不可解過多の連続殺人_①
小さめの買い物袋を手に、家に戻る。事務所の部屋を通り過ぎて、リビングへ。すかすかの冷蔵庫に食材を入れた。…それでも、あまり庫内の密度は高くならない。
「タブレット、買わない方が良かったかな。生活費が足りない気がするの、私だけ?」
「パソコンよりも持ち運びやすくなったから良かったじゃない。出先でも依頼が確認できるし。
生活費は…あとで来る依頼人次第かな」
呑気に事務所のホームページ画面をスクロールしながら、大紫兄が答える。私が買い物に行っていた20分の間に、タブレットの初期設定やら某リンゴのアカウント作成やらアプリのインストールやらを全て終えたらしい。ぽやぽやしてるんだか、していないんだか。
朝賀大紫、通称大紫兄。
眠たいの?と聞きたくなるような柔らかい目元に、長めの前髪。そこそこの背丈に、うっすい腹。腕も足も細い。で、白い。一般的に見れば、見た目はもやしみたいに頼りない部類。でも頭は相当切れる。
この4つ年上の幼馴染と私、深月碧波が探偵事務所を始めたのが、つい一ヶ月ほど前のこと。
何故わざわざそんな斜陽産業を選んだのかというと二人ともミステリオタクだからで、探偵よりは稼ぎがあった企業を解雇されたり退職したりした今となっては仕事なんて楽しければなんだっていいわけで、勢いのままに設立したのがこの探偵事務所『Deadlock』なのだ。
綴りを見て物騒な名前だと思った人は、是非とも検索をかけてみて欲しい。デッドロックは、コンピュータ上の処理の行き詰まりを意味する言葉だ。別に鍵が臨終しているわけではない。
「依頼!報酬は多めがいいな。なんせ私たち、打率10割だから」
「まだ設立から2件目だよ、この依頼」
「しょうがないよ。その代わり、いい依頼が来るはず」
うちの事務所のサイトには、ある「鍵」を掛けている。
サイトのトップに表示されるのは、事務所の紹介文のみ。
まず、依頼人情報フォームに氏名、年齢、性別、職業、住所、電話番号、メールアドレスを入力。続いて表示される依頼内容フォームに依頼を入力。個人情報の取り扱いに同意し、やっと事務所の住所と電話番号が表示される。
また、その画面はスクリーンショットを撮ることができないように設定されており、依頼人は画面の表示が消えるまでの3分のうちに情報をメモするなどして保存する必要がある。
こんなくどい手順を踏んでまで依頼される案件なら、きっと切羽詰まっていて難解で、報酬も見込める。楽しみながら、効率良く仕事をするためのシステムだ。他にも理由があるといえばあるが、この話を引き延ばす必要性を感じないので割愛する。
仕事に求めるのは満足感と達成感、あと報酬。
そういうわけで、私は新規の依頼に飢えていた。
「まずは腹ごしらえだね。雑炊でいい?」
「水分多めで嵩増ししよう。俺は依頼より食べ物に飢えてる」
雑炊と言っても、中身は米と出汁と大根のみ。おじやと言うべきなのかも知れないが、私たちはこれを雑炊と言い張っている。まともに雑炊になる日を夢見ているのだ。いや、私としてはもう雑炊は食べ飽きたからお刺身とか食べたいんだけど…高級食材だからたぶん無理だけど…大根をぶった切る手に、思わず力が入る。
ざく、ざく、ざくっと…ざく!
「痛ッ!」
勢い余った包丁が手に触れた。
痛みの走った人差し指から、赤い雫が流れ落ちる。
原色よりも黒みがかった、真っ赤な血液。
後から後から、溢れている。
「……波。碧波!」
「あ…?」
ティッシュでくるむように指を握られ、我に返る。包丁をどけた大紫兄が、指先に絆創膏を巻き付けた。
「結構切ったね」
「指どこにも落ちてないよ。セーフセーフ」
「セーフって顔色か。座ってな」
「大袈裟すぎ──」
「いいから」
エプロンを外し、赤い水玉模様のついた流し台に水を出す。くるくると軽やかに回りながら、それは吸い込まれていった。