娘が謂れなき罪で婚約破棄されたそうなので、絶対に無実を証明します。
「申し訳ありません、お母様……」
ラベンダーのような紫色の髪をした一人の少女が、今にも泣き出してしまいそうな表情で言葉を続ける。
「テオドラス様に……婚約破棄を、告げられてしまいました……」
少女にお母様と呼ばれた、同じ紫色の髪を持つ女性——辺境伯夫人のクロディーヌは、怒りのあまり手に持った扇を手に痕がつくほど強く握り締めた。
(なんと不甲斐ない……!)
だが、クロディーヌは努めて冷静に問いかける。
「……それで、不貞行為と嫌がらせとやらは、本当に行ったのですか?」
クロディーヌにそう問われた少女——リタは、力強く首を横に振る。
「断じて行ってなどおりません!」
「そう……」
クロディーヌはそう呟き、リタに向かって安心させるように微笑む。
「今日はもう休みなさい。辺境伯様には、わたくしから伝えますわ」
そう言って、クロディーヌはリタの後ろに控える従者と目配せをした。
リタの背中を見送り、クロディーヌは辺境伯のいる書斎へと踵を返す。
その足音には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
(本当に不甲斐ない……! リタに、あのような顔をさせるなど……!)
クロディーヌが怒りを抱いたのは、リタに対してではない。
クロディーヌは、自分自身に憤っていた。
(婚約破棄を告げられて、最も傷つき、悲しみ、苦しんでいるのは紛れもなくリタでしょうに……!)
クロディーヌははらわたが煮えくりかえるような思いを抱きながら、リタとのやりとりを思い返す。
リタは今日、学園の卒業パーティーに卒業生として出席していた。
婚約者である公爵令息のテオドラスにエスコートされ、一生ものの思い出を胸に晴れやかな表情で帰ってくるとクロディーヌは思っていた。
だが現実は、婚約破棄という傷を胸に絶望した表情で帰ってきた。
(不貞行為と嫌がらせ? 心優しいリタが、そのようなことをするはずがないでしょう!)
いつの間にか書斎にたどり着いていたクロディーヌは、深く息を吐き心を落ち着ける。
そしてドアをノックし、中にいる辺境伯へ呼びかける。
「辺境伯様、クロディーヌでございます」
「……入れ」
感情の乗らない平坦な声。
だが、それはいつものことだ。
「……失礼いたします」
クロディーヌは扉を開ける。
「鉄仮面の辺境伯」
社交界でその異名で知られているオディロンは、相変わらず無表情のままクロディーヌを迎えた。
「何の用だ」
視線を手元の紙に落としたまま、オディロンはクロディーヌに問う。
「リタのことです」
クロディーヌはパシンと扇を鳴らし、口元を隠して続けた。
「先ほど、テオドラス公爵令息から婚約破棄を言い渡されたと報告がありました」
オディロンは、ほんの一瞬だけ手を止めた。
だが——
「……そうか」
そう、一言呟くだけだった。
「……それだけ、ですか?」
「事実確認は取れたのか」
「本人が、断じて行なっていないと申しました」
初めてオディロンがわずかに顔を上げる。
感情の読めない瞳が、じっと彼女を射抜く。
「……君はどう思う」
「決まっています」
クロディーヌは即答する。
「娘がしていないと言うのです。親であるわたくし達が信じずに、誰が信じると言うのですか」
書斎に張り詰めた沈黙が落ちる。
「……わたくしは、リタの無実を証明してみせます」
「……君がか?」
その言い方に、クロディーヌの眉がピクリと動く。
「ええ。それでは失礼します」
それ以上言葉を交わす気はなかった。
クロディーヌは踵を返し、足早に書斎を後にする。
——あの人は、いつもそうだ。
何を考えているのかわからない。
怒りも、悲しみも、喜びも、決して表に出さない。
(……けれど、今は構っていられません)
クロディーヌは、真っ直ぐにリタの部屋へと向かった。
部屋の前に立つ従者に声をかける。
「リタの様子は?」
「表には出されませんが、落ち込んでおられます」
「……そう」
コンコンと、なるべく優しくノックする。
「……どうぞ」
少し間をおいて、中から声が聞こえる。
扉を開けると、リタはベッドに腰掛けていた。
背筋を伸ばし、涙をこらえ、気丈に微笑もうとしているのが、痛いほどわかる。
「お母様……ごめんなさい。私のせいで……」
