人生の選択をミスした私
これは、20歳そこそこの小娘が体験したちっぽけな人生のお話。
199×年の冬
比較的安産で生まれた私。その後黄疸が酷く、しばらく緑色の光に照らされていたと母は語る。
生まれてすぐ死にそうになっていたようだ。
約3500gで大きめ、初産の割に1時間くらいで出てきて父は仕事で出産に間に合わなかったらしい。
女の子らしい色の服が似合わず、貰った服はダメになってしまったようだ。長女だからなのか写真だけは今も実家にたくさんある。
そこはなんとなく嬉しくも思う。
ー幼稚園入園ー
人見知りの激しかった私。友達は数人。母は社交的だったのでママ友ばかりが出来ていった。
顔はまん丸で足は今と違いほっそりしていた。そう、好き嫌いが激しく少食。今思うとその頃の自分が1番良かったと思う。
ちゃっかり恋(?)もしていたようで色白の可愛い髪の毛が茶色っぽい男の子を好きになった。
バレンタインにクッキーをあげるとホワイトデーには可愛らしいかごに入った飴をくれた。今もそのかごはぬいぐるみを入れて飾ってある。
その17年後に再開するということは後々書いていこうかと思う。
コマ回しも、縄跳びもかけっこも苦手でインドア派の私。ある先生が好きでべったりしていたらしい。
今も年賀状のやり取り程度だが繋がっている。
ー3歳の冬ー
自分では記憶にないが、肺炎にかかったようだ。点滴を嫌い、声を枯らすまで泣きわめいたと祖母が言う。
「おばあちゃんはおならするから嫌!」と子供ながら酷いことを言っていたようだ。
半ば無理矢理に退院、無事肺炎は完治。
3歳にしてまたある意味死にかけた。
ー4歳の秋ー
弟が生まれる。これまたデカイ。私より200gも大きい弟。そう、私は姉になったようだ。弟と母が退院した後、抱っこしたいと喚き重たかったからなのか嫉妬心からなのか弟を床に落とした事は今も集まれば話されるお話である。弟は我慢強く泣きもしなかったと母は言う。