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千円ポッキリのネクロマンス

終.【あなたのためなら、私は夜にだって溶けるわ】

作者: 森村バイオ




 私は家を飛び出して、学校にとんぼ返りした。

 

 なんのために?もちろん、あの女を捕まえるためだ。

 捕まえて、なにもかも吐かせるために。もう帰宅しているかもしれないだとか、そんなことは考えなかった。考える余裕はなかった。

 私は悲しみと怒りに半狂乱で(不思議とそれを自分で意識していた)、冷静な思考など何処かに引っ込んでしまっていた。


 校内に入ると、私は真っ直ぐ体育館裏に向かった。

 何故か分からないが、そこにあいつが居ると分かっていたから。

 むしろ、あいつの方から私のことを呼んでいるような、そんな感じすらあったのだ。

 いや、そんなことはどっちでもいい。私は全ての元凶にぶつける言葉を頭に思い描く。


(なに?)

(なんで?)

(どうしてこうなるの?)

(私が)

(私が何をしたって言うの?)

(他にも居るでしょ?)

(もっと酷い目に遭ってもいいような奴らが)

(それなのにどうして私なの?)

(どうしてどうしてどうして?)

(いやよいやいやいやいやいや)

(どうしてなんでなんでなんで)


「なんでなのよぉ!」


 六六六の胸ぐらを掴んで体育館の裏の壁に体を叩きつけた。

 憎しみを込めて六六六を睨み付ける。

 しかし、こいつは、六六六は、

 物怖じせず、

 動じもせず、

 人を馬鹿にした笑顔を顔に貼り付けたままだ。


「やめてよ、暴力は」

 この女、言葉こそしおらしいが、

「そんな顔して、怖いわねえ」

 恐怖など微塵も感じていない。


「何か私に用でもあるの?」

 ぬけぬけとそんなことを言う六六六に、私の怒りは頂点に達した。

「しら切ってんじゃないわよ!わかってんでしょ!?私がなにしにきたのか!わかってんでしょわかってんでしょわかってんでしょ!」

 襟首を掴んだまま激しく六六六の体を揺する。それでもこの女は薄ら笑いを浮かべたままで。


(なにがおかしい)

(なにがおかしいっ!)


「離してよ、痛いわね」

 六六六は緩やかに ――しかし、そこにはっきりとした拒否の意思を込めて、私の手を振り払った。

「暴力はなにも生まないわよ?」


「うるさい!」

 そんなことはどうでもいい!

「あんたでしょ!あんたのせいなんでしょ!?さっさと白状しなさいよ!」


「何が?」

「セナのことよ!あの子がまた死んだのよ!帰ってきて、ゲロ吐いて!」

 汚物に埋もれるセナの顔がフラッシュバックする。


「あんたがやったんでしょ!あんたがやったんでしょうが!」

 問い詰めていくと、六六六は呆れたような目を私に向け ―― それどころか、あからさまに深い溜息をついて見せた。


「あなた、そんなことを聞きに来たの?」


 私を見下す、あの瞳。

 まるで人間を相手にしていないような。


「自分の落ち度を人に押しつけて馬鹿みたいに騒いで。時間の無駄ね」


「じ、自分の落ち度?私が悪いって言ってんの!?」

「そうよ。それも分からないなんて、救いがないくらい愚かなのね」

「ひ、人のこと馬鹿にしてんの!?」

「そうよ」


 しれっ、と六六六は言った。


「気付いてなかったの?」

「ああ、あんたねえ」

「まあまあ落ち着きなさいよ」


 怒りに駆られる私を六六六は優雅な仕草で制した。

「説明して欲しいんでしょ?

 どうしてネクロマンスが失敗したのか。

 あなたの大事なワンちゃんが再死亡してしまったのか。

 なら、静かにしなさい。ピーピー喚かれてたら説明も出来ないわ」

「ぐ・・・・・・」


 私は言葉に詰まる。悔しいが、私は口を噤む。確かにこの女には聞きたいことが山ほどある。糾弾するのは、聞き終わってからでいい。


「いい子ね」

 六六六は髪を掻き上げ、気取ったように腕を組んで見せた。

「それじゃあ、『猿でも分かるネクロマンシー講座』、始めるわよ」


 誰が猿よ!そう口に出しそうになるが、必死に押さえる。

 こいつ相手にいちいち怒鳴っていてはこっちの身が持たない。少しの厭味くらいは我慢しないと。落ち着くために大きく深呼吸した。


「いいわ、続けて」

「OK・・・・・・と、話の前に一つはっきりさせておきたいことがあるの」

「なによ」


「それはね、今回の失敗は全てあなたの責任である、と言うことよ」


「・・・・・・は?」

 私は耳を疑った。

「私には露程の落ち度もなかった。これがファーストステップ」


 私のせい!?そんなわけがあるものか!

