溺れる水精たち_④
車から降り、アパートの一室に入る。富澤春奈の自宅だ。ワンルームに来客が四人。少し申し訳ないが仕方ない。
部屋は自宅兼アトリエらしく、キャンバスやら画材やらが部屋の半分を占めている。イーゼルに掛かっているのは絵ではなくヘッドホン。音楽を聞きながら絵を描いているのだろうか。
壁には額に入れられた絵がひとつ。大きな海の絵だ。壮大ながら繊細で、本物の水のような流れるタッチ。水無月が弟子と認める画家なのだとよくわかる。
「今朝は描いた絵を持って、水無月さんのアトリエに行きました」
並べられた座布団に座り、小さい机を囲む。富澤春奈はお淑やかな雰囲気の、美人な女性だった。すらっとした長身が羨ましい。表情に多少の疲れは見えるものの、取り乱すこともなく落ち着いている印象。師匠の死を実感できていないのかも知れない。
「水無月さんは食事や睡眠とかの時間以外、ずっとアトリエにいるんです。鍵がないからいつも勝手に入っていくんですけど、今日もそうやってアトリエに入ったら水無月さんが倒れていて」
スーツの胸ポケットからペンを取った龍馬くんが、手帳を開けて尋ねる。
「アトリエのことで、ひとつお聞きしたいことが。壁画と床下に収納があることはご存知でしたか」
「知ってますよ。壁画の方は、中身までは知らないけど…床下は画材が入ってますよね」
「壁画の中には通帳が入っていました。富澤さん以外で、収納について知っている人に心当たりはありますか?」
「ひぇッ─」と息を呑んだ富澤。その顔には、呆れと驚きの表情が浮かんでいる。
「通帳⁉お金を引き出す通帳ですか?鍵のないアトリエに通帳…ありえない、考えられないわ…どこの誰ですか、そんな非常識なことをする人は」
「水無月千斗さんです」
「あぁ、そうでしたね…知ってる人はいないんじゃないでしょうか。人に教えちゃったら危険ですもん」
確かにそうだ。私なら黙ってる。呟くと、大紫兄が更に小さな声で呟いた。
「俺ならもっと厳重に保管する」
メモを取っている龍馬くんの隣で、小園くんが腕時計に目をやる。
「午前一時頃は、まだ起きていましたか」
「起きてました。今朝持って行った絵を描いてたので」
横を見ると、大紫兄はぼうっと壁の絵を眺めていた。意識がどっか行っているように見えて、実はものすごく頭が回転しているというのが彼のお決まりだ。私はその思考に歯車を足すべく、富澤に質問を投げる。
「車は持ってますか」
「ないんです。まだ免許も取ってなくて。だからアトリエまでは電車で行くんです」
「水無月さんの周りのトラブルとか、何かご存知ですか?」
富澤の顔が少し曇った。ベッドの下から雑誌を引っ張り出し、ぱらぱらめくる。表紙には裸婦の絵が。…えーっと、それ見せていい雑誌なのかな?富澤の方へ目線を戻していた大紫兄が今度は意図的に目を逸らし、再び壁の絵を眺め始めた。
「水無月さんが先月、美術の雑誌の取材を受けたんですけど…このページです」
あ、普通の美術雑誌か。見せられたページの見出しには、『アートライターが選ぶ、作品の世界に魅入られる40〜50代画家トップ3』の文字が。あれ、これって…
「アトリエにもあったね、この雑誌」
「ライターからは、ただのインタビューだって聞いてたんです。ジャンルも作風も違う画家同士を比べて優劣をつけるなんて…というのが水無月さんの考えで。ランキングにされるなんて聞いてないって抗議したんですけど、取り合って貰えなかったんです」
改めてページをよく見てみる。さっきは水無月しか認識していなかったが、あとの二人も見たことがあるような顔だ。何となく顔写真の下にある文を読み上げる。
「二位が植物画家の坂倉裕美子で、三位が歴史画家の小久保拓郎…この二人って」
「…今回より先の二件の、被害者だな」
しばし固まる、富澤以外の面々。三人の被害者には共通点があったのか。何より気付けなかったことが悔しい。この四人の中で一番に雑誌を見たのは私だったのに!やっぱり大紫兄と二人分の目で見とくんだった。
「誰が書いたんですか、その記事」
視界の端で大紫兄が首を傾げる。富澤はベッドの下から財布を取り出すと、中から名刺を一枚出した。あらゆる物の収納場所がベッドの下らしい。半分アトリエ化したワンルームにとっては、確かに大事な収納スペースだ。
「いらないので、良かったら持って行ってください。ライターの名刺です」
受け取った名刺を確認。白いシンプルな背景に、「フリーライター 粟野浩志」の文字が。電話番号だけでなく、ご丁寧に住所まで書いてある。
「なるほどね。これは…」
皆まで言わず、名刺を片付ける大紫兄。続きはわかるし、ここで言うわけにはいかない。─これは容疑者候補が一人増えたということだ。
乾いた玄関を取り合うように靴を履き、お礼を言いつつばたばたとアパートを後にした。




