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覚醒の夜

ソーテリア教の修道女であるルナリス・ヒュブリセスは、カモミールの花が似合う可憐な乙女であった。


『隣人すべてを許すべし』という主神の教えは彼女に人生の全てであり、祭神たるソーテリア神が必ずや苦しむ民を救ってくれると信じて疑わない純真で敬虔な信徒であった。


彼女の一日は静かな祈りから始まる。祭神の偶像たる水晶に、道に迷う弱者が救済されるよう祈りをささげる。


隣人を皆救うべしというソーテリアの教えは彼女にとって掛けがえのない価値観であり存在理由だった。


「今日も皆が平等に救われる世になりますように」


彼女が祈りを終えると、みすぼらしい恰好の二人組の男と、煌びやかな鎧をつけている金髪の少年が教会の門を叩いた。


ルナリスは彼らを笑顔で迎え入れる。


「ソーテリア神に祈りを捧げましょう。さすれば我らをお救い下さいます」


みすぼらしい二人組のうち、大柄な方の男が濁った声をあげる。


「あ”ぁ”?俺たちは水と飯を貰いに来ただけだ、()()()()に祈りなんかしに来ちゃいねえよ」


小柄な方の男が怯えながら彼に話しかける。


「アニキ、まずいですって。もしメシ貰えなかったらどうするんですか!」

「あ~ぁ?だったら奪うだけのことよ」

「アニキ!聞こえますって!」

「いいんだよ、ほしいものは奪う、これが俺たち山の民の誇りだろうが」

「で、ですけどぉ……」


彼らが危険だということはルナリスも頭では理解していた。しかし彼女はソーテリア神に使える信徒であり、彼らのような神を信じないものにも救いを与えるのも、神が与えた試練だと理解していた。


