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第一話 均衡の問題(問題編)

第一話 均衡の問題


 わたしは階段の踊り場で足を止め、ふと外の桜に目を向けた。まだ蕾だったが、雨露で光り輝いている。春休み中は雨が降らなかったが、今朝のにわか雨で開花するだろうか。優しい春の雨に期待を込めて、再び階段を上がった。

 E201教室へ近づくにつれ、談笑が漏れ聞こえてくる。教室の扉には「ミステリー研究会」と紙が貼られている。部長が講義中、実際に新聞を切り貼りして作ったらしい。

 わたしは教室の扉を開けて言った。

「こんにちは」

 すでに二人の女性が座っている。吊り目で細身の村田万智。それから小動物のような顔の国川亜希子だった。亜希子は、神経質な手付きで黒縁の眼鏡を拭いている。

 わたしは二人の近くに腰を下ろすと、亜希子は眼鏡を掛け直して尋ねた。

「あぁ、萌。部長見なかった?」

「どうせまた五限目でも受けてるんだって、いつものこと。あの人、今年も単位ギリギリだから」

 村田が代わりに答えると、同意を求めるような目でわたしを見る。わたしへノートの代筆を頼み、アルバイトにうつつを抜かしているのだ。留年が確定しているのに! わたしは苦笑交じりに答えた。

「そうなんですか?」

「うん、一般教養の民俗学、去年も落第したらしくて」

「あれ? でも司法試験受けるって言ってましたけど……」

 亜希子はハンドバッグからミルクティーを取り出して言う。その割には全く勉強してないようだけどね。わたしは言いたくなったが、陰口を叩くようで気が引ける。

 村田は溜息混じりに肩を竦めた。

「それがね、法学部に入った記念なんだって」

「何の記念ですか」

 亜希子も呆れたように返す。わたしは居心地が悪くなり、話題を変えようと、彼女に尋ねた。

「……それよりも亜希子。部長に何か用なの? 何なら連絡取ってみるけど……」

「ううん、ありがとう。でも大丈夫。今日、新入部員が入るらしいんだけど、名前と学部、学科をメールで聞いても返事がなくて」

 それを聞いて、村田は笑った。

「まぁ、いつものことなんだから」

「それじゃ困るんですけどね……、名簿を学生課に出さなきゃいけないんですよ」

 亜希子は溜息をついたが、村田はあっけらかんとしている。

「今日くるんでしょ? その時、聞けば?」

「そうなんですけど、ねぇ」

「まぁ、なんとかなるんじゃない?」

 安心させようと、わたしも微笑んだ。その時、二組の躊躇いがちな足音が近付いてくる。声を潜めて何やら話しているらしい。今、亜希子が話していた新入部員だろうか。

 やがて扉が開くと、一組の男女が姿を見せた。女性は漆黒の黒髪を垂らしている。一方の、男性は細身でメタルフレームのメガネを掛けていた。

 女性は戸惑いがちに辺りを見回して尋ねる。

「あ、あの、ミステリー研究会は……」

「ここです」

 わたしが笑って頷くと、女性は会釈した。

「失礼します。入部申込をしたんですけど……、あ、私、大月姫子と言います。文学部国文学科一年生です」

「僕は柘植匠。同じく文学部一年生です。図書館情報学科ですけど」

 それを聞いて、亜希子は安心したように息をつく。そんな彼女をよそに、村田はわたしにうっとりと囁きかけたのだった。

「ねぇ、柘植くんって子、可愛くない? この二人って付き合ってるのかしら」

「さぁ、どうなんでしょうねぇ」

 わたしは顔では笑って返したものの、内心では呆れていた。

 しかし、もとより村田も冗談だったようである。二人を中に招き入れたのだった。


 二人が適当な席に腰を下ろすのを確かめて、村田は言った。

「あ、私、法学部の村田万智。四年生」

 その自己紹介を聞いて、柘植は身を乗り出す。

「へぇ、司法試験受けるんですか?」

「ううん、法学部だから司法試験受けるとは限らないから」

 村田が答えると、わたしに目を向けて言う。

「萌は受けるけどね」

「へぇ、そうなんですか」

 柘植が目を輝かせて私を見た。その眼差しに、わたしは照れ臭くなってしまう。

 村田は柘植へイタズラっぽくウィンクすると、冗談めかして言った。

「だから仲良くしておいたら? いろいろ相談に乗ってくれるし。優しいお姉さんよ」

 わたしが恋愛に淡白だと知った上で楽しんでいるんだろう。「仲良くしておいたら」「優しいお姉さん」なんて言って。まったく……わたしは肩を竦める。その様子を傍らで見ていた亜希子が言った。

