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この電脳都市に錆びついたキスを  作者: 愛上おかき


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Ch.1-2-5 Conglaturations

  ◇2326年10月11日(土) 16:57


 ——スラムがこんなにも美しいだなんて、知らなかった。

 顔にかかり、思わず目がすがむ夕日。

 生きているからまとえる、ツンと刺すような酸っぱい臭い。

 生命力しか感じない罵り声。

 口の中の苦みも、歩くだけでなにかにぶつかるこの道も、全てが美しい。


 淀んだ、でも地下室よりかは遥かに澄んだ空気を思いっきり吸う。

 すっかりスラムに適応したのか、深呼吸一つで体中にエネルギーが満ち満ちていくのを感じる。

 

 どこまででも歩いていけそうだ。

 きっとメガコーポの本社が立ち並ぶ、シティの中心部まで行けるだろう。

 

 歩いていると妙に左に傾く。ああ、そうか。

 左腕がない。

 今気づいたが、切断面の少し上に止血バンドが巻かれてる。

 どおりで失血死してないはずだ。

 腕を切り落とすくせに、殺しはしない。

 変な気遣いに変な笑いが出た。


 痛みも感じない。

 いや、痛みはあるのだろうが、痛覚が麻痺したのか何も感じない。

 過電流と同じだ。ヒューズが飛んで回路が麻痺したのだ。

 恐怖も同じ回路だったのか、いまは開放感しか感じない。


 ここはどこだろう? 見たことも来たこともない場所。路地裏。きっと以前だったら、強制送還させられているはずだ。


 だがそんなことは起き得ない。

 今の俺に話しかけるようなやつはいないだろう。

 いるとすれば相当のバカか、自殺志願者だ。


 だがえてして相当のバカというのは、こういう時に出会うものだ。


 眼の前にはアホ面の五人組。

 極彩色のモヒカンや、安っぽいクロームメッキで顔を覆った男、その他エトセトラが俺の道を塞いでいた。


「おいおい、クソガキよぉ。ここは俺たちのシマだぜ?」

「迷子でちゅか? 腕も失くしちゃったみたいでちゅね?」

 ゲラゲラと雑音が響く。どうやら「私はバカです」、と顔だけではなく音でも自己紹介をしてくれたらしい。

 少しだけおセンチになってる俺をビビっていると勘違いし、犬の威勢が良くなる。


「三回まわってワンって言ってみろや、クソガキ」

「その後金目のモノ置いてとっとと消えな」

 右腕はいいぞ、と別の男が叫び、また下品な笑い声があがる。

 安い香料と汗の臭い、その裏にある強い生命力が鼻を突く。


 俺は何も感じない。

 ⋯⋯いや、嘘だ。俺はコーディングがうまくいかないような、つまり自分の思い通りにいかないことに対する怒りが湧いてくるのを感じた。


 OK、冷静になれ俺。じゃれついてきた子犬に腹を立てるのは大人気ないだろう。

 俺は努めて冷静かつ丁寧に言った。


「ボケ、カス、ドブ。退いとけ雑魚が」

 スラム育ちには俺の言葉は綺麗すぎたらしい。

 全員同時に青筋を浮かべ、一瞬で怒りの形相に変わった。


「殺す!!」

 よだれと汚言を撒き散らしながら、男たちはそれぞれの得物を取り出す。

 バタフライナイフ、マチェット、メリケンサック、警棒——そして拳銃。

 ちょうど真ん中の男がバタフライナイフを持ち、大げさなアクションで振りかざしてくる。


 遅い。

 ダイヤルアップ通信のほうがマシだと思うくらい、遅い。

 VRの人形よりももっと。デイヴィスと比較したら、まるでコマ送りの映像だ。

 俺は一歩踏み込み、ナイフを持った男の手首を巻き込むように掴む。

 手首は俺が固定したまま、男は勢いよく突っ込んでくる。

 するとどうなるか。


「ぎゃあぁあぁあ!?」

 男の手首は許容範囲を超えて曲がり、小気味いい破壊音が鳴る。

 勢いのままにタックルをぶちかます。

 男は壁に突っ込んで動かなくなった。

 落ちてきたバタフライナイフを、俺は左足で蹴り上げて掴んだ。


 雄叫びをBGMに、三人が一斉に襲いかかってくる。

 連携は取れていない。俺に届くタイミングはバラバラ。

 一番の脅威の拳銃持ちは一人立ち止まり、セーフティ解除にもたついている。

 いままで脅しでしか使ったことがないのだろう。


