土土
おれはとある私立小学校に勤め、そこで四年生の担任をしている。学年主任もやっている。
私立ということもあって、うちの学校でいじめなんてものは聞いたことがない。金持ち喧嘩せずというが、その子供もそうらしい。
この学年をもつようになって、三カ月が経った。
もう新学期の新鮮さはない。いつも通りの日常と化した。
そして、夏休みが近い。それはうれしいことなのだが、試験も近い。よって試験問題を作る作業で連日、残業に明け暮れている。ストレスが溜まる時期でもある。
おれは時間三十分前に職員室に入った。だが、一時間前には来ている先生がほとんどで、おれはギリギリな方だ。軽く挨拶をする。挨拶は大切だ。
そこでとあることに気づいた。
田中教諭がまだ来ていなかった。いつもなら一番早いはず。
「おはようございます。杉田先生。珍しいこともありますね」空席に目を投げかける。
「おっおはようございます。佐藤先生。そっそうですね」彼は白黒させた目を、その席に投げた。
彼の調子を少し不信に思ったが、どうでもいいことだ。
ああ、言うのを忘れていたが、おれの名前は佐藤徹だ。
彼の名前は杉田圭。彼はおれと同じく四年生の担任をしている。だが、その他にこれといった接点はない。
おれ、田中瑞穂、杉田圭の三人が四年生の担任だ。
こういっちゃなんだが、おれは田中教諭を目の保養にしていた。それくらいおれの好みにどんぴしゃだった。だから少し残念に思った。
そうしていると、おれの生徒があわてた様子で教室に入って来た。
「はぁ、はぁ。ごく。先生、教室で田中先生が倒れています!」
教室前にはまだ、始業二十五分前だというのに、人だかりができていた。
「窓際です」生徒はそう言って、生徒は教室の前で立ち止まった。
教師が来たと気づいて、子供たちの間に道ができた。スムーズに入っていき、すぐさま倒れている田中先生を抱き起そうとしたが、その手が止まった。
胸元は赤く染まり、そこにナイフのようなものが突き刺さっていたのだ。
「……死んでいる。殺人事件だ」
ふと、彼女の手元に、土で小さな山が二つできていることに気づいた。下についた小窓が開いていた。その先には低木が植えられている。
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警察が来た。おれは岸本学という目つきの悪い男に、事情聴取されることになった。事件が起きた隣の教室を貸し切って。
この教室と事件が起きた教室の子供たちは体育館で自習という異例の事態となった。ドッジボールを許可したが、うわさ話でそれどころじゃなさそうだった。
推しが殺されて、おれの心情もそれどころではなかった。
教室にはおれと岸本学、その他に杉田圭、教頭がいた。
「ああ、ああ。それで、あの二つの土の山だけどよ。一体なんなんだ? 心当たりはないのかよ?」言葉使いがとても警察とは思えない。
「ありませんね」一同は顔を見合わせる。
「だけどよ、俺はぜってぇ意味があると思うんだわ」
「うーん。ダイイングメッセージだとして、二つ山があるだから二山という人が犯人とか……?」
「それにしては、不可解な点があるんだわ。というのもだぜ? 田中瑞穂の手には土を持った痕跡がなかったのよ。つまり犯人が土を置いたのかもしれないってこと。一応、二山って苗字の奴がいねぇかは後で調べるとしてだ。子供のいたずらって線も考えられる」
「いや、子供がそんなこと……」
「でも、可能性はあるだろ?」
「動機がない」
「そこだ。そこなんだよな。いずれにせよ、だからこの二つの土の山には、意味があるって思ってんの」
「ああ、それから昨日の放課後、おめぇらはなにをしてた?」やはりこの男、口の利き方がまるでなっていない。よく事情聴取を任されたなと感心するほどだ。コネかもしれない。
「それがなにか関係あるんですか?」
「質問に質問で返すんじゃねぇよ。まぁいい。彼女は昨日、家に戻っていなかったんだとよ。だから、殺されたのは昨日の放課後ってぇことになる」
おれたちは誰もこれといったアリバイがなかった。教頭はだいたい一人だし、おれと杉田もテスト作りで一人孤独な戦いをしていた。
しばらくして事情聴取は終わった。
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それからは生徒がリークしたのか、どこからともなくテレビ局が学校の正門に集まってきたりした。
授業しても授業にならないんじゃないかと思ったが、教師会議でいつも通り授業しようということになった。
体育館に行くと、子供たちは案外ドッチボールを楽しんでした。ただ、それはうちのクラスの呑気な男子生徒だけだった。
田中教諭のクラスはさすがにお通夜ムードだった。こそこそうわさ話はしていたが。
子供たちの中に目撃者はいないだろうか。いや、普通に考えてだとしたら、名乗り出てくれるはず。それができないってことは、……どういうことだ?
