救出と遠足の終わり
「おいおい・・・・・・こんなの漫画でしか見た事無いぞ」
高野が苦笑しながら呟く。
僕の全身の血の気が引いた。
底は霧で隠れていて良く見えないが、きっと深いのだろう。
落ちたらただでは済まない。
そもそもこの崖の上には霧なんて立ち込めていない。
何故か底の辺りだけピンポイントに霧が立ち込めている。
この現象の謎は結局遠足が終わった後も分からなかったが、まさにこの場所に昔、飛行機が墜落したのだろうと僕は勝手に結論付けた。
北川に調べようとも提案されたが、僕はそれは知らない方が良い事なのかもしれない、と彼を諭した。
皆が恐怖と焦りで呆然と立ち尽くしていた時、唯一動けたのは北川だけだった。
「うわあああああっ!!」
北川は叫びながら崖から飛んだ。
一瞬の事で僕等は止める事が出来なかった。
端から見ればあり得ない光景を見た彼の気が狂い自殺をした、と見られるだろう。
しかし、彼はそんな考えを持ってなんかいなかったしそもそもまだ生きている。
北川は凛と呼ばれた少女のすぐ近くの太い蔦にしがみ付いた。
その蔦は北川の体重に何とか耐えたが、今にもぷつりと切れてしまいそうだった。
目をぱちくりさせている凛さんに北川は大きな声で話しかけた。
「俺が一緒にいてやる!!だから落ちて楽になろうなんて考えるなよ!!
励まし合って生き残るんだからな」
その事を言う為だけに北川は自分の命を賭けたのだ。
勇敢と言うよりはただのキチガイにしか思えない行動だ。
だが、凛さんには彼の行為がまるで英雄のそれに見えたらしく唇を噛み締めて頷いた。
その滑稽にも思える一連の流れを見ていると何だか僕は笑えてきた。
いつの間にか体も動かせるようになっていた。
僕は口を開き、指示を出す。
「ロープか何かを探しに行こう。急いで!!」
僕は小西を連れて走り出した。
彼と僕の組み合わせが一番早く動ける。
真田さんが僕に応じて言葉を返す。
「じゃあ私達は先生を呼んでくるね!」
真田さんと前田さん、それに高野も遅れて走り出す。
僕はそれを見送ると、少し先を走っている小西の背中を追った。
「お前、名前何て言うの?」
北川くんの最初の質問がそれだった。
彼は名前も知らないあたしの為にこんな事を?
本当に馬鹿だと思う。
「北川凛だよ」
「あ!そういえばこのクラスに北川は2人いるって真田の奴が言ってたな」
彼はまだクラス全員の名前と顔が一致していないのか。
馬鹿だと思うのを通り越して呆れる。
しばし沈黙があたし達の間に流れる。
耐え切れなくなったあたしが今度は質問する。
「何でこんな事したの?」
「誰でも良かった。反省はしているが後悔はしていない」
「こんな時までジョーク?笑えないよ」
「何!?北川ジョークが効かないとはお前、本当に人間か!?」
「名前も知らない女の子の為に崖から飛び降りるなんて君も十分化け物に近い思考だよ」
「それはそうかもな。自覚はしてる」
北川くんはそう言って微笑んだ。
と、思ったら今度は悲しそうな表情を作った。
「ああ・・・・・・こんな所で死ぬのか・・・・・・」
「自分であたしの事慰めるって言っておいてそんな事言わないでよ」
「今頃になってちょっと後悔してるんだよな・・・・・・。
さっきの台詞なしって事にしてくれねえ?」
「良いけど状況はどちらにせよ変わらないよ」
「言えてる」
北川くんはまた微笑んだ。
彼の喜怒哀楽の変わりようは随分と激しい。
あたしは彼との関わりなんて全くない。
そもそもあたしは唯みたいに器用じゃないから、知らない人に話しかけるなんて考えるだけで汗が滲む。
でも、何故か北川くんとは普通に話が出来ている。
勿論、最初に話を振ってきたのは彼だがそれにしてもあたしの口はいつもに比べて軽い。
彼には何か親しみを感じる。
苗字が同じだからとかそういうものではないような、不思議な感じだった。
「そういえばお前部活は?」
「・・・・・・パルクール」
って言っても多分通じないだろうな。
「あ・・・・・・マジでやってる奴いたのか」
北川くんは目を丸くした。
パルクール部の部員はあたしも含めて4人だからその反応も当然かもしれない。
でも、実際のところパルクール部があるということ自体、それどころかパルクールが何であるか自体あまり知られていないのが現状だ。
それを知ってるだけでも彼は少し変わっている。
或いはただ単に聞いた事の無い単語だったから覚えていただけなのかもしれないが。
「って、そうだった」
あたしは重大な事を忘れていた。
パルクールの技術を使えばこの崖も登れるかもしれない。
ここから上へ行くのに足場となる岩が無い訳ではない。
それに上への距離もそんなに大したものではない。
こういう時こそ練習の成果を発揮するべきではないだろうか。
「おい、何するつもりだよ」
「この崖を登る」
「はあ!?
