敷居が高いという言葉が正しく使われていない
敷居が高いという言葉の意味を調べたみたら、自分が思っていた意味ではありませんでした。そして、それを見た後に今までに読んだレビューや書籍などを思い起こし、急に気分が悪くなってしまいました。気分が悪くなった原因は、今までにこの言葉を正しく使っている人を見たことがなかったためです。まったく違う意味で世の中に流通していると思ったら、急に気分が悪くなってしまったのです。
ちなみに、この言葉は、不義理なことなどがあり対象となる人の家に行きにくいという意味です。これを聞いた人の中には「え、そうだったの?」と思った人もいるのではないでしょうか。私が今までにレビューや書籍で目にしてきた使い方は、料金が高くて行けない、オシャレ過ぎて手を出せないといったものです。
本を読むのが好きで、購入する時にはレビューをチェックします。そして、たくさんの書籍を読んできましたが、この言葉を正しく使っている人・作品を見たことがありません。文章を書くことに慣れている人でも正しく使っていないというのは、かなり状況として深刻と言っては言い過ぎかもしれませんが、おかしな事態だと思いました。
中には正しい意味を知っていて、正しく使っている人もいるでしょうが、私が今まで見てきた中では正しい使われ方は皆無です。なぜここまで正しく使っている人がいないのか。きっと、レビューや書籍でこの言葉の使い方を目にして、そういう使い方をするんだろうと思いこんでしまったためだと思います。きちんと習う機会があれば、この言葉を目にした時に使い方がおかしいことに気付くと思いますが、初見がレビューや書籍だと予備知識がないため、誤って覚えてしまうのだと思います。
まさか誤用だなんて思わないでしょうから、自分で調べることなく間違った覚え方をしてしまうのでしょう。それにしても、この誤認識の広がりレベルはすさまじいと思います。
小説なんかで使われる場合には、著者はきちんと正しい意味を知っていて、登場人物が誤って使っているという設定な場合もあるかもしれませんが、そんな設定を使うことはほとんどないと思います。
色々と考えていて、正しい意味は知っているけれども、世の中の多くの人は知らないため、あえて間違った使い方をして会話や説明を円滑にしているという考えに至りました。しかし、正しい意味を知っている人は、あえて間違った使い方をすることに抵抗感を覚えるのではないかという気もしました。相手が間違えて使ってきた時に指摘をすると会話が中断しますし、ダメ出しをしているようで相手が不快な思いをするかもしれませんから、そこはスルーするといったことがあるかもしれませんが、わざわざ自分から間違えた使い方はしない気がしました。ということで、世の中のほとんどの人は、そもそも正しい意味を知らず誤った認識をしていると思いました。
こう考えた時に、何とも言えぬ気持ちの悪さに襲われてしまったのです。そんなことで気持ち悪くなるなんておかしいと言われそうですが、明らかにバナナに見える物を周りの人たちがリンゴ、リンゴと言っているのを見ている感覚なのです。
近年、フェイクニュースが社会を騒がせていますが、目にしたニュースを精査したりせず、ストレートに信じ込んでしまうのは危険なことです。敷居が高いという言葉の使い方に関しては、そういう使い方だと信じ込んでも大きな被害はないかもしれませんが、ここまで多くの人が間違っていることに気付かず使い続けているという事実に、マインドコントロール的な恐怖を感じたのです。
そういえば、茨城はいばらきと読みますが、たくさんの人が「いばらぎ」と言います。間違えて覚えて使い続ける人が多くなるとその言葉が大きな力を持ち始めて、修正困難な事態に陥ります。
この茨城のことを思い出した時に、私の中でとても嫌な予感がしたのです。
歯が1本痛いだけなら何とかしのいで生活を続けられますが、3本、4本と増えていってはまともに生活できなくなります。肩こりに腰痛に頭痛を抱えている状態で花粉症にもなったら大変です。
敷居が高い、茨城・・・誤用の拡大。遺書にはこう書かれていました。「敷居が高いの使い方が間違えすぎていることに耐えられません」敷居が高いの使い方が間違えていることだけであれば、しばらく耐えられた気がしましたが、こういったことがいくつも押し寄せてきたら、とても耐えられそうにありません。
しかし、一度この手のことを考え始めると次から次へと誤って流通している言葉のことを考えていってしまうのです。正に絶体絶命。そういえば、絶対絶命という使い方をする人がいますね。ああ、まずい。これは、完全にドツボにはまっています。
私はこんな状態で生きていけるのだろうか。