 マチェットの振り下ろしを避けて、上腕の裏を斬りつける。

 そのまましゃがみ込みながら膝裏の健を断ち切り、男は支えを失って倒れ込んだ。トドメに後頭部を殴っておく。

 メリケンサックで殴りかかってきた男は、勢いのまま足払い、地面に叩きつける。ついでに頭を蹴っておくことも忘れない。


 警棒持ちは⋯⋯逃げてる。小賢しいが正しい判断だろう。

 仲間を呼ばれたら面倒だが、もうどうでもいい。


 俺は拳銃を持った男に向き合った。

 男は完全にビビってパニック状態だ。

 手に持っている拳銃のモデルからセーフティは右側なのに、それに気付かず、慌ててる。


 ナイフを投げ捨て、男の腹を殴った。

 前のめりになる男に膝蹴りを食らわすと、安物メッキの破片が飛び散り、拳銃も投げ出される。


 路地裏に立っているのは俺だけで、四人が倒れてる。

 死んではいない。だが、もう戦えないだろう。

 転がってる拳銃を拾うと、俺は萎れた心が元の形に戻るのを感じた。


 呼吸は乱れてない。負った傷もない。

 圧勝だ。VRでもなし得なかったことを現実でやってのけた。


 ——俺は、強い。

 数週間前とは比較できないほどに。

 そうだ、俺は強い。デイヴィスがバグなだけで、俺は負けない。

 一人でもやっていける!


 思わず口角が上がる。

 そうだ、まずは転がってるこいつらから金を巻き上げよう。

 そうしたら新しい義手を手に入れて、仕事を探せばいい。

 泊まるところも最悪ナオミに献血でもすれば断られはしないだろう。

 そして——。


「ほう。随分と楽しそうじゃないか」

 最も聞きたくない声が背後から聞こえた。


  ◇2326年10月11日(土) 17:40


 背筋が凍りつく。脳みそごと一気にフリーズ。

 振り返りたくない。

 心とは裏腹に、体は勝手に反応して後ろを見る。


 路地の入り口。逆光の中に、ジャケットを羽織ったデイヴィスが立っていた。

 まるで散歩のついでに見かけたかのような、自然な立ち姿。それが余計に恐ろしい。


 なぜここが? いつから? 俺をどうする気だ?

 動きの鈍い思考はネガティブループから抜け出せない。


「デ、デイヴィス⋯⋯」

 答えない。俺に近づいてくる影は俺の手から拳銃を取り上げた。

 地面から聞こえるうめき声は、俺の心を代弁してくれている。


 無言で取り上げた拳銃の点検を始めるデイヴィス。

 マガジン装填数、チャンバーチェックを手慣れた仕草で完了する。

 流れるようにセーフティをカチリと外し、銃口を俺に向けた。


「お前は何をしたい?」

 銃を向けられるのはこれが二度目。今度は本気だ。

 心音が聞こえる。だが不思議と鼓動は緩やかに刻まれている。

 自分ではどうしようもない圧倒的な存在。自然現象と一緒だ。

 それを前にすると人は諦めがつくのかもしれない。


「お前は何をしたい?」

 再度問われる。

 これが最後だろう。

 だが、脳は凍ってる。頭は働かない。見えない左腕が疼く。

 だから俺のいままでを無視して、今を形作る左腕がない俺が答えた。


「俺は⋯⋯あいつを殺したい」

 ——体に熱が戻ってきた。

 忘れていた左腕の傷が沸騰し、痛みが生を主張する。

 分子が動かない世界から解放され、パンクのシャウトのように全細胞が反逆する。


 そうだ。忘れることなんてできない。

 俺は、あいつを、あの紅い目の男を殺すために生きているんだ。


 まっすぐ前を向く。

 そこにいるのは死なんかではなかった。

 ただのタバコ好きで掃除ができず、俺を救ってくれた男がいるだけだ。


 隻眼と目があう。

 初めて優しさと悲しみを感じた。


 目線が切られる。追うと、足元で転がっている男たちを見ていた。


 確信めいた予感がする。

 初めてデイヴィスとあった時と同じ、人生の分かれ道。


 パンッ。


 乾いた音が儀式の始まりだった。

 途切れることなく発せられていた雑音が一つなくなり、少しだけ静寂がよぎる。

 直後、か細い悲鳴。


「や、やめてくれ⋯⋯た、助け、許して⋯⋯」


 パンッ。


 更に路地裏は静かになった。

 ノイズを発するのは、あと二つだ。

 動くのに不自由な体を必死にくねらせ、痛々しい。


 デイヴィスが俺に銃を渡してくる。

 さっき俺が持っていたものと同じ物なのだろうか?