馬鹿じゃねえの、お前」
「少なくとも君には言われたくない」
きつい言葉をかけてしまったが、あたしは北川くんに感謝している。
彼がここに降りてこなければパルクールの技術を使って上へ登ろうとも考えつかなかったかもしれないし、そもそもその案が頭に浮かんでも実行に移せなかったと思う。
彼がいるからあたしは責任を感じてこの崖を登ろうと決心した。
悩む時間をほとんど必要とせずに。
「ちゃんと助けを呼んでくるよ!」
「危ねえよ!素直に助けを待った方が良い!
女子の体力でこの崖を登れるわけがない!!」
あたしは木の枝から手を放し、大きく跳躍する。
そして、一番近くの足場に着地する。
岩場の幅はあたしの両足を詰めてギリギリ乗っかるくらいだ。
そして、すぐ上の突き出た部分の岩をがっしりと掴む。
このペースなら崖の上まで登るのも不可能じゃない。
そう思った瞬間、あたしの体はバランスを崩し、後ろに倒れこんだ。
「あ」
両手でしっかりと掴んでいるはずの岩は正確には石だった。
あたしがさっきまで掴んでいたそれはあたしの手を離れてあたしより先に落下していった。
あたしもすぐにああなるのか、と他人事のように考えた。
しかし、あたしの体は落下の途中で停止した。
不思議そうに顔を上げると、そこには苦痛な表情を浮かべている北川くんの姿があった。
「パルクールが何か結局良く分かんねえけど・・・・・・剣道部の腕力だってそれなりの物なんだよ」
あたしが安堵の表情を浮かべたのはほんの一瞬だったのだろうと思う。
次の瞬間、重みに耐え切れなくなった北川くんの手にしていた蔦はぷつりと切れた。
僕が崖に戻ってきた時、そこに北川と凛さんはなかった。
僕はただ北川と凛さんがいた場所をずっと凝視していた。
小西は今にも泣き出しそうな顔で僕を見つめてくる。
お互いに言葉を発しはしなかった。
少し遅れて真田さんたちが宇野先生と他数名の教員、それに残りの前田さんの班の班員を連れてきた。
彼らも僕らの様子から全てを察し、崖下を覗き込む。
そして、口を閉ざした。
「ねえ・・・・・・北川くんは・・・・・・凛ちゃんは・・・・・・?」
真田さんが震える声でそう尋ねる。
しかし、返事はなかった。
すると、真田さんは大きな声で泣き始めた。
時折、嗚咽を交らせながらその場に立ったまま。
それに呼応するかのように前田さんも泣き始める。
2人の班員も。
小西は泣き声こそ上げなかったものの鼻をすすりながら大粒の涙を流し始めた。
高野や宇野先生、それに他の教員たちはただ俯いて泣いている僕らと目を合わせようとしなかった。
きっと北川がいたら
「何、辛気臭い顔してんだよ!」
と、僕たちの肩を叩いて回るだろう。
そんな妄想をしていると僕まで涙を流しそうになる。
僕もいっその事、真田さんたちのように大声で泣いてしまおうか?
そうすればきっと楽なんだろうな。
僕が息を吸い込み叫ぼうとしたその時だった。
「・・・・・・おーい、誰かー・・・・・・返事してくれ」
小さな声だったが確かにそう聞こえた。
僕は耳に全神経を注ぐ。
しばらくしてもう一度声が聞こえた。
「・・・・・・誰かー・・・・・・」
直感的に北川が無事だと分かった。
この時、僕は彼の声しか聴いていない。
しかし、何故か彼と凛さんが無事だということだけはまるで映画を観ているかのようにその様子が脳内に映し出された。
「北川!!」
僕が叫んだ言葉は意味のあるものだった。
きっと北川の助けを求める声がなければそれは嗚咽交じりの意味のない言葉だったのだろう。
僕は崖から離れ、大急ぎでゆるやかな斜面を探した。
ゆるやかな斜面を見つけるとそこから一気に滑り降りた。
思っていたよりも早く底に着いた。
そして、崖のすぐ真下であろう場所に大体の見当を付け、そこに向かって走り出す。
走ると同時に僕の心臓の鼓動が早鐘を打ちはじめた。
無事であることが頭では分かっているのに急がないと彼らはどこか遠くへ行ってしまうのではないか、というそんな衝動に駆られたのだ。
「ばーか、来るのが遅いんだよ」
そこには眠っている凛さんを担いでいる北川の姿があった。
彼の制服にも凛さんの制服にもところどころイチョウの葉が付着していた。
「お前も降りてきて分かったと思うけどあそこの崖から地面まで実はそんなに大した高さじゃなかったんだよ。
それにプラスして山道を掃除してくれる親切な人がちょうどあそこにイチョウの葉で作った山を作っていたから更に衝撃が緩和されて俺たちは無事だったって事」
説明を求めてすらいないのに北川はべらべらと話し出した。
「・・・・・・チャック開いてる」
「え!?
あんだけ格好良く決めたのにマジかよ!!」
「嘘だよ」
北川は僕を睨んだ。
「お前も言うようになったな」
そう非難しつつもすぐに彼は笑顔を作った。