それでも段々と弱くなる声色に、クロディーヌの胸が締め付けられた。
俯いてしまったリタに、クロディーヌは最大限の優しさを込めて声をかける。
「……確かに、わたくしはあなたにいつもこう教えていました」
クロディーヌは、リタの前にしゃがみ込む。
「涙は人前で見せてはいけない。何者にも侵せぬよう強くありなさい。自らを助けるのは、いつだってそういう強い自分なのだから」
リタは黙って頷く。
「でももう一つ、あなたに教えていたことがあるでしょう?」
「……それでも、どうしようもない壁にぶつかったら……」
リタの声が、震える。
「お母様を、頼りなさい」
「その通り」
クロディーヌは、そっと娘を抱きしめた。
「わたくしはいつでも、どんな時でも、あなたの味方ですから」
その温かさを一身に受け、堰を切ったようにリタの涙が溢れ出す。
「お母様……私を……助けてください……」
「ええ。当たり前ですわ」
リタは、子供の頃のように声を上げて泣きじゃくった。
クロディーヌはその背を抱きしめながら、静かに決意する。
(必ず……無実を証明してみせる)
◇ ◇ ◇
噂はすでに流れている。
クロディーヌは、感情のままに動くことはしなかった。
怒りはある。悔しさもある。
だが、それら全てを胸の奥に沈め、冷静さという蓋をした。
——感情で動く者ほど、相手に付け入る隙を与える。
まず向かったのは、リタが通っていた学園だった。
卒業パーティの裏で何が起きたのか。
誰が、いつ、何を見たと言っているのか。
「不貞行為を目撃したと証言しているのは……」
クロディーヌは、手元にある書き留めた紙に視線を落とす。
「子爵令息のアルフォンス・レミエール、ただ一人」
それだけだった。
複数の証言があるわけでも、確かな物証があるわけでもない。
ただ一人の「見た」という言葉だけで、リタは断罪されたのだ。
(……随分と、軽い)
クロディーヌは学園の職員、警備、司書、生徒——
可能な限り多くの人間から話を聞いた。
その結果、浮かび上がってきた奇妙な事実だった。
「リタが不貞行為を働いた際の相手の名前を誰も知らない」
それでも、公爵令息という立場のテオドラスの言葉は重い。
重さのある言葉は、劇的な演出があれば事実を容易く飲み込んでしまう。
(……これは、偶然ではない)
そうクロディーヌが確信し始めていた。
そんな時。
「あら、あなたもしかして、あの有名な辺境伯のご夫人様?」
後ろからかけられた声に振り返る。
そこにいたのは、リタからの嫌がらせの被害者とされる人物、テオドラスの新たな婚約者である男爵令嬢——フェリア・グオーロだった。
「娘さんの評判、随分と悪いですわね」
「……事実無根ですわ」
「そうかしら?」
令嬢は肩をすくめる。
「まあ、無実の証拠などないでしょうし。社交界とはそういうものですもの」
余裕の笑みを見せるフェリアへ、クロディーヌは鋭い視線を投げた。
「……覚えておきなさい。真実は、必ず明らかになります」
「……まあ、怖い」
笑みを崩さず、フェリアはクロディーヌに背を向けてその場を去る。
クロディーヌは、その背中を見えなくなるまで見つめていた。
嵐のように荒れ狂う激情をかぶりを振って追い出し、今度はアルフォンス・レミエールに会うために歩き出す。
彼はすぐに見つかった。
中庭で本を読んでいた彼は、思った以上に誠実そうな少年だった。
「突然ごめんなさい。あなた、アルフォンス・レミエール子爵令息でお間違いなくて?」
突如かけられた言葉にピクリと肩を揺らし、少年は顔を上げる。
「……そうですが……あなたはもしかして、クロディーヌ辺境伯夫人でしょうか」
少年は紫色の髪を見てそう言った。
「ええ、そうです」
「……何のご用でしょう」
少年は瞳に警戒の色を滲ませる。
「少し、お話を聞きに来たのです」
「……リタ嬢のことでしょうか」
「その通りです」
アルフォンスは深く息を吐き、本を閉じてクロディーヌに向き合う。
「何を聞きたいのでしょう」
「テオドラス公爵令息に証言した内容を教えてください」
「……わかりました」
そう言って、アルフォンスは語り出した。
「あれは少し肌寒い日の夜でした。僕は、校舎裏にある体育館に用があってその場所へ向かっていました。その時、使われていない倉庫に男子生徒と共に入るリタ嬢を見たのです」
