失ったツトムは機械いじりに戻るために、機械の間を戻っていきながら、

「そうだろうな。月の連中は僕たちが植物の栽培を始めたら、街を月からの供給によって従わせられなくなるかもしれないから、種はほとんどゴミとして捨てられることはないからな」と言葉を返す。

 心躍って小瓶を見ていたイツキだが、唐突な疑問を既に奥のテーブルに戻って機械いじりを再開しているツトムに投げかける。

「で、これは植えれば育つのか?」

 おじいちゃんに話から植物を知っていたイツキはワクワクしながら聞くと、ツトムは機械から手を放して椅子の背もたれに大きく背中をもたれ掛からせてバランス悪く二脚だけで、イツキの方を向きながら少し考える。

「うーん?どうだろう。そこまでは分からないな。植えて見ないと」

「植えればいいんだな?」

 イツキが間を開けずに早口で言うが、「でも、土がないじゃないか」と言うツトムの言葉にワクワクしていたイツキの勢いが止められる。

 そうなのだ。外は全てがゴミの大地。土と言うものをイツキは一度も見たことがない。

 イツキは外に広がるゴミの大地を思い浮かべ、顎に手を当てて考える。

 しばらく考えて、イツキは悪いことを思い付いた時のあくどい悪役のような頬を吊り上げた笑みを浮かべた。

「つまり、土があればいいんだな?」

 そう呟くイツキにツトムはまだ居たのかと呆れた様子で機械から手を離さずに「だーかーら、その土はどこにあるっていうんだ」と返す。

 イツキは勝ち誇ったように勢いよく自分の足元を指差す。

「下だろう?土というものを見たことはないが、ゴミの下に土があることは知っている」

「そうだよ。でも、どれくらい下にあるのかも分からない。当てもなくゴミの大地を下に掘っていくのか?」

 はっと気づいて、イツキは機械にもたれ掛かりギアを指で回して弄びながら、ツトムが幾ら文句を言っても聞こえないほど集中して考える。

「‥‥あ!?そうだ。確か、ツトムが前街の市場でこの辺りの古い地図を買ったとか言ったよな」

 イツキに言われて、ツトムは少し昔のことを考えて思い出した。

「ああ、あれは何かに使えると思って買ったけど、結局使わなかったから売ったんだよ。

 うちに注文の機械を取りに来て、テントの中で転がっている地図を見て欲しいって言ったからリキに。あいつ額縁に入れて壁に飾ると威厳が出そうだからとか言って、買っていったぞ。

 地図の読み方も知らない癖に」

 ツトムは普段よりも毒を含んだ口調でそう言って、「で、地図なんて何に使うつもりなんだ」と尋ねた。

「じゃあ、その地図で標高の高い場所を探して、そこを掘ればいいんじゃないか?」

「途方もないゴミが積もっているんだぞ。海も山も谷も埋め立ててこの星を平坦にするほどの」

 馬鹿な考えだと返すツトムに、イツキは探偵のように一本指を立てて答える。

「実際にどれくらい厚く積もっているのかは分からないだろう?

 それに世界中を見たわけではないのに、誰が海も山も谷もゴミで埋め尽くされたと言ったんだ?」

「?僕は工場で働いていた父さんから聞いた。父さんは多分工場の同僚から‥‥」

 ツトムは気付いた様子で口ごもる。

「そうだ!!この街の誰もそんなことを確認するのは不可能だ。

 じゃあ、その情報の最初は誰か。月の連中だ。もしかしたら、月の連中が俺たちをこの街を抑え込もうとするためのデマかもしれない!!」

 熱っぽく語るイツキに、月嫌いのせいで考えが少し飛躍し始めている気がしないでもないと思ったツトムは「そうかもしれないが‥‥」と一拍おいて落ち着かせてから尋ねる。

「それでも、ゴミの厚さがちょっと掘った所でゴミしか見えないほど分厚いことはゴミ漁りを仕事にしているイツキが一番知っていることだろう」

 イツキはその言葉に少し考えてから「‥‥それは掘ってみないと分からない」とそれ以上は思いついていなかったようで俺が知るわけがないだろうとやれやれと肩をすくめるジェスチャーをした。

 ツトムはまたイツキの思いつきが発動したかと思い、「まあ、頑張れー」と言って、今度こそ本当に机に向かって機械いじりを再開させようとした。

 しかし、既に誰も彼もを巻き込んでも気にしない暴君モードに入っていたイツキは、機械を倒さないように手でよけながらツトムの後ろに立つと、ツトムの胴に手を回して持ち上げた。

「どうして、僕を連れて行こうとするんだ!?」

「ツトムがいないと地図を読める人間がいないだろう」

 手足をばたつかせて逃れようとするツトムの手が顔面に当たりそうになって「うわ?!危ないだろ」と言いながら、イツキはツトムをテーブルから離し、テントの外に連れて行こうとする。

「止めてくれ!僕はリキに会いたくないんだ!

 あいつは偉そうで嫌いなんだよ!総会の一席を継いでから一層偉そうになった!

 リキの所で、地図を手に入れてからここに戻ってくればいいじゃないか」

 ツトムが訴えるのに、イツキは「いやだ。面倒だろう。それにそんなに時間をかけたら、俺はこの種に対する興味が無くなるかもしれない」と我儘を言ってツトムを連れて行こうとする。

 ツトムはこのままではテントの中の機械が壊されかねないと諦めて暴れなくなったので、イツキはツトムをテントの機械の森の外まで連れだしてからツトムを地面に下ろした。


 イツキはテントに戻ることは諦めたが街に行くことは乗り気ではないツトムを引っ張りながら、かなり街に近い地点まで歩いてきた。

 街の周囲では、多くの子供たちが集団になってゴミ漁りをしていた。

 子供たちはイツキのように遠くに遠征に行くことは出来ないために、既に多くが漁られているが、街の近くに僅かに残っているだろう掘り出し物を探してゴミ漁りをしていた。

 子供たちはほとんどが工場で働くことの出来ない十歳より下の歳で、親がいないためゴミ漁りをするしか生きる手段がない子供や親が諸事情で工場で働けないため稼ぎの足しとして働いている子供が多かった。

 多くの子供はピッケルかシャベルの片方を持って、街の近くに積みあがったが多くが掘り出されて半分ほどの高さになったゴミ山を掘っていた。

 しかし、まだ明らかに背が低くゴミ漁りを始めたばかりだろう七歳ほどの子供はゴミの匂いが充満する街の外に慣れないのか口と鼻をぼろ布で覆い、シャベルもピッケルも買うお金がないために手を布で覆って掘っていた。

 子供たちの集団の中を歩いていると、イツキが特に懇意にしている子供たちの幾人もがゴミ漁りを中断して、「イツキ兄ちゃんー!!」と手を振ってくれた。 

 イツキは笑顔で手を振り返すが、人見知りなツトムはテントの中と違ってイツキにしがみついて、小さくなって、気配を消して自分に気付かれないようにしていた。

 イツキが手を振りながら歩いていると、子供の一人が何かを両手で大切そうに包みながらとことこと走って近づいて来た。

「これ何処で売ったらお金になるかな?」

 そう言って、イツキの前で手を開くと、小さな手の平に服の裾で何度も磨いたのだろうと分かる綺麗なガラス玉が乗っていた。イツキはそれを優しくつまんで受け取って、太陽にかざすとガラス玉は中も曇りなく綺麗だった。

「住居ビルの第三棟の二階隅のおばさんが奇麗なガラス玉の十個セットの十個目を探していたから、そこならば高く買ってくれるんじゃないかな」

 そう言って、イツキは少年にガラス玉を返した。少年は大切そうにズボンのポケットにガラスの玉を入れると、「ありがとう!!これで病気のお母さんに栄養のある食べ物を買ってあげられる!!」と手を振りながら走ってゴミを漁っていた場所に帰っていった。

 子供たちがゴミ漁りをしている場所から抜けると、小さくなっていたツトムは少し普段通りに近づいたが自分のテリトリーではないために不安そうにイツキの袖を引っ張って、耳に顔を近づける。

「気に入られているんだな」

「まあ、大先輩みたいなものだからな。それに懐かしいだろう?俺たちもあれくらいの時はゴミ漁りをしたよな」

 そう言うイツキに、ツトムは疑問を投げかけた。

「イツキはいつまで子供の仕事のゴミ漁りを続けるつもりだ?