「私は国川亜希子。文学部英文学科の三年」

 そして彼女は名簿の件を付け加えると、亜希子がノートを取り出した。丁寧な手つきで二枚に破ると、大月と柘植へ、シャープペンシルとともに手渡す。

「分かりました」

 二人は頷くと、さらさらと書き始める。亜希子へ渡すのを確かめると、村田は言った。

「あ、部活案内に書いたと思うけど、活動内容を説明するわね」

「パズルを出しあって、解くんでしたよね。推理小説を書いてくる方もいるようで……」

 柘植が身を乗り出して言うと、村田は微笑んで頷いた。

「そうなんだけど、二つ条件があるの。一つ目、答えは一つになるようにすること。まぁ、出題ミスで二つ以上の答えができちゃうときは、仕方がない。その解釈を聞いて、みんな納得が行けば答えとして認めてる。それと問題は何人で作っても構わない」

「そう、例えば私たち全員が出題者っていう場合だってあるのよ」

 亜希子は愉快そうに笑うと、大月は心配そうに言った。

「そ、そんな……」

 その声を聞いて、亜希子はわたしを一瞥する。さすがに脅しすぎたと反省したらしく、決まり悪そうな声で言った。

「安心して、萌は協力しないでしょうから、そんなことは起こらないと思うわよ。フェアプレイの精神に反するとか言って」

「よかった……」

 大月が安堵の息をつくと、村田は尋ねる

「ここまでは大丈夫?」

 大月と柘植が頷くのを確かめると。

「もう一つ。火曜日五限、この教室でのみ示された手がかりだけを使って解くこと。例えば、昼休みにヒントをこっそり教えてもらうのは、……まぁそれぞれのプライドに任せるし、そこも駆け引きとして楽しめばいいんだけど、そのヒントはあくまでもヒント」

 大月は飲み込めないようで、きょとんとした顔をしている。それを見て、柘植は確かめた。

「この教室で出された手がかりだけを使って解かなきゃいけないんですね」

「そういうこと」

 村田はそう答えると、含み笑いをして続けた。

「逆に言うと、昼休み中、わざとニセの手がかりを吹き込んでもいいってこと」

「そっか。相手のはその手がかりを使いたくても使えないのね」

 大月は呟くように言うと、村田は頷く。そして亜希子を見て、尋ねた。

「他に何か説明しておいたほうがいいことってあった?」

「村田先輩、知識がなきゃ解けない場合、忘れてますよ」

 亜希子が答えると、村田は考え込むように言った。

「あれねぇ……。例題がないと分かりにくいかも。なんかいい例題ある?」

 亜希子はしばらく考えていたが、やがて顔が明るくなる。そして二人の顔を見て言った。

「最近見たクイズ番組でこんなのがあったの」

 彼女はノートの紙を一枚破くと、問題を書き付ける。


 ギリシャ+オランダ=オーストラリア

 マレーシア÷アメリカ=マレーシア

 マレーシア×アメリカ=マレーシア

 マレーシア×マレーシア=?


「あ、さすがに萌は分かったみたいね」

 わたしがスマホを取り出す姿を見て、亜希子は言った。

「まぁね。マレーシアとアメリカはかなりのサービスじゃない?」

「まぁまぁ、いいじゃないの。一年生なんだから」

 そう言うと亜希子はスマホを取り出す。しかし、大月も柘植も食い入るように紙を見ていてまったく気が付かない。

「割っても掛けても変わらないってことはアメリカが1で、これは連立方程式かな……ギリシャをa、オランダをb、オーストラリアをc、マレーシアをdと置くと……」

 二人の苦しむ姿を見て、村田はニヤニヤと笑っている。しばらく大月は考えていたが、ついに首を振った。

「ダメ、降参します」

「柘植くんは?」

 うんうん唸っている柘植を見て、村田は楽しそうに尋ねる。もう少しだけ頑張りたいという顔をしていたが、名残惜しそうに首を振った。

「降参します」

 わたしは笑って亜希子に言う。

「アメリカが1番だってことは国際電話の国番号だよね。わたしも全部覚えてるわけじゃないからさっきスマホで調べてたんだけど。ギリシャだったら30、オランダは31、オーストラリアは61、マレーシアは60」