……それだけでは、不貞の証拠にはならない。
だが、
「それを、リタが否定したのですね」
アルフォンスは首肯する。
「証言が食い違えば、当然調査が入ります。そして、件の倉庫で紫色の髪が見つかったのです。ラベンダーのような紫色の髪は、この学園ではリタ嬢しかいません」
「なるほど……」
そこでふと、クロディーヌは違和感に気づく。
「リタの姿を見た、とおっしゃっていましたが、その時は夜だったのですよね? 暗さで見間違えたという可能性は?」
クロディーヌの問いに、アルフォンスは首を横に振った。
「月明かりで煌めく紫色の髪がはっきりと見えました。見間違えようもありません」
「……髪を見た、のですか? 後ろ姿などではなく」
「……? ええ、そうです」
クロディーヌは顎に手を当て深く思案する。
「……ところで、あなたは体育館にはどのような要件で?」
「確か……僕が無くした生徒手帳を、体育館で見たという情報を聞いて——」
「誰に言われたのですか?!」
「え、えっと……フェリア様です」
その答えを聞き、クロディーヌは一つの結論に至る。
これは、罠だ。
それも、悪意にまみれた。
沸々と湧き上がる怒りを、努めて冷静に抑え込む。
「……お時間をいただき、ありがとうございました」
アルフォンスに礼をし、クロディーヌは踵を返す。
(でも、問題が一つ……)
確固たる証拠がない以上「企まれた罠」であると断じるには決定打に欠ける。
(……婚約パーティ)
その場であれば、全てを白日の下に晒せる。
テオドラスの前で。
公爵の前で。
社交界の人間全ての前で。
クロディーヌは静かに覚悟を決める。
(……不貞行為については輪郭が見えた)
だが、もう一つ。
残っているのは、より厄介な疑惑。
「テオドラスの新たな婚約者でもある、男爵令嬢を虐げていた」
だがこの言葉は、噂としてはあまりに都合が良すぎる。
クロディーヌは次に、フェリアについて調べ始めた。
学園内での評判。
人間関係。
過去のトラブル。
すると、興味深い話が出てきた。
「その方……少し、被害者意識が強いと申しますか」
「自分が不利になると、すぐに周囲の同情を集めようとされてました」
さらに。
「リタ様と二人きりのお姿をお見受けしたことはありませんね」
「いつも誰かが同席していたと思います」
嫌がらせを行うには、あまりにも人目が多い。
だが——
(決定的な証拠が、ありませんわね……)
「してない」ことを証明するのは、「した」ことを証明するより遥かに難しい。
クロディーヌは唇を噛む。
証言はある。状況証拠もある。
だが、それだけでは強引な反論を受けた時押し切られる可能性がある。
(……それでも)
クロディーヌは拳を握りしめる。
不貞の無実の証明は目処がたった。
嫌がらせについては——婚約パーティという公の場で勝負するしかない。
「待っていなさいテオドラス、そして……フェリア」
その声は、怒りを滲ませながらも静かだった。
◇ ◇ ◇
華やかな音楽と笑い声が満ちる、公爵家主催の婚約パーティ。
祝福の場であるはずのその会場に、重苦しい空気が走ったのは、突如として扉が開いた瞬間だった。
「失礼いたします」
凛とした声。
クロディーヌとリタが堂々と姿を現す。
ざわめきが一斉に広がる。
「辺境伯の……?」
「なぜここに……」
私兵が素早く動き、二人を囲む。
正面に立つテオドラスが、横にフェリアを侍らせながら不快感を隠さずに吐き捨てる。
「……よくもぬけぬけと顔を出せたな」
その威圧感に、リタの身体が強張った。
それを感じ取ったクロディーヌは、そっと娘の背に手を当てる。
——大丈夫。
リタは小さく息を吸い、母を見て頷いた。
「自らの恥を晒しにきたか?」
「いいえ」
リタは、一歩前に出た。
「私は、私の無実を証明するために来ました」
その宣言に、再び私兵が動き取り押さえようとする。
だが——
「いい。そこまで言うのならやってみせろ。無実の証明とやらをな」
嘲るように吐き捨てたテオドラスが、私兵の動きを止めさせた。
「では、わたくしから」
クロディーヌが一歩前に出る。
「まずは一つ目の、『リタが不貞行為を働いた』と言う疑惑から」
周りは皆、固唾を呑んで見守っている。
「これは、目撃者がいるというお話でしたよね」
「そうだ。そこにいるアルフォンスが証言した」
