学園長室の対峙と、腐りきった特権階級
学園の最上階、天を突くようにそびえ立つ「賢者の塔」。
そこは、創設者である俺が、かつて世界全土の魔素を観測するために設計した場所だ。今では、学園長であるアルスの執務室として使われているらしい。
「おい、ぐずぐずするな。学園長閣下をお待たせするなど、万死に値するぞ」
案内役の教師――確か、測定場でカイルに媚を売っていた男だ――が、俺の背中を乱暴に突き飛ばした。
螺旋階段を登る途中、俺の目は嫌でも「学園の現状」を捉えてしまう。
(……ひどいな。廊下に張られた結界は歪み、空気の循環魔法も滞っている。これでは魔力の効率的な循環など望むべくもない。何より、生徒たちの目が死んでいる)
階段の踊り場で、一人の少女が膝をついていた。
ボロボロの制服。彼女の周囲には、豪華な装飾を施した高飛車な女子生徒たちが数人、嘲笑を浮かべて立っている。
「あら、ごめんなさい。あなたの魔力があまりに貧弱だから、私の結界に触れただけで弾き飛ばされてしまったのね?」
「……う、うう……」
「さっさとその汚い教科書を拾って消えなさい。特待生枠なんて、私たちの学費で養われている寄生虫なんだから」
女子生徒たちが去り際、少女の手にしていた古い魔導書をわざと踏みつけていく。
少女は唇を噛み締め、震える手で泥のついた本を拾い上げていた。
(……特待生、か。かつての俺が『家柄に関わらず、才能ある者に光を』と設けた制度だが……。今やそれは、貴族たちの優越感を満たすための『標的』に成り下がっているらしいな)
俺は立ち止まり、少女の横を通り過ぎる瞬間に、指先で微かな魔力を弾いた。
彼女のボロボロの魔導書に、一瞬だけ『自己修復』の術式を上書きする。泥は消え、破れた頁は元通り以上に輝きを取り戻したはずだ。
「……えっ?」
背後で驚愕する彼女の声を無視し、俺は教師に促されるまま、重厚な学園長室の扉をくぐった。
部屋の中は、かつての俺の趣味とは正反対の、煌びやかで成金趣味な装飾に溢れていた。
だが、部屋の主であるアルスだけは、その豪華さに不釣り合いなほど、張り詰めた殺気を放っていた。
「……下がっていろ。この少年と二人で話す」
アルスの低い声に、案内役の教師は慌てて退室した。
広い部屋に、俺とアルスの二人きり。
窓の外には学園の全景が広がり、夕闇が迫りつつある。
「……さて。シオン・ベルトランド。そう名乗ったな」
アルスはデスクから立ち上がり、ゆっくりと俺に歩み寄った。
その歩幅、重心の移動。……かつて俺が教えた『縮地』の基礎が、いまだに彼の癖として残っている。皮肉なものだ。
「測定場での一件、教師たちは『測定器の故障』や『君のインチキ』だと断じた。だが……私の目は誤魔化せん。あの瞬間、君が流し込んだのは、単なる魔力の塊ではない」
アルスの瞳が鋭く光る。彼は俺の喉元に、音もなく「不可視の魔力刃」を突きつけた。
普通の学生なら、このプレッシャーだけで失神するだろう。
「……あれは『連鎖増幅』。千年前、この学園を創設した『あのお方』が編み出し、そして私にさえ完全には伝授してくださらなかった、神域の術式だ。なぜ、辺境の子供である君が、それを使える?」
ほう。少しは見込みがあるようだな、アルス。
だが、ここで「俺が師匠だ」と言っても信じるはずがない。それどころか、今の俺の計画――「学園を内側から査察し、腐敗を根こそぎ掃除する」というドッキリが台無しになる。
俺はあえて、怯えたふりなどせずに、淡々とした口調で答えた。
「学園長先生。それは買い被りすぎですよ。私はただ、家にあった古い古文書を真似て、少し魔力を流しただけです。……『連鎖増幅』? 何のことか分かりませんね」
「嘘をつくな! あの美しく、かつ暴力的な魔力の流れ……! あれを『偶然』で再現できるはずがない!」
アルスの魔力刃が、俺の皮膚の表面を微かに掠める。
だが、俺は瞬き一つせず、彼の瞳を真っ直ぐに見返した。
「……もし私がその『創設者』の関係者だとしたら、今頃もっと豪華な食事を要求していますよ。見てください、この薄っぺらい制服。私は、この学園で静かに学びたいだけの、しがない編入生です」
「…………」
アルスは沈黙した。
彼の目には、疑念と、それ以上に「一筋の希望」のような色が混ざっている。
彼は千年の間、孤独だったのかもしれない。俺の死後、歪んでいく学園を一人で守り続け、絶望していたのかもしれない。
(だが、甘やかすのはまだ早い。お前がこの学園の現状を『放置』している事実は変わらないからな、アルス)
アルスはやがて、突きつけていた魔力刃を霧散させた。
彼は深くため息をつき、椅子に深く腰掛けた。
「……いいだろう。今の君の言葉を、今は信じたふりをしておこう。だが、監視はつける。もし君が学園に不利益をもたらす存在であれば、私の手で処分する」
「光栄です。……ところで、学園長先生。一つ、ご相談が」
「……なんだ?」
「私は『魔力ゼロ』という判定になっています。そのため、寄宿舎も最下層の、いわゆる『ゴミ溜め』のような場所を割り当てられました。……そこから学園の『真の姿』をじっくり観察させてもらっても構いませんよね?」
アルスは怪訝そうな顔をしたが、短く「好きにしろ」とだけ答えた。
学園長室を出た俺は、薄暗い廊下を歩きながら、一人でほくそ笑んでいた。
(さて、アンダーカバー・ミッションの開始だ。学園長(弟子)は疑っているが、確証は持てていない。生徒たちは俺を無能だと見下している。……最高じゃないか)
俺が向かうのは、学園の北端にある、崩れかけた旧校舎の寮。
そこには、先ほど助けた少女のような、才能がありながら身分によって虐げられている生徒たちが集められているはずだ。
(まずはこの学園の『一番低い場所』から、掃除を始めるとしよう。……覚悟しておけよ、腐れ貴族共。創設者の査察は、思いのほか厳しいぞ?)
俺の足取りは、かつて魔神を討伐しに向かった時よりも、どこか軽やかだった。




