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中編


 サクッ、サクッ、と柔らかな足音を立てながらレベッカは丘を登る。手入れなどはされておらず、整備された道などもない。けれどその素朴な風情がレベッカは割と気に入った。


「……ふぅ。着いた」


 ようやく丘の頂に立ったレベッカは眼下を振り返った。そこには今しがた歩いてきた石の街並み以外には何も見えない。


 今度は頂の反対側から見下ろすと、そこには広大な草原がどこまでも続いていた。


 そのあまりの広さにレベッカは思わず息を呑む。

その時、レベッカの視界の端になにかの影が入った。それは頂から少し下った斜面にうずくまっているように見えた。


 動物かしら、とゆっくりレベッカが近づいていくと、


「あら、人なのね」


 その影はむくりと起き上がり、首を回してレベッカを仰ぎ見た。


 その人はまだ若い男の人であった。男の人というには若過ぎる気もする。大人と子どもの中間にいるくらいの顔つきだ、とレベッカは思った。


「人なのね、とは随分なご挨拶ですね」


 怒らせてしまったかしら、とレベッカは一瞬危惧したが、どうやらその声音はただ面白がっているだけのようだった。


「ごめんなさい。けれど人の手の入っていない丘だと思ったから、誰かいるなんて想像していなかったの」


 言いながら、彼はこんなところで何をしていたのだろう、と少しだけ興味が湧いた。


「それならあながち間違いではないですね。この丘は僕以外にはほとんど誰もこないから」


 彼はそう言うと眩しそうにレベッカを見上げた。


「やっぱりそうなのね。それならあなたはここで何をしていたのかしら?」


 迷惑かもしれない、と思ったが人けのない丘で彼が何をしていたのか、聞かずにはいられなかったのだ。


「そうですね……、とりあえず、ここまで下りてきませんか? ここからあなたを見上げていると逆光で目がやられそうだ」


 言われてみると太陽はちょうど中天にある時間で、先刻から彼が眩しそうな顔をしていたのももっともであった。


 言われた通りレベッカが彼のいるところまで下りていくと、彼は意外そうに眉をぴくりとさせた。


 レベッカが隣に腰を下ろすのを待って口を開く。


「ありゃ、思ったよりも若いご婦人だ。失礼ですがおいくつですか?」


「十四になるわ」


「そうか。僕は十六なんだけれど、幾分歳上だからという理由でくだけた話し方をしてもいいかな?」


 そんなことを既に若干くだけたふうに断るものだから、レベッカは可笑しくなってしまった。


「どうぞ。あなたは歳下の女の子が敬語を使わないのは生意気だ、とか思ったりするかしら?」


 レベッカがそう返すと、彼は面白そうに笑った。


「全然! 堅苦しいのは嫌いなんだ。けれど、僕の周りには堅苦しいのが多くってね。それでよくここでふて寝してるのさ」


 彼はポンポンと傍らの草を撫でる。よく見ると彼の座っている辺りだけ少し均されていて、ここを寝床にしているのが見て取れた。


「なるほど、ここはあなたの安息の場所というわけね」


「安息の場所、か。今までは心の避難所と自分の中で呼んでいたけれど、そっちの方がいいね」


「あら、ありがとう」


 レベッカが言うと、それに応えるように彼の腹の虫が盛大に鳴った。


「これは失敬」


 照れたように腹をさする男の子に、レベッカは手に持った包みの中のパンの存在を思い出した。包みを彼にも見えるように持ち上げる。


「良かったらお昼一緒にどう?」


「え、いいの?」


「一人よりも二人で食べた方がおいしいもの」


「そうか、それじゃあ遠慮なく。――あ、黒すぐりのジャムだ。僕、これ好きなんだよな」


