遠足の帰りのバスの中
その後、北川と凛さんは先生たちに叱られた。
どうやら凛さんは友達と一緒に歩いていた時、あの崖を見つけ、少し覗いてみようと思ってあそこに行って落ちたらしい。
先生たちも2人が無事だったのに安心したのか彼らは比較的すぐに僕らの元に戻ってきた。
そして、今は遠足の帰りのバスの中というわけである。
「なあ、永井」
「ん?」
「俺、やっぱり抜けていい?」
高野が震える声で僕に尋ねる。
残念だが、抜けるか抜けないかは僕には決められない。
真田さんにでも頼むんだな。
「高野くん、大丈夫だよ!私と話せたんだしさ!
皆とも話せるようになるよ」
そう言って真田さんは笑う。
僕らのすぐ脇には真田さんの友達数人がいる。
そして、僕らに先程から質問を続けているのだ。
「高野くん」
前田さんが高野の名前を呼ぶ。
すると、彼の体は過剰に反応する。
それを見て彼女たちは大笑いしている。
高野も苦手な相手である女子全般の前ではただの玩具なのだ。
僕はと言えば先程から時折、質問されるだけで比較的平和ではある。
小西も同じくだ。
「永井くん達はこの後、どうするの?」
出し抜けに女子の1人、坂本さんが尋ねてきた。
「どうするって帰るけど」
「えー、折角だし皆でどっかで遊んでかない?」
「永井、断れよ」
小声で高野は僕に耳打ちする。
だが、僕としても滅多に見れないこんな高野をもう少し見ていたい。
「良いよ!
僕達どうせ暇だし」
「いえーい!じゃあ、カラオケでも行こうか」
「永井!!」
耳元で五月蠅いな。
それなら来なければ良いだろうと言いかけたが、高野は昨日我が家に泊まって荷物を置いたままだった。
そして、家に入るには僕が家の鍵を開けなければならない。
着いて来るしかないのだ。
「小西はどうする?」
「・・・・・・良い、よ」
小西は本当に今回の遠足で変わったと思う。
相変わらず言葉と言葉の間に妙な間があったり籠った声を出したりしているが、表情が活き活きしている。
人が変わったとは本当にこういう事を言うのだろう。
「北川はどうする?あと、凛さんも」
「あー・・・・・・あの2人か」
坂本さんが横目で北川と凛さんを見る。
言い忘れていたが、北川と凛さんは僕らとは少し離れた場所にいる。
遅れて来た僕らは当然だが、後ろの5人席には座れなかった。
残っているのは2人席が5つ。
その内4つは全て固まっていたが、1つは少し離れた場所だった。
その1つに座っているのは北川と凛さんである。
「じゃあ、ちょっと覗いてみますか」
そう言って前田さんは携帯をビデオモードにする。
先生にはバレない位置で。
しかし、ここから2人の席は結構な距離だ。
携帯のズームでそこまで鮮明に見れるものなのだろうか。
「お、案外綺麗に撮れてる」
今の携帯のズームはこんなにも凄いのかと少し驚いた。
「そう、アイフォーンならね」
前田さんは自慢げにそう言った。
あたしと北川くんの間には相も変わらず沈黙が流れている。
バスで彼の隣に座ってからもう30分はこの沈黙が続いている。
あたしから話しかけるべきなのだろうか?
しかし、北川くんはさっきからずっと不機嫌そうな顔をしている。
その為、話しかけづらいのである。
突然、北川くんがあたしの方に顔を向けた。
「うわっ!」
あたしは顔が赤くなるのが分かった。
照れているのだろうか?
いや、でもあたしは彼に惚れているわけでもない。
確かに北川くんがあたしを助けてくれたのには感謝しているが、それだけで惚れるだなんてそんなにあたしは惚れっぽい女なのか?