 イツキの年齢ならば工場で働けるだろう。工場の方がゴミ漁りよりも十数倍は稼げて、良い暮らしが出来るだろうに」

 イツキは困った顔で頬を掻いて、話を逸らす。

「それなら、ツトムだって工場で働かずに、機械を売って暮らしてるじゃないか」

「僕はほら、多くの人とのコミュニケーションが‥‥。でも、今はイツキの話だよ。

 やっぱり、月が嫌いだから?」

「そりゃあ、月は嫌いだし、月のために存在している工場も嫌いだよ。

 でも、俺がゴミ漁りを続けているのはそれがこの街唯一の産業だからかな?‥‥この街で工場作業員でもゴミ漁りでもないとなると、物売りになるしかないだろ?」


 そんな会話をしていると、街へのゴミの流入を防ぐ円形の外壁唯一の門の下で、外でゴミ漁りをしている子供たちを見守るという二人も人員を割くべきなのだろうかという仕事をしている衛兵の顔の輪郭が見えるほどに街に近づいて来た。

 門の前では茶色の制服を着ている二人の衛兵が使う機会などないから肩に担ぐための負い紐のついた長銃を外壁に立て掛けて、シャベルを手に持って門の周辺のゴミを退かして、脇に積み上げて、道を作っていた。

 二人の衛兵の内の一人が門に近づくまだ遠くのイツキとツトムに気付いて、シャベルを置いて手を振る。イツキは手を振り返し、ツトムも知り合いのため安心して手を振った。

 細身で衛兵の制服の上からは分かりにくいが、それなりに鍛えられた身体をしているヒロトはイツキやツトムと一緒に十歳より若い時はゴミ漁りをしていた仲だ。

 そんなヒロトは今では街の衛兵をしている。

 しかし、衛兵と言っても彼らが守っているのは街ではない月の所有している工場だ。

 衛兵たちは時節街を巡回して街の治安を守ってはいるが、それは街の治安が悪くなると工場の稼働率が下がるという理由だけだ。

 衛兵たちの全員はこの街の生まれで、誰も望んで月のものである工場を守っていない。

 衛兵は皆、月に何かしらの大切な誰かの命を握られているのだ。その大半は月の管理する病院でしか生きられない病気の両親や兄弟や子供だ。衛兵を止めれば、大切な人は病院から追い出される。工場の稼働率が一定以上下がれば、大切な人は治療を受けられなくなる。

 治療と言ってもまともな治療ではない。

 病院から退院した人間はいない。病院では決して完治のための治療はされず、ひたすら衛兵が死ぬまで延命治療が行われる。街の全員がそれを知っている。衛兵たちも勿論知っている。

 しかし、それでも彼らは大切な人のために工場の衛兵を続けるのだ。

 ヒロトの大切な人は妹だ。

 ヒロトが七歳、妹が三歳の時、二人の両親は街特有の病気で亡くなった。ヒロトは妹を背負って、ゴミ漁りを始めた。イツキやツトムと出会ったのもその時のことだ。

 両親が死んで二年が経った頃、妹が両親が死んだのと同じ病気に罹った。十歳までは衛兵になれないため、ヒロトは一層ゴミ漁りを頑張り、何とか栄養のある食べ物を食べさせて、十歳になったその日に衛兵になって妹を病院に入れることが出来たのだ。

 ヒロトは門の下までイツキに引きずられているツトムを見て、呆れた顔をした。

「また、イツキの悪だくみか?」

「そうなんだよ。助けてくれよ」

 ツトムが助けを求めて伸ばす手を、ヒロトが「巻き込まれて、げんこつを喰らうのは御免だ」と言ってひょいと避けた所をイツキがヒロトの腕を掴む。

「もう仕事は終わりの時間だろう?リキの所に一緒に行ってくれよ」と引っ張る。

 ツトムも僕のことを見捨てたんだから、道連れだとヒロトの服を掴む。ヒロトはもう片方の先輩の衛兵に視線で助けを求めるが、衛兵の先輩は「もう門の前のゴミはのけ終えたし、そろそろ交代の時間だから僕一人で構わないよ」と笑ってヒロトを見送った。

「じゃあ、大丈夫だな」

 ヒロトを掴んだ手を放してツトムを引っ張って先に進むイツキに、ヒロトは「お先に失礼します」と先輩の衛兵に頭を下げて、外壁に立て掛けた長銃を肩に担ぐとずんずんと先に進むイツキを駆け足で追った。


 門に入ると、目の前には住居ビル第一棟のエントランスの入り口がある。

 エントランスに入って真っすぐ進めば、工場と病院、小さな衛兵の屯所のある街の中心に繋がっている。左に進めば第二棟エントランスに、右に進めば第八棟の一階エントランスに繋がっている。

 街の中心には工場があり、隣に第四棟に半ば食い込んでいる病院がある。その間に小さな衛兵の屯所が置かれている。

 そして、その周囲を左周りで順番に第〇棟と名付けられた住居ビルが並んでいる。どの住居ビルの一階からも中央の工場まで続いているが、住居ビルの一階は両隣の住居ビルの一階としか繋がっておらず、第一棟から対面の第五棟まで行くには道のない狭い工場の隣を通るか、三つの棟の一階を大回りして通るしかない。

 それはこの街が工場を中心としてしか作られていないことを示していた。

 イツキが会いに行こうとしているリキは第六棟の最上階である七階の総会メンバーが代々住む部屋に住んでいるため、ツトムが逃げないように引っ張っているイツキと二人を追いついたヒロトは右に曲がった。

 街は本来シンプルな構造なのだが、老朽化や後から住人が手を加えたり、住人の生活によって通れなくなったりと複雑怪奇な構造をしている。

 街が出来た時には無かった吊り橋が後から掛けられていたり、階によっては一部大穴が開いていて通れない場所もある。

 更に治安が悪くて通るべきではない場所や今は関係ないが朝方には工場で働く人々の出勤で通れず、昼頃には物売りによって大がかりな市場が開かれていて袖を引かれるため避けるべき階もある。

 そのため、一階エントランスを通って第六棟の一階まで行き、そのまま階段で最上階を目指すということは今は出来ない。

 しかし、街にほとんどいないツトムは別として今もゴミ漁りの掘り出し物を各棟各階の物売りに高く売るために歩き回るイツキと衛兵として街を巡回しているヒロトは今の時間第六棟の七階まで行くための最速の順路は身体で分かっていた。

 まずは第一棟の右隣にある第八棟一階エントランスに続く、工場の影に遮られほぼ一日中太陽の当たらないカビを更に腐らせたような匂いのする廊下を通る。

 一階の右手にはどの棟も同じような凸凹と歪んで防犯も出来ないような一人暮らし用の部屋の扉が壁に張り付いて整列している。

 一人暮らし用の部屋だが、それは大きさだけで実際に住んでいるのはゴミ漁りしか仕事のない孤児たちが金を持ち寄って数人で暮らしているのがほとんどだ。

 左手には布も敷かずに商品を直に廊下に並べている物売りたちが窓から差し込む僅かな日光さえも避けるように壁に背中をへばりつかせて点々と等間隔で座り込んでいた。  

 商品と言っても、街のゴミ箱から漁った洗いもせず肉の欠片の付いたトレーを重ねただけのもので、この街の人間でも誰も買わないような代物だ。

 物売りたちは全員頭がボケていて、呆けて開いた口からよだれを垂らしている。更に、街特有の病気で腕や足の一本や二本は腐り落ちている。

 彼らは若くから病気になったが病院に入れてくれるような家族もおらず、工場でも働けないため物売りになり、貯金もせずにまたは出来ずにボケた後は長年の習慣から商品とも呼べない商品を並べて、後は死を待つだけという人々だった。

 しかし、ボケる前は良い物売りだったのだろう。習慣としてトレーを綺麗に並べていることがよりもの悲しい気持ちにさせる。

 久しぶりに嫌なものを見て抑えられないという顔のツトムに、ヒロトは老人たちにツトムの表情を見られないようにツトムの左手に回り隠す。

 イツキは籠を背負ったまま走って先に進み、最奥の部屋―――かつてはイツキとツトムとヒロト、そしてヒロトの妹の四人で住み、今は残ったイツキだけが住んでいる―――の鍵の壊れた扉を開けて、掘り出し物の詰まった籠を土間に置いて、二人が歩いてくるのを待つ。

 そして、イツキの部屋の隣の黒ずんで変な匂いのする階段を昇る。

 階段の途中にも一階のようなボケた物売りたちがいるが、一階と二階の中間にある階段の踊り場を境に途端に物売りの種類が変わる。

 物売りたちにボケは見られず、はっきりと前を見ている。身体の一部には病気の兆候が見られるが、服や布で覆って隠している。

 売っているのはガラクタに違いないが、ゴミ漁りが掘りだしてきたインテリアとして売れるような代物だ。

 イツキなどのゴミ漁りがものを売るのは概ね二階の物売りだ。

 左手にいる物売りたちは床に布を敷き、綺麗に洗われたガラス瓶などのガラス製品や珍しいプリントのされた缶詰の空き缶、何の用途で使われるのか分からない壊れた機械などを並べている。

 右手には一階と同じ間取りだがまだ綺麗な扉が整列している。

 そこに住んでいるのは主に片親で、その片親も病気で工場では働けない身体のため物売りをし、子供がゴミ漁りをして何とか二人で暮らしてるような家族が多い。

 その証拠に、自屋の扉を開けて、玄関口から商売をしている女性がいた。その女性は足に布を巻いて隠していた。

 そこを通り過ぎようとイツキとヒロトが足を急がせようとすると、ツトムが一人の物売りの前に置かれた壊れた機械に目を奪われ、しゃがみ込んでしまった。

 イツキとヒロトはてこでも動かなくなる前にツトムの腕と足を二人で抱えて、素早く廊下を走り抜ける。

 廊下の奥まで行った所にあり第八棟の二階奥の窓は、ガラスが叩き割られ、第八棟と隣の第七棟の二階同士を繋ぐ吊り橋が掛けられている。

 吊り橋と言っても、今にも切れてしまいそうなほど細いロープと漁って来たのだろう板状のゴミを組み合わせて、足が入るほどの隙間が空いている一人しか通れない狭さの吊り橋だ。

 尖った破片に触れないように窓枠をくぐらないと吊り橋には行けないが、ツトムがそこまで身体を持ち上げられないと言うのでイツキが先にくぐって手を引き、ヒロトが後ろから尻を押し上げる。

 ツトムは何とか窓枠をくぐり、吊り橋に乗るが高所での恐怖を紛らわせるためか目を奪われた壊れた機械をもっと見させずに、強引に持ち運んだことで溜まっていた文句をぐちぐちと言い始めた。