「萌の言う通り。わたしスマホを出したでしょ。あれ、ヒントだったんだよ。でも二人とも問題に夢中で気が付かないんだもん」

「あぁ、そうかぁ」

 大月の呟きが聞こえてきたが、柘植はがっかりとしたように言った。

「なんだ、国際電話の番号なんて知りませんよ」

「ええ、だから興ざめでしょ。こんな問題」

 村田はそう言うと、大月に目を向けて続けた。余り話に入ってこないのを気にかけたらしい。

「大月さんは納得が行ったみたいだけど」

「ええ、まぁ……」

 大月は恥ずかしそうに口ごもっている。村田は大きく伸びをして言った。

「でもまぁ、こういうのを出すと、結局は知識の自慢大会になっちゃうでしょ? 白けちゃう」

「ええ……まぁ……そうですね。インターネットでいくらでも手に入りますし」

 大月はそう言うと、柘植は焦れたように口を挟んだ

「で、こういうのは出ないんですか?」

「まぁ出してもいいけど、その場合は手がかりをどこかで出さなきゃいけないことにしてあるわけ。この問題なら、それぞれの国番号ね」

 村田が答えると、大月が苦笑する。

「あの、すみません。でもそんなことしたらすぐ分かっちゃって、面白くないような……」

「問題文の中で出さなくともいいの。雑談に織り交ぜてもよし、今の亜希子みたいにさり気なく出してもいいし……」

 村田が言うと、亜希子はしきりに頷いている。柘植は安堵の息をついた。

「よかった。ちゃんとヒント出してくれるんですね」

「ええ、もちろん。あ、でも宝探しゲームじゃないんだから教室に〈隠す〉のはダメ。置くんだったら見えるように置くこと」

 村田が済まして言うと、亜希子は付け加えた。

「例えば国番号の表をどこか〈見える場所〉に置く、とか。机の上に置いてもいいし、壁に貼ってもいいわよ。でも机の中に入れたり、下とかに貼ったりするのはダメよ」

 それを聞いて、村田は頷く。そして愉快そうに笑って言った。

「ただし、ヒントに気付くかは別だけどね」

 わたしは二人の顔を見て尋ねた。

「いろいろ言ったけど、ルールは分かった?」

「ええ、大丈夫です」

 柘植が言うと、大月も頷いた。

「私も何となくですけど……」

「そう、よかった。分からなかったら聞いてね」

 村田はそう言うと、スマホで時間を確かめる。そして頬杖をついて、呟くように言った。

「部長、遅いわねぇ。今日、問題作ってくるのに」

「講義じゃないんですか?」

 わたしが言うと、村田は首を振った。

「そうなんだけど、いつも出席票だけ誰かに託すでしょ?」

「ええ、まぁ……」

 わたしは曖昧に頷くと、大月と柘植の顔を見た。いつもなら出題者がくるまで、好きな推理小説の話や、どの講義の採点が甘いかを教え合うのだが、今日は新入生がいるのだ。がっかりさせてはならないと思い、わたしは続けた。

「もう一問いきます?」

「いいですね」

 柘植が身を乗り出して言うと、亜希子はわたしへ不安そうに囁く。

「何か問題あるの? 私、即興で作れないけど」

「まぁね」

 わたしが言うと、二人の顔を見た。

「こんなのは? 新入生がいるから簡単なのにしておくよ。偽金貨の問題、ここに少しだけ軽い金貨が十七ま……」

 途中まで言ったが、柘植の得意げな笑顔が目に入る。有名な問題なのだ。どこかで解いたことがあるんだろう、と思うと悔しい気持ちになった。

 わたしは咳払いをして続ける。

「……えー、17万7147枚あります」

「え?」

 柘植の顔から笑みが消えると、わたしは済まして言った。

「たった十七枚だと思った? 残念でした」

 それを聞いて、亜希子はプッと吹き出す。

「萌、それ多すぎだから!」

「17枚って言いかけて変えたでしょ。相変わらず負けず嫌いねぇ。特に男がいると。何か恨みでもあるわけ? 恋人に構ってもらえないとか? もしかして浮気されたとか? ねぇ、ねぇ」

 村田がニヤニヤと笑いながら尋ねた。冗談とは分かっているが、内心で苦笑する。なんで女性は恋愛の話が好きなんだろう? わたしも女性だが、不思議に思うことがある。

 辟易しながらも、笑顔の仮面を貼り付けた。

「そんなんじゃありませんよ」

 そう言う村田こそ部長の留年には手厳しいくせに、と胸の内で呟いたが、彼女の気持ちも分からなくもない。おまけにここで皮肉を言ったら、亜希子がまた気を遣ってしまう。人間関係は絶妙な均衡の上に成り立っているのだ。それこそ天秤のように。

「それに」

 わたしは大月と柘植に目を向けてそう呟いた。この二人が会話に入り込めなくなってしまいかねない。

「それに17枚だとすぐに解かれちゃいそうですからね」

 わたしが肩を竦めると、村田は頷いた。

「そりゃそうだ。……で、最短の手数を求めればいいわけね。金貨は1枚だけ?」

「ええ、1枚だけです。でも理由も答えてくださいね」

 調子に乗って難易度を高くしてしまったのではないか。そんな不安が頭をよぎり、みんなの顔を見回した。亜希子は大月に何か囁いている。大月を気遣って、相談しながら解こうとしているんだろう。しかし大月は早くも諦めているようである。こっそりヒントを渡したほうがいいだろうか?


 本来、クイズゲームのシナリオとして書いたものです。是非、皆さんで考えてください。解ったらコメント欄にでも書いてくだされば幸いです。

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