テオドラスが顎をしゃくり、窓辺に立つアルフォンスを示す。
「では、レミエール子爵令息。その日のことを、正確に、かつ詳細にもう一度この場でお願いできますか?」
「わかりました」
会場の中央へと歩を進めたアルフォンスは淀みなく話し始める。
「あれは肌寒い夜のことでした。私は、無くした生徒手帳を体育館で見かけたという情報を聞き、校舎裏に向かいました。そこで、見たのです。使われていない倉庫に、男子生徒と二人で入って行くリタ嬢を」
証言を聞き、テオドラスが補足する。
「リタはそれを否定したが、倉庫からリタの髪が見つかっている。ラベンダーのような紫色の髪がな」
テオドラスは勝ち誇ったように口角を吊り上げる。
しかし、クロディーヌは冷静にアルフォンスへと問いかけた。
「レミエール子爵令息。お聞きしますが、その夜に見たのは本当にリタで間違いありませんか」
「……間違いないと思います。あの時、月明かりに光る紫色の髪を見ましたので」
その瞬間、パシンと音を鳴らしクロディーヌが扇を広げる。
「では、あなたが見たのはリタではなく——リタの髪、だったのですね」
「ええ、そうです」
その言葉を聞き、クロディーヌはレティキュールから「紫髪のカツラ」を取り出した。
それを見たテオドラスが大きく目を見開く。
「なぜお前が——っ?!」
我が意得たり、と。
クロディーヌは扇の奥で口に弧を描いた。
「レミエール子爵令息。あなたが見たのは、この髪だったのではありませんか?」
「……正直、わかりません」
クロディーヌにとってはそれだけで十分。
ここにいる全員が共通して、「リタが誰かに嵌められた可能性」が脳裏によぎれば。
「……私はその日、倉庫になど行っておりません……私は、不貞行為などしておりません……!」
リタがテオドラスを見上げ、力強くそう言った。
声も震わせず、真っ直ぐに立つ彼女を見て、テオドラスは歯噛みする。
しかし、それも一瞬のこと。
気を取り直すように、テオドラスは薄ら笑いを浮かべた。
「はっ。だが、お前がここにいるフェリアを虐げていたのは事実。貴様の罪は晴れてはいない!」
テオドラスは腕を大げさに横に振り、リタとクロディーヌを糾弾する。
「では、その二つ目に参りましょう」
あくまで自信に満ちているように。
そう見えるように堂々と、クロディーヌは正面切って相対する。
「娘はグオーロ男爵令嬢とお会いする際、常に第三者が同席していたことが確認されています。当然、学園の記録にも残っています」
一呼吸起き、言葉を続ける。
「虐げられていた、というのはあくまでグオーロ男爵令嬢の証言であり、誰一人としてその事実を確認しておりません」
しん、と会場に沈黙が降りる。
それを破ったのは——くつくつというテオドラスの低い笑い声だった。
「……それがどうした」
テオドラスは両の口の端を吊り上げる。
「人目を避けた場での嫌がらせまでは、否定できないだろう?」
確信を持って、テオドラスは続ける。
「礼拝堂の地下回廊、寮と学園を繋ぐ非常用階段……ああいう場所での出来事まで、否定できると言うのか?」
「……もちろんです。それらの場所は、学園の記録に——」
「では、旧校舎裏の温室跡は?」
「……っ」
クロディーヌは言葉に詰まる。
「あそこは普段使われず、かつ出入りの記録は残らないだろう?」
否定が、できない。
疑念が再び会場を覆い始める。
リタの指がきゅっと握り締められる。
クロディーヌの胸にも焦りがよぎる。
——その瞬間。
バン、と扉の開く音が響いた。
「……間に合ったか」
そして次に、低く落ち着いた声が場を満たした。
「……辺境伯様……?」
その声の主は、オディロンだった。
彼は一瞬だけクロディーヌとリタに視線を向けた後、公爵の前に分厚い書類を差し出す。
「グオーロ男爵令嬢の元侍女と、学園関係者からの証言です。ご確認を」
有無を言わさぬ圧を含んだ声音に、周りの人々までもが唾をひくりと鳴らす。
公爵がそれに目を通している間、オディロンはテオドラスへと体を向ける。
「旧校舎裏の温室跡、だったか?」
その目には、冷ややかなものが宿っている。
「確かにあの場所は普段使われず、出入りの記録は残らない。だがそれは、学生用の行動記録に含まれないというだけだ」
次の言葉を強調するように、オディロンは一拍置いた。
「その代わり、巡回記録と封鎖確認記録が存在している」
