2.プロローグ
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アルヴィヘルム地方の北にある黒い霧に覆われた山岳地帯にはひと際目立つ黒く大きな城があった。その城を囲むものは大規模な町で少し小さめの城がいくつか聳え立っていた。
山岳地帯で一番大きな城の最上部の窓から南の方角をじっと睨むものがいた。一目見ればだれでも見惚れてしまうほどの黒い漆黒の髪は後ろで一つに結わえてある。
ここはアルヴィヘルム地方の北に住む種族、死の神の化身・魔人ゲルニアの領土だ。まだ夕方なのにも関わらず、空は黒い霧に覆われ全く見えない。
美しい美貌を持つこの男は魔人ゲルニアの種族の特徴である薄黒い肌の色と、燃えるような紅蓮の瞳は吸い込まれそうなほど澄んでいて、力強かった。男――――――魔人ゲルニアの現国王であり、賢者であるヴィバル王は、自らの遣いの報告を聞いているところだった。
「えっと…ヒューマン族が何やら新しい鉱物を見つけたらしく、貿易の手配はどうしま―――――…
「俺が聞きたいのは、そんなどうでもいい情報ではないのだが…?」
報告をしている兵士は、ヴィバル王に睨まれているわけでも、剣を抜いた勝負の場でもない。だが、兵士の顔は青ざめ、体中汗をかいていた。感じるのだ。兵士はもう自分が殺される寸前だということを。
「すっ…、すいませんヴィバル様!!お許しくださいっ!!どうか、…どうか命だけは、命だけはぁああ!!!」
「ははは…、心配するな。いきなり剣は抜かないさ。」
くるりと振り向いたヴィバル王の顔を見て、兵士は魂が抜けたかと思った。顔にはいつもの美しい笑みが浮かんでいる。もう年は40代の後半だというのに見た目はまだ30代後半に見える。これは魔人ゲルニア族の王家の者に共通することで、平民の兵士は特に何もない。ゲルニアの王家の者は寿命が他人より長いと聞いたことがある。そんな美しい笑みは、嬉しさや喜びの時のものではない、と兵士は知っていた。ヴィバル王から漂い、滲み出ているオーラからは殺気しか感じない。
何も知らなければまだ耐えられた。だが、何人もの兵士が【とある情報】を探すため派遣された。しかし誰もが報告できずにヴィバル王に殺されているのだ。頭の中に自分が血だらけになってもヴィバル王に謝っている姿が浮かんだ。
兵士は慌てて腰を折り、膝を地面につけ頭を床の赤いカーペットに擦りつけた。
ヴィバル王が歩く気配がした。
そして王の履くブーツが立てる固い音が、兵士に近づく。兵士の頭の上で剣を抜く風切り音が響く。
「ヴィ…、ヴィバル様ぁ、どうか、どうかぁああああ!!!」
「俺は“殺す”のではない。…ただ君に罰を与えるだけだ。」
兵士の首筋に鋭き銀の刃があてられる。ひやりと冷たいソレから伝えられるものが、兵士の体中に死の恐怖を覚えさせる。
「う゛ぅ…」
死を覚悟に目を閉じる。しかし耳に入ってきた音は剣が風を切る音ではなく、広々とした謁見の間にある大きな扉が開く音だった。
「ヴィバル王、緊急報告があります。」
この声は魔人ゲルニア領の将軍ガーネストのものだ。ゲルニア族には王の下に五人の将軍がいる。どれも最強の騎士で、兵士が逆らえるわけがない。更にガーネスト将軍は五人のうち一番力が強いと言われている為、王からも一目置かれている。
ガーネストが兵士の横で膝を折り、跪いた。そして用件を簡単に伝える。
「王が探していらした人物の居場所が分かりました。」
「…っ本当か!」
あのいつも冷たい笑みしかしないヴィバル王が、心の底から嬉しさを表す声を出した。顔を見る勇気はないが、兵士はそう思った。
「よくやったガーネスト。…して、場所は?」
「っは。フワロ地方のヒューマン領にある“ギニア城”であります。」
フワロ地方。
暖かい気候で緑が茂る北の大地と、南には銀色世界の雪原が広がる大陸である。そこにはヒューマンと水妖精エルフが住んでいる大陸であり、はっきり言うがゲルニアが住まいの兵士は一度も行ったことがない大陸だ。フワロ地方の情報も潜入部隊から聞いた情報なので自分の目で見たことはない。しかし、両種族とも勢力はゲルニアと比べると何百もの差があるので敵ではない。のはずなのだが、何のためにヒューマン族に用があるのだろうか…
「やっと…、やっと見つけたぞ…。ガーネスト、すぐに向かうぞ。」
「っは、陛下」
すっと立ち上がるガーネストは再び一礼し、歩きだすヴィバル王の後ろについて行く。兵士は「俺はどうしたら…」ち不安になる。それに気付いてか、ヴィバル王は振り返り、こう言った。
「下がれ。今回の件は忘れてやろう。…しかし、二度目はないと思え。」
「~~~~~~~っ!!!?あ、ありがとうございます!!!!」
これまでかというほど頭を下げ、二人の気配がなくなっても数分そこから動くことができなかった。
動けなかった、体が思い通りに動かなかったのだ。
それから三日後の夜。
ギニア城が崩壊したと報告が届いた。