 しかし、

「‥‥そもそも、あの二階の売っているものは再利用ばかりで再生利用がない。

 僕はいつもゴミの山を見て、なんて宝の山だろうと思っている。しかし、物売りたちが価値を見出して、売っているのはその内のごく僅かだ。

 割れたガラス製品や形の美しくない鉄製品だって熱して溶かして再成型すれば高値で売れるものに変わる。燃料もゴミの中から見つけることが出来るのに‥‥‥‥」

 と、怒りの矛先はいつの間にかイツキとヒロトではなく物売りたちに向いていた。

 月から必要なものは全て送られてきて、例え街の中でそれと似たようなものを作ろうとしても品質は比べることも出来ないほど落ちて、値段も人件費だけで数倍になる。

だから、この街では何かを作ろうという考えはそもそも浮かびにくい。

 だからこそツトムのように何かを作ろうとする人間はこの街では珍しく、そんなツトム故の怒りなのだろう。

 先行するイツキはそんなことを思い、後ろからヒロトが「まあまあ」となだめていた。

 吊り橋の端に来て、七階の窓枠を二人に助けられながらくぐるとツトムは恥ずかしくなったのか愚痴を言わなくなった。

 そのまま第八棟と同じような扉や物売りが並ぶ第七棟の二階を通り抜け、階段を昇り、二階と三階の踊り場を歩く。

 そこから、また物売りの種類が変わる。

 三階からの物売りたちに外見から病気の影は見られない。ほとんど全員がかつて工場で働いていたが二十歳を超えて働けなくなり物売りになったが、金は残っているために身なりは良く、見た目も健康だった。

 売っている商品も工場から盗んできたような何に使うのか分からない機械の部品はあるが、雨水を飲める程度には濾過した水、四階以上で売られている食料の内消費期限が切れただけでまだ食べられるものや余りの布を組み合わせたことを隠そうとしないカラフルな布、修復跡ばかりの中古の服など普段から買うような実用的なものに変わっていた。

 三人が階段を昇っていると、階段の手前ほどで物売りをしているおばさんがイツキに手招きをする。

「イツキちゃん。今日は消費期限がたった三か月過ぎただけのカップ麺があるんだよ。買っていかないかい?」

「今から知り合いの所にいかなきゃだから、まだ覚えていたら買いに来るよ」

 とイツキは答える。イツキのことを知っているおばあさんは「じゃあ、忘れてるね」と言って、口周りの皺を歪ませて笑い、イツキも全くだと笑って返す。

 少し先に行って、ツトムがイツキに顔を近づける。

「まだ、こんな所で食べ物を買ってるのか?」と悪気無く言う。

 イツキはむすっとして、返す。

「俺たちがガキの頃はほとんどここで買い物をしていたじゃないか。なあ?」

 とイツキはヒロトに話を振り、ツトムも回答を求めるようにヒロトを見る。

「まあ、おれもここで食べ物を買うことはあるよ。全員がツトムみたいに作ったものが売れて、金を持っている訳じゃないんだぞ」

「でも、妹のサナエちゃんには当時もここの食べ物は食わせなかっただろう?」

 とツトムが言うと、ヒロトは「当然だ!!」と力強く言ってから、「でも、‥‥そういうことじゃないだろう?」と落ち着かせる声音で言って、睨み合いそうになる二人の背中を押して、先に進ませる。

 そのまま階段を昇り、三階と四階の間の踊り場を抜け、更に五階まで登る。

 そこから上の部屋はほとんどが家族用の大きさの部屋が並び、全ての扉は綺麗で鍵がしっかりと機能していた。勿論、室内も言わずもがなだろう。

 そのため、賃料は高く家族の中に工場か衛兵として働いている人がいる家族以外住んでいなかった。

四階を超えると物売りの種類は変わらないが、商品の質と量が大きく変わる。

 三階まではゴミから漁ったものや不良品、中古品ばかりだったが四階からは全て月から送られてきたものが並べられるようになるからだ。

 四階で主に売られているのは、月からのものでは最も安い缶詰やカップ麺、レトルトや干し物、月から送られた水だった。

 五階からはプラスチックの容器に調理済みの料理が詰められた弁当が売られていて、少量だが服も売られている。

 金額的に街の住人が最も多く買い物をするのは、四階と五階だった。

 一階や二階に住む人々は三階の食べ物しか主に買うことが出来ないが、街の住人の大半を占める家族の誰かが工場で働いている三階から六階に住む人々は主に四階や五階の月からのものを買うからだ。

 物売りが許されているという意味での最上階である六階には肉や魚、野菜や果物などの加工されていない生ものが売られている。 

 しかし、かなりの高額で量も少なく、ほとんど買う人はいなかった。

 第七棟と第六棟の六階を繋ぐ吊り橋を渡るヒロトは六階分の高さの上、高所の風で激しく揺れる吊り橋で前を歩くイツキにしがみつきながら、下を見ないように目をつもり、どうして僕がこんな目に会わないといけないのかと言う気持ちとリキの所に近づいて来たためにリキの悪口を言い始めた。

「そう言えば、リキは新鮮で健康な草を食べてるらしいよ」

 新鮮で健康な草とは何だとイツキとヒロトは首をかしげるが、ヒロトはひいひいと高所の悲鳴を上げながらまくし立てる。

「それをこの前、僕の所に来た時自慢してきたんだよ。僕のテントの隅に積んでいる一か月分の弁当の山を見て、『君はそんな添加物だらけの四階の身体に悪い食べ物や五階の薄い野菜が数切れ入っているだけの食べ物ばかり食べているのか?もっと、俺のように野菜を食べなさい』って」

 新鮮で健康な草とは野菜のことかと野菜嫌いなヒロトの言い方に納得のいった二人は、そんな煽るような言い方をリキはしないだろうと思った。

 それにゴミ漁り時代にヒロトが病気の妹のために栄養のあるものを食べさせようと少ない金を握って値切りに値切りを重ねるために店仕舞いぎりぎりに何度も六階に通い、他の二人にも健康な食事について説明しているのをツトムも聞いていたのだからイツキはリキの言い分は間違ってはいないだろうと思った。

 しかし、それに街の中でも栄養の偏りは問題になっているとかそんなことを言っても今はツトムには何も聞こえないだろうから二人は「そうか」と頷き、ツトムのペースに合わせて吊り橋を渡り終えた。


 第六棟六階。

 ツトムを何とか窓枠まで押し上げて、目的地の一つ下の階までやって来ると物売りのおじちゃんが衛兵とは違うきっちりとしたスーツとか言うらしい黒の制服を着た押しに弱そうな少年と揉めていた。

三人とも少年のことは知っていた。

 少年はコヤスと言い、三人がゴミ漁りをしていた時期、リキと初めて会った時もリキの金魚の糞の様に後ろにいて、リキが総会の一員になった今もリキの側近として働いている少年だった。

 総会のメンバーはそれぞれの棟に一人ずつ、合計で八人いる。

 ある程度の治安の確保しかしない衛兵に代わって、街全体の管理をしている。

 月から送られてきたものの分配や値段の範囲の決定、物売りたちの階による区別などは彼らの仕事だった。その代わりとして、彼らはそれぞれの棟の部屋の家賃を取り立てて、主な収入源にしているのだ。

 リキは総会の一員だった父親が病気で死んだために十五歳で総会の一席を継いだが、一番の若造のため総会の中で立場も弱く、管理するはずの第八棟の物売りたちも命令を聞いてくれずに忙しそうだった。

 副官のコヤスも忙しそうで、今も物売りに売り方について文句を言ったが、聞いてくれず押されているという様子だった。

「それは‥‥六階で売っていいものではありません。出来れば、三階で売っていただけると‥‥」

 怯えたように明らかに工場から横流しされたと分かる綺麗な部品を売っていることに関してコヤスが注意するが、物売りのおじちゃんはコヤスを睨みつけて言う。

「別にいいじゃねぇか!俺は大根を売りながら、その隣に一つ部品をおいてはいるが別に売るつもりはなく、客の目を引くから客寄せとして置いてるだけだ。

 確かに値札が付いているが、それは外し忘れただけだ。文句あんのか!!」

 明らかに売るつもりだったが、そんなことはなかったと言い張り凄む物売りにコヤスはもはや泣きそうになっていた。

 イツキは一人コヤスに近づいて、「おー、コヤスじゃないか」と肩を組んで絡みに行った。

 そして、物売りのおじちゃんを見ると強引で頑固で知られるタカさんだった。これはコヤスと相性が悪いと思うイツキにタカさんも突然乱入してきた人間がよくものを売りに来るイツキだと気付く。

「おう!!イツキちゃんじゃねえか!

 聞いてくれよ。こいつがここで商売するなって脅してくるんだぜ!!」と言った。

 明らかに脅していたのは自分なのにぬけぬけとそう言うタカさんに「ちが‥‥!!」と反論しようとするコヤスを、イツキが手で制す。

「それはタカさん。六階でそんなあからさまな工場から横流しされた部品を売ったら、コヤスも立場上怒らないとだめだろう?