「私はちゃんとやった!あんたの言うとおりに!なんでもやってやったじゃない!」

「静かにしなさいってば。話が始まらないでしょ」


 私は暴れ回る怒りどうにか押さえつけた。息が苦しくて、鼻で激しく呼吸をする。

 そうやって頭に籠もった熱を排出しないとおかしくなりそうだった。


「続けるわよ?ネクロマンシーの原理とかそういう所は省いて、失敗した理由を簡潔に教えてあげるわ。

 それは、あなたの『信仰不足』によるものだった、と言うことよ」

「信仰?」

「そう」


 六六六はつま先で足下の地面を削り、あの裏山で描いた図形を再現して見せた。


「こういう図形だとかの形式張った行動、いわゆるプロセスなんてものは重要なことではないの。

 必要ではあるけど、重要じゃない。必要条件ではあるけど、絶対条件ではない。絶対なのは、『信仰』。わかりやすく言うなら『信じる心』。

 一片の曇りもなく、ただ『生き返る』ということを『信じる』。それが絶対条件なのよ。『信じる力』が奇跡を起こす。よくいうでしょ?

 要は、そういうこと。戯言かと思うかもしれないけどね。ただの精神論と思うかもしれない。けど、それが事実なのよ。

 そして、あなたにはそれがなかった」


「そ、そんなことないわ!」

 私は必死になって否定する。


「私は信じてたわよ!じゃなかったらお金なんて払わないし、あんなむちゃくちゃな命令だって聞きはしない。ちゃんと、私は」

「聞きなさい」


 冷たい声が私の言葉を止めた。空気が凍てつくような、冷たい声。私を観察するように見据える瞳も、同様で。私は二の句が告げられず、口を噤んだ。


「確かにある程度は信じていたんでしょう。予想外だったわ、正直。

 あなたを見ていて、『これは駄目ね』って思ったけれど、結果的には生き返った。

 不完全ではあったけれど。でもね、同時にやはりその程度でしかなかったのよ」 

「そんな、私は信じてたわよ。だから」


「『千円程度なら払ってみてもいい』」


「え?」


「そう思わなかった?」

「そ、それの何が悪いのよ」

 弱々しく、私は反論する。


「ネクロ何たらなんて怪しげなもの、簡単に信じられるわけ・・・・・・」


「『それの』じゃなくて、『それが』悪いのよ」


 察しの悪い生徒に教師がやるように、辛抱強く教え込むように、六六六は言葉を重ねる。


「言ったでしょう?ネクロマンシーには『信仰』が必要だって。それは使われている言葉の通り、キリスト教徒が神を信じるように信じることよ。

 疑わず、ただ純粋に信じる。それが出来なかった時点で、あなたにはもう希望がなかったのよ」

「だ、だって」

「だってもなにもない。仮定にも想定にも、そこには何の意味もない。意味があったのはあなたが信じていたか否か。それだけよ」


 あなたに色々やらせたのも、意地悪でやっていたわけじゃない、と六六六は言った。


「待ち合わせに遅れたのも、獣道を歩かせたのも、素手で穴を掘らせたのも、全てに意味があったのよ。どれも必要なプロセスだった。

 それはあなたの『信じる心』を計るため、試すためだったの。

 人の『信じる力』、『想う心』、『愛』。それらの力が土に、空気に、自然に伝わる。そしてそれは儀式に則った行為によって増幅され、奇跡を起こすエネルギーとなるの。

 命を再生させる。それがいかに大変なことか、あなたは分かっていたのかしら?命の尊さ、その存在の奇跡を。

 いえ、あなたはわかっていなかった。あなたは舐めていた。

 だから、失敗したのよ」


「だ、だってそんなの当たり前よ。そんな突拍子のないこと、信じられるわけ」


「だからこそ大きな力を呼ぶんじゃない。神がヨブを試した時を思い出してご覧なさい。

 彼は神を絶対として信じていたわ。だからこそ彼は聖人となった。これ、わかる?」


 私は首を振る。

「わからなくてもいいわ。どちらにせよ、もう終わったことだから」

 私は彼女に、もう完全に見限られていた。それを実感した。


「もう、これで私の話は終わり。何かご質問は?」

「・・・・・・だったら、信じればいいんでしょ?」

 私は言った。


「信じるわ、そうすればいいんでしょ!?そうすれば、セナはまた生き返るんでしょ!?もう一回、もう一回やってよ!今ならもう、なんだって信じるわ!だって見たんだもん!セナが生き返ったのを。あんたが本物だって、ペテン師じゃないって分かった。だから」