 レベッカと男の子は並んで草っぱらに座り、ジャムをつけたバゲットを頬張った。それは故郷のパンには及ばなくともなかなかに満足のいくものだった。


 時折髪を撫ぜる風のような沈黙は心地良く、レベッカは隣の男の子が旧知の仲であるかのような錯覚に陥った。


「で、きみは? こんなところへ何しに? 観光なら街を見て回るはずだし」


 食べ終わってひと心地ついていると、なんでもないことのように問いかけられレベッカはなんと答えようか逡巡した。


 なんだかこの男の子には本当のことを話してみたいような気もした。けれど、もしも何か面倒ごとがあった時に巻き込んでしまうのは忍びない。


 そんなことをつらつらと考えると、レベッカは結局適度にごまかして話をすることにした。


「私は、わけあって一人でこの国にきたの。それは決して私が望んだことではなくて」


 だから、とレベッカは言葉を切った。口にすると自分の気持ちが整理されることもある。


「――だから、私は探しているの。この国――この街に私がいられる理由を」


 そうなのだ。私はきっと探している。


 政略的な理由ではない、故郷への愛に勝る、そんな理由を。


「それは難儀な探し物だね。わけあり、というのも好奇心がそそられる」


 彼はふいにニヤリと笑って言った。


「その探し物、良かったら僕も手伝おうか?」


 その笑みは無邪気な子どものようで、レベッカは思わず頷いてしまった。





 なんだか妙なことになった、と傍らを歩く男の子を見上げ、レベッカは内心首を傾げた。


 成り行きで連れ立って丘を下りた二人は、今はルーゼリアの首都アブレの街を並んで歩いていた。


「……ん、なに?」


 レベッカがちらちらと送る視線に気づいたのか、男の子は不思議そうにレベッカの顔を覗き込んできた。


 ふいに近づいてきた顔に、レベッカはどぎまぎして慌ててごまかした。


「い、いえっ、あ、そう言えば名前、聞いてなかったと思って!」


 あれ、自分も言ってなかったかしら、とレベッカが思うのと同時に、


「あぁ、確かに。でもきみの名前も聞いてないよ」


 と、苦笑が返ってきた。


 これにはレベッカも苦笑いで応じるしかなかった。


 その後改めてレベッカが名乗ると、


「僕はフォン」


 男の子――フォンは短く応えた。


 フォン、とレベッカは口の中でその響きを転がす。


「また妙な顔をしてる。僕の名前、変?」


 いささか心外そうな顔をするフォンに、レベッカは笑いながら首を横に振った。


「いいえ。ただ、どこかで聞いたことがあるような気がするの。さっき丘の上で並んで座っていた時も、なんだか昔からの友達みたいな心持ちがしたし。あなたとは初対面なのになんだか可笑しいな、って」


 フォンは一瞬複雑そうな色をその顔に浮かべたが、すぐに可笑しそうに笑い出した。


「何を笑っているの?」


 今度はレベッカがきょとんとする番であった。


「いや、面白い人だなぁ、って」


「どういう意味かしら」


 不服を申し立てようとするレベッカを遮るように、フォンは尋ねる。


「ところで、わけありのレベッカさん。きみの探し物はいったいいつまでに見つけなければいけないんだい?」


「……どうして期限があると思うの? 普通探し物は見つかるまで探すものでしょう?」


 質問に質問で返すレベッカに嫌な顔もせず、フォンは「あれ」と頬をかいた。


「違ったかな? 探し物の話をしていた時のきみの顔がひどく焦っているように見えたんだけれど」


 思わず、レベッカは自分の頬に手を当てた。内心の焦燥を見抜かれていたなんて。


「いえ、ごめんなさい。少し意地悪な言い方をしてしまったわ。フォンの言う通り、私が自由に探し物をしていられる時間は限られているの。刻限は、今日の六時。それまでに私は見つけなければいけない」