 コヤスはまだ仕事を初めて間もないんだから。そんないじめないであげてよ」

 タカさんはまだ不満そうだったが、「まあ、イツキちゃんが言うのなら」と言って敷いていた布で商品を一瞬で包んで、撤収の準備を完了された。

 去り際にコヤスの肩を叩いて、「まあ、せいぜい頑張りなさいな」と言って帰っていった。

 タカさんが階段を下り終えたのを確認して、イツキはコヤスに向き直る。

「タカさん相手におどおどしてたら駄目だ。あの人はそういうのを見ると、いらいらして話しを聞いてくれなくなるから」

 と言うと、コヤスは「ありがとうございます」とイツキに頭を下げた。

「ところで、イツキさんが六階まで来るのは珍しいですね。リキさんに何か用ですか?」

「そうなんだよ。リキは今自室にいるか」

 イツキが尋ねると、コヤスはあたふたとし始める。

「はい、います。でも、リキさんにイツキだけはもう二度と部屋に入れるなと‥‥」

「別に女を連れ込んでいるとかじゃないだろう。あの部屋だし。

 無理矢理連れていかれてと言えば良いさ」

 と言うと、イツキは肩を組んだままコヤスも引っ張ると、四人パーティーになって階段を昇った。


 リキの部屋は第六棟住居ビルの最上階である七階にある。

 街のリーダーともいうべき総会の一員のため、一般的な四階以上の家族用の二部屋を繋げて一部屋にしたもので、扉も片開きではなく両開きの大きく重厚なものだ。

 七階の残りの部屋は側近であるコヤスや部下の部屋だった。

 リキの部屋の前にはガタイの良いイツキの知らない新入りの子分が立っていた。

 階段を昇り、ずかずかと大人数を引き連れてリキの部屋に近づいてくるイツキを新入りは目で追い、廊下を進み、無言で自分の脇を通ろうとした所でイツキを「リキさんはお休み中です」と言って、押し返した。

 コヤスがイツキの後ろからびくびくしながら現れて、新入りに説明する。

「リキさんの古くからの友人たちなんだ。中に入れてやってくれよ。カトウくん」

 コヤスがそう言うが、カトウと呼ばれた新入りは腕を組み、首を横に振る。

「リキさんに誰が来ても入れるなと言われているので。

 それに、自分はリキさんの男気に憧れて子分になりました。古株なだけのコヤスさんに従うつもりはありません」

 そう言って、扉の前に仁王立ちするカトウに埒が明かないと思ったイツキは「ヒロト、頼む」とヒロトの方を見ずに言う。

「いつも都合よく頼りやがって」

 やれやれと言った顔で肩にかけた長銃の負い紐に指を掛けながら、ヒロトは前に出た。

 カトウは衛兵の制服を着て、銃に指を掛けるヒロトに対して身構える。

 コヤスは大事になるのではないかとあたふたと緊張してヒロトを見るが、イツキとツトムは信頼しきっているのか、扉の装飾や廊下の綺麗さなどを見ている。

 コヤスは負い紐を肩から外し、そのまま長銃を銃口から床に落とした。二人の眼が落ちていく銃に集まる瞬間に、ヒロトはカトウとの距離を詰めて、背後に回り込むと「ごめんな」と言って首を掴んで引き倒して口を抑えつけた。

 イツキは守る者のいなくなった扉を音を立てないようにゆっくりと身体一つ分だけ開けると中に滑り込む。

 入ってすぐの部屋は応接間になっている。

 中央には向かい合った一対の黒色のシックなソファがあり、間には同じ色で統一された重厚なテーブルが置かれ、壁は黒く塗り替えられている。かつてツトムが作っていた大きな振り子時計が壁に面して置かれ、棚の上には威厳がありそうに見えるために集めたのだろうゴミを使って作られた奇妙な作品が大量にある。

 壁に装飾の多い額縁に飾れられたペットボトルのラベルコレクションなどの多くのコレクションも同じ理由で集められ、その中には目的のものであるツトムが売ったこの辺りの昔の地図が大切に額縁に入れて飾られていた。

 応接間からは玄関扉のある壁を除く三方に扉がある。

 その扉の内、右側の特に厳重な鍵がついているリキの自室の前までイツキは移動する。

 疲れていてそこまで注意が回っていないのか不用心に鍵を掛けていないドアをイツキは「リキ、来たぜ!!!」と蹴破るように勢いよくドアを開け放つ。

 その部屋は、応接間の威厳を示そうとする部屋とは正反対の内装だった。

 部屋の中には、部屋の半分ほどを占領するほどの大きさの端々にフリルで可愛らしい装飾の施されたベッドがあり、その場所には最も似合いそうにない頭を剃り上げ、体験してみたいと子供の頃にした慣れないゴミ漁りでゴミの破片で頬を切っただけだが迫力のある傷跡として頬に傷のある顔の怖い男のリキがクマさんの人形を抱きしめ、他にも人形に周りを囲まれて寝ていた。

 他にも、部屋の周りの棚にはアヒルやイヌなどのもう地球上にはいなくなった動物をデフォルメしたファンシーで柔らかそうな綿のお人形が飾られていた。

 イツキの声と扉を勢いよく開ける音にリキはむっくりと身体を起こし、子供が見たら逃げ出しそうなほど怖い寝起きの悪い顔でイツキの方を見る。

「よう、リキ」

 扉にもたれ掛かりながら、手を挙げるイツキに痛そうに頭を抱えるリキが何かを言おうとした。

 しかし、

「リキさん!!すみませ‥‥」

 ヒロトに抑えられていたカトウが解放されて土下座しそうな勢いで頭を下げながらリキの自室の前まで滑って来たが、初めて見たのだろうリキの部屋の中を見て絶句する。

「まあ、通過儀礼みたいなものだ」

 イツキはニヤニヤしながら、リキの男らしい部分に惚れて子分になったと言っていた新入りのカトウの肩を叩く。

 リキは怒りの表情を浮かべ、声を荒げようとするが無駄だと諦める。

「まあ、小さい頃にお世話になったおばちゃんたちはみんな知っているし、イツキにバラされるのは慣れたものだ」と言い、全員をさっさと自室から追い出すと、コヤスと困惑しているカトウに「水でも出してやれ」と命令し、自分は自室に戻って着替え始める。

 コヤスとカトウは左の部屋に水を用意しに入る間、すぐに黒の制服に着替え終えたリキは既に慣れた様子で一つのソファを三人で分け合って座っている三人の対面のソファに指を組んで座る。

 イツキが真ん中でリキの対面に、ツトムはイツキの右側にリキの部屋に入ってからずっとしているむすっとした表情を変えずに頬杖をついてそっぽを向き、ヒロトは長銃をソファに立て掛けて一番扉に近いイツキの左側に座った。

 カトウはリキの部屋のことを受け入れられずに奥の部屋で頭を抱えているため、コヤスは一人で四人分の水の入ったコップを持ってきて、テーブルに置くとリキが口を開く。

「で、今日はどういう要件だ、イツキ?イツキに迷惑を掛けられる会筆頭の二人も連れて俺の下にやって来るなんて」とリキが眠りを叩き起こされたことや自室の中をばらされたことの仕返しのように意地悪く言うと、ツトムはそっぽを向いたまま「お前も同じじゃないか」と呟く。

「今度は何だ?

 前みたいに、シールドの中に入ったら月に行けるかもしれないとか言って工場に侵入するのか?衛兵長にどれだけ怒られたのか忘れたのか」

 リキがそう言うと、その場にいる全員がげんこつを落とされた頭頂部の痛みを思い出して、頭頂部を擦る。

「‥‥違う」と弱弱しくイツキは否定してからバツが悪そうに一つ咳をしてする。

「そうだな。まずは、この植物の種を拾った所から話は始まる」とポケットから植物の種の入った小瓶をテーブルに置いた。

 リキはテーブルの上の小瓶の中身を身をかがめて覗き込み、訝し気に尋ねる。

「これは本当に植物の種なのか?」

「ツトムが言うにはそうらしい」 

 イツキが応えると、ツトムはそっぽを向いたまま「多分、な。僕も何かで漁った本の挿絵の植物の種に似ているからそう言っただけだ」とぶっきらぼうに言う。

「ツトムが言うのならば、きっとそうなんだろう」とリキはあっさりと頷く。

 あっさりと自分の言ったことを信じたリキにツトムは舌打ちをする。

「それで俺に何を求めているんだ?」

 そう尋ねるリキにイツキは植物を育てるために土が必要なこと、土を得るためにこの辺りのかつて標高の高い場所を掘ればいいのではないかと考えたこと、標高の高い場所を見つけるためにツトムがリキに売った今壁に飾られている地図が必要なことを説明した。

「‥‥それで地図が欲しいんだ」

 イツキが説明し終えると、リキは頷く。

「なるほど、理解した。

 しかし、俺からイツキはどうやって地図を買うつもりなんだ?ツトムからは結構な大金で地図を買った。

まだゴミ漁りを続けているイツキはそれだけの金を持っているのか?」

「ああ、持っていない。後、買う気もない。

 地図なんて今回以外持っていても仕方がないだろう」

 イツキはテーブルの上の小瓶を指差し、「この中の植物の種の半分をやる。だから、地図と、後労働力も貸してほしい」と言った。

 地図だけでなく、図々しくも労働力を求めるイツキにツトムは相変わらずだなと呆れるが「まあ、待て」とイツキは手で制す。

「勿論、損はさせない。

 植物の種なんて、俺は今までゴミ漁りをした中でもこの街の売り物の中でも見たことがない。土も同じだ。

 この二つが揃えば、この種が何の種か分からなくても高額でインテリアとして欲しがる人はいるだろう。それなりの金になるんじゃないか?」

 イツキの言葉にリキは顎に手を添えて考え始める。イツキは追撃を掛ける。

「それに、他の総会のメンバーにプレゼントとして配れば、最年少で厳しく当たって来る他のメンバーに能力を見せつけられて、物売りたちも態度が少しは柔らかくなるんじゃないか」

 リキはその説得を聞いて、諦めた顔で承諾した。

「分かった。

 そこまで頑なに断る理由もない。こちらの得になりそうだしな。

 ‥‥それにここで断ったら、イツキは俺の部屋に忍び込んででも地図を盗んでいきそうだしな‥‥」とリキが言い、ヒロトが「まったくだ」とくすりと笑う中、差し出されたイツキの手をリキが取って、商談は成立となった。