おれは名探偵じゃない。だからよくわからない。
それでも、一つ決心を固めた。
犯人はおれが見つける。
できるか? じゃない。やるんだ。あてはあのダイイングメッセージの他に今はなにもないが。
推しの仇はおれがうつ。
教室に戻る途中、おれは生徒らの背中を眺めまわしながらそう思った。
ふと、おれは村山一二三が気になった。彼は男子生徒で、足を軽く引きづっており最後尾にいた。友人もそれに歩調を合わせている。
田中教諭の生徒だが、一年から三年まではおれが担任した。
それで気になったというのは、彼がけがをしているところを見たことがなかったためだ。バレーボールという比較的けがしやすい部に所属しているのにも関わらず。
ルール厳守で危ないことは一切しない。そんな彼が、一体どうして。
いや、こんなことは些末なことだ。なにか事件解決の糸口はないか。
と思いつつも、一応、声をかけることにした。
「久しぶりだな。村山。ところで足どうしたんだ? 珍しいじゃないか」
「先生、久しぶりです。そうですね」会話が途切れる。まぁよく話をする仲ではなかった。
「いつけがしたんだ?」
「み、三日前です」
「いや昨日の放課後だろ!」友人がツッコむ。この生徒の担任をしたことはない。だから、名前がわからない。
「昨日の放課後って、まさか事故にでもあったのか!?」
「いや、そういうわけではないんですが……」村田はどこか歯切れが悪かった。
「一二三、それ、僕にも教えてくれないですよ。途中まで一緒に帰ってたんですけど、忘れ物を取りに戻っちゃったから。電車に乗って二十分もした後だったのに。明日でいいじゃん。って言ったんですけど。取りに戻るって。そして今日。四針縫ったって。びっくりですよ」
「四針!? そうか。災難だったな。まぁなんだ。その、お大事にな」そう言って、おれは彼らを追い抜いた。
昨日の放課後か。事件があったのも同じ時だ。っておれはなにを考えている。村山を疑っているのか? バカな。あいつはそんなやつじゃない。
第一、教室には入れない。下校時刻が過ぎて三十分もすれば、正門は閉鎖される。入口はそこしかない。教師陣はどうやって帰るのかというと、管理人室の目の前を通って帰るのだ。
忘れ物……そうだ、忘れ物はどうしたんだ? 学校から通学路を通り、二十分も電車に揺られた後だぞ。それなのに、正門は閉まっていた。さぞ無念だったろうに。
よし、後で管理人さんに聞いてみようか。
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教室に着いた。昼ごはんの時間がきた。
昼休憩の後は、当然授業を始めるつもりだった。が、やめた。教室で再び自習させることにした。男子生徒からはブーイングが起きるかと思ったが、そんなことはなかった。
彼らは午前中、ずっとドッジボールをしていた。さすがに疲れたのだろう。
おれは管理人に話を聞きにいった。
「バレー部の膝当てをした四年生が来なかったかって? ああ、一人来たよ。けど下校時間は過ぎているし、明日にしなさいと追い返したがね」
「教えて頂き、ありがとうございます。それでは」
おれは自習中の村山一二三を呼び出した。
「あの二つの土の山。作ったのはお前さんだな」
「どっどうしてそれを」
ふぅ、と一息。ここで頑なに否定されたらどうしようかと冷や冷やしていた。
「詳しい理由はわからない。だが、お前さんは昨日の放課後、学校に侵入した。そして倒れている田中先生を発見してしまった。そうだな」