 レベッカの横顔が憂いを帯びる。


 彼女がここにいられる理由。


 そんな曖昧で抽象的な探し物など、いくら手伝ってもらったとしてそうそう見つかるとは思えなかった。


「そうか。きみがこの街にいられる理由、ね。なかなか骨が折れそうな探し物だ」


「あの、今更かもしれないけど、無理して付き合ってくれなくてもいいのよ? あなたにはあなたの都合があるだろうし」


 フォンの言うように、難儀な探し物だ。見つかるかもわからない。そんなことに付き合ってもらうのはなんだか悪い気がした。


 けれどそんなレベッカに、フォンはゆるゆるとかぶりを振る。


「僕の都合なんて大したことないよ。今日は日がな一日あの丘で寝転がっていようか、と考えていたくらいさ。それに言ったろ、僕は僕が興味をそそられたから手伝おうと思っただけだよ」


 聞き様によっては少し突き放したように聞こえるその言葉に、レベッカは逆に気が楽になった。


 ここで「きみの助けになりたいんだ」なんて優しい言葉でも言われようものなら、きっとレベッカは丁重にお断りしていただろう。


 今は確かに存在しているただのレベッカは、明日にはルーゼリア王子の妻になってしまう。どれだけの優しさをもらっても、じきに自分の意のままにならなくなるこの身ではそれに報いることができない、と思ったのだ。


 だからフォンの「自分がやりたいからやっている」というふうな立ち位置は、今のレベッカには心安かった。


 子どもの無責任さ、とでも言おうか。


 これまで明確に意識することのなかった「子どものままでいられる時間」、その終わりが見えている今、レベッカはその最後のモラトリアムに無意識のうちに浸っていたのかもしれない。


 とりもなおさず、レベッカは探し物を手伝うというフォンの申し出を受けることにした。


 けれど、探そうにもどこで何を探せばいいのか、彼女にはさっぱり見当もつかないのである。


 そう言うと、フォンはどこか得意げに笑ってみせた。


「それなら僕に考えがある。きみがここにいられる理由、って、つまり、きみがここを好きになれればそれが理由になるんじゃないかって僕は思うんだ」


「わたしがここを好きになれる……」


 それはとても安易な発想のようにレベッカには思えたけれど、他に彼女が何か思いつくわけでもなく、とりあえずフォンの言葉を信じることにした。


「そうね。それじゃあ、私が好きになれそうなものってどこにあるかしら?」


「そんなの僕が知るわけないだろう!」


 面白そうに笑い飛ばすフォンに、レベッカは「信じられない」と言わんばかりの顔を向けた。


 その剣呑な顔つきに慌てたのか、フォンは急いで付け加える。


「いやいや、からかっているわけじゃない。ただ、僕らは会ったばかりだし、きみの好きになりそうなものはわからないよ。だから、この街で僕の好きなものをきみに見てもらおうと思うんだ」


 そしてきみがそれを好きになってくれればと思うよ、とフォンは微笑んだ。


 その笑顔がやけに大人びて見えて、レベッカはフォンという人物がますますわからなくなった。


「どうかな?」


「……そうね、いいと思うわ。ぜひあなたの好きなものを教えてちょうだい」


 なぜだか、フォンの好きなものなら自分も好きになれるような、そんな気がしたのだ。


「それなら、きみはもう一個は知っているよ。僕の好きなもの」


「え?」


 悪戯っぽく笑うフォンにレベッカは聞き返す。


「さっきのパンとジャム。あそこの店は僕もひいきにしているんだ。どう? 好きになれそう?」


「うーん、そうね。合格点、といったところかしら。私の故郷のビニョンの方がおいしいパンを作れるけれど」


 なんといってもビニョンは小麦が名産なのだ。その小麦から作るパンはそのままでもとてもおいしい、と国の内外から評判である。


「そうか、ビニョンと比べられちゃしようがない」


 どこか得意げなレベッカに対して、フォンは軽く肩を竦めただけだった。


 レベッカの目には一瞬、彼がまた複雑な表情を浮かべたように映ったが、たんにお気に入りのお店がレベッカにはあまり好評でなかったことに落胆しただけかもしれない。


「それじゃあ、改めて。この街を案内するよ、わけありのお姫様」


 おどけたように腕を広げるフォンにどきりとする。


 お姫様という言葉に冗談以上の意味はないのだろうが、実際お姫様であるレベッカにとってはむず痒くなるような気持ちであった。


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