(お願いだから)

 私は頭を下げた。

(もう一度)

 あの子のために。

(セナのために)

 ひたすら、頭を下げ続けた。


「簡単に言ってくれるわねえ」

 呆れたような彼女の言葉。きっと断られる。でも、それでもあきらめない。何度でも何度でも、了承するまで頼み込んでやる。そう思っていたが、


「構わないわよ」


 意外な答えだった。私は驚いて顔を上げる。その時に見た彼女の表情を見て、私はゾッとした。


 六六六は、笑っていた。


「でも、ねえ。あなたにできるかしらねえ」


 どこかとぼけているような調子で話す六六六。いや、違う。

 まるで楽しんでいるかのような感じだ。私の情けない姿を楽しんでいるの?そう想った途端、また私の頭に血が上った。


「大変なことなのはもう分かったわよ!でも、言ったじゃない!信じれば出来るって!」

「そう、その通り。嘘偽りは一切ないわ」

「だったら」

「でもね、あなたにあるかしら。その対価を払う覚悟が」

「対、価?」


「ええ、そうよ。あなた、おかしいと思わなかった?なんでこんな奇跡が、死んだものを蘇らせるという神の如き御業が、たった千円ポッキリなのかって」


 私は頷いた。当たり前だ。おかしいと思うに決まってる。噂で聞いたときの五千円という価格だって信じられなかった。


「フフ、そうでしょう?不思議でしょう?でも、これにも一応理由があってね。

 まず余り高いと面倒くさい連中が横槍を入れかねない、という世俗的な建前。だから高いお金は取れない。

 ただ、無料ということにすると、逆に怪しい。『信仰』の妨げになるわ。

 だから高校生のお小遣い稼ぎ、という名目で、千円。それでも相当安いと想うけど、まあ妥協ラインって言うところかしら。

 つまり、ね?金額そのものは本来関係ないのよ」


「なにがいいたいの?」

「だからね、信憑性のない、いかにも怪しい胡散臭い噂。そんなものに縋らざるを得ない人なら、真の信仰を見いだすことがある。

 霊感商法の壺を買う人のように。人骨を薬にして飲む人のように。

 さっき、ヨブの話をしたわよね?彼は神を認知する前から神を信じていたわ。存在しているかも分からぬ存在を、絶対なものとして。

 だからサタンの誘惑をことごとく退け、最後には神の傍に使えることになったそうなっているわ。

 これこそが『信仰』。

 人によっては哀れな不可知者として哀れむかもしれない。でも、だからこそ強い力を生み、奇跡の代価となるの」


「それがなんだっていうのよ!」

 堂々巡りの話に嫌気がさし私は怒鳴り散らした。

「ヨブだかなんだか知らないけどね、同じようにするって言ってんの!だからさっさとやりなさいよ!さっさと」


「黙れ」


 背筋が凍り付くような声だった。

 人を小馬鹿にした態度も、癪に障る、余裕ぶった物腰も、消えていた。顔にはあの笑みが張り付いているが、それは、お面のようにリアリティがなかった。そこにあるのは、侮蔑と愚弄。


「あなた、生命をなんだと思っているの?」


 そして、怒りだった。


「今までの話を聞いて、それでも尚あなたには出来るって言うの?話を何も聞いていなかったのかしら?だったら、もっとわかりやすく言ってあげるわ。

 あなた、『等価交換』って知ってる?」


 知っているに決まっている。私は頷いた。

「知っているに決まっているわよね。私達が常日頃から行っていることだもの。

 あれはいくら、これはいくら。あれは高いからやめておこう、それは安いから買っておこう。

 人それぞれのブレがあるけれど、自分たちなりに納得して商品を買う。つまり、そういうことよ。

 命を欲するならそれを得るにふさわしい代価が必要。

 その代価としてあなたたちの『信じる心』を私は利用したのよ。ヨブのような純粋な信仰を」


「だから、今度はちゃんと信じるって・・・・・・」

「それじゃあ駄目なのよ」


 なんで?