 リキがコヤスに手伝わせて額縁を壁から取り外し、イツキに渡すとイツキは見ても分からないと一瞥もせず、ツトムに見やすいようにテーブルの上に置いた。

「地図の中で最も標高の高い場所は分かるか?」

 イツキが尋ねると、ツトムは等間隔に配置された数字と曲がりくねった線ばかりの地図の中から間隔の狭くなった線が層になっている辺りの一点を「ここだ」と指差す。

「じゃあ、そこを掘りに行くか!」

 イツキは勢いよく立ち上がるが、ヒロトが止める。

「今その場所がゴミの大地のどこに埋まっているのか分かるのか?目印になるものなんて全てゴミの下だ」

「そうだな。どうやってその標高の高い場所を特定するんだ?」

 リキも不思議そうに尋ねるが、イツキは全く考えていなかった。

「ツトム‥‥!」

 イツキがお前しかいないと助けを求めると、ツトムは既に「太陽の位置がどうだから‥‥方角はこうで‥‥いや、星の位置の方が‥‥」と誰の声も聞こえない自分一人の世界に没入して、頭の中の言葉が呟きとして漏れ出していた。

「これはもうしばらくは帰って来なさそうだな」

 イツキが呆れたように言うと、ヒロトとリキは頷く。

「それじゃあ、目的の場所が分かったら連絡する」

 イツキはリキにそう言いながら、ツトムを背中に背負う。イツキ一人ではツトムを背負いきれないために、ヒロトも後ろから支える。

 そして、三人は玄関から出ていった。

 コヤスが嵐は過ぎ去ったとほっと息を吐くと、「あっ!そうだ!」とイツキが戻ってきて、「あと、リキも掘りに来いよ」と命令した。

「はあ!?なんでだよ!!」

 面倒な奴が帰ったとソファに腰を深く直したリキはその命令に怒りぎみに立ち上がりながら返すが、イツキは真剣な顔で答える。

「俺はこの街でリキ以上の力持ちを知らない!

 それに代替わりの後は総会の苦労話しか噂話で聞かない。たまには身体を動かして、息を抜いても罰は当たらないだろう」

 そういうとイツキはツトムを背負って、さっさと帰って行った。

「‥‥‥‥」

「照れてます?」

 下を向き、顔を隠しているリキにコヤスはそう尋ねると、「ち、違う!!」と強く否定する。

 しかし、まだ奥で失望している新入りのカトウを呼び戻しながらコヤスがテーブルの上のコップを片付けているとソファに座ったまま何かを考えていたリキが声をかける。

「な、なあ、コヤス。前倒しで終わらせられる仕事はあったかな?」

「はい、ありますよ!

 出来るだけ時間を作れるように私もお手伝いします!!」

 コヤスは自室で一人人形に囲まれている時以外で、久しぶりに楽しそうなリキを見れたことを嬉しく思った。


 それからイツキはヒロトと街の門で別れて、夜になって子供たちのいなくなった街の外をツトムを背負って歩いていた。

 イツキはヒロトが「テントまで運ぶのを手伝う」と言ったのを遠慮せずに受ければ良かったと思いながら、まだぶつぶつと呟いているコヤスをテントまで運んだ。

 ツトムはテントまで帰ると、運んだイツキへのお礼もそこそこに床に散らばった部品から何かしら必要な部品をかき集めると奥のテーブルの上に積んで作業を始めた。

「じゃあ、場所の分かる機械が出来たら起こしてくれ」

 イツキはもう聞こえていないだろうが、ツトムの背中にそう言うとテントの中の機械を退けて何とか横になれるだけの広さを確保すると、イツキが自覚している人使いの荒さよりも数段酷い熱中している時のツトムの人使いの荒さに対応するために腕を枕にして、上着を掛けると何日徹夜させられても大丈夫なように仮眠を取り始めた。


「‥‥イ‥イツ‥‥イツキ‥‥。イツキ‥‥!」

 ツトムが眠っているイツキを揺り起こす。

 揺り起こされたイツキは眼を擦りながら今の時間を考える。どれだけの時間寝ていたのか分からないが、テントの布は太陽の光を透過しておらずまだ夜だと分かった。

 イツキが起きたのを確認するとツトムは何も言わずテントの外に出た。

 イツキは上着を羽織り、ツトムの後を追う。

「おお、寒‥‥」

 身体を擦りながらテントを出ると、視界一杯に広がる満点の星空に圧倒された。

 イツキは最後におじいちゃんとビルの屋上で夜空を見た日のことを思い出し、見惚れていると機械の森の外で何かをガチャガチャと弄っているツトムが声を張り上げる。

「イツキ!!早くしろ!!」

「はい!只今!!」

 イツキは満点の星空のことは一旦忘れて声の方に急ぐ。

 そこにはイツキとほぼ同じ高さの大きな機械の塊がリヤカーに乗せられていた。丁度、最後の調節をしているようでツトムは覗き込んで夜空を見るのだろうレンズと鏡の角度を調節していた。

 調節し終えたツトムは機械から手を放すと、「まずはあっちに向かってくれ」と何もない方向を指差した。

 説明は下手なツトムに機械や行動の意味について質問しても無駄なため、イツキはリヤカーの持ち手を握るとリヤカーの重さに苦痛を漏らしそうになりながら持ち上げて、ツトムが指を指す方に引き始める。

 少し進むと「止まれ」と命令されたイツキは止まり、ツトムは星の位置を機械を覗き込んで見て地図に何かしら書き込んで、再び方向を少し変えて進むように命令し、少し進むとまた止まって機械で星を見て、地図に書き込む。

 地図は借りるだけだと言ったのに、集中しているツトムは忘れているようだった。

 イツキは色々書き込まれている方が賢そうに見えるだろうというリキに対する言い訳を考えながら夜が明けるまでリヤカーを引いた。

 夜が明けると、今度は小瓶の中身を尋ねに行った時に作っていたらしい懐中時計を取り出して太陽の位置と時間を気にし始めた。

 何も説明はされないために、朝を超え、昼を超え、夜に戻って一日が経ってもイツキは命令されるままにリヤカーを引いた。

 遠くに見える街を見失うほど遠くにいっていないことは幸いだが、そろそろイツキは寝不足と疲労と空腹と合わせて手も真っ赤に腫れあがっていた。しかし、自分の世界に没入しているツトムはそんな弱音を聞き入れることはないために、イツキはただ無心で次第に重くなるリヤカーを引いた。

 夜が更にもう一度訪れて、一日が終わろうとする。

 ゴミの大地の地平線から太陽が僅かに顔を出す前の放射状に太陽の光が伸び、最も美しい朝焼けの時間。

 目的の場所に近づいて来たようでだんだんと同じ地点の周りを回り始め、「止まれ!!」とツトムが命令し、何度も機械を確認してから地面を指差す。

「ここが地図上で最も標高の高い場所だ!!」

 声高に宣言すると、ツトムは力尽き顔面からゴミの大地に倒れこむと、死んだように眠り始めた。

 イツキもいい加減限界でリヤカーの持ち手が手に張り付いたため掴んだまま、ゴミの大地に倒れ込み、眠った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・。

「い、てて‥‥」

 太陽が空の頂点に来る昼頃、筋肉痛と寝違えで身体中が痛むイツキは目を覚ます。

 ツトムを見るとまだ寝ているため、機械の横だがリヤカーの上まで運んで寝かせると上着を被せて、イツキはヒロトとリキを呼びに街に走った。


 すぐにイツキは全員を集め終えた。

 コヤスはシャベルやスコップ、一日作業ではないだろうからと数人が眠れるテントと食料まで用意してくれていた。

 イツキとリキとコヤスは何もしていないが、リキの部下数名は始めたてのゴミ漁りみたいに布を口元に巻いていた。

 その頃になると、ようやく起きたツトムは不機嫌そうに太陽がまぶしいとイツキの掛けた上着で顔を覆い、二度寝に入ろうとしたためにイツキは上着を奪う。ツトムは嫌そうな顔で大きな欠伸をし、腰が痛いとか文句を言いながら伸びをした。

 全員の視線がツトムに集まる中、まだリヤカーの上に座り寝癖の酷い頭を掻いているツトムは尋ねる。

「この足元が地図上で最も高い場所であることに間違いはない。

 でも、どれだけのゴミが積もっているのかはやはり分からない。幾ら掘っても土は得られないかもしれない。

 それでも、やるのかい?」

 突然の問いに誰しもが頷きかねる中、グサッとシャベルをゴミの間に突き立てる音がした。イツキだ。イツキがゴミの大地を掘り起こし始めたのだ。

「考えても分からないのならば、出来るだけやって見るしかないだろう?」

 そう言って、イツキはシャベルでゴミを掘り出す。

 イツキに続くようにヒロトとリキとコヤスがシャベルを手に取り、リキの部下はリキが掘り始めたのを見て後に続く。

 全員が掘り始めたのを見て、ツトムは袖を捲りながら「力仕事は不向きなんだけどな」と文句を零しながらピッケルを手に取った。

 

 最初は空から降ってきて積もって間もないゴミばかりのため、シャベルを足で踏めば深く刺さり容易に掘り進めることが出来た。しかし、腰ほどまで掘り進めると上から堆積したゴミに抑えられ、固く凝縮した層に当たる。

