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序章?

 ひとりの男がいる。


 その男は「普通」に義務教育課程を終え中学校を卒業し、高校に進み、「普通」の大学行って「普通」に一般企業に就職して、「普通」に働いて、「普通」に定年退職し「普通」にその生涯を、齢八十で終えた。


 俺たちはこの話を聞くと、「つまらない人生、簡単な生き方」と感じる。

しかし彼は物凄いことをやってのけたのだ。


「普通と言われる人生を送れる人間なんていやしない。」

かの有名な物理学者アインシュタインの言葉である。


 そう、この男は「普通」と言われる人生を送ってみせたのだ。あのアインシュタインが不可能と言ったことを可能にしてみせたのだ。

つまり不可能と言われた「普通」に生きることを八十年もの間、演じ続けたのだ。

 

 ここで一つ問う。


 では一体「普通」とは何か、と。

  人はこの問いを受けた時になかなか答えることができないだろう。

 

 一つ例を挙げてみよう。


 ①ある生徒がトイレに入って行きました。


 この文章は至って普通のものである。


 ではこれにこんなものをつけ加えてみる。


 ②ある男子生徒が女子トイレに入って行きました。


 これはどう考えても「普通」ではないと思うだろう。しかし男子からしたらこれは至って「普通」ことなのだ。


 男子の立場から一度考えてみると、男子には女子トイレに入らなければならない目的が明確に存在するから女子トイレに入って行ったのだ。と考えることができる。


 つまり男子は明確な目的を達成するための必然条件として行動を起こしたのだ。

これは至って「普通」の事だろう。

俺たちがお金を稼ぐために働いたり、試験に合格するために勉強するのと同じだ。


 つまり「普通」とはそれを見る方向によって全く違うものに捉えられるのだ。


  よって周りのもの全員から「普通」に見られるということはアインシュタインが言うように不可能に近いことなのだ。


 これを踏まえてもう一度男の人生を振り返ってみよう。

 彼は「普通」に生きた。いや、そう見せかけるように生きた。「それを見る方向によって全く違うものに捉えられるもの」を周りから同じ方向から見えるように誘導して私たちに彼の人生が「普通」だったと思わせた。


 そこには彼の「普通」じゃない量の努力があっただろう。


 つまり彼は「普通」という点においては、唯一「普通じゃない」のだ。


 「普通」に生きることほど「普通じゃない」ことはない。この矛盾(パラドックス)は社会において絶大な影響を与える。


  世の中の人はみんな「普通」に生きる。


 ここにおいての「普通」とは

 大多数(マジョリティ)少数派(マイノリティ)を迫害する事で生まれる一つの基準である。


 つまりちゃんと「普通じゃない」ように「普通」に生きているものが、「普通」のように「普通じゃなく」生きているものから迫害されるのだ。


 つまりアインシュタインの言葉には二つの意味があったのだ。


 ①「普通」に見られることは不可能に等しい。


 ②「普通」に生きる人々は明らかに「普通」ではない。


  この二つの意味を俺が悟ったのは六歳の時。


 小学校一年生の俺、時咲(ときざき) (ゆう)が見たのは「普通じゃなく」「普通」に生きる大多数(マジョリティ)常識が俺たち少数派(マイノリティ)を呑み込んでいく惨劇だった。


 その時俺は誓った。


  死ぬまで「普通」に、「普通じゃなく」生きると。

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