 どうして?


 駄目なんかじゃない。そんなわけないのに。

 今度はちゃんとやる。ちゃんと信じる。そう言っているのに。

 なにが駄目だって言うの?


「だって、あなたの『信じる心』には、もう価値がないもの」


 価値がない?

 さっきまでとは話が違う。『信じる心』、それが価値だとこいつは言った。それなのに、なんで?


 六六六は私の心を読んでいるかのように、疑問に答えていく。


「最初の時はリスクがあった。私みたいな怪しい人間の、怪しい噂。それを頼りにやってきて、頭を下げて、僅かながらとはいえ金銭を支払って肉体労働に従事する。

 ろくに説明されずに私に引っ張り回されても、リターンの確証がなくても、私を信じる。リスクがあったからこそ価値があった。

 でも、あなたは知ってしまった。奇跡が起きると言うことを。私が起こせると言うことを、はっきり認識してしまった」


 それが問題なのよ、と六六六は眉間を指先で押さえた。


「知ってしまったこと、認識してしまったこと。それは信じる信じないの話じゃない。単なる事実よ。それを信じるのは至極当然。

 信じる、という言葉を使うのもおかしいわね。知識に基づいた『判断』でしかないのだから。『信仰』は消え、エネルギーもなくなり、命の代価どころか、犬の糞の代わりにもならない。

 そうなれば、まともな代価を用意しなくちゃならなくなる。つまり、私はこう問いたいの」


 六六六は私を真正面から見据えて、言った。


「あなたは、生命にいくらの値段をつけるのかしら?あなたは、生命にどれくらいの価値があると思う?」


 私は絶句した。

 生命の、値段?

 そんなの、つけられるはずがない。


「ようやく、私の言いたいことが分かったようね」

 理解した。ようやくこいつの言っていることが分かった。そしてその瞬間、私を絶望が襲う。


「一つの生命。生まれたことさえが奇跡とされ尊重されるもの。正しく神の御業。

 一説によれば地球よりも思いと言われるほど貴重なもの。それに、あなたはいくらつけるのかしら?」


「そ、そんなの」


「千円じゃないわよね?一万?十万?それとも百万かしら?いやいや、そんな安くはないわよね。一千万?そんなものかしら?当然、違うわよね。他人ならそんなものですむかもしれないけど、厄介なことに大事な存在であるほどあなたの中の価値は上がるもの。じゃあ一億?十億?百億なら足りるのかしら?どう?」


 そんなの、そんなの。

「値段なんて、つけられるわけ、ない」

 わかるわけ、ない。

(そうなんだ)

(当たり前だった)

(そんな、簡単に手に入るものだったら)

(私はこんなにも、悲しむはずがなかったんだ) 


「そんな辛そうな顔しないでよ」

 六六六の声が、急に優しさを帯びた。あの夜。『頑張ったわね』そう言ったときの声音に似ていた。


「辛いわよね、分かるわあ。だって、大好きなワンちゃんだったんですもの。あれだけ必死だったんだから、悲しいわよね」


 その顔にさっきまでの冷たさはなく、反対に暖かさと慈悲深さを滲ませていた。心が落ち着き、安心感が芽生えた。


「でも、大丈夫。私にいい考えがあるのよ」

「えっ?」

 私は思わず彼女にしがみついた。

「本当?」

「ええ」

 六六六はにっこりと微笑む。


「言ったでしょう?『等価交換』って。別にそれはお金じゃなくてもいいの。だから、あなたがそれに見合うと思うものを使えばいいのよ」

「でも、でも私、そんな物持ってない」

 命に見合う価値がある物なんて、持ってない。それどころか、思い当たりもしない。


(やっぱり、無理なんだ)

(私には、どうしようもない)