ざわりと会場がどよめく。
「これは誰が入ったかではなく、誰も入っていないことを確認するための記録だ」
あくまで冷静な、淡々とした口調で事実を告げる。
「それには、過去数年に渡り何一つ異常も無く、封鎖も解かれていないと記されている」
その声にテオドラスは完全に気圧され、口をぱくぱくとさせるだけだ。
「……テオドラス」
そしてテオドラスが何かを言う前に、公爵の声が会場を支配する。
「……辺境伯が持ってきたこの資料にはこう書かれている。『被害者を演じ公爵家と婚約するために、虚偽の報告書を提出した』と」
「馬鹿な……?!」
全員の視線が、一斉にフェリアへと向かう。
「ち、違います……!」
フェリアは胸に手を当て、訴えるように捲し立てる。
「わ、私は怖かっただけで……リタ様に睨まれて、周囲の方々にも冷たくされて……でも——」
「黙れ」
だが、公爵の短く低い声に遮られる。
「お前が何を言おうと、虚偽の申告をしたことには変わりはない。それと——」
公爵はゆっくりとテオドラスへと視線を移す。
その眼光には、人々の上に立つ公爵たる重圧が宿っていた。
「テオドラス。お前には後で話がある。……決して逃げられるとは思うなよ」
その圧に屈するように、テオドラスは蒼白になった顔で膝をついた。
「辺境伯」
公爵は、深く頭を下げた。
この公衆の面前で、はっきりと。
「我が家の不始末、心より詫びる」
「……受け取りましょう」
オディロンは静かに答えた。
こうして、婚約パーティは祝福ではなく断罪の場として終幕した。
◇ ◇ ◇
——その後。
辺境伯宛に届いた手紙には、「テオドラスは公爵家の後継の座を剥奪され、地方領へ追放。フェリアは虚偽申告の責任を問われ修道院送りになった」と書かれていた。
クロディーヌとリタは、オディロンの書斎でその手紙を読んでいた。
無論、その場にはオディロンもいる。
彼は相変わらず手元の紙に視線を落としていた。
手紙を読み終わったタイミングで、静かに椅子を引く音が鳴った。
立ち上がったリタが、少しだけ迷うように視線を彷徨わせてから父の前に立つ。
「……辺境伯様」
そう呼びかけてから、リタは一瞬唇を噛む。
「……いえ、お父様」
オディロンの手が、わずかにピクリと動いた。
リタは、深く頭を下げる。
「ありがとうございました。助けてくださって」
しばしの沈黙。
やがて、オディロンはいつものように感情を表に出さない声音で言った。
「……当然だ」
それだけだった。
だが、リタが顔を上げた時そこにあったのは、いつもよりわずかに和らいだ表情だった。
リタは一瞬驚いたように目を見開き、それから小さく微笑んだ。
そして何も言わず、彼女は一歩下がる。
今度はその様子を見守っていたクロディーヌが、ゆっくりと立ち上がる。
「辺境伯様」
呼ばれ、オディロンは視線をクロディーヌへ向ける。
「申し訳ありませんでした」
「……何がだ?」
「辺境伯様を、誤解してしまっていたことです」
クロディーヌは真摯に頭を下げる。
「リタが婚約破棄をされたと報告した時、わたくしは薄情な方だと思ってしまいました。でも——」
クロディーヌは頭を上げ、オディロンの目を真っ直ぐに見据えて続ける。
「辺境伯様は、助けに来てくださった。それが、どれだけ嬉しかったか……」
微笑みを浮かべるクロディーヌを見て、オディロンは相変わらず平坦な声で言う。
「違う。私の言葉が足りなかったのだ。すまなかった」
だが、その言葉には確かな感情が乗っていた。
今度は、オディロンがクロディーヌとリタの姿を見据えて続ける。
「これからは、もっと伝えるようにする。君を、リタを、愛していると」
クロディーヌの胸が高鳴った。
「私も、愛しています。お父様」
「……ああ」
リタが満面の笑みを浮かべる。
それに続くように、クロディーヌも口を開いた。
「……私も愛しておりますわ。……オディロン様」
「……初めて名前を呼んでくれたな」
「あら、そうでしたか?」
「そうとも」
オディロンは立ち上がり、そっと距離を詰めた。
クロディーヌは、それを拒まなかった。
静かな口づけが、二人を結ぶ。
それは、家族の絆が確かにそこにあることを示す証だった。
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