「……そう、です。だけどその時はまだ、動いていて。で、床になにか手で書き始めたんです。僕、それを見てて、でもそれきり動かなくなっちゃった。怖くなってすぐにでも帰ろうと思ったけど、先生が僕に伝えたことをみんなにも伝えなくちゃと思って」
「それで残したのが、あの二つの土の山だな。先生は点を二個書いたってことか?」
「違います。土という漢字を二個、こう書いたんです」と、おれになぞって見せてくれた。
「縦書きだったんだな」とそこで、すぐに気づいた。
「そういうことか! やろー、ちくしょう!」
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杉田圭が犯行を認めたのは、おれが「二つの土の山」の話を村山一二三にした、次の日のことだった。
警察は二山という苗字を持つ者がいないか調べていたが、成果はなかった。
だから村山の証言は警察にとって、掘り出し物だった。なにせ刑事がダイイングメッセージの意味を話した途端に、杉田はさとって、白状したらしい。
杉田は田中に執拗に交際を迫っていた。だが、田中は断り続け、カッとなって殺してしまったんだそう。そんなことでよくもおれの推しを! おれは嘆いた。
後日談になるが、裁判で検察側はナイフを事前に所持していたという点を指摘し、凶悪性があると言った。弁護士側は仕事のストレスが原因だとし、情状酌量を訴えた。
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「まさか杉田君が犯人だったとはねぇ」教頭は言った。ん? 杉田のやろーは、の聞き間違いだろう。
今おれは校長室にて報告をさせられている。
「で、二つの土でできた山。あれは一体なんだったのだね」
「あれは犯人の名前でした」
「名前?」
「漢字で土を縦書きで二つ書いてみるとこうなります」おれはボールペンで紙に「圭」と書いた。
居合わせている教頭と校長は同時に、目を見開いた。
「そうか!」
「そういうことです。村田は動揺していたのでしょう。下の小窓を開き、土を二回つかんでは置き、それを表現したのです」
「村田が圭という漢字で表現してくれれば、すぐに解決したという訳だな」
「ですが、圭は高校で習う漢字です。小学四年生に求めるのは酷でしょう」
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村田の処分が決められる前に、おれは詳しい情報を彼に聞いた。
「で、どうやって学校に侵入したんだ?」
「塀をよじ登って……」
「なにを取りに戻ったんだ?」
「本です」
「本? どうして?」
「その日が返却期限だったんです」おれはあっけに取られた。
「それだけか?」
「はい」
「くく。いや、失礼。ルールを守るためにルールを破ることになってしまったということか。難しい選択だったんだな。きっと。で事件があって、動揺した帰りに、塀から落っこちてしまったってとこか」
「そうです。心臓はバクバクいってるし、血が止まらなくて。救急車を呼んでくれた通行人のおじさんにはとても感謝しています」
「わかった。わかった。うまいように校長に伝えておくよ」
「よろしくお願いします。こんなことはもう二度と。うぐっ」彼が泣いていることに今更、おれは気づいた。
おれは他人に興味がない。田中と杉田の関係も全く知らなかった。たった三人しか教師がいない学年の、それも学年主任だというのに。今回の事件の遠因はおれかもしれない。
さて、少し気持ちを改めるとするか。
田中と杉田のかわりにやってくる、非常勤講師の二人にはちゃんと興味を持って話しかけよう。
おれの髪は屋上の風に揺られることなく、静かに佇んでいた。