「別にあなたの物じゃなくてもいいの」

「え?」

 私は六六六の差し出す希望に飛びついた。

「そ、そうなの?」

「ええ。他のなにか、あなたが大事に思っている物でいいのよ。ワンちゃんと同じくらい大事に思っている物。例えば」

 ニヤリと六六六は笑った。


「あなたのご両親の命とか」


 何を言っているのか、分からなかった。いや、わかっていた。でも、理解できなかった。


「なに、言ってるの?」

「あら、ご不満?じゃあ友人とか、他のペットとか。なにかいない?」

「そうじゃないわ」


 私はいやいやと首を振った。

「他の命を犠牲にするなんて、そんなこと、できるわけない」

「そうよね。わかってるわ。あなたがそんな酷いこと出来ない人だってことは」


 うんうんと六六六は頷いた。


「だって、あなたはいい人だもの。ワンちゃんのためにあそこまで頑張れるような。そんな人が他人を犠牲に出来るわけないわよね」


 そうだ、私にはそんなこと出来ない。セナも大事だが、友達も両親も大事だ。

 そうでないとしても、私に他の人間の命を奪うことなんて、出来ない。そんな度胸、私にはない。無理だ。どうやっても、無理。私には、出来ない。


「だったら、ね」

 耳元で彼女はそっと囁いた。


 とっておきの秘密を、親友に打ち明けるように。


 恋人に、将来の夢を打ち明けるように。


「あなたが死ねばいいのよ」


 私に「死ね」と、そう言った。


「あなたの生命。それなら、十分対価になるわ」

 命と命の等価交換。話は分かる。でも、あんまりだ。

「でも、それじゃあ」

 それじゃあ意味がない。

 私とセナが会えないなら、遊べないなら、生き返らせてもなんにもならない。

「『意味がない』なんて、言わないわよね?」

 先回りするように、六六六は言う。まるで

「だって、あなたは私利私欲のためにワンちゃんの命を弄ぶような人じゃないもの。『自分の悲しみを癒やすため』に命をどうこうしよう、なんて。そんな破廉恥な人じゃないものね」

 まるで、逃げ道をどんどん塞いでいくかのように。

「そ、そうだけど」

「でしょ?あなたはワンちゃんのために、ただただワンちゃんによかれと思ってたんだものね。暗いところで寂しく鳴いてるワンちゃんを、助けてあげたかったのでしょう?」

「そ、それは・・・・・・」

「違うの?」

 ふっ、と六六六の眼から光が消えた。また、あの瞳に戻ってしまう。私を蔑む、

(あなたの愛は)

 無限の闇に。

(その程度)

「ち、ちがく、ない!」

 私は断言した。

 そう、そうよ。私はセナのために、またこうしてやってきたのだ。愛犬のために、セナが幸せになれるように。

「その、通りよ」

 彼女の目が輝いた。

「だったら、悩むことはないと思うわ!だって、あなた言ったじゃない。『なんでもやる』って。私、感動したわ。そんなこと、私には言えない。絶対言えない。そんな心が、私にはないから。でも、あなたは言った。そう言えるくらい、ワンちゃんを愛しているから」

「そうだけど、でも」

「でも?」

「私が居なかったら、誰がセナのことを・・・・・・」

「そんな心配はいらないわ!あんな可愛らしいワンちゃんだもの!それも、あなたの愛していたワンちゃんよ!娘が生命をかけて救ったのに、ご両親が放っておくわけないじゃない!友人だって、あなたを誇りに思って取り合いになるかもしれないわよ?どうしても心配なら遺書にでも書けばいいわ。それなら確実よ。万が一引き取り手がいなかったら私が世話してあげてもいい。ね?問題ないでしょ?」

「でも、でも・・・・・・」

 私は答えられない。死にたくない。そう言いたかった。でも、それはセナへの裏切りの言葉で、私は。

「きっとワンちゃん、泣いているわ」

「・・・・・・えっ?」

「『さびしいよぉさびしいよぉ』って。『こわいよぉこわいよぉ』って」

 その芝居がかった声に、胸を抉られる。泣いているセナ。一人ぼっちで、暗闇の中で。

「それを救えるのは、あなたしかいないのよ。あなたが愛しているワンちゃんを、あなただけが救ってあげられるの。愛するワンちゃんを、この明るい世界に帰してあげられるのよ?」

 私だけが、セナを救える。

 そうだ、私だけだ。こんなにもあの子を愛しているのは、私だけなんだから。

 日々の散歩も、欠かさず私が行った。あの子が家に来てか六年間。小学生の時から、毎日毎日。トイレの世話だって嫌にならない。夜に鳴いていれば、頭を撫でに行ってあげた。私がこの世で一番、あの子を愛している。(でも)私だけが救ってあげられる。でも(でも、私は、まだ)。

「確かに、死ぬのは怖いわよね。どうなるのか、何処に行くのか、誰にも分からない。分からないところに行くのは、怖いわよね」

 そうだ。私は怖い死んだ時に何処に行くのか、よりも、まだまだ生きてやりたいことがあるのだ。死ぬにはまだ早い。死にたくない。生きてセナに会いたい。一緒に生きたい。

「今まさにそこにワンちゃんはいるのよ。そして、助けを求めてる。何をしてでも助けたいと思っているあなた以外に、ワンちゃんは救えないのよ」

 確かにそうだ。救ってあげたい。セナのことを想うと、胸が締め付けられる。なにかに心臓を掴まれて、圧力をかけられているみたいに。救ってあげたい。

(でも)

 できることなら。

(私は)

 なにをしてでも。

(死にたくないのよ!)

