第一話-①
灼熱の太陽光に反射した剣の切っ先が、まさかこの数時間後に血塗られたものになろうとは、今のボクには予想すら不可能だったと言わざるをえない。
な~んて言うとシリアスな展開が待っているように聞こえるけど、そんなカッコいいものじゃなくて。悲劇でも喜劇でもなく、茶番と言うのがふさわしい出来事が起こるだけなんだけどね。
今日は八月某日。東京の有明。鳥取県の人口より来場者数が多いと言われるコミック・マルシェ、インザサマー(通称はコミシェ)。そこに初めて参加しているボク(瓜屋千尋・うりやちひろ)が何をしてるのかというと……。
「ちーちゃんイイね。初めてなのにすごいよ。評判も上々だし」
短い休憩中、隣から聞きなれたアニメ声に振り向くと、同級生で友人でもある葱島悠美がスポドリが入った紙コップを手渡してくれる。
「あ、悠美、ありがと」
お礼を言うと悠美はチッチッチッと指を左右に振りながら
「ノンノン、ここではみゅ~って呼んで」
そうだった。この場所では葱島悠美は仮の姿。今の彼女は人気コスプレイヤー『九条みゅ~』だ。
「それにしてもあっついな~~。もう死にそうだよ。ボク選択間違えたかな?」
「まあね、ちーちゃんのその衣装じゃね。でも今日はちーちゃんのコスプレデビューなわけだから、一番好きなキャラやって正解」
「そういうもん?」
「そういうもん。それに結構ファンもついたんじゃない?」
悠美はうんうんと頷くとスポドリを飲み干す。やっぱり肯定してくれるのは嬉しい。特に田舎者のボクにとっては。
昔からコスプレには興味があった。ただ去年までは高校生。大学受験は目前だったし、幼いころからやっていたスポーツチャンバラの昇段試験も控えていた。長年積み重ねた努力が実ったのか、去年は国体にも出場出来た。もちろんスポーツチャンバラは今でも続けてるんだけど、今年からは花の大学生。第一志望の樫野服飾大学にも無事合格し、将来的には「コスプレ衣装屋さん」になりたいという夢もあるからね。
「でもちーちゃんと会えて良かったよ。私コスプレ始めてから三年になるけど、こんなにクォリティ高い衣装初めてだし」
悠美はそう言いながら、肩から胸元がパックリ割れた、メイドさん衣装の肌触りを確かめるべく細い指でそっとなぞる。その仕草を横目で見て、ボクは思わず小さな溜め息を悠美に聞こえないよう漏らした。
やっぱり世の中不公平だ。会場に集まる一眼レフが、悠美に釘付けになるのは当然だよね。ちょっとでいいから分けてくれよ、そのGカップ! いやボクだってさ、ブラを二重にするとか、パットを複数枚押し込むとかしたら多少大きく見せれるかもしれないけど、絶対本物には叶わない。ああ、谷間ってなんだっけ?
「ま、そう言ってもらえるだけで、ボクも嬉しいし」
ボクは一瞬の思考停止を振り払い、悠美の言葉にテンションを上げた振りをして、両手に持った刃渡り80センチほどの剣を、器用にクルクルと回した。とりあえずお胸さんのことは今は忘れよう。
「あ、カッコいい~~。やっぱりちーちゃんのコスプレは、写真じゃなくて動画だね」
「え~~、ちょっとそれは恥ずかしいかな~~」
ちなみにボクが着ている衣装なんだけど、深夜に放送している大人向けの特撮で、主人公の仲間のコスプレ。元来、脇役キャラが好きなのと、スポーツチャンバラで二刀小太刀が専門のため、一も二も無くこれを選んだ。紅蓮のマントを身に纏い、銀鼠色の甲冑を着込んだ騎士。変身するときのアクションポーズも練習して披露してたら、「もう一回、もう一回」とリクエストされ、随分と体力を消耗してしまった。
悠美はボクのワガママに付き合ってくれて、特撮ヒロインのメイドさん。ボクも創り応えがあったし、本人も喜んでくれてるみたいなので、ま、いっか。
でもボクの衣装や刀はボク自身では作ってなくて、同級生の城之崎廉馬君が作成してくれた。彼も将来、そっちの方面に進みたいらしく、剣とか鎧とか、あとコスプレの小物とかの造詣の勉強に余念がない。「俺なんかまだヘボヘボだよ」と言いつつ、ボクの身に着けている剣や鎧がまさかペットボトルで作られているとは思えないほどの完成度だ。
ただ彼はコミシェ自体には参加しておらず、(どうやら人込みが苦手らしい)彼はボクや悠美ちゃんに「色んな人のコスプレ写真を頼むよ」とだけ言い残し、カメラを渡された。
そうこうしているうちに、休憩時間も残り少な。とりあえずまだ数時間はあるからお手洗いにでも行っておこうかな? と腰を上げた瞬間だった。急に脳が軽くなるような現象に見舞われる。
立ち眩み……?。
やっぱりこの暑さでやられていたのだろうか。いや違う。目の前に濃い紫色で縁取られた魔方陣が現れた。
「何、これ……?」
思わず声を発したボクだったけど、頭がフラフラで思考能力が低下している。ただその魔方陣がボクを中心に広がっていることだけは確認できた。でも意識はそこでトンでしまったようだ。膝から崩れ落ちながらも、悠美がボクの名前を連呼している声だけが聞こえた……。