 重いのか軽いのかよく分からない。

 

 一つ分かるのはただの鉄とプラスチックの塊だということ。

 熱を持った体を冷ましてくれる、無機物。


 耳が音を切ってくれた。良かった、これで何も聞かずに済む。

 地面に転がる二つはVRの人形より少し生々しい。

 口をパクパクさせて滑稽だ。

 何を言ってるかは分からない。


 自分が何をすべきなのか、やり方は知ってる。

 照準を合わせて、引き金を引くだけ。

 銃越しに、涙と鼻水とよだれが顔中を覆っている男と目があった。


 引き金が重いのか、自分の指が凍っているのか。

 初めては、力任せがいい。


 パン。

 手に衝撃。

 

 視線を右へ。ああ、こっちはもっとひどい。漏れているのか赤ん坊の匂いがする。

 綺麗に始末しよう。


 パンッ。

 手に衝撃。


 音が戻る。

 世界は相変わらず美しかった。

 地面には赤い花が四つ咲いている。

 ——数週間前、左腕を失った時にみた光景が蘇る。


 デイヴィスが俺の肩に手を置く。優しく拳銃を取られ、あっという間に解体される。銃だったものは地面に投げ捨てられた。


「今日は帰って寝ろ。明日起きたらナオミのところに行って左腕をつけてもらえ」

 デイヴィスはタバコの匂いをまとっていた。スモーキーで干し草みたいで、少し甘い。

 もう一度肩を叩かれ、デイヴィスは俺を置いて歩き出した。

 途中、思い出したかのように振り返り、言った。


「Conglaturations」


 俺は吐いた。


  ◇2326年10月11日(土) 22:33


「やりすぎよ、バカ」

 薄暗いモニターの光に照らされた診察室で、ナオミが呟く。

 画面には、路地裏での一部始終が映されている。いや、路地裏だけではなく、地下室の訓練の様子も全て。

 デイヴィスがカメラをハッキングしてログを取っていたのだ。


「うちに来たときもゲロまみれで最悪よもう。そもそもここまで追い詰める必要があった?」

「あいつはHelixに狙われてる。少しでも自衛できるようになるためには、早めに童貞を捨てる必要があった」

 ——意味はないかもしれないがな。

 デイヴィスはタバコを燻らせている。紫煙がモニターの光を遮った。


「あとは経験人数だけってことかい。⋯⋯それにしても、やっぱり異常な適応速度ね」

 ナオミのメガネが光り、ジークの脳波データとCCIの同調率グラフを呼び出す。


「あの子の異常値は知ってたけど、やっとマッチする例えが見つかったわ。あれは巨大なデータベースね。それもあらゆるデータファイルに対応した」

「データベース?」

 ナオミがディスプレイを撫でる。ログが土砂降りの雨のように落ちていく。


「これ全部、飲み込める脳ってこと」

 ナオミがロックグラスをあおり、一息つく。


「前はブラックホールって言ったけど、あの子の場合、一歩通行じゃないの。普通の人なら鼻の穴にスイカを出し入れできないでしょ? でも、ジークはそれができちゃう。理論上は全てのデータに対応していつでも取り出せる」

 おかげでうちのディスクがパンクしたわ、エクサバイトも処理できるのに、とナオミがボヤいた。

 不満を顔に浮かべていたナオミだが、ふと真面目な顔に変わる。


「で? Helixはこの子を使って何がしたいのかしらね?」

 鋭い目がデイヴィスを捉える。流石にスラムで長年暮らしているだけあり、危機察知能力には長けていた。

 

 デイヴィスは喋らない。その表情からも何も読めない。

 しばらく続いた緊張の糸は、ナオミの方から断ち切った。

 再びいつもの何を考えているかわからない、おちゃらけた顔に戻る。


「まあ私はお金とインプラントがあればなんでもいいけどね〜。面白いデータもいっぱい取れたし」

 あなたには借りもあるから聞かないでおいてあげる。

 口には出ない言葉は、ナオミの胸の中に仕舞われた。


 デイヴィスは短く鼻を鳴らし、立ち上がった。

「お前がいて助かった、ナオミ。礼を言う」

「お礼をいうなら金かガジェットをくれ〜」


  ◇2326年10月11日(土) 23:10


 デイヴィスは店を出た。

 眠ることを知らないザ・シティのスラムを、迷いなく歩いていく。

 

 揺れる煙が夜空に消えた時、懐からこの時分には珍しい写真を取り出した。

 どこかの壁に貼られていたもの。


 写真には同じ戦闘服を着た、二人の男が写っている。

 今よりもっと若いデイヴィスと、ジークより少しく見える青年。

 不機嫌そうなデイヴィスとは対照的に、青年は笑っている。


 デイヴィスは写真にタバコの火を近づけた。

 心を映すようにゆっくりと。

 

 煙が写真を燻し、写真そのものが熱を持ち始める。

 しかし、華氏四五一度になる前に、デイヴィスは懐にそれを戻した。


「——ゴライアス」

 帰路につくデイヴィスの呟きは、スラムの音に混じって、誰にも聞こえなかった。


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