 セナに会いたい。

(生き返るのなら、なおさら)

 でも、私が死んだら

(なおさら・・・・・・)

 セナに、会えない。それじゃあ

(会えないなら)

 意味なんて

(意味なんて)

 ない。

 なんで。

 なんでこうなるの?

 何で私がこんな目に遭わなきゃ行けないのもっと酷いことをしてきた奴がいるのに私はなにも悪くないのに悪いことなんてしたことないのになにが気にくわないの一体どうしてわたしなのどうしてわたしのいぬなのほかのひとにしてよねえあのとらっくはなんでなのどうしてりーどがてからはなれたのわたしはなぜあそこをあるいていたのおしえてよだれかだれかねえおしえておしえていやいやいやいやいやわたしはだってまだまだまだまだまだまだまだまだまだ

(死にたくない!)

 死にたくない。

(でも)

 私はセナを

(くらくてかなしい)

 なんで?

(なんでこんなくるしいの)

 いきているから?

(しんでしまえば)

 でも(しぬのは)こわい。

 だれか、たすけて。


「大丈夫」

 優しい笑顔が、私の顔を覗き込んだ。まるで天使のような輝きを放つ、笑顔。

「大丈夫よ、なんの問題もないわ」

 その声は寒いときにかける毛布のように暖かく、私の不安を、恐怖を取り除いてくれた。

「ワンちゃんはずっとずっと幸せに暮らしていくわ。保証する」

 いつの間にか私の瞳から流れ出していた涙を、彼女は指ですくい取ってくれた。その指は暖かく、柔らかかった。私はたまらず彼女の胸の顔を埋め泣き出した。彼女も私を抱きしめてくれる。天使の羽で優しく包んでくれるように。

「大丈夫。全部、あなたの望み通りになるわよ。あなたの苦しみや悲しみは消え、ワンちゃんは幸せになる。全部、うまくいく。全部、全てがうまくいくわ。みんなみんな幸せになる。もちろん、あなたも含めて。しっかり、全部、ちゃあんと、ね」





「いきなり驚いたわよね」

「ね。そんなにショックだったのかな?」

「犬なんかで、ねえ」

「首つりらしいぞ」

「最近、持ち直してきたように見えたのに」

「家でも色々あったんだって」

「しかしペットごときでなあ」

「小学生じゃあるまいし」

「男にでも振られてたりとか?」

「辛かったんだろうね」

「ばっかみたい」

「そう?」

「そうかな?」

「本当に?」





「あらあら、本当にやっちゃったのね」


 夜に似た闇。

 真円を描く月の見える何処かで、黒衣の魔女は呟いていた。


「まあ、こっちとしては楽だからいいんだけど」


 青白く照る満月を見上げ、そこに一人の少女の面影を見た。

 強靱に見せて不安定。

 殻を被るもその中身は脆く移ろいやすい。

 太陽の向きで変容する月に似ていた。


 愚かだった。されど、彼女の今際の決断には尊敬の念を持っていた。 


 己の強度を遙かに超えているはずの決意。

 それが自分自身には出来ないことを、魔女はよく知っていたから。


 わうわう。


 魔女は足下をうろつき回る、小さな犬を見据える。

 三本足の小さき命を。


「まあ、しかたない、か」


 魔女は犬を抱え上げると、闇の中に姿を消した。

 底なしの暗黒に、その身を溶かしていくように。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章的な面白さも良いですし、ストーリーとしても物悲しさが出ており、全体的に良かったと思います。 独特な雰囲気も完成度が高いと思います。 [気になる点] ただ、それだけに一点だけ残念に思っ…
[一言] とても不気味な感じが文章から伝わり、ホラー作品としてとても楽しめました! ご主人が死んでしまったワンちゃんは幸せなのでしょうか? また、魔女の最後のセリフでの「まあ、こっちとしては楽だからい…
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