「いいんです。いつかソーテリア神がお救いになさったことを、お二人も信じてくださると確信しています。お水とお食事の用意をしてきますね」

「おうよ、信じる信じる。悪かったな」


彼女は大男のその一言に感激し、自身にまとわりついた鉄球を引きずりながら井戸へと向かう。それを見た小男は思わず声を漏らした。


「ソーテリアンの女って、ほんとに自分を鉄球で縛ってるんですね」

「試練を自分に課してんだっけか?頭のおかしい連中だぜ全く。そのくせ俺たちみたいな山賊で助けようとするんだからおめでたい話だよな」

「うぃへへへへ」

「そのくらいにしておけ」

「あ”ぁ”!?」


割り込んだ美少年に向かって大男が吠える。


その声は教会全体に響き渡り少年の美しい金色の髪を振動させたが、彼は身じろぎ一つしない。


「少しはあの子に感謝したらどうだ。食料だってタダじゃないんだぞ」

「ピーピーうっせぇな。俺様を誰だと思ってやがる」

「信徒でもないのに食料を貰いに来たただの乞食だろ」

「あぁ!!??もう一度言ってみろ……殺すぞ」


「喧嘩はやめてくださーーーい!!」


ルナリスが走って二人の間に入り込む。


肩に担いだ水がこぼれそうになりアワアワしていると、少年が慌てて桶を支えた。


「すみません、ありがとうございます」

「いえ、同じ信徒として当然のことをしたまでです」


少年―――ソル・レオンハートはこの時の彼女の様子を、まるで世界に祝福されているかのような美しい銀髪の乙女だった、と後世で語っている。


ーーー


教会の皆が眠りについたとしても、ルナリスの仕事は終わらない。


近所の村の人たちの告解を聞き罪を赦すのも彼女に課された使命であった。


「俺はソーテリア卿の信徒でありながら、巫女様を見て邪気を感じてしまったんです、お許しください」

「大丈夫です。ソーテリア神はそんな貴方の罪も許し、お救い下さいます」

「……でも、まだ収まらねえんだ。教会にいてこんなんじゃ、ソーテリアンとして神様に合わせる顔がねえだ」

「っ…………」


それは、村人たちの『処理』を求める合図であった。


現実的な問題として、村の献金や食料の検品失くして教会は運営できない。彼らに見放されることは、すなわち飢餓による死を意味している。


ルナリスはカーテンの間からまろび出る肉棒に対して、嫌悪感を必死に押し殺して処理用の手袋を手にした。


下卑た男の声が告解室に響き渡る。ルナリスにとっては苦しく屈辱的な行為であったが、耐えがたい程ではなかった。


自分はソーテリア神に心を捧げる乙女として純潔を守り抜いている、その事実だけが彼女を奮い立たせていた。


「すみません、いつも助かりますだ」

「いえ、辛くなったらいつでもお申し付けください」


カーテンで見えてもいないのに、彼女は笑顔で応える。


しかし不幸なことにそんな彼女の様子を目ざとく見つけた二人組がいた。大男と小男がにやけ顔で告解室に入る。


「おう嬢ちゃんよ、俺たちのことも助けてくれよ。股間が苦しくて仕方ねえんだ」

「ひっ……!」

「おいおい酷いじゃねえか、さっきの男には笑顔でしごいてたくせに、俺たちにはそんな怖い顔すんのかよ」

「……すみません。カーテンの向こうに行っていただければ、行います」

「うるせぇ!!」


大男がルナリスを突き飛ばす。彼女は悲鳴を上げようとしたが、背中に受けた衝撃と恐怖で言葉が出なかった。


「修道服越しでも分かるようなエロい身体してさ、誘ってんだろ」

「そんなことありません!お願いですからカーテンの向こう側に……」

「ヤらせろって言ってんだよっ!!!」


獣の咆哮にも近い大声に、彼女は恐怖で身が硬直した。


今の彼女を支えているのは全てを赦すべしというソーテリアの教えだけだった。


これも神の与えた試練に違いない。これも我慢して受け入れないと……。


逃げ出したい感情を必死に押さえ、ルナリスは笑顔を取り繕った。


「お、お口の方でなら……」

「馬鹿が、このメンガムさまに二度も同じこと言わせんじゃねぇよ。おいバッカイ、押さえておけよ」

「へいっ」


修道服を引きちぎり、抵抗する彼女の四肢を強引に押さえつける。恐怖で悲鳴も上げることもできない。


バッカイと呼ばれた男が彼女の頬を舌で舐めると、ルナリスは思わず全身に鳥肌が立った。


「どうか、お考え直し下さい」

「これで三度目だ。本当に殺されてぇのか!!」


メンガムが丸太のような両腕を振り回すと、水晶が床に落ち大きな音を立て粉々に砕けた。


赦すことこそがソーテリアの教えだ。きっと神様は救ってくださる。彼女は必死に心の中で祈り、救いを求めた。


しかし神は彼女に答えることはしなかった。


修道服を脱がされ、下着だけにされる。


小男から必死に逃げようとするも、大男の方に左足をつかまれた。


「ぎゃはは、そんな重そうな鉄球つけてて逃げれると思うなよ」

「飽きたらおいらにも使わせてくだせぇよ」

「んだよ俺が今夜ヘバるって言いてぇのか!?」

「ひぃぇ、そんなことないでげすが……」


ルナリスは必死に身を守ろうと身体を屈める。


神は救ってはくださらなかった。


あれだけ毎日お祈りもして、神の信徒の証の鉄球をつけても、いやいや村人にご奉仕もしても、それでも神は私を見放した。


救いを求めて天窓を見上げても、月があざ笑うかのように燦燦と輝いているだけだった。


直後、ルナリスは違和感を覚えた。先ほどまで大声を上げていた二人の男の声が聞こえないのだ。


彼女が顔を上げると、それに呼応するようにメンガムだったものがドタンと床に倒れる。初めて見る大動脈からの流血に彼女は思わず悲鳴を上げたが、すぐに視線は大男の後ろに立っている少年に吸い寄せられた。


