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しろい輝き

作者: まり

      しろい輝き


       

 二月に母が亡くなった。統合失調症である私は、新居が決まるまで、母と何年か暮らした四棟のアパートで一人で住むことになった。女47歳、はじめての一人暮らしである。


 佐藤さんが母に手を合わせにやってきた。佐藤さんは母が脳出血になったとき、母が回覧板が読めないと言って、ききにいった近所の女の人だ。すぐに家にきてくれて兄を呼ぶように言った。母はその後言語聴覚師のいるデイケアでリハビリを頑張った。胃がんの検診を忘れた。見つかったときはステージⅣだった。

 兄夫婦が香典返しを用意してくれてた。佐藤さんは敬老会の代表と一緒にきた。私はわからなくなって渡しそこねた。兄の妻の奈緒ちゃんにラインした。ありがとう、後で調べておくねと返信きた。


 近所の佐々木さんも別の日やってきた。母が仲良くさせてもらっていた近所の女の人だ。佐々木さんが庭木の手入れしてるところ母が声をかけたのがきっかけらしい。     私も母と佐々木さんのお宅におじゃましつコーヒーをごちそうになったことがいくどかあった。今度は香典返しを渡せた。


 私の訪問看護師から電話きた。初七日だから行ってもいいのかきかれた。母の葬儀は1日葬儀で行われたので、初七日も法要に含まれていたらしい。なかった。

 訪問看護師も葬儀屋さんがしつらえていった、祭壇のお母さんに手を合わせた。

 訪問看護師は介護用のベッドがよけられているのをみて、広くなったねと言っていた。 

 介護用ベッドはレンタルしたものだった。母の訪問看護師の藤田さんという女の人がフットワークがいいとほめていた、マットレスや位置の移動などすぐに対応してくれた、進藤さんという男の人は、取りにきたとき、私に大丈夫?と言ってから大丈夫じゃないよね、気をしっかり持ってねと言った。


 母の訪問看護師、だった人、藤田さんから電話きた。葬儀も終わってだいぶたってからだった。

 家にやってきた藤田さんは母に手を合わせる前、「私たち、花、菊にしないの、さびしいから」と言っていた。

 藤田さんは、母が亡くなった翌日にも来てくれていた。友引をさけて葬儀はまだ先だった。その時は家に来ていた奈緒ちゃん、奈緒ちゃんはお母さんがいいなら私しますよと母の生前から家の片付けをかってでてくれていた、と三人で話しをした。

 母を入院させるかどうか兄が迷ってるとき、家がいいか母に聞いたとき、母が「そりゃあ」と言ったことが家で看取ることの決め手になったこと、兄は母の痛みをとってと頼んだこと。藤田さんは私達はそれはできるがケアができるか心配していたこと、父親が若くして亡くなったさい直腸がんで病院で痛みに苦しんだこと、それで兄が痛みをとってやってほしいと言ってたことに藤田さんが合点がいったこと。母の遺体はエンバーミングを頼んで家にないこと。

 藤田さんはわたしをハグして帰っていった。奈緒ちゃんがいいな私もハグしてほしかったなとつぶやいた。

 藤田さんも介護用ベッドがよけられた場所を見て広くなったねと言った。

 奈緒ちゃんに頼まれていた菓子を渡した。


 別の日、母のケアマネージャーの保坂さんも電話くれてからやってきた。

 保坂さんは、母のヘルパーを頼むさい、私の障害者手帳の区分も調べてくれて、母の枠と私の枠を合わせて二時間ヘルパーがいてくれるようにべんぎをはかってくれたりした。なにくれとなく、世話になった。

 保坂さんは母が亡くなる前、母がどうするか迷ってるのを見かねて、母にお兄ちゃんに世話になっていいんだよ、順番だから、家にいなよ、と声をかけていた。

 保坂さんは私の体調も気にしてくれた。

 お母さんのケアマネージャーだからって急に切ったりしないからと言ってくれた。

 それからこうも言ってくれた。大丈夫あの強い則子さんの血をひいてるんだから。          保坂さんにも奈緒ちゃんが用意してくれたお菓子を渡した。


 薬局の松田さんもやってきた。保坂さんと藤田さんのようにだいぶたってからきた。

 私の受診の帰りに、私はタクシーで行っていた、ちょっと待っててと松田さんは言って車に乗せて送ってくれた。私は母の足が悪いから乗せてくれたと思ってたと言うと俺知り合いであれば乗せるよと言っていた。

 この人はかっぷくのよい男の人で、私のかかりつけの薬局の人だ。はじめて母の薬を配達してくれたとき、松田さんは家に私がいることに驚いていた。私はそうかな?と思っていた。