 その層はピッケルで穴を穿ち、ほぐすなどしてようやくシャベルを差し込んで掘ることが出来たが、一工程増加したため、掘る速度は遅くなった。

 ヒロトは衛兵の仕事がリキとコヤスは総会があるために、夜には街に帰った

 イツキとツトムはリキの部下たちと共に残った。

 テントを張り、コヤスがイツキとツトムの分も準備していた食料を鍋にして全員で囲んで食べた。

 三日ほど経つと、人が縦に三人ほど埋まる高さの穴が掘れた。

 周囲のゴミが崩れてこないように穴を広げ、補強し、下からゴミを外に運び出すために階段状に掘っていく。

 ゴミ漁りを仕事にしているイツキもそこまで深く掘ったことはなかったため、普段見ているゴミとは時代が違うものが掘り出せた。しかし、ほとんどが濡れて溶けた紙のようにドロドロになっていて、ガスが噴出することもあり、イツキも口元に布を巻いた。

 その深さのゴミの中にはツトムの喜びそうなものがあったかも知れないが、当のツトムは二日目の朝から普段日の光を浴びたり、運動しないために筋肉痛と熱中症で倒れてテントに寝かされていた。

 四日目、イツキの見たことのない明らかに空から降って来るには長く大きすぎるほとんどがゴミに埋まって全体像が分からない二本のとても長い鉄の棒とその二本を繋ぐ幾つも等間隔に配置された鉄の棒で出来たおじいちゃんの話で聞いたヘビのようなものが道を塞いだ。

 全員でピッケルを引っ掛けても力を込めても、僅かにも動く様子のないそれを避けて再び穴を掘り始めた。

 五日目、リキとヒロトの仕事が終わり人数が増えた。

 しかし、余りにも深く掘ったために掘り出したゴミを運び出すだけで人数の半分を割かれるため掘る速度は落ちた。

 六日目、全員が無口になっていた。

 一週間目、人が縦に八人ほど入る深さの穴を掘ったが土が出てこないために全員が諦めかける中、イツキのシャベルの先端に今までとは違う感触が伝わる。

 イツキの気持ちははやり、シャベルを振る速度は速くなる。

 そして、黄色や赤色などのカラフルな溶けたゴミの奥から茶色のさらさらとした何かを掘り出した。

 イツキは茶色のそれをシャベルの先端で掘り出すと、緊張しながら指先で触れる。触れた指先が腫れあがるようなことはなかったため、零さないように手の平で包んで急な斜面を駆け上り、テントでグロッキーになっているツトムの下に走る。他の全員も走るイツキを見て、シャベルやスコップ、運び出していたゴミを放り投げてイツキの後を追う。

 テントの覆いをがばりと開けて、上着を枕にして唸っているツトムの傍にしゃがみ込む。

「これが土か!?」

 イツキの興奮した声にツトムはよろよろと身体を起こす。既にイツキ後ろにはヒロトやリキ、コヤスや部下たちが集まっていて、イツキの手の平の中のものを見つめて、ツトムの言葉を待っていた。

 ツトムはイツキの手の平の上の茶色のものを見て、指で触って「多分、土だと思うよ‥‥」と言うと再び倒れるように横になって唸り始めた。

 全員が大きな歓声を上げるが、すぐにツトムが苦しそうだからと声を落とし、テントの外で万歳三唱してから、土を掘り出し始めた。

 土を発見したことで全員が作業を始めた頃よりも作業の速度は上がり、夕方にはコヤスの用意したリヤカーに山盛りの土を集めることが出来た。

 テントを解体し、道具を纏めるとその頃には大分回復したツトムをリヤカーの隅に座らせ、全員で街へと誰も待っていないが凱旋する。

 帰る間、イツキはゴミの大地から綺麗なガラス瓶や形の良い缶詰の入れ物を集めていた。

 そして、街の門の前まで戻って来るとイツキは大切にポケットに閉まっていた小瓶を出すと、帰る途中に集めた瓶や缶詰を水で洗ってそこに土を詰めて種を浅く土の中に植え始めた。

 まずは活躍してくれコヤスとリキの部下たちにそれぞれ三粒ずつ種を入れた植木鉢代わりの瓶や缶詰の入れ物を「ご苦労様です。手伝ってくれてありがとうね」と手渡していく。

 コヤスにはリキとの約束通り小瓶の半分ほどの種もコヤスの持っていたハンカチに包んで手渡す。

 大分復活していたツトムにも植木鉢を渡そうとしたが、断られる。

「僕のテントの中の機械が壊れる。それに僕は植物には興味がない」と。

 最後にヒロトの方を向く。「別にいらない」と言って首を横に振るヒロトに、イツキは無理矢理植木鉢を押し付けた。

「妹のサナエちゃんの病室にでも飾ってあげなよ。きっと喜ぶよ」

 そう言うと、「そうか‥‥」とヒロトは頷いて素直に植木鉢を受け取った。

 もう夜遅く、六日目で限界をとうに超えていた全員は土が出た興奮だけで動いていたためもう早く自室に帰って休みたいとそこで解散になった。

 イツキも種の量が四分の一ほどになった小瓶を大切にポケットに閉まってから、明日には植木鉢代わりの瓶や缶詰の入れ物を探して、リキの所に土を貰いにいかないと思いながら自室に帰って、半分ほど腐った畳の上に敷きっぱなしの布団の上に倒れこんで眠った。


 土を持ち帰った翌日は疲れから夕方まで眠った後、何もやる気は起こらずに夜まで布団の上でゴロゴロしていたが、夜になるとやる気が出てきて、寝間着のままリキの部屋に行った。

 真夜中なのにまだ仕事をしていたリキとコヤスから伝えられた土の保管場所で土を確保し、植木鉢代わりのものを探しに出かけるつもりだったが、面倒になったので売りにいく暇のなかった玄関に置きっぱなしだった戦利品の詰まった籠の適当なガラス瓶と缶詰の入れ物に土を詰める。まだひんやりしている小瓶から種を取り出して、一つの植木鉢に三粒種をまいたものを、半分ほど残して十セット作った。

 十セットも作ると、時刻は朝になっていた。

 畳の上に乱雑に積みあげられている飽きた遊び道具を足で退けて、普段は洗濯物を干している部屋の中でごく短い昼の間だが、唯一太陽の光が届く窓の傍に植木鉢を並べた。

 そして、水を与えないといけないため、水を探した。

 窓の外に置かれている雨水を受ける空き缶からパイプで繋がるツトム作の濾過装置の水を与えようとしたが、それでは駄目だと早朝から店をやっているおばちゃんの下でわざわざ月からの高い水を買って与えた。

 ツトムに口酸っぱく水を上げすぎてはいけないと言われたため、コップで慎重に土を湿らせる程度に水分を与えた。

 それから、一週間が経過した。

 毎日ゴミ漁りから帰り、戦利品を売り、そのほとんどの金を使って三階で粗末な食べ物を買ってから水を与えて芽が出るように世話をしていた。

 しかし、どの植木鉢からも一向に芽は出ない。

 最初は高い水でも嬉々として買ってきて植木鉢に水を上げていたが、今は財布が圧迫されてただただ苦しいだけだった。

 既にツトムの下に聞きに行ったが、無駄だった。

「何の種か分からないんだからどれだけの日数で芽が出るのか分からないだろ。

 それにそもそもゴミの下にあったから、土が汚染されているかもしれない。そもそも、種が芽の出ない不良品の可能性もある。

 太陽の光と水を必要なだけ与えて待つ。それ以上、僕に言えることはない」

 ツトムはそれだけ言うと再び機械を弄り始め、無視された。

 イツキは今日も芽が出ないために食べ物を買えないがゴミ漁りに行く気にもなれず、他のみんなの種は発芽していないか見て回ることにした。


 リキの部屋の前まで来たが、以前の様に門番のカトウはいなかった。

 ノックしても反応がないため、「お邪魔します」と勝手に開けて入ると、奥のリキの部屋で布擦れの音がした。

 リキの部屋のドアをノックすると、「どうぞ、入ってください」とコヤスの声がした。

 中に入ると、コヤスが最上階のもっとも日当たりの良いリキの部屋の窓際に十個もの植木鉢を置いてじょうろで水をやっていた。

「リキさんは総会に行ってますよ」といつものニコニコ顔でコヤスは言う。

「勝手に『どうぞ、入ってください』なんて言って良いのか?」

 イツキが尋ねると、コヤスは細く微笑む。

「イツキさんとツトムさんとヒロトさん。

 部下でもないのにこの部屋に入って来るのは、三人ぐらいですよ。同世代には厳しい態度を取らなければならず嫌われ、上の世代には若すぎると無視される。

 三人は唯一のリキさんの友人です。友人を部屋に入れてもリキさんは起こらないでしょう?」

 そうか、とイツキは頷く。それから、

「コヤスもだろ?」

 とイツキは言う。コヤスは子供の頃からリキの金魚の糞と言われ続けたために自分がリキの友人だとは思いきれずにいるのだ。コヤスは照れた顔で笑みを浮かべた。

 イツキはコヤスの隣まで歩いて、植木鉢を覗き込む。

「どうだ?芽は出たか?」

 見れば出ていないことは分かり切っているのに、イツキは尋ねる。

「いや、まだ出ていないですね。カトウたちのものも同じです。」

 ツトムは答える。「そうか‥‥」と太陽の光も十分なリキの所ならばもしかしたら芽が出ているかもしれないと思っていたイツキはしょんぼりとする。

 コヤスは見たまま落ち込んでいるイツキをフォローするように言う。

「リキさんも芽が出るのはまだかとやきもきしてますよ」

 しかし、イツキは無駄な挑戦にみんなを巻き込んでしまったのではないか申し訳ない気持ちで更に肩を落としていた。

 そのまま出ていこうとすると、コヤスが後ろから声をかけた。

「新しく総会のメンバーになって、リキさんは固い顔ばかりしてしました。

 でも、今回子供の頃みたいにイツキさんが振り回してくれたおかげでリキさんは以前のように笑った顔を見せてくれました。

 これからも偶にはリキさんを悪ふざけに連れて行ってあげてくださいね!!」

 イツキは慰められていることに気が付くと、目の下を擦り、弱気を払拭しようとする。

「当然だ!リキにはまた来るから覚悟しておけ!と言っておいてくれ」

「はは、お手柔らかに」

 コヤスが笑いながら水やりを再開するのを見ながら、イツキは部屋を出た。


 今度はヒロトの妹であるサナエの病室に向かおうと考えた。

 以前ヒロトに会った時、「サナエが種をありがとうと言っていた」と言っていたので、サナエの病室に植木鉢に植えられた種はあるだろう。

 よく病原菌だらけの危険物だとセンサーに引っかかって警報を鳴らされずに病院内に持ち込めたなと思いながら、あの病室は日当たりも良く、病院を支配する月の不思議な科学の力で植物が育つとかありそうだと思いながらイツキは病室に向かった。