「怪我はないか」


少年が彼女に手を差し伸べる。月光に少年のやわらかい金髪が照らされ、仄かな燐光を煌めかせていた。


「あ……ありがとう、ございます……」

「俺はいつだって弱いものの味方だ。それに、時には暴力だって必要な時がある」


――――その言葉が、きっかけだった。


彼女はこれまで我慢していたものがいっぺんに口からあふれ出し、思わず嘔吐した。メンガムの死体に吐しゃ物を吐きかけると、彼女は立ち上がった。


「大丈夫か!?」


先ほどまで英雄のようだった少年も年相応に慌ており、思わずルナリスは笑みがこぼれた。


「大丈夫です。もう一人の……バッカイさんはどうしたのです?」

「あぁ、あいつは俺を見たらすぐに逃げ出したよ。もう教会に近づくことはないだろう」


彼女は感動で次の言葉を失っていた。感動で喉がつまり、涙があふれ出るのを止められなかった。


「じゃあ俺はもう出るから、気をつけてな」

「ま、待って!せめてお名前だけでも」

「……ソル・レオンハート。ソルでいい」

「ソルさま……」

「様は余計だっ。とにかく世話になったな」


ソルが告解室から去ると、彼女は高揚を抑えきれずその場でうずくまる。


ソル・レオンハート。絶対に忘れない。高鳴る胸が収まるまで数刻を要した。小躍りしながら彼女は新しい修道服を着なおして、外に出る。


すると近くから悲鳴が聞こえてくるではないか。村の少女が迷い込んだのだろう、バッカイがナイフを振り回しながらがむしゃらにその子を追いかけていた。


「誰か!助けて下さい!誰かぁ!!」

「うひゃひゃひゃひゃ!もうあの金髪野郎もいねぇんだ、誰もこねぇよ!!」

「お願いします、誰か助けて!神様ぁ!!」


今朝の私だったらどうしていただろうか。身代わりに入ったのだろうか……。


でもアイツらのことだ、私を堪能した後にきっとあの子も襲うに違いない。


そう考えたルナリスは試しに神に祈ってみることにした。


神様、どうかあの子をお救いください。あの子は不幸な目に遭っています。もし貴方に慈悲があるのなら、どうかあの子をお救いください。


しかし、少女は小男に捕まり押し倒される。


バッカイは少女の口を押さえつけ、悲鳴を上げることすら許させない。


彼女が抵抗を諦めて不幸を受け入れようとした瞬間、鉄球が月の光を反射してルナリスの網膜を照らし出す。


「ごめんなさい、ソーテリア。私は貴方の女になれません。でも仕方ないですよね。だって、貴方は私たちをお救いにならなかったのですもの」


鉄球を携えながらルナリスは小男を一瞥した。彼は完全に油断し切った様子で、彼女の肉体を舐め回すように見た。


「こいつはラッーーー


刹那。鉄球が弧を描く。


小男の頭は鉄球と入れ替わる。


頭だったものは近くの木の根にぶつかると、ぷぇ、と空気の抜けたような音を出した。


「あっ、あっ、あっ……」


少女が失禁しながら縋るようにルナリスの方をみる。


「いの、命だけは、助けて下さい」

「なら、神にでも祈ってみたら?」


何か少女が喋っていた気がしたが、ルナリスの耳には鉄球の鎖の音しか耳に入らない。


血みどろの鉄球を振り回しながらルナリスは空を見る。


「あぁソルさま。時には暴力も必要だなんて……なんて素敵な言葉なんでしょう。私はもう我慢しなくても良いのですね」


彼女は思う。本当に神が存在するのならなぜ私やあの子を助けなかったのだろう。


なぜ毎日救いを求める人が教会にやってくるのだろう。


「そういえば聖都エイベシースーには神に続く階段があるのでしたっけ」


そうだ、直接聞きに行こう。神に仇なすものとして、ソーテリアが救わなかった人たちを救いに行くんだ。


月はとっくに山の奥に身を隠してしまっている。ひとまず村に降りて、私に酷いことをした悪人たちを懲らしめようとルナリスは考えた。


これが後に五大厄災と呼ばれる巨悪の中で唯一の人間、≪仇なすもの≫覚醒の夜であった。


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