 母は具合が悪くなってからはつえをついていたけど、私の受診につきそってくれたこともあった。そういう時松田さんは母の薬の配達とともに家まで車で乗せてってくれた。

 藤田さんの話しで、訪問診療、訪問看護を立ち上げる時に全面的にバックアップしますと言ったのがこの人であることも知った。

 薬局には24時間服薬指導ダイヤルがあり、とんぷく薬を処方されていた私はよく電話をかけた。松田さんは、これまでに薬を飲んだのがいついつなら次は何時くらいとていねいに教えてくれた。

 松田さんは、母に処方されて痛み止めや栄養剤の残りを回収していった。

 車の中で田中さんの自分の中にある強さみたいなものを信じていけば大丈夫なんじゃないかなと、松田さんは、私に言ってくれた。


 私の新居について兄は家にきているとき、三食ついていて、友達のいるところがいいなと言っていた。私も賛同した。

 母の病気がわかってから、あわてて、私がかかりつけの精神科に入院したときに友達になった人がいた。その人は、りかさんは、高齢者しょうがいしゃ向け共同住宅というところに住んでいる人だ。

 母が亡くなる前ごろ、会う約束をしてた。兄も義姉の奈緒ちゃんも会う約束復活させればいいしょと言ってくれてた。そうだけど私はまだそんな気になれないんだとりかさんに通話中言った。りかさんは普段もの静かではあるが、その時ははっきりと、私はお母さんに手を合わせることができるの!?と言った。私はあわててできるよといった。りかさんが前に来てくれたとき、りかさんはお母さんにまたきてねと言われたという話しもきいた。


 しばらくたってりかさんとショッピングモールに行った。

 近所のショッピングモールではよくたこ焼きを買った。母の好物だった。パン屋さんのパンもよく買った。

 行く前にりかさんに家によってもらった。母に手を合わせにきたりかさんも香典を持ってきてくれたので兄夫婦が用意してくれた香典返しを渡した。奈緒ちゃんによると中身はコーヒーらしい。

 それからショッピングモールに行って店内のきっさ店でコーヒーを飲んだり、ミックスジュース屋さんで生ジュース飲んだり、本屋に行ったりした。

 りかさんはそこからタクシーで帰ったので、私は歩いて一人で家に帰った。道すがらもう私の買ったおみやげをもらってくれる母はもういないんだと泣いた。

 家に帰ったら、奈緒ちゃんが、葬儀屋さんがしつらえていった祭壇を片付けてくれていた。

 

 3月の精神科の定期受診には隣町の従姉のきよみさんに一緒に行ってもらった。きよみさんは自分のお母さんが私の母に世話になったと言ってなにくれとなく世話を焼いてくれていた。大型ごみを出すときも私がリサイクル希望にした家具などブルーシートでおおいをかけにきてくれたりした。  

母が亡くなった何日か前にもきてくれてて、葬儀のときには、母の遺体に「待っててくれたんだね」と声をかけていた。


 ある日、私は作業療法に行くことにした。かかりつけの病院では作業療法をしていた。作業療法には、まだ母が生きてるころ、病院の作業療法に行って本でも読んでくると言って、病院に行った。作業療法の女の人によると主治医の指示がいるということだったがすぐにとりはからってくれた。それから週一回行われてる作業療法に時々行くようになった。

 作業療法師の小島さんという男の人ににつらいときのこと相談して、何も考えないで深呼吸する方法を教わったりした。

 その日の作業療法師は内海さんという男の人だった。若い人だ。

 話しした。

 「春になったらやりたいことありますか?」と内海さんは言った。

 「春関係なくパソコンをやりたい」と私

は言った。パソコンで何をやりたいか内海さんは私にきいて、私は長文をつくりたいと印刷をしたいと、言った。

 内海さんはホワイトボードにそれを書き出して、「しかし、これらはスマホでもできる」と言った。

 

 私はスマホを持っていた。母の病気がわかってあわてて精神科に入退院したとき、退院してから、兄と買いに行った。ガラケーは在庫がなかったのでスマホを買った。


 私は家に帰ってから小説をかけるアプリ二つも三つもインストールした。さすがにこれはやりすぎだと二つはアンインストールした。

 夜、いつものようにりかさんから電話があった。 

「作業療法はどうだった?」

ときかれた。

「あんなに心が安らかになったのは、近所でパソコン教室を見つけたとき以来だ」

とこたえた。パソコン教室はやめていた。


 その夜、私はお母さんの夢をみた。

 夢の中でお母さんは病気で困っていた。

 はだがあれていた。生前もそうだった。

 私は、なんこうを使って、「お母さん、こっちを使ってたの?それともこっちを使えばいいの?」と聞きながらお母さんのからだになんこうをぬっていた。一所懸命ぬっていた。

 するとお母さんのからだが白く輝いて、きれいになっていった。


 5月私と兄夫婦は共同住宅で引っ越し後の片付けをしていた。りかさんが電話よこしてから顔だしてくれた。


      終わり

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