 第六棟の階段を最上階から一階まで手すりを滑り降りて、エントランスから街の中心に向かう方向に出る。

 工場と住居ビルの狭間と言った様子のその場所は狭く、踏み固められ平らになっているがゴミの地面だ。そこでは十歳未満の子供たちがゴミの中から破けたボールを修復して遊んだり、漁ったゴミを組み合わせて遊んでいた。

 日の出ている時間に遊んでいるということは親がいて、その親が工場で働いている子供たちなんだろう。いつ見ても子供しかいない。親は両方とも一緒に遊ぶ暇もないほど早朝から深夜まで働いているのだからそれはそうかと思いながら子供たちの横を通って、工場の壁に沿って歩く。

 工場は煙を出し、時たま天井が開くと青い光の筋を空に放出していた。

 中に潜り込んだ時に見たことだが、中では大きく凶悪そうに動く機械がまるで無から有を生み出すような生産をしていて、工場作業員たちはまるで機械の歯車として取り込まれたかのように無機質に動作していて恐ろしく見えたことを覚えている。

 工場の横を通り抜けると衛兵たちの屯所がある。その向こうに病院の正面入り口があるため、病院に入るためには屯所の前を通らなければならないのだ。

 しかし、普段は屯所の中には暇そうな衛兵が数人いるだけなのだが、今日に限ってタイミング悪く衛兵全員が屯所の前に集められ、服も列もきちんとして整列していた。

 その中にはヒロトの姿も見えた。

 イツキは長方形に整列する衛兵たちの前で話している顔も首も皺だらけの老人を見る。街の何処にでも届きそうな響く声を出しているその老人こそ衛兵長のハシモトだ。子供時代にしたイツキの悪だくみはハシモトとの戦いの歴史だと言っても過言ではない。

 何度捕まって、脳天にげんこつを叩きこまれたか分からない。思い出したイツキはずきずきし始めた頭の天辺を擦る。

 イツキはハシモトには今でも苦手意識があり、出会うといつも「いつまでゴミ漁りを続けているんだ。俺のようなジジイになるまで生きられるだけの貯金の出来る仕事を探せ」と説教されるので会いたくなかった。

 イツキは病院の正面入り口から入るのを諦めて、引き返す。

 第六棟の一階エントランスまで引き換えると、そのまま真っすぐ進み、住居ビルと外壁の僅かな隙間まで移動する。そして、外壁に沿いながら第四棟に食い込んでいる病院の裏手まで歩く。

 病院の壁を見るといつも驚かされる。

 街の外壁も住居ビルも工場の煙で黒ずんで汚れているというのに、病院の壁だけは狂ったように白く、一点の曇りもない。触れるとひんやりと冷たく、つるつるとしている。

 以前、ツトムが解析したいと言ってピッケルで壁を叩いたが塵一つ零れず無傷で、色を付けようと弁当のソースをこすりつけて見たが全て滑り落ちて地面のゴミの地面に吸い込まれた。

 その他にも色々と試したが、白い壁を欠損させることは出来ず、ツトムはこれに「これの前では僕が作るような歯車と人力で動くものとは数千年技術的に隔てられた代物だ。僕には想像も出来ない技術でこれは作られているんだ」と結論を付けた。

 他にも病院内は不思議な技術で満ちている。

 病院の中は空っぽだ。

 形だけの受付と廊下、病室だけで構成されている。医者はいない。それと分かる動き回る機械人形もいない。

 しかし、それでもいつの間にか―――ツトムは言うには、目には見えない極小の何かによって―――治療は行われ、病院はまるで病院そのものが思考しているかのように運営され続ける。

 例えば、病院には患者の身内か衛兵の許可を得たものでないと病院の中には入れない。

 無理矢理正面玄関や窓などから入ろうとすると警報が流れて、衛兵が駆けつけてくる。ツトムはどのような原理で人の侵入や身内の判別を行っているのか解き明かしたいとイツキとヒロトを一日中付き合わせて病院内をくまなく探したが、何も見つけることは出来なかった。

 しかし、それらの謎解きが完全に徒労だったという訳ではない。

 患者の身内でなく、衛兵の許可を得ずとも病室に侵入する抜け道的な方法を見つけたのだ。

 イツキがしようとしているにはそれだ。

 イツキは病院の冷たく真っ白な壁に手を当てながら、上を向いて端から二階の窓の数を数えながら歩く。窓の数を十八数えた所で、立ち止まり、ゴミの足場を踏み固めながら助走距離を取るために下がる。

 全身の準備運動をしてから、思いっきり後ろにのけぞった反動で前へ重心を移動させながら助走を開始する。病院の壁の一メートル半手前で飛び上がり、一度壁を蹴って高さを稼ぎ、218号室―――ヒロトの妹サナエの病室―――の窓の冊子に指を引っ掛ける。

 そして、指と腕の力で顔を、中から見えるようになるまで身体を冊子の上まで持ち上げる。

 閉め切られた病室の窓から中にいる患者本人が許可して開けてくれるのならば、患者本人の許可を得たことになるのか警報はならないのだ。その病室から出ると警報は鳴るのだが‥‥。

 イツキは身体を持ち上げ、病室の中を見る。

 かなり大きな病室に真っ白な壁、白く大きなベッドの上で少女は身体を起こして座っていた。病気になってから決してヒロトがゴミ漁りをさせなかったため、街のほとんど全てのものや人と違って汚れておらず、皺だらけで大きく太くなった指ではなく細く長く柔らかそうな指で太陽の光に焼けていない真っ白な肌、病気のせいもあるのだろうが今にも折れるか消えるかしてしまいそうな細い身体のヒロトの妹サナエは本を読んでいた。

 きっと本はツトムがゴミの中から掘り出して覚え終わったものや趣味に合わなかったものをヒロトが貰って妹に長い入院生活の慰めにと差し入れたものだろう。

 そんなことを考えていたが、引っ掛けている指がいい加減限界に近づいたために指を曲げて、第二間接で軽く窓ガラスを叩いてサナエに気付いてもらおうとする。

 音に気付いて、サナエは首を窓に向ける。

 イツキやヒロト、リキがよく来るため突然の窓からの来客に慣れているサナエは病気で足が動かず、ベッドから一人で出ることは出来ないため窓に手を伸ばす。

 すると、窓は駆動音もなく横にスライドして開く。

 サナエが言うには開けようと思っただけで開くのだそうだ。ツトムが訳が分からないと病室をひっくり返すほど調べて、何も出てこないとサナエの身体も調べようとしてヒロトに怒られて、数か月の間サナエの病室を出禁になったことは懐かしい思い出だ。

 開いた窓からイツキは残った指と腕の力を使って、足を冊子に掛けると病室の中に転がり込んだ。

 ころころと転がりながら病室に入って来たイツキをサナエは笑って優しく迎えた。

 病室のベッドに取り付けられたテーブルの上にはヒロトに渡した土と種が綺麗で上等な植木鉢に植え替えられて置かれていた。種にはしっかりと水を与えているようで、土が僅かに湿っていた。

「どう?芽は出た?」

 イツキは病室の隅に数脚重ねられている丸椅子を一つベッドの横まで運んで、座りながら見たら分かることを尋ねた。

「いえ、まだです。

 でも、ありがとうございました」

 サナエは本に栞をして植木鉢の横に置くと、そう言ってイツキに深々と頭を下げた。

「土と種のことならば、手伝ってくれたヒロトへのお礼だから頭を下げないでよ」

 過剰に頭を下げるサナエに驚いてイツキは頭を上げさせようとしたが、「いいえ」と頭を上げたサナエはイツキの眼を見て強く否定した。

「確かに土も種も初めて見ました。―――」

 サナエはふかふかの土に楽しそうに指を抜き差ししながらそう言う。

「―――でも、それよりも兄さんのことです。

 兄さんは私のせいで衛兵の仕事を始めて苦しそうでした。

 休みの日は必ずお見舞いに来てくれて、何処から仕入れたのか楽しい話をしてくれますが、隠しているつもりなのでしょうが衛兵という仕事をあまり良く思っていないことが分かります。