「ひっ!」
北川くんがあたしの額に手を置いた。
また体温が上がった気がする。
落ち着くんだ、あたし。
「お前・・・・・・熱ない?」
「・・・・・・え?」
あたしはそっと自分の喉に手をやる。
確かに少し熱い気がする。
「夏風邪は馬鹿しか引かないって言うからな!
馬鹿仲間が増えたぜ、やった!!」
そう言って北川くんは盛大なくしゃみをした。
そう言えば彼はバスに乗ってすぐに何かの薬を飲んでいた。
あれは風邪薬だったのか。
「君と一緒ってのはちょっと」
「そう言うなよ!!
俺とお前の仲だろ?」
「そんなに仲良くなったつもりはないよ!」
「えー・・・・・・俺的にはもう親友レベルでも良いと思うんだけどな」
出来るならば親友と言わず・・・・・・。
という考えが浮かんだ。
やはり信じられないがあたしは北川くんに惚れてしまったのだ。
自分でも驚く。
その事を既に唯達は察していただなんて彼女たちは何者なんだ・・・・・・。
「へっくしょん!!」
「真田さん、大丈夫?風邪?」
「えへへ、そうかも」
それは多分噂の所為だと思うよ。
あたしは自分の考えを悟られたのでは無いかと少し怯えた。
「いやはや、良いね良いね。これYOUTUBEに上げようか」
「著作権・・・・・・む、し?」
「固いな、小西くんは」
この声は美樹だな。
動画サイトに上げる程のネタがこのバスにあるのだろうか?
あたしは美樹の方を見る。
「あっ」
あたしと美樹はほぼ同時に声を上げた。
美樹の持つ携帯のカメラはあたし達の方を向いていた。
「美樹ちゃん?」
「え、いや、この、それは」
美樹は愛想笑いを浮かべながら携帯の電源を切る。
そして、いそいそと携帯を鞄の中にしまう。
「いつから撮ってたの?」
「・・・・・・最初から」
あたしは美樹の鞄を奪い取り、携帯を出す。
美樹がプライバシーがどうのとか叫びながらあたしから携帯を取り返そうとするが、美樹の手に戻ってくる時にはあたしと北川くんの動画はとっくに消えている。
あたしと携帯を奪い合いながらも笑っている美樹の姿が少し妙でもあったが。
「おい、思ったよりも画質悪いな」
と、北川は文句を垂らす。
「仕方ないだろ。僕の使っているのは普通の携帯なんだから」
「まあな」
北川はそう言って携帯の画面を見て、頬を赤く染める。
僕は自然と笑みが零れた。
鏡を見てないので断定は出来ないが、僕の今の笑顔は締りのないものだろう。
「で、どうだったの。
デートの約束は取り付けた?」
「・・・・・・出来なかった」
「え!?僕や真田さんが必死になってあの状況を作り上げたのに!?」
そう思うと、やはり少しショックだ。
北川ならそれくらい出来ると信用していたのに。
「大体な、俺はまだあいつに惚れたって決まった訳じゃねえんだよ」
そう言って北川は僕の家の扉を思いっきり閉めた。
大きな音が家中に鳴り響く。
今日は家にいるのが弟だけで良かった。
両親、特に父がいたら北川と殴り合いを始める可能性も否めない。
弟が後ろで僕に文句を言っている。
あいつは態度が悪いだの何だのと年上に向かって。
だが、弟も一しきり言い終えて満足したのか奥の寝間へと歩いて行った。
午後10時は小学1年生の弟にとってはとっくに寝ている時間だ。
バスに乗る前だった。
北川に凛さんの写真を撮ってほしいと頼まれたのは。
そんな犯罪紛いの事を何故、とは敢えて言わなかった。
多少歪んではいるが、これも北川なりの愛情なのだというのがギリギリ理解出来たからだ。
本当にギリギリの性癖だが。
僕は素直に凛さんをこっそりと盗撮した。
前田さんが彼女といがみ合っている間に。
僕は寝る前に携帯に残っていた凛さんの笑顔が映っている写真を消した。