【解錠のとき】_②
近くのコインパーキングに車を停め、アパートの看板を背に待つこと十分。十五時ぴったりにやって来た男二人は、俺たちの顔を見ると血相を変えた。
「……探偵が何のつもりだね。部屋の清掃と、エアコンの修理じゃないのか?」
「警戒心なく来ていただけるよう、北条さんに連絡をお願いしました。ここの大家と、四日前にエアコンの取り付けに来た業者。僕たちがお二人をお呼びしたら、不自然でしょう?……特にあなた、斉川さんは」
業者の作業着に付いた名札を読み上げる。斉川は一瞬たじろいだものの、すぐに薄ら笑いを浮かべた。
「何を根拠に、何を考えているかは知らないが。勤務時間中だから、お遊びに時間を取られるわけにはいかないよ」
「こちらも時間には余裕がないので、本題に入らせていただきます。北条さんの部屋に小麦粉が積もった話は、お二人ともご存じですね?」
「君たちに知らされて、初めて知ったんだがね。呼ばれた時の電話で、本人からも聞いたよ」
「部屋には均等に小麦粉が積もり、壁も天井も粉まみれ。とても人の手でできることではありません。一番手っ取り早いのが、エアコンの風に乗せて粉を散布することです。
北条さんの許可の元、エアコンを少し調べさせていただきました」
碧波がビニール袋から取り出したのは、無数に穴が開けられた小麦粉の袋。中身は全て部屋の中にばら撒かれ、空になっている。
「これが、フィルターの奥に入っていました。穴が開いているのは、中身を効率よく空気の流れに乗せるためだと思われます。
あの部屋に踏み台にできるものはありません。ですが、取り付け時なら?業者の方なら踏み台も持って来られるし、何よりエアコンに触れる時間が長い。……北条さんも、ずっと立ち会っていたわけではないそうですし」
「部屋が小麦粉にまみれたら何なんだ。俺がそんな無駄なことをしてどうする」
「お答えする前に、今度は石動さんに話を聞かせてください」
碧波に代わって石動を見据える。自分を見下ろす石動の顔には、まだ余裕がある様子だ。
「あの部屋の壁には、直径三センチメートル程の穴が開いています。隣の部屋を難なく覗けるような、大きな穴です。棚で隠れてはいますが、隣の部屋から突っ張り棒でも通して棚を押してやれば、簡単に視界が確保できます。
きのう、石動さんはどうしてここへ来られたんですか?お供え物のほかに手荷物はお持ちではありませんでしたが、では何のために住んでもいないアパートまで?」
「……様子がおかしかったからと、言ったはずだ」
「それは部屋を覗いた理由です。あの部屋は、外からは見えにくい場所にありますよね。わざわざ近付かないと、部屋の中は見えません。自ら部屋の様子を『見に来た』んですよね」
「部屋の状態について、北条さんからはきのう呼び出された時に聞いた……と言いましたね。私たちと会ってから、時間はあったはずです。ご自身からは連絡されなかったんですか?所有する建物の一室が、駄目になったと言うのに。
部屋があの状態になることは、想定内でしたか。且つ、部屋にいたのが北条さんでなくて驚かれたのでは?」
二人に悟られないよう、敢えて碧波の腕時計を盗み見た。現時刻は十五時三分。
アパートの向こう側に目をやりつつ、いつかの龍馬の言葉を口にする。
「『思いがけず』おかしな現場ができることはあっても、『そのつもりで』おかしな現場ができることは殆どありません。事故や自殺に見せかけた方が、簡単で安全ですから。
では明らかに奇妙な現場の場合、他の目的があると考えるのが妥当です。つまり、部屋を粉まみれにすること自体が目的なのではない。本当の目的は『その先』です」
碧波から袋を受け取り、くしゃりと握り潰す。僅かに残っていた小麦粉が風圧で舞った。
「これが絶対に小麦粉である必要はなかった。大気中に微細な粒子が充満している中、僕が小さな火をつけたらどうなるか……粉塵爆発は、ご存じですよね」
二人の表情が明らかに強張った。明確な証拠がなく、想像でしかなかった推測が確信に変わる。石動の目を見たまま、畳みかけるように言葉を継いだ。
「ここへは、霊園へ行く前に立ち寄られたんでしたね。花もお供え物も用意されていた石動さんなら、きっとお持ちだったのではありませんか?
マッチや蝋燭の入った、お墓参りセット」
「な……」
容疑者だけに推理を聞かせるのは、クリスマスのような事件を除けば今回が初めてだ。表情を慎重に読みながら、言葉を選んでいく必要がある。
そして、制限時間以内に認めさせなければならない。
「この事件は、あなた方二人の共犯です。エアコンの取り付けがあったのは四日前。
石動さんは電話によって北条さんの気を引き、途中で離席させた。その隙に斉川さんが細工を行い、部屋には小麦粉を仕込んだエアコンが取り付けられた。
温かい空気は上昇する。だから暖房の風は、下向きに設定するのが一般的ですよね。風に乗って落ちた小麦粉は空気の流れに巻き上げられ、効率よく部屋中に広がります。
そしてきのう、北条さんがエアコンを使用したことによって、部屋はあの状態になりました」
「ただ、彼女がいつエアコンを使用するかはわからない。ちょうど部屋にいるタイミングの場合もあれば、今回のように不在の恐れもある。そこで、事前に壁に覗き穴を開けておいた。
隣の部屋から様子を確認し、北条さんがいるタイミングで火種を投げ入れる。必ずしも粉が舞っている必要はありません。その場に酸素と多くの粉塵さえあれば、爆発を引き起こすことは充分に可能ですから」
「エアコンを取り付けた日からきのうまでの三日間、石動さんは密かに隣の部屋を出入りしていたのでしょう。きのう僕たちに会った時も、隣の部屋に用があったのではありませんか。
目論見通り、部屋には小麦粉が積もっていた。しかし誤算だったのは、北条さんが小麦アレルギーであったことです。
症状によってその場にいられなかった北条さんは部屋を飛び出し、事務所へ依頼に来た。そして依頼を受けた僕たちが部屋に訪れ、あなたと遭遇した。
あなたの機嫌が悪かったのも、無理はありません。絶好の機会に部屋にいたのが、全く無関係の人物だったとなれば……」
ひゅう、と息を吸う音が響いた。こちらを睨みつける管理人の顔は、この上ない苛立ちに満ちている。隣に視線を向けると、碧波が目で頷いた。
「動機は、北条さんへの報復。北条さんのいじめによって亡くなった方は二人。同級生だった斉川みずきさんと、後輩の女子生徒と聞いています。あなた方の娘さんですね。
石動さんが評した『賢い人』というのは、『ずる賢い人』という意味なのではありませんか。いじめは誰にも見えない所で行われ、証拠も残らなかった。清明な風を装って大学生活を楽しむ彼女を目の当たりにし、殺意が湧いたお二人は、ずっと機会を伺っていた……違いますか」
斉川が何か言おうと口を開き、力なく閉じた。
碧波の言葉を聞きながら俯いていた石動は、少しして呟いた。
「当然だろう。……娘を、殺されたんだぞ」