 本当ならば、イツキさんたちともっと自由に生きられたはずなのに‥‥。

 でも、最近の兄さんはイツキさんたちと穴を掘った話を何度も楽しそうに話してくれます。

 私は楽しい話よりも、兄さんが楽しそうに話しているのが好きです。

 これからも兄さんとは仲良くしてあげてくださいね」

 変わらない兄弟愛の強さに嫉妬するが、イツキはサナエが何を言おうとヒロトと一緒にいるつもりだった。

「勿論。ヒロトは俺の親友だから」

 イツキが強く頷くと、サナエは窓から差し込む太陽の光に照らされて美しく嬉しそうに微笑んだ。


 サナエの病室に行ってから更に一週間が経った。

 窓を揺らし、叩く凄まじい雨音に目を覚ます。イツキは続く大雨のせいで寝不足が続いていて、痛む頭を押さえる。

 隣にはツトムが気楽そうによだれを垂らして眠っていた。

 一人暮らし用の部屋には布団が一枚しか付いてこなかったため、二人で同じ布団で寝ていた。一人の時は大きく余りを感じた布団も二人となると明らかに手狭だった。かつて四人で寝ていた時もあったが、あれは身体がまだ小さかったから出来たことだなと思う。

 二度寝出来る気分でもなかったためツトムを起こさないようにそっと布団から出る。

 布団から出て、イツキは窓側にずりずりと身体を引きずって移動した。

 窓際には最初に植えた種が不良なのかと思い、残った種のほとんどを植え方や水の与え方を変えて植木鉢に植えたので部屋の半分を植木鉢が侵食していた。

 飽きた遊び道具も部屋の多くを占領しているため、イツキやツトムの生活出来る範囲はほとんどないと言っていい。

 しかし、どの植木鉢からもまだ芽は出ていない。

 諦めたような顔をして、イツキは緩み切った顔で眠るツトムを眺める。

 なぜ、ツトムがイツキの部屋で寝ているのかと言うと今が嵐の季節と呼ばれる雨季だからだ。

 嵐の季節は今外で起こっている嵐のような大雨と一瞬の晴れ間が連続する雨季のことだ。

 この期間だけは普段ほとんど雨が降らない代わりにそれを補おうとするかのようにすさまじい量の雨が降る。

 ゴミの大地はそれほどの量の雨水を吸収し切ることは出来ないために、外では鉄砲水が走っている。鉄砲水は空から降って来るゴミの山を押し流し、ゴミの大地をまっさらな平坦にもする。

 そのため、今外壁の外はゴミの混ざった津波が荒ぶっている。外壁の門を閉じているが、門は揺れ、外壁はたわみ、雨音でかき消されているが耳を澄ませばゴミとゴミがぶつかり合う凄まじく破壊的な音が聞こえてくる。

 そんな中では、ツトムのように街の外で暮らしている人はひとたまりもないため街に逃げてくるのだ。

 更に雨にはゴミのガスが空に昇って溜まったものが含まれ、有毒な雨水を降らせるときている。

 勿論、ツトムのテントの中の組み立て中の作品や周辺の機械の森の作品たちは休日にヒロトも駆り出されて、三人でリヤカーを押して全てピストン輸送した。

 今は全て第四棟のエントランスに置かれ、拾ったブルーシートが被せられている。

 ツトムはテントの時と同じく、いや雨でゴミ漁り出来ないためにより人目を気にせず没頭して起きている間はエントランスで機械を弄っている。

 雨で一日中外に出られない工場で働く親を持つ子供たちや普段はゴミ漁りをしている子供たちが興味津々で集まり、するとその子供を呼びに来た母親なども集まりツトムの機械たちは嫌でも目立つ。

 ある母親が「これを売ってくれないか?」と言ったことから始まり、ツトムがもう一度全ての機械を持って帰るのは嫌だと愛着との間で葛藤するが、半ば泣きながらほとんど売ってしまうようになってから第四棟エントランスのツトムはいつの間にか嵐の季節だけの名所になった。

 激しい雨音を聞きながら、どうでもいいことをうつらうつらと考えながらイツキは植木鉢の種を植えて少し膨らんだ部分を眺めていた。

 いい加減、イツキは芽が出ないことと寝不足の苛立ちに耐えられなくなっていた。イツキは苛立たしく植木鉢を叩いて左右に何度も揺らすと、臨界点を超えて倒れた植木鉢がドミノ倒しのように一列倒れてしまった。

 音が大きかったのかツトムが眼を擦り、起きてしまった。

「すまない。起こしたか?」

 イツキが尋ねると、ツトムは布団に埋まったまま寝ぼけた眼で枕元に置いた眼鏡を手探りで探しながら、「いや、雨音だ」と寝ぼけた口調で返す。

 眼鏡を見つけて掛けたツトムは、掛布団を脇に寄せて布団の上で胡坐になって大きく欠伸をしながら、倒れた植木鉢を見てイツキに尋ねた。

「どうして、今回ばかりその種に執着するんだ?

 いつものイツキならば、三日も持たず植木鉢ごと種は隅の飽きた遊び道具の山の仲間入りをしているだろう。

 リキには金になると言っていたが、工場で働かない時点で金が欲しいわけでもないだろう?芽が出なくても、売れなくてもイツキは何も困らない。

 その種に何があるっていうんだ?」

 イツキは倒してしまった植木鉢をこれ以上土がこぼれないように慎重に起こしながら答える。

「昔、おじいちゃんが言っていた。

 かつてこの星には植物が多くあり、工場だけが何かを生み出される場所ではなかった。

 俺は何かが生み出されるのをこの眼で見てみたいんだ」

「イツキのおじいちゃんか‥‥会ってみたかったな」

 懐かしそうに、愛しそうにおじいちゃんのことを語るイツキを見て、ツトムは呟く。

 イツキはきっと気が合うだろうなと笑いながら返す。

「もし、おじいちゃんが生きていれば俺はツトムと出会わなかったよ。

 その後すぐにお母さんも死んで、俺はゴミ漁りをしないと生きていけなくなった。ツトムと会うのは、その時だろう」

「そうだったな‥‥」ツトムはかつてを思い出すように遠くを見る。

 その後、ぶつぶつと不格好に切れる断続的な会話は雨音が響く湿度の高い暗い部屋の中で二人は続ける。

 イツキは唐突に浮かんだ疑問をツトムに尋ねる。

「ところで、これの芽が出たとして次のための種は取れるのか?」

 イツキは種を植えていなければ植木鉢とは呼べないガラクタを指差す。ツトムは少し考えてから答える。

「実の出来る植物かも分からないから正確なことは言えない。

 実がなくても次に繋げられる植物もあるだろうし、人工的に作られた種は種の出来ない種類もあると読んだことがある。

 まあ、僕に任せろ」

「たよりにしてる‥‥」

 それから更に会話と会話の間の沈黙は長く、重くなってくる。

 イツキは苛立たし気に畳を指で叩く。「しかし、それにしても―――」怒りを纏わせた口調で呟いて、次第に手の平で畳を叩き始める。

 イツキはいい加減に芽が出ないことと寝不足で限界だった。

 あまり表に出ることはないがイツキの中に存在する責任感がじくじくとイツキの中で大きくなって、芽が出なければ無理矢理連れまわしたツトムたちに愛想を付かれるのではないかという妄想が限界の近い二つと共にイツキの頭の中をぐるぐると回り始め、頭を掻きむしらせ、絶えられなくなったイツキは突然立ち上がり叫ぶ。

「あ――――――――――――!!!くそ!くそ!!くそ!!!

水がいるんだろ?水が!?」

 叫ぶと、イツキは植木鉢を一つ抱えてはだしのまま玄関を蹴り開けて外に飛び出した。

「イツキ!?!?」

 ツトムはイツキの突飛な行動に驚き、一瞬固まるが靴を手間取って履くとイツキの後を追いかけた。

 イツキの部屋は一階だ。エントランスからすぐに外に出ることが出来る。ブルーシートの掛けられたツトムの機械群の横を通って、イツキは嵐の中に身を曝け出す。

 遅れてきたツトムは雨水に当たらないようにエントランスの柱の影に隠れながら、イツキに「おい!?その雨は有毒だぞ!!」と叫ぶが、大雨と暴風に遮られているのかイツキに反応は見られない。

 イツキは出来るだけ植木鉢が水を受けるように頭の上に掲げながら叫ぶ。

「おじいちゃんが言ってた!!

 この星は何も生み出せなくなったから滅びたって!!植物は水も大地も浄化するって!!きっと、土と水と植物があればこの星は再生できるって!!

 だから、この植物だって!!!―――――――」

 植木鉢を掲げ、狂ったようにそう叫ぶイツキをツトムは機械のブルーシートを剥いで、雨を防ぐために自分に掛けるとイツキの下まで走った。狂ったように叫ぶイツキを無理矢理引きずって、雨の当たらないビルの中まで戻る。

 途中、イツキが植木鉢を落としたがすぐに雨から逃れなければならず、拾うことは出来なかった。

 ツトムがイツキをビルの中まで引きずり戻すと、イツキは心からの叫びを狂ったようにしたため体力を使い切ったのか満足そうな顔で眠っていた。

 ツトムは呆れると起きないイツキを苦労して部屋まで運んで、玄関先に放り投げた。

 翌日の夕方にようやく起きたイツキは、ツトムはとうとうと雨水に触れることの危険性について数時間説教された。


 次の日、嵐が一時止んでイツキが植木鉢を回収するために外に出た。

 昨日落とした所にはなくて、暴風によって植木鉢は外壁に沿って遠くまで転がっていた。くぼみに溜まった水たまりに半分ほど水没している植木鉢を回収し、これはダメだなとイツキは思ったが茶色の土の間から小さな緑色が顔を出していた。

 イツキは急いで、まだ少し怒っているツトムの下に走る。

 ツトムが驚きながら緑色の周りの水で固まった土を指でかき分けると、その緑色は種から伸びている芽だった。

 ツトムは訳が分からないと首を傾げ、土のアルカリ性と水の酸性がとイツキには意味の分からないことをぶつぶつと呟いていたが、イツキはただ嬉しくて芽の出た植